Leader と Reader
政局が混乱している中で、日本のリーダーである人、リーダーを目指す人などが、自らの所信を表明し、国民に訴えている姿がテレビに映ります。
確かに、声には力を入れて、解り易くしゃべっているのは手馴れたものだなと思いますが、しゃべっている間は常に原稿を見ていて、言葉尻のところでちょっと顔を上げると、そこでカメラのフラッシュが一斉にたかれます。新聞の紙面に、下を向いて原稿を読んでいる姿が載っても迫力がないから、せめて顔を上げたときの写真をというマスコミの配慮でしょうか。
しかしテレビでは、そうはいきません、ほとんど下を向いて、原稿を読んでいる姿が映し出されています。残念ながらこれでは、
「Leader ではなくて Reader です。」
相手に訴えるのであれば、顔を上げ、相手の目を見て(大勢だと見きれませんが)話さないと、訴求力は何分の一かになってしまいます。
Leader でなくて Reader になってしまうのは、多分、他人の書いた原稿を、準備不十分のまましゃべろうとするからでしょう。その中に一部でも、自分が良く解っていて、本当にそれを相手に伝えたいと思っていることがあれば、少なくともそこは、顔を上げて、直接語りかけているはずです。
マスコミが言葉尻を捉えたような「失言」まであげつらうからということもあるかもしれません。しかし、真剣さと迫力があれば、国民のほうが、必ず本心を理解してくれるはずです。
聴衆や視聴者のほうを向いて話すのが、選挙キャンペーンの時だけというのでは「やっぱり本気で大事だと思っているのは選挙だけなのか。」などと思われてしまっても、あながち反論できないのではないかと思います。
大部分の日本人は先天的に L と R が聞き分けられないという研究があるそうですが、それとこれとは関係ないと思います。
政局が混乱している中で、日本のリーダーである人、リーダーを目指す人などが、自らの所信を表明し、国民に訴えている姿がテレビに映ります。
確かに、声には力を入れて、解り易くしゃべっているのは手馴れたものだなと思いますが、しゃべっている間は常に原稿を見ていて、言葉尻のところでちょっと顔を上げると、そこでカメラのフラッシュが一斉にたかれます。新聞の紙面に、下を向いて原稿を読んでいる姿が載っても迫力がないから、せめて顔を上げたときの写真をというマスコミの配慮でしょうか。
しかしテレビでは、そうはいきません、ほとんど下を向いて、原稿を読んでいる姿が映し出されています。残念ながらこれでは、
「Leader ではなくて Reader です。」
相手に訴えるのであれば、顔を上げ、相手の目を見て(大勢だと見きれませんが)話さないと、訴求力は何分の一かになってしまいます。
Leader でなくて Reader になってしまうのは、多分、他人の書いた原稿を、準備不十分のまましゃべろうとするからでしょう。その中に一部でも、自分が良く解っていて、本当にそれを相手に伝えたいと思っていることがあれば、少なくともそこは、顔を上げて、直接語りかけているはずです。
マスコミが言葉尻を捉えたような「失言」まであげつらうからということもあるかもしれません。しかし、真剣さと迫力があれば、国民のほうが、必ず本心を理解してくれるはずです。
聴衆や視聴者のほうを向いて話すのが、選挙キャンペーンの時だけというのでは「やっぱり本気で大事だと思っているのは選挙だけなのか。」などと思われてしまっても、あながち反論できないのではないかと思います。
大部分の日本人は先天的に L と R が聞き分けられないという研究があるそうですが、それとこれとは関係ないと思います。