tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

実体経済、実体経済学への回帰を

2011年08月12日 11時28分31秒 | 経済
実体経済、実体経済学への回帰を
 以前から気になっているのですが、小学生や中学生に、経済の現場の勉強と称して、証券取引所の見学に連れて行くといったことが良くやられています。

 証券取引所というのは、経済の現場でしょうか。そういう企画を立てる人(先生)は、もしかしたら「これこそが経済の現場だ」と思っているのかもしれませんが、もしそうだとしたら、その辺りから認識を変えていかなければならないような気がします。

 経済の現場というのは、もっと身近なところにあって、ものを作っている現場とか、農産物を収穫して市場に持っていくところとか、競りをやっている市場とか、物流の拠点とか、近所のスーパーやコンビニでしょう。
 そういう所が、モノやサービスの生産から流通、消費、そして再生産という経済循環を現実に担っている「経済の現場」です。

 銀行や証券会社、証券取引所というのは、そういう実体経済を、カネの面から支えるいわば裏方の仕事で、その役割は、実体経済が、着実に拡大再生産をするように支援し、社会全体が豊かで快適になるように「潤滑油 」の役割をするところでです。
 クルマの機能を勉強するのに、潤滑油の働きを教えても、なぜ車が走るのかは解りません。

 戦後を見ても、モノがなかった「買い出し」時代から、「主要都市のメインの交差点の4つの角のうち3つは銀行だ」などといわれた時代、「銀行よさようなら、証券よ今日は」の時代を経て、「為替レートが世界の経済関係の鍵」、「国際投機資本が世界経済を牛耳る」時代へと、経済世界は変わってきました。
 そうした中で、「金融こそが経済そのもの」といった感覚が育ちすぎてしまったのではないでしょうか。その結果が一方では冒頭のような現実を生み、他方では、株式・為替の乱高下、世界経済の大混乱を生み出しているのでしょう。

 実体経済は大きく動いても、±1~2パーセントの世界です。本当は金融の世界もこれに順じた変化幅(ボラティリティー)の中で仕事をするべきなのでしょう。
 しかし、今の投機金融経済(マネー資本主義)の世界は、その本来の性質上、ボラティリティーが大きいほど 商機が大きい世界なのです。そして、自分たちの手で、ボラティリティーを大きくするための方法 も、金融の(行き過ぎた)自由化の中で用意されてしまいました。

 こうした事にならないように国際協力で努力しようとして考えられた「ブレトンウッヅ体制 」は忘れ去られました。人類はホモ・エコノミックスとしても、もっと歴史に学ぶべきでしょう。