Altered Notes

Something New.

成田悠輔氏への根本的な疑問

2024-03-19 16:45:00 | 人物
一応経済学者と名乗っている人物だ。 アメリカのイェール大学アシスタント・プロフェッサーであるらしいが、はっきり言ってアメリカの、そして国際的な論壇では無名(*1)な人物である。その理由はいくつかあるが、基本的にこの人物は学者であるよりも「日本のテレビタレントでありたい」という希望を持っているように見えるからである。

そもそも、あの おでん眼鏡 というのか、右目用と左目用で真四角と円形の異なるフレームを使ったあの眼鏡が相手に対して「馬鹿にしている」「ふざけている」ように見えて不愉快である。これは第一印象からそうだ。例えば、シリアスなシーンにおいて話し相手の人物があんな眼鏡をかけて自分の前に登場してきたら「人としての誠実さに欠ける人物」という印象を持たざるを得ないだろう。本人は「これが格好良い。判らない奴は遅れてる」くらいに思ってるのだろうが、何しろファーストインプレッションの時点から、この成田氏の人としての印象は職掌以前に「人として」、の次元で最低である。少し前まではひろゆき(西村博之)氏と一緒の映像チャンネルを持っていたくらいだから、初めから学者として社会に貢献するのではなく、テレビタレントもどきとして顔と名前を売りたいタイプの人なのだろう、と受け止めていた。西村博之氏も政治や社会の真実を明らかにする、というよりは「相手を論破すること」「論争に勝つこと」が第一義になっているような人物だからである。

そう考えていたら、その考えをより明確に言語化してくれる人が出てきた。元放送作家の長谷川良品氏である。長谷川氏が成田悠輔氏について語る動画↓をご覧いただきたい。

成田悠輔氏のCMをキリンが中止【お笑いごっこの弊害】成田さん炎上が続く理由


長谷川氏の意見には全面的に同意できる。芸人もどきを目指す成田氏の発言には筆者は真の知性を感じない。そこを長谷川氏は見事に説明している。


その他に記しておきたい事を下記に記す。

少子高齢化問題において「高齢者は集団自決・集団切腹せよ」という趣旨の発言は、あのニューヨーク・タイムズも含めて世間に衝撃を与えたようだ。後から本人は「メタファーである」旨の言い訳をしていたようだが、最初の発言時には「大真面目に言っている」として「字義通りの意味である」という趣旨の説明も添えられているのだ。それを後から「いや、メタファーです」は通用しない。都合が悪くなるとすぐに事実をすり替えようとするタイプのずるい人間であることを感じさせ、およそ論外と言えよう。たとえそれがメタファーであったとしても、成田氏自身がその「自決させられる年齢になった時の想像」もできない時点でアタオカというか、阿呆としか言いようがない。「自分は特別」という選民意識でも持っているのだろうか。テレビタレントとして認知してもらう為のフックとしての発言だったのかもしれないが、百歩譲ってメタファーだったとしても、それは「この手のメタファーが普通に受容され理解される社会であること」が前提になる。しかし現実はそうではない。逆に世代間の分断が生じる事となる。結局、成田氏は故意に過激な言葉を繰り出す自分に陶酔しているだけ、であるような存在となっている。実に醜悪な姿を晒すみっともない人物であり、おでん眼鏡 がその印象をさらに悪くする。それがくすぶり続けて、今回のようなキリンCMの中止といった事態にも繋がってくるのは、この人物の「程度」を表しているとも取れるし、それ以前に人として恥ずかしい事と言えよう。少なくとも「スマートではない」のは確かである。学者であるか否か以前の問題であり、人としての器に何か根本的な問題を抱えているのではないか、とさえ思わせるものがあるのだ。

それでも日本国内のテレビ屋がキャスティングしてくれるのは、左翼であるテレビ屋にとって都合の良いタレントもどきであり、内容はともかく、ちょっと知性を感じさせる発言ができるので、成田氏に発言させることで番組に権威付けができ、ステータスが保たれる、といった安易で愚鈍な発想からであろう。しかも芸人のような笑いも取れる(こともある)ので、その意味でも重宝する存在なのだろう。最終的な評価として、成田氏を学者という存在としては全然見られないのは確かである。学者の衣を纏ったテレビタレントもどきの一人でしかない…ということだ。器の小さい人物だ。こんな人物が持て囃されるのが日本のテレビの程度なのである。テレビが斜陽産業と化しているのもよく分かる、というものである。(蔑笑)





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(*1)
つまり国際的な学術界では相手にされていないどころか、その存在を認識されてもいない。(知られていない)そういう人物である。日本のテレビ屋がキャスティングしたところで、そんなものは何の意味も価値もない。




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