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tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

今こそ日本型雇用の知恵に学ぶべき(続き)

2020年04月03日 15時40分16秒 | 労働
今こそ日本型雇用の知恵に学ぶべき(続き)
 戦後の日本の雇用は、深刻な失業時代から出発しました。
 全国の主要都市はほとんど灰燼に帰し、軍需工場を中心に生産設備は破壊し尽くされていました。都市機能はマヒ、多くの国民は飢餓の中で帰農、土地を持たなくても食料のある農村へ空襲を避けての疎開のままでした。(我が家もまさにそうでした)

 そこに外地からの大量の帰還兵、引揚者が戻って来ました。もともと国内の企業で働いていた方々ですが、徴兵その他で戦地に展開し、終戦とともに帰国した人達です。
 もちろん、元働いていた工場などは壊滅です。

 日本の企業は、こうした人たちの復職を何とか面倒見るべく努力したのです。戦後の混乱の中で、元わが社の従業員をはじめ「安定した雇用の確保」が人心の安定、社会の安定のために最も必要という意識が、基本だったと思います。

 更に、戦後の民主化運動の流れもあり、過激な労働組合運動への対応という指摘もありますが、そうした中で、日本の経営者は、 職員・工員などの身分制度をなくし、全従業員を「社員」として一本化したのです。

 日本経営者団体連盟「日経連」を、戦後の創立からオイルショックの時期までリードした桜田武(日清紡社長・会長)が誇りとしていたことはすでに書きました。
 
 今、非正規社員が雇用者の4割近くを占め、新型コロナ化の中で、多くが初l区を失う中で考えるのは、家計を支える主たる働き手で、正規社員として働きたい人が、「社員(正社員)」としての身分を保証されていれば、社会の安定に大きく役立っているのではないかと考えるところです。

 勿論、経営に非常事態においても、正社員の雇用を確保することは企業にとっては大変なことでしょう。しかし、日本企業は、戦後その努力を労使の責任意識でやって来ています。

 それが崩れたのは、プラザ合意と、リーマン・ショックへの緊急避難、それを政策として進めた政府の雇用政策の結果という事でしょう。
 企業の一部には、正社員化の復元もみられますが、政府は新たな「働き方改革」で雇用の流動化という真逆な政策を推し進めているという現状は極めて問題でしょう。

 今は昔と違い豊かな時代ですから、自由な働き方を望む方も多くなっています。現実に雇用者の2割ぐらいはそうした方がたでしょうか。
 しかし家計を担い、責任を持つ立場の方は企業として正社員として、積極的に雇用安定の努力をするというのが伝統的な日本型雇用管理だったと言えるでしょう。

 経営者も、そうしたっ社会貢献の努力に誇りを持ち、労働組合も、雇用の安定を第一義と考える労使共通の意識が日本経済社会の安定を、政府に頼るだけではなく率先して支え、「労使は社会の安定帯」といわれる労使関係を作ってきたのだと思います。

 今日のニュースでは、アメリカでは今1千万人が雇用を求め、失業率は過去最低水準の3%台から10%を超えるのではないかという状態だそうです。

 何もかも政府に頼るというシステムは、政府の顔は立てますが、結局は政府の無駄も含めて、国民負担になるのです。

 日本型雇用システムは、いわば「治にいて乱を忘れず」の識見を持ち、社会の安定を担う民間の能力を高める知恵を秘めていたのでしょう。

 今の状態は、平成不況の中で、政府も企業も、かつて試練の中で培った日本型雇用の知恵を忘れ、単純に欧米並みを善しとするところから発する部分も大きいということに、改めて気づくべきではないでしょうか。

今こそ日本型雇用の知恵に学ぶべき

2020年04月02日 16時07分58秒 | 労働
今こそ日本型雇用の知恵に学ぶべき
 新型コロナウィルスの猛威が続いています。これから本格的に、実体経済への影響が出て来るのではないでしょうか。

 そのとき何が起きるかは想像に難くありません。最も恐ろしいのは「雇用の削減」が現実になることでしょう。

 雇用は経済活動が活発になるとき発生します。経済活動は人が活発に動き回り、集まり、そこに多様な需要が発生する時、種々の財やサービスが必要となることでその必要(需要)を賄うために活発化するのです。

 新型コロナの影響で、外出や集会が制限され、多くの人が家に籠れば、多様な需要は減り、企業は顧客を失い、売り上げは減少、企業の人を雇用する力は失われます。
 今、それが現実になるつつあり、それがいつまで続くのか先が見えていません。

起きているのは、まず非正規雇用の削減です。同様フリーランサー(自営業)も真っ先に痛手を受けます。
比較的に、守られているのは、公務員(非正規は別)、企業の正規従業員という事になります。
しかし、この新型コロナ禍がさらに長引けば、余裕の少ない企業から正規従業員の削減も当然起きて来るでしょう。(公務員は、原則、懲戒解雇以外はないようですから最も安全です)

 すでに非常事態となりつつある欧米諸国では、日本でいう非正規が一般的で、雇用の削減も比較的容易ですから、そうした失職者に対しての対策が喫緊の課題になり、自宅待機でも相当額に現金給付といった緊急対策に巨額の予算を計上する事態になっています。

 アメリカ政府は、新型コロナ禍に対して2兆ドル(日本の国家予算の2年分)の支出を決めましたし、デンマークではこの対策にGDPの13%を使うとのことです。
 アメリカの2兆ドルは、もともと赤字国ですから借金の増加になるのでしょうし、デンマークの政府負担も、いずれ国民負担の増加で賄われるのでしょう。

 もちろん新型コロナ禍のような異常事態は、最終的には政府の責任で対処しなければならない問題ですが、現実の雇用問題という場になりますと、雇用主である企業も、相応の役割を果たすべきで、恐らくそれが社会の安定に大きな役割を果たすのではないかと思われます。

現状も含め、常に社会の安定の基盤として必要な「雇用の安定」として考えれば、労使、特に経営者(雇用主)の果たす役割が何時の時代も大変重要ではないかと思う所です。

 今回の場合も政府から雇用調整助成金の活用方針が出されています。この財源は、雇用保険料(労使折半)に上乗せして企業だけが一定料率で支払っているものです。

 こうしたものも、経営者が雇用について出来るだけの配慮をするといった日本的な雇用観から生まれたものと思いますが、あるべき雇用制度、雇用慣行といった点についても、戦後の日本の経営者は、「雇用が第一義」とう言葉のもとに、独特の知恵を働かせてきたように思います。

 今、働き方改革の中で、政府はこうした歴史はすっかり忘れて「雇用流動化」こそが目指すべき方向と考えているようですが、今日のような「雇用非常事態」の中で、改めて、戦後の日本の経営者が目指した「日本的雇用の在り方」の知恵を学んでもいいのではないと思う所です。長くなるので、以下次回にします。

働き方改革の今後を考える:1

2020年02月27日 23時20分30秒 | 労働
働き方改革の今後を考える:1
 働き方改革は、労使関係や、統計の利用法など、あちこちでいろいろな問題と国会の混乱を引き起こしたうえで、最後は強硬採決で成立しましたが、その後、仕事の現場では何か変わったのでしょうか。

 今は、たまたま新型コロナウィルスのために職場だけではなく社会全体が混乱していて、働き方改革という難しい問題を考える時期としては、あまり適切ではないのかもしれませんが、コロナ騒動の中でも「就活戦線」もそれなりに動いていくでしょうし、企業の場では、否応なしのテレワークや在宅勤務の導入が、働き方改革とは関係なしに進んでします。

 企業としても働き方改革を本気で考えるのは、新型コロナウィルス問題が鎮静化していからということにならざるを得ないような状況ですが、現状は兎も角、いずれ本格的に考えなければならない問題でしょう。

 このブログの主要テーマは、タイトルの副題にありますように、「付加価値の生産とその分配」です。そして、そこでの最も重要な視点は、「分配のあり方」が「成長のあり方」を決めるという経験的事実にあります。

 働き方改革の主要課題である2点、「労働時間の短縮」と「同一労働・同一賃金」は、付加価値の分配の基本に直接関連するものですから、このブログでは、折に触れて取り上げてきました。
 勿論、今後も実体を見ながら、確りウォッチしていきたいと思っています。

 という前提で、まず、日本企業としては、いかなる方向感覚で取り組んでいくことになるのか、あるいは取り組んでいくべきか、本当に目指すべきは何なのかといった点を些か整理しておきたいと思っています。

 「働き方改革」というのが、一億総活躍社会という安倍政権のスローガンに関連してでしょうか、突然出てきました。

 先ず出てきた論点は、「長時間労働の是正」だったように思います。
 高度成長の末期のころから、「日本人は『ウサギ小屋に住む働き中毒』だ」などと言われていましたが(実は日本人が自虐的に作った言葉らしい)、当時、「一億総中流」などと言われる中で、日本人のウサギ小屋は清潔で住みやすく快適で値段を聞けばアメリカ人もびっくり(高価で)するなどと半分自慢していたものでした。

 しかし、長時間労働は、そのころから種々深刻な問題を起こしていたようです。そしてそれは、長期不況になって、深刻の度を増しました。

 ですから、一億総活躍を目指すなら、長時間労働など止めなければ、活躍などといった雰囲気は出てこない、長時間労働是正大賛成と、このブログも考えていました。
 ところが、後から、統計を誤用して、裁量労働を積極導入しようとか、最後には、副業、兼業、二重就業を推奨すべきだなどという訳の分からない方針が政権から示され、安倍政権はいったいなにを目指すのか全く分からなくなりました。

 「同一労働・同一賃金」については、このブログでは当初から、日本文化の本質を理解せず、机上の単純な合理性追求と、未だに残る舶来崇拝思想の混合の産物と見ていました。

 そんなことで、世間や国会を混乱に巻き込みながら、無理に無理を重ねて成立させたものですが、余程活用の仕方を注意深く検討しないと毒になっても薬にはならないのではないかと心配です。
 これからもこの点に関して、確りと行く先を見極めながら取り上げていってみたいと思います。

2020春闘:賃上げの「必要性」では一致したが・

2020年01月29日 22時29分21秒 | 労働
2020春闘:賃上げの「必要性」では一致したが・・・
 前回、2020春闘を見る視点として、格差社会化への流れをいかに食い止めるかが最も大事ではないかと書きました。

 そして、このところの格差社会化の進行の中で問題になっている非正規労働の行きすぎた利用は、円レートが正常化したからには経営が反省すべき問題であること、政府が旗振りをしている雇用制度の欧米化は、結果的には格差を促進するものであること、加えて、本来の日本的経営は、雇用制度、賃金制度の中に、格差拡大に歯止めをかけるような意図が込められていることを指摘しました。

 今回は連合と経団連が賃上げの「必要性」では一致しているという「賃上げ」につて見ていきたいと思います。

 経団連の主張は、賃上げの勢いを維持して行くことは重要という点では連合とも一致するところですが、それぞれの中身がどうなのかが春闘の具体的課題でしょう。

 この点について連合は、日本の経済社会全体との関連で問題を提起しており、それは大きく次のようになるのでしょう。
 ・賃上げ幅:一般的には率:定期昇給+ベースアップ2%程度
 ・産業構造(サプライチェーン)の各段階に出来るだけ均等に分配
 ・格差是正のために底上げを重視し要求賃金額を金額で表示する(率では格差は一定)

 ここから見えてくるのは、給与水準全体を引き上げるベアの平均的な数字は2%程度で政府の名目経済成長率の見通し(2.1%)に見合ったもの、公正取引を前提に、中小企業などに皺寄せがいかないことが大事、格差是正を担保するために低賃金部分には金額で歯止めをかける、といった考え方でしょう。

 勿論これが実現するかどうかは、連合傘下の組合の交渉力と経営側の理解の程度によるわけですが、連合の「こころざし」が、日本産業の生産した付加価値の分配を出来るだけ公正に保ち、更に格差拡大を未然に防ごうという、日本社会全体のバランスを意識したものだという事が感じられます。

 これに対して経団連の基本的スタンスは、「収益拡大の従業員への還元」と「職場環境改善などの総合的処遇改善」の2つをを大原則にし、賃金引き上げの勢いは維持、自社の実績に応じた前向きな検討が基本としています。
 そして「総合駅な処遇改善」については「エンゲージメントによる価値創造力の向上が大事」という指摘です。

 ここでいうエンゲージメントというのは、Society 5.0という技術革新の時代に鑑み働き手のエンゲージメント(やる気?)を一層高め生産性と競争力を向上、その成果を賃金引き上げ、職場環境の整備、能力開発で分配、還元するという事で、企業への貢献を一層強めたいという意味のようです。

 この主張の趣旨を整理すれば、表現はすべて定性的なもので、分配の在り方は各企業の判断に任せるという姿勢です。収益はいろいろな形で分配するから、エンゲージメントを強めて大いに成果を上げてほしいと読み取れます。

 定性的であれ、企業の収益(多分付加価値の事でしょう)を従業員に分配すべく「前向きに」検討すると経営者が言うのは日本的経営の特質ですから、大変結構なことだと思います。

 ただ願わくは、賃上げとマクロ経済との関係を、何らかの形で定量的に述べてほしかったと思います。
 そうしないと自社の支払能力といった問題は、個別企業で判断はバラバラでしょうから、格差の拡大を良しとしないならば些か残念で、格差の発生を放置ということになりかねません。

 もう一つ付け加えますと、エンゲージメントという表現が、個人重視に聞こえますが、これは、企業という人間集団でないと成果は上がらないでしょう。この点は日本の企業社会の文化に属する問題です。
 新卒一括採用、年功型賃金、長期・終身雇用といった日本的雇用慣行を、全面的に現政権の方針に従って欧米流に変えていこうという事になると、多分望む結果は出ないでしょう。 
 この問題は改めて論じたいと思います。

2020春闘:労使の一致点と相違点を見る

2020年01月29日 00時06分21秒 | 労働
2020春闘:労使の一致点と相違点を見る
 2020春闘も労使トップ会談でいよいよとキックオフです。
 トップ会談で、まずは、労使の一致点と相違点がはっきり出て来たように思われます。

 まず、賃上げが必要という点では一致したとのことで、少しでも経済成長がある限りこれは当然でしょう。
政策・制度面では、経団連が、政府の方針を基本とするような「日本的雇用制度の見直し」「能力による処遇」「同一労働・同一賃金」などの推進を提起したようです。

 それに対し、連合は、現実はまだまだ「サプライチェーンの均等な配分が実現していない」という視点から、未だに置き去りにされている中小企業や非正規労働者問題を踏まえ、雇用制度の見直しばかり重視すると、「配分の不公正の是正と整合しない恐れ」があるのではないかといった視点を指摘したようです。

 端的に両者の主張を比較すれば、経団連は、政府の主張する「日本の労働市場、労使関係を欧米流に変えていく」という視点で、それに対し、連合は、その動きに対して、労働者全体に対する賃金の公正な配分のためには、欧米型への接近は、必ずしも労働者のためにならないという危惧を持っているように感じられます。

 この視点の相違が、これから年々の春闘の中でどう展開していくか解りませんが、これは大変興味あると言っては「不真面目だ」叱られそうですが、日本経済の将来のために極めて重大な意味を持つものになっていくように思います。

 というのは、伝統的な日本的経営における雇用・賃金制度の特徴は、経営者も含めて雇用者(国民経済計算の定義では、企業で働くものは、パートから社長まで、すべて雇用者)への報酬(賃金、賞与、その他)の格差が広がらないような仕組みになっているのですが、欧米流は常に格差拡大の方向に動くようなシステムになっているからです。

 そういいますと「日本でも、非正規など格差が拡大している」と言われそうですが、客観的に言えば、これは30年にわたる「円高不況」の中で、企業が生き残りのために緊急避難としてとった政策の結果で、残念ながら、円高不況が終わっても、この数年、味を占めた経営者がそれを便利に使っている結果でしょう。(必要なのは経営者の反省です)

 欧米型の雇用・賃金制度の問題点はこのブログでも繰り返し取り上げていますが、大きな問題は「同一労働・同一賃金」では格差問題は解決しないという事です。

 「同一労働・同一賃金」では絶対解決しない問題というのは、「違う仕事の賃金は『どのくらい違う』のが適切か」という視点が欠落しているものですから、一般労働者と専門職、管理職、そして経営者の賃金格差が「どのくらい大きくて適切か」という視点がないことです。

 欧米の格差は巨大で、日本の格差は驚くほど小さいというのは、色々な調査の出ています。
 これは実は制度の問題というよりは社会的、文化的背景によるのですが、日本の文化や意識は本来(特に戦後)、大きな格差を好まない傾向が強く、雇用賃金制度も、それを適切に制度化したものなのです。

 そして、特に大事なことは、「格差化進むと社会は不安定になり、経済成長にはマイナスの影響がある」という経験的事実です。

 今年の春闘も、これからの春闘も、加えて政府の政策も、こうした視点を外さずに見ていかないと、「何時か、あれ、こんな筈ではなかった」という事になるのではないかと心配しています。

AIの進化と雇用問題:心配より巧みな対応を:3

2020年01月14日 12時45分41秒 | 労働
AIの進化と雇用問題:心配より巧みな対応を:3
AIがいくら進化しても雇用問題は起きないだろう。却って世の中は楽しいものになるはずですと考える根拠は、こんなところにあります。

まず第一に、AIの進化で産業のあらゆる分で、生産性向上が可能になり、結果的に経済成長が促進されると考えられること、
 第二に、日本社会は、官の政策、民の努力も含めてその生産性向上の成果を、人々の生活がより豊かで快適なものになるように配分する知恵を持っていると考えられること、
の二つが多分うまく働くだろうと考えるからです。

 第二次産業の製造業は勿論、第一次産業の農業や畜産・酪農・魚の養殖などの分野でも、第三次産業の情報・サービス分野でも、色々な変化が起きるでしょう。
差し当たってマスコミを賑わしている、AI付きのドローンの宅配分野への進出、自動運転車両の発達、自動運転の農機・建設機器などなどいろいろありそうです。

生産性向上というのは、同じ数の人間で、あるいは、もっと少ない人間で、より大きなGDPを稼ぎ出すという事です。日本はこれからはもう労働人口は殆ど増えないようですが、AI活用で、それでもGDPは成長していくことがますます可能になるという事です。

 働く人が増えなくて、GDPは増えるのですから、一人当たりGDPが増える、つまり日本人は、平均的には、より豊かになるという事です。
 これは大変結構なことですが、ここで問題になるのが、増えたGDPをどう分配するかという問題です。(「付加価値の分配」はこのブログの最大のテーマの一つです)

 結局、AI化が心配というのは、それによって 所得構造 (所得の最大の部分は賃金)が歪んで、格差社会化が進み、社会の不安定化が危惧されるという点に収斂するのでしょう。

 この点については、心配するよりも、みんなで相談することでしょう。
 例えば、政労使などみんなの意見を合わせて、あらたな豊かさ(GDP=付加価値)をどう分配するかを、確り考えればいいのです。
 これはエネルギー転換の時も、オイルショックの時も、日本はやってきた伝統を持っています。

 伝統的に格差容認の欧米流(アメリカが代表、北欧は別)の社会より、「和をもって貴し」とするとするコンセンサス型の日本社会、日本的経営の方がよほど優れているように思います。
 おそらく日本社会は、雇用重視と格差の少ない所得構造という伝統的な社会・企業文化で、この変化に柔軟に巧みに対応するだろうと楽観し、それを推進することが最も大事でしょう。

 国民経済生産性は=「GDP/ 労働者数」ですが、もう少し精密にすると=「GDP/延べ総労働時間 」です。そして、延べ総労働時間は=「労働者数×1人当たり労働時間」です。
 失業を心配するのなら、労働者数は減らさずに労働時間短縮が優先です。AI化が早く進めば、近い将来週休3日制が実施可能になるかもしれませんね。

安倍首相、経団連と春闘前哨戦

2019年12月27日 23時59分33秒 | 労働
安倍首相、経団連と春闘前哨戦
 昨26日、安倍総理は経団連の審議員会に出席、間接的な表現ながら、来春闘でもなるべく高い賃上げをお願いしたいと、7年連続、7回目の要請をしたそうです。

 賃金決定は労使の専管事項で、政府が介入すべきものではないということは年々の学習の結果理解したようですが、賃上げをすれば景気が良くなるという理解(誤解)は相変わらずで、内心はアベノミクスが巧くいかないのは賃上げが低いからだという意識も相変わらずのようです。

 今回は、経済発展にはイノベーションが大切で、新技術にどんどん投資してくださいと言い、次いで人材への投資も重要といい、だから賃上げにも期待しているとつなげたようです。
 中西経団連会長は、賃上げのモメントは続けたいと答えたようですが、経営者としては有限の資金の中で投資も賃上げもと言われても大変でしょうが、そこは「企業それぞれに」と答えたようです。

 官製春闘などと悪口を言われながら、6年続けてきて効果の見えなかったものをまた今年も言うのですから、普通なら「どこか違うのかな」と自分で疑問を感じるところでしょうか、安倍さんのいつものセリフ「国民の理解を得るために丁寧に説明する」というのは、ただ「同じ事を何度でも繰り返す」ことですから、7回目も繰り返したという事でしょう。

 さらに安倍総理は「ご参考までに」という意味でしょうか、「半世紀前の東京オリンピックの年の賃上げは12%だったそうですと付け加えたようです。
「冗談ですが」とも言わずに、こうした場で、こんな荒唐無稽な発言をすることは、一国の運営の衝に当たる責任者として、誠に不真面目という事になるのではないでしょうか。

 大体、安倍さんのいう事は賃上げなどについては素人の域を出ないような気がします。ただ、賃上げをすれば、消費が伸びて景気が良くなるという思い込みを繰り返しているだけで、論理不明です。

 このブログでも繰り返していますが、今、日本人の多くは、将来不安の意識が強く、賃金が上がったら将来のために貯蓄を増やそうと考えているから「平均貯蓄性向」が上がり、「平均消費性向」が下がって消費不振になっているのです。
 
 そして、将来不安を煽っている張本人は、誰かと言えば安倍政権でしょう。 財政赤字、年金不安、ゼロ金利、極めつけはプライマリー・バランス 回復不明という状態でしょう。
 国民は安倍政権が考えているよりずっと賢明で、そうした将来不安に備えているのです。

 最後に私の手元にある「半世紀前の東京オリンピック」の時の経済成長率と賃上げ率を見ておきましょう。
 前回の東京オリンピックは1964年でしたから、春闘で参考にしたのは1963年度の経済成長率でしょう。
1963年度実質成長率 = 12.5% (1964年度=10.5%)
1964年春闘賃上げ率 = 12.2% (大企業のみ調査)
 経済状態に見合った賃上げが合理的とすれば、今年度の実質成長率(政府発表:実績見込み)0.9%ですから・・・。

働き方改革? 働かせ方改革? 余計なお世話?

2019年12月16日 22時48分15秒 | 労働
働き方改革? 働かせ方改革? 余計なお世話?
 政府が「働き方改革」を言い出した時、一体何をやろうとしているのだろうと奇妙な感じを受けたことを覚えています。

 元来「労働」というものは本人の意思でやるもので、政府が「ああいう働き方はいけない」、「こう言いう働き方なら宜しい」などという事があり得るだろうかと思ったからです。
 
 もちろん企業が従業員に対して、そういう基準を示し、従業員により合理的、より効率的な働き方を要請するのは、給料を払っている以上は当然で、また、政府が、「企業に」対して、従業員に無理な働き方をさせてはいけないと労働基準法で決めるのも当然必要な事です。

 しかし「働き方改革」といえば、文字通り解釈すれば「個人の考え方」の問題で、政府がその自由に介入しようというのはどういうことかと思ったわけです。
 その後、働き方改革というのは労働時間の短縮を主眼にし、企業にそれを守らせることだとわかって、それなら言葉の使い方は別として結構なことだと思うに至りました。

 その後「同一労働・同一賃金」などの問題も入ってきて、これは大変だろうなと思っていましたら、やっぱり中身は正社員とパートの賃金のバランスの問題で、正社員同士の問題は触れないことになったようで、それならもっと別のアプローチがある、政府が手間暇(コスト)かける問題ではないのにと思っていたところでした。

 ところが、次に飛び出してきたのが、「副業、兼業の解禁」という方針です。
 せっかく労働時間短縮を目指し、ブラック企業を征伐するという旗を掲げたのに、今度は企業に、二重就業を認めよと言い出したわけで、私は肝を潰すほど びっくりしました

 そんなことは企業が自衛上の配慮もあり、従業員 や労組と話し合って決めればいいので、そんなことに官僚の手間暇をかける必要は全くないはずです。

 最近、地方銀行の中で(一部都市銀行でも)副業を認めよという動きがあり、マスコミによっては、政府方針が役にたっているような報道もありますが、中身は副業というより、 銀行業務の新展開を狙ったもので、実情は、ゼロ金利が続きすぎて銀行が疲弊しているという金融政策の歪みがもたらしたもののようでです。

 もともと、「人間の働き方」というものは個人の聖域であり、政府が余計な世話を焼くことではないでしょう。
 「働かせ方」なら、労働三法、特に労働基準法をきちんとすればいいのです。
 ご存知のようにILO条約の第1号は「週40時間労働」で、日本はまだそれを批准できていないのです。

 余計なことですが、以前ドイツのコール首相が来日した折、日本の新聞記者から「ドイツは労働時間が短いが二重就業が多いのでは」と質問されて、「ドイツ人は勤勉だからそういう事もあるでしょう」と答えていたことを思いだしました。

2020春闘:連合、重点分野を確認

2019年12月06日 21時48分29秒 | 労働
2020春闘:連合、重点分野を確認
 去る12月3日、連合は中央委員会を開き、2020春闘の重点分野を確認しています。
 折しも世界経済は、米中摩擦などで混乱状態、中国経済の不振は日本経済も直撃、政府は26兆円の15か月予算で「アベノミクスの加速化」を図ると言っていますが、減速はとても避けられないようです。

 26兆円の政府の景気テコ入れ策については、災害復旧とオリンピック後に向けての政策を並べ、金額は巨大に見えますが、政府が出すのは13兆円ほど、一部赤字国債に頼らなければならないことは明らかで、財政不安の声も強いようです。

 そうした状況の下で、連合は、経済の下支えは内需拡大が不可欠とし、そのためにすべきことを、労働組合として可能な範囲で、整理しています。

 基本的には、従来からの主張である「サプライチェーン全体で生み出した価値の適正な配分」を基軸に、人を尊重する社会、生産を支えると同時に消費者でもあるすべての労働者の、「底上げ、底支え、格差是正」、働く事を軸にする安心社会の実現のために果敢に戦うとしています。

 これらは誠に筋の通った主張で、反論の余地もないものですが、現実には、ここ何年もこの主張を年々精緻に育てながら春闘を展開してきているにもかかわらず、格差社会化は進み、国民の安心、安全は気候変動や国際情勢、更には老後不安を中心に将来不安の中で、殆ど成果が上げられないという状況にあります。

 そうした中で、連合の、今年の具体的な賃金要求は、企業内最低賃金の締結なども含みながら、平均的には定期昇給プラスベースアップ(2%+2%=4%)といったことになるのではと思われますが、消費税増税も有之、労組の要求としては、最大限合理性に則った、いわばモデストな要求のように感じられます。

 長期不況の前、春闘華やかなりし頃は、組合要求はこれに+アルファが載り、経営側との論戦で、最後は獲得率○○%などという所で決着などという事だったように記憶しますが、今は、連合の要求自体が、ほぼ経済整合性に叶うような合理的な水準ですから、活発な論戦もあまり見られないようです。

 逆に、2%インフレを実現しないと財政再建も出来ない政府が、より高い賃上げを奨励するといった、きわめて奇妙なことになっている様相です。
 政府の言う通りの賃上げをしても、2%インフレでその分実質賃金は目減りするのですから、得をするのは膨大な借金そしている政府ということでしょう。

 連合の言う通り、内需不振は今の日本経済の最大の問題でしょうが、問題は色々あるように思います。
 まず第一は、日本経済の低成長、これは消費不振と「鶏と卵」の関係です、消費不振が治れば経済は活性化vs.経済成長が高まれば消費も増える、と説明されます。

 内需不振の最大の原因は消費不振ですから、それなら賃上げで消費を増やせばという事にもなるのですが、今の日本の家計は、賃金が上がれば、老後のために貯金するという意識が強すぎ、平均消費性向が下がりっぱなしのようです。
 
 つまり賃上げしてもその金は使われずに銀行預金になり、銀行はアメリカの証券を買って大損したり、国債を買って、政府の国民からの借金を容易にするといった結果のようです。

 考えてみれば、賃上げと同時に、「消費性向」を上げる方策が必要なのです。これは多分に政府の役割でしょう。老後2000万円の貯金が必要という審議会答申は受け取リ拒否しても、政府が年金を増やしますとは絶対に言いません。国民の不安は募るばかり。

 賃金の引き上げも大事ですが、家計がそれを消費に使う気にならないと内需拡大は画餅です。
 今年の春闘では、政労使で本気でこのあたりの議論をしたらどうでしょうか。

毎月勤労統計:その後の賃金総額の動きを見る

2019年11月28日 23時37分26秒 | 労働
毎月勤労統計:その後の賃金総額の動きを見る
 伝統ある日本の官庁統計の信頼を揺るがせた毎月勤労統計の集計ミスからそれなりの月日がたち、去る10月に、その後あった大阪府での不適切な処理の修正も終わったという事で(厚労省報告)、このあたりで賃金の動きを一度確認し置こうと、久しぶりに毎月勤労統計を見てみました。

 この3、4年、日本経済はいわば高原状態で、ここにきて、国際情勢の混乱から多少の後退の様相を見せていますが、賃金給与の動きの方も、何か殆ど目立つ動きがないようです。
 昨年春、このブログで賃金動向の 変調に気づいたのですが 、それは集計ミスとその修正によるものと分かり、国会でも思惑を交えた騒動になりましたが、一応修正ができてからの動きで見れば、この所の日本の賃金動向は異常といえるぐらいの定常状態のようです。

毎月勤労統計で、時系列の賃金の動きを見るのに使われる賃金指数、ここでは、賃金総額(ボーナス、残業代含む)と所定内の実質値の賃金指数を見ていますが、2015年を100として、
2016年108
2017年106
2018年108
という状態で、最近の月別の動きを見ますと下図のような動きです。

最近の賃金の推移(厚労省:毎月勤労統計、実質賃金指数)

 賃金総額(青色)はボーナス月は多くなりますが、所定内(茶色)はほとんど安定状態、昨年9月が84.0、今年の9月が84.2です。
 賃金総額はボーナス月が多くなりますからその分が高くなっているという事です。

 所で、この間の実質経済成長率は平均1%程度ありますから、実質賃金ももう少し上がってもいいかなという感じはしますが、増加が目立つのは企業の内部留保というのが現状のようです。

 その増加の行き先は、海外企業のM&A が多いようで、国内ではJDIの資金調達もままならないようです。何かちぐはぐな様子に見えてしまうのですが、企業にしてみれば、「いつ何が起きるか解らない」という恐怖感があるのでしょうか。

 日本の賃金制度は「定期昇給」を内蔵していますので、定常状態の中でも若い人たち(正社員)の賃金は、定期昇給分だけは毎年上がっていくのです。
 春闘の賃上げ集計にはこの分も「賃上げ」として入ってくるので、若い人たちの賃金は定常状態の中でも毎年上がるということが、こうした状態と関係あるのかもしれません。

 かつてのように、春闘で労使が、ぎりぎりの所まで経済論議、賃金論議を戦わすといった雰囲気は、このところ余り見られませんが、来春闘あたりでは、もう少し、本格的論争があってもいいような気もするところです。

雇用統計も景気減速を示す

2019年11月01日 15時48分30秒 | 労働
雇用統計も景気減速を示す
 今日、総務省統計局から2019年9月の「労働力調査」が発表になり失業率が上昇したとのことです。
 まず、季節調整済みの失業者数を見ますと今年の5月から162万人、6月161万人、7月154万人、8月154万人と減少傾向でしたが、9月は167万人という事で(季節の影響は除去していありますので)9月に至って少し増えました。

 同じく季節調整済みの失業率(正式名称は完全失業率)は、7月、8月と続いてきた2.2%から2.4%に0.2%ポイント上昇しています。
 失業率というのは、大きく変化することはあまりない数字で、0.2の上昇というのは、ある程度の変化が生きたことを示しているとみられます。

 同じ日に労働省から発表された9月の有効求人倍率は1.57倍で、こちらも前月の1.59倍から1.57倍に低下しています。
 こちらは、今年の4月から1.63倍程度の水準が続いていましたが、その後傾向的に下げています。

 確かに毎日曜日、新聞に折り込まれている求人広告の枚数、そのページ数も、夏ごろから大分少なくなったように感じていましたが、この所、大企業の雇用削減などの報道もあり、何となく雇用情勢にも変化が出てきたようです。

 もともと雇用情勢を示すこうした数字は、景気指標から言えば遅行指標で、景気の方向転換から何か月か遅れて出てくるのが一般的ですから、米中摩擦をはじめ、国際経済情勢の変化、すでにはっきりしている中国経済の減速、そのアジア諸国への影響が日本経済にも出てきているのは当然でしょう。

 政府・日銀は、景気は緩やかに拡大といい続けたいようですが、この、この国際経済情勢の中で、日本だけが好況を保つことが可能とはだれも思わないでしょう。
 アメリカそして日本の株価は、高値を維持してきていますが、国の景気政策で先行指標である株価が遅行指標になっているのかもしれません。

 いずれにしましても、当面の経済減速は避けられないでしょう。
 ただこの世界経済の不振は、経済事態に内在する現象として起きているというよりは、大きく見れば世界の覇権争いの始まりといった状況も含んだ、国際政治の結果としてのものという事も、ほぼ衆目の一致するところでしょう。

 という事であれば、今日、国際政治のメイン・プレイヤーとなっているような人たちが、自分や自国の都合だけを考えずに、世界人類社会の平穏と安定そして経済の発展を考える様な態度に変化をすれば、忽ち状況改善の可能性があるということでしょう。

 戦争や紛争を避け、人々の平和と安心への努力は、人類の知恵として続けられているはずですが、そうした世界の人々の本音が、国際政治の表にもぜひ出てきてほしいと思う所です。

厚生年金の加入奨励、加入ベースを広げると・・・

2019年09月04日 11時52分40秒 | 労働
厚生年金の加入奨励、加入ベースを広げると・・・
 厚生労働省は、厚生年金の加入ベースの拡大に一生懸命取り組むことに本気になったようです。

 基本的には、これは大変結構なことでしょう。国民皆年金を誇る日本で厚生年金の役割は大変重要というのは当然です。
 本来厚生年金は、常用雇用者のいる法人、個人事業でも5人以上の従業員がいれば加入する のが原則という事です。

 しかし、加入して厚生年金を受け取るためには、労使折半で掛け金を払わなければなりませんし、最低加入期間もありますから、中小企業の雇用主、また中小企業の従業員(特にパートなど)は掛け金の負担が重いので入らないでおくという選択が多いのは事実です。
 
 その方が雇用主にとっては労働コストの削減になりますし、従業員にとってはその分だけ手取りが増えるわけです。つまり、明日の生活より「今の生活」を優先するという選択です。
 それではサラリーマンの老後が心配という訳で、厚労省は、未加入の企業や従業員に、厚生年金加入のメリットの理解を求め、加入ベースを広げることに改めて努力することになるのでしょう。

厚生年金制度の本来の趣旨から得うれば、加入資格のある人はすべて加入するのが望ましいでしょう。しかし従業員にしてみれば、雇用の不安定、今日の収入が大事、会社も加入をあまり歓迎しないといった種々の障害もあるわけです。

 もちろんこれは公的年金(私的でも)の性格上当然起きる問題で、負担と給付のバランスから言えば、長期的に見れば加入した方がお得ですよというのが年金の理論で、厚労省も加入者ベース拡大に力を入れる理由でしょう。

 しかし同時に考えなければならない事としては、今の年金制度 (制度というより負担と給付のバランス、つまり年金財政) が巷間議論される様に、 将来不安を持つ可能性が高いという事もあるのではないでしょうか。

 今の設計では必ずしも巧くいかない。だからこそ、GPIFなどがマネーゲームで稼がなければなければならないという事になっているのではないでしょうか。

企業収益構造の変化と労働分配率:1

2019年08月05日 15時55分16秒 | 労働
企業収益構造の変化と労働分配率:1
 国際関係、国際政治の現状は、ますますひどくなるような気配です。トランプ病の蔓延
という人もいますが、それにしても感染力が強いですね。

 今回は、頭を切り替え、経営、労使関係につて書くことにしました。
 
 このところ企業収益は比較的高水準を維持し、企業の資本蓄積も進んで自己資本比率は上昇してきています。
 しかし賃金はなかなか上がりません。連合の要求はサバを読まない真面目なものですが、それすら達成できていません。

 理由はというと、解説はいろいろありますが、1つ、企業の収益構造の変化という問題もあるように思われます。

 具体的に言いますと、営業利益率の水準も長期不況脱出で改善を見ましたが、営業収支から当期純利益に至る部分、つまり、「営業以外の収支勘定の改善」が著しいこと、に多くの方は気付いておられると思います。

法人企業製造業の売上高利益率の推移

      財務省:法人企業統計年報 

 ところで上の図を見ていただいても解りますが、リーマンショックで2009年から最低水準に落ち込んだ企業の利益率は、為替レートの正常化とともに2012~14年度以降、大きく回復します。しかし、その中で、最も伸び率が低いのは営業利益率です。

 図にはありませんが、この間、法人企業・製造業の売上高はかなり減っています。財務省の法人企業年報によれば、2008年度(リーマンショック前のピーク)の売上高は471兆円で、2018年度は406兆円です。

 つまり売上減、利益増なのです。
 もちろん合理化、コストカットの成果で営業利益率もリーマンショック 前を何とか回復していますが、経常利益率、課税前利益率、当期純利益率はリーマンショック前をかなり上回っています。

 これはどういう事でしょうか。お解りの方も多いと思いますが、現実は、今の日本の製造業は、日々の営業活動とは別の所で利益が増えているという事です。
具体的に言えば、 
 ・ゼロ金利政策や自己資本充実で支払金利が減った
 ・円安で為替差益などが増えた
・海外進出、海外企業買収などで、利子・配当収入が増えた
 ・企業減税で税負担が減った
等によるものが大きいという事でしょう。

 ここで本題に入ります。
 企業は労使の協力と努力で利益を出していると考えられていますが、労使が協力するのは、本業の部分、営業利益の部分が中心です。金利負担減、為替差益、利子配当収入、企業減税などで利益が増えても、それは生産や営業、技術といった労使の努力によるものとはあまり関係ないようです。

 近年の日本経済では国民経済レベルでも、GDP(国内総生産)よりGNP(国民総生産≒国民総所得)の方が20兆円(GDPの約4%)ほど大きくなっていますが、これは 第一次諸特収支(海外からの利子・配当収入が主体)に相当する金額です。

 海外からの利子・配当など、こうした国内労働によらない利益の増加(すでに進出先の国の労働者に賃金を支払った後の利益の配分)で企業の利益や国民所得が増えた場合、「それは日本の労働者に対する分配(賃金引き上げ)の対象になるか」という問題です。(法人税減税で利益増の場合も似た性格でしょう)

 営業活動以外の所で、利益が増えても、賃金引き上げに回らないということになりますと、当然、労働分配率は下がってきます。現状もそんな傾向があるように感じられます。

この問題は、あからさまには議論されていませんが、今後も海外投資収益などの増加は確実ですから、労使もアカデミアも、しっかり議論しておく必要がありそうです。

 お読みいただいた皆様方はいかにお考えでしょうか。次回この問題の考え方について取り上げてみたいと思っています。

生産性向上と人手不足:そろそろ意識転換の時期では

2019年05月09日 21時42分19秒 | 労働
生産性向上と人手不足:そろそろ意識転換の時期では
 今年、1月2日のこのブログで「今年は「生産性向上」取り組みの第1年に」と書きました。
理由は安倍政権が「有効求人倍率」の高さを誇るようになって、人手で不足はアベノミクスの成果を示すものだといった意味合いの発言はいつも聞かれますが、それを単純に喜んだり、誇りにしたりしていていいのかという気持ちが強かったからです。

 ご承知のように、人手不足というのは、仕事は沢山あるけれども、仕事そしてくれる人間が足りないと言うことです。そんなことは昔から何度もありました。
 同時に、人手が余ってしまって、就職が困難だといった時期も何度もありました。恐らくこれからの日本の経済社会でも、人手不足の時もありましょうし、人余りの時もあるでしょう。

 それならどうすればいいのでしょうかといえば、人手不足の時には「生産性向上」に励み、人余りの時には「賃金・仕事を分け合う」(ワーク&ウェイジ・シェアリング)をするというのが基本でしょう。

 人手が足りなければ外国から連れてくる、余ったら帰ってもらう、というのも往々とられる手段ですが、これは必ず困難な問題をお起こすことが経験上明らかです。できるだけ自分たちでやって他国にまで迷惑をかけないというがベストでしょう。

 もし外国からの働き手を受け入れるとすれば、それは日本の「よりレベルの高い働き方」を学んでもらうという教育訓練の場を提供しましょうという意味でお招きします、というのが従来の日本の基本的な考え方(技能実習制度)でした。

 これは素晴らしく筋の通った考え方だと思うのですが、このところ、人手が足りなければ外国から入れるという考え方に変わってきたようです。人手が余ったらどうするのですかという懸念は当然ありますが、そちらの具体的な考えは見えていません。

 何故こんなことになるのかという理由を考えてみますと、人手不足はアベノミクスの成果という誇示はあっても、「人手不足は生産性が上がらないから」という反省がほとんど言われない、という思考のアンバランスに原因があるからのようです。

 GDPがほとんど増えていないのに、人手不足がひどくなるというのですから、現在の1.6倍という有効求人倍率を満たす人を採用したら、日本の生産性は大幅に下がることになります。(注:労働生産性=GDP/就業者数)

 政権はなぜ、有効求人倍率ばかり言って、生産性向上についてはほとんど言わないのでしょうか?
 日本の生産性はアメリカの6割(日本生産性本部)だそうですから、アメリカ並みの生産性を上げれば、4割人が余るという単純計算も可能なわけです。
 
 一方で、AIを使えば「人間が要らなくなる」といった心配をしている人たちも沢山いるようです。
 AIの進歩は著しいので、そうした可能性も近い将来あるのでしょう。

 最近は、こんな極端な主張ばかりで、生産性向上についての地道な研究がなかなか見られませんが、振り返ってみれば、日本の経済社会の発展の歴史は、生産性向上の歴史でもあったのです。 高度成長は、生産性の急速な発展によって可能になったことは当然です。

 そろそろ、人手不足をかこつよりも、生産性向上により大きな努力を注ぎ込むことに意識の中心を持っていくという本来の方針を打ち出す時期に来ているように思うのですが・・・。

“休まない 人が支える 10連休”

2019年04月27日 21時33分01秒 | 労働
“休まない 人が支える 10連休”
 何処かでこんな川柳を見たような気がしますが、今日から待望の10連休です。テレビは空港や新幹線のターミナルで、荷物のカートを押したり引いたりの家族連れや友達同士などの楽しそうな顔を映し出しています。

 毎日が日曜日の高齢者にとっては、特に変りもなく、あっという間の10日間かもしれませんが、この機会が、一生の思い出になるような人たちも沢山いるでしょう。
 やっぱり休みはあった方がいいし、時には少し長めの休みもあった方がいいですね。

 しかし、表題の川柳のように、休む人たちが楽しめるのは、休まない人たちが働いていてくれるからなのです。
 
 昔から「駕籠に乗る人 担ぐ人 そのまた草鞋を 作る人」などと言いますが、これはいろいろな仕事が支えあって社会が成立しているという事を、解りやすく教えたものでしょう。 
 これが「仕事の分担」だとすれば、表題の川柳は、「時間の分担」という事になるのでしょうか。
 
 仕事の分担にしても、時間の分担にしても、働く人々は多様な分担・依存関係を持ちながら、上手に支えあって社会の安定した活動の継続を実現しているのでしょう。

 この10連休中を、交通インフラ、レジャー施設の現場、グルメの食欲を満たすホテル・レストラン等々で働く方々も、お客の多さを張り合いに、10連休のチャンスを成果として生かそうと仕事を頑張るというのが最もいい形でしょう。

 10連休をレジャーで楽しむ人も、その人たちが楽しむ場を仕事で支えている人たちも、年間労働時間でみれは同じようなものであることが「支えあい」の納得性を作り出しているのでないでしょうか。

 働き方改革が騒々しくなってきていますが、そうした意識と現実がが一般的になれば、国レベルでも、企業レベルでも、職場レベルでも、バランスの取れた支えあいという形で、自己都合の10連休が楽しめるという事になるのでしょう。

 また。国際的に見れば、ゴールデン・ウィーク、夏休み、シルバー・ウィーク、年末年始という日本型の定番の休暇/レジャー方式も、夏休み1か月というヨーロッパ方式も、違いはありますが、それぞれに、季節あり方や夏冬の日照時間といった自然の環境の中から生まれてきた文化を背景にしたものでしょう。
 ワーク・ライフ・バランスという点から見ても、社会の伝統文化と人それぞれの考え方を生かしながら、個々人の自主性を中心に、意識的には納得性のない格差が存在するなどとは感じられないような形の在り方が、制度的にも、慣習的にも出来上がっていくことが最も望ましいのではないでしょうか。