「薄情」(新潮社)
絲山秋子著
【豆を撒き心の鬼に豆食わす】 哲露
久しぶりに絲山秋子の新作を読む
文芸誌の連載をまとめたものだが、普段文芸誌の最新刊など高くて読まないからこの小説初の体験である。
相変わらずタイトルが巧い。
絲山作品で最も好むのは「海の仙人」。
「薄情」の主人公宇田川に、河野と少し近い感覚を憶える。
もちろんファンタジーは出てこないし、まったく別の話で目指すベクトルも違う。
心地よい文脈のリズムに、沁みいるように引きずり込まれる。
九州と群馬、絲山が意図的に意欲的に描く土地が舞台。
この作品では土着からみる群馬の内部を境界区域として余すところなく照らしている。
またバツイチUターンの後輩蜂須賀と、都会からきた鹿谷からの群馬と、それぞれの視点の対比も面白い。
よそ者が作る「変人工房」と名付けた場所に集い、憩う宇田川たち。
日常に非日常を求める田舎暮らしのツボを心得ている。
しかし事が起きたときには、親しくした「よそ者」がいた事を容赦なく忘れていく(忘れたふりをする)。
それは果たして情が薄いということなのか!?
いや、その薄情さが群馬土着の優しさなんだと、絲山は書く。
敢えて話題にしない、忘れ去ることでその人を自分のうちに受け入れるということだろうか。
彼女がこだわってきたたくさんのメッセージが随所に込められている。
宇田川の日常と非日常が超現実的なセリフで埋められる迫力。
叔父の家業神職をこなしながら、夏は嬬恋で強烈な疲労に襲われるほどハードなキャベツ収穫のバイトに出かける。
不安定なフリーターという設定だが、仕事に向き合う姿勢はストイックでもある。
かつての友人から誘われ、その妻子と食事中にお互いの人生のチューニングが違うことに気づき、宇田川は孤独感に苛まれる。
蜂須賀やバイト先で出会った女吉田に安らぎと苛立ちを憶えつつ、淡々と時間が紡がれていく。
絲山作品には欠かせない、ドライブのシーンが心地よい。
車のなかでかかる曲に委ね、想像を膨らませるのも彼女の楽しみ方。
一見重いテーマをさらりと描くことで実際をあぶり出す。
好きな作家を貪る至福を味わえた。
脳の内が徐々に活性していく。
時代物の名手、杉本章子、宇江佐真理の新作はもう読めなくなってしまった。
哀しいことだ。
宇江佐の遺作となる連載が夕刊で読める。
毎夜、複雑な気分で読んでいる。
自分には何がある?
不埒な自分にスイッチを入れてくれた「薄情」。
節分が過ぎ、立春も過ぎた。
前に進まなきゃ