Altered Notes

Something New.

芸人起用 テレビ屋の無能を示すもの

2018-06-03 07:30:37 | 放送
バラエティ番組と呼ばれるものがあるが、それは果たしてバラエティ豊かなものであろうか。
どこのチャンネルのどの番組を視聴しても同じような芸人が出てきて同じような事を同じように展開していく、或いは面白おかしいトークをする。だいたい代わり映えしない内容である。予定調和の最たるものだ。

中でも最たるマンネリは「芸人の起用」に尽きるであろう。これはテレビ屋の番組制作能力の致命的な低下を示す最大の証拠だ。テレビ屋はもはや自分たちで面白いものを生み出す能力が欠落していて、しかもそれを隠そうともせずに開き直るような厚顔無恥な連中なのである。

テレビ屋は番組のフォーマットだけ決めて、後は芸人に進行をまかせて収録(録画)して、最後にディレクターが番組として成立させるように面白そうな部分をつまんで切り貼り(編集)して一丁上がり、である。要するにテレビ屋は「面白い」ものを自分たちで「創造」することができず、芸人たちに全てまかせてしまうのである。(*1)

テレビ番組が没落していった、そして今も没落中である最大の原因がここにある。余りに過度の芸人依存と、そしてそれだけであることが大きな要因だ。

なぜそうなったのか。

他の拙稿でも記しているが、やはりテレビ屋の「志の欠如」がそもそもの要因であろう。
なぜ志が欠けてしまったのか。
テレビ屋自身が持つ強大な権力に溺れてしまったからだ。テレビ屋が保持している「電波」というのは実に大きな権力そのものである。権力を持つものはやがて腐敗して没落してゆく。権力を持つ期間が長ければ長いほどその腐敗は酷い状態を呈する事になる。平易に言うなら、「あ、そうか、俺たちが苦労しなくても金は入ってくるんだ」てことに気づいてしまったのがテレビ屋のエグゼクティブ達ということだ。

「テレビ屋の芸人依存」と書いたが、それでは「芸人は絶対的に面白いのか」と言うとそんなことはないのだ。
結論から言うなら、テレビ屋が芸人に依存するのは「安く使えてそこそこ面白いものが作れる」からにほかならない。(*2)
「そこそこ面白い」というのはテレビ屋がそう思っているだけで、こちらから見れば「全くつまらない。退屈」でしかないのだが。(*3)

糞面白くない芸人でもテレビ屋が使いたがるのはとにかく「ギャラが安い」からだ。現在の芸人ブームのおかげで若年層の視聴者などは糞つまらない芸人でも結構ウケてくれる(*4)のでテレビ屋にとっては都合の良い状況がそこにある、と言える。

ならば確実に面白い傑作と呼べる番組を作るために大御所の芸人を起用する場合でも実は全く面白くはないのだ。何が面白いと思って番組を作っているのか全く理解出来ないし伝わってこないのである。
以前、脳科学者の茂木健一郎氏が芸人に対して苦言を呈することがあったが、それは完全にその通りなのである。現在の芸人の「芸」自体が完全に内向きでレベルが低い上にレベルが低い視聴者が居るのでなんとなく(ビジネスとして)成立してしまっているから、例えば世界的なスケールで普遍妥当性を持つ芸人が出てこないのだし、それを助長しているのがテレビ屋の「志の欠如」なのである。

これがテレビ番組がどこのチャンネルのどの番組を見ても「デジャヴ(既視感)」(笑)に満ちていて退屈であるそもそもの原因なのである。
本当に「テレビは終わっている」。


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<2020年5月17日:追記>
NHK民放を問わずテレビ局の芸人依存の度合いは益々高くなってきている。巷間言われているのは大手事務所の株式をテレビ局が所有している等の動きであるが、そんなことよりテレビ局がいよいよ番組制作能力を完全に失う寸前まで来ている程自堕落になってしまっている実情が問題であろう。現在の地上波テレビ番組はどっちを見ても芸人がほぼ必ず出てくる。芸人に興味がない視聴者にとっては地獄のような有様になりつつある。ただでさえ人間的に屑である芸人たちがそこかしこに侵食しているとなると、本当に「地上波は終了した」と断言して良いのではないだろうか。うんざり、である。


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(*1)
近年はバラエティ番組だけでなく報道番組・情報番組までも芸人にまかせる傾向が強くなってきている。正にテレビ屋の無能が極まってきている証拠である。どこのチャンネル、どこの番組を見ても芸人が必ず絡んでいるといって過言ではない。いくら大手芸能事務所と放送局がズブズブの関係にあると言ってもやりすぎ感で食傷気味になる。こうなると本当にまともな人はテレビから離れていくのはいかにも当然だろう。それは放送局自身がそうなるように仕向けた結果である。うんざりだ。


(*2)
安く使えるのは新人芸人や全然面白くない駄目芸人の場合であり、有名芸人ならそこそこの出費(予算)は覚悟しなければならないのは当然である。


(*3)
さらに言うなら、別の拙稿でも書いたが芸人には一般人を差別し見下す妙な特権意識のようなものが強烈に存在し、それがまた実に鼻持ちならない嫌らしさを醸し出している。


(*4)
若年層の視聴者はつまらない芸人でも自分たちなりに面白さを見出してしまうのだろう。だから「そこそこウケる」状況が現出するのだし、テレビ屋も「面白いものが作れている」と錯覚してしまうのである。
若年層が彼らなりの面白さを見出すと書いたが、それは正に若年層なりの未成熟な感性でそう思っているだけで「絶対的な本物」ではない。その証拠にギャラの安い芸人たちのパフォーマンスは幼稚で単純で、それこそ幼稚園のお遊戯会なら似合いそうなレベルのものがほとんどである。