週刊浅草「江戸っ子瓦版」 -のんびりHiGH句な日々-

文学と食とRUNの日々を、PHOTO5・7・5で綴るエッセイ♪

魑魅魍魎の妖怪たち。

2016年02月21日 | ★江戸っ子エッセイ★




 さる如月の週末のこと

 新吉原に妖怪たちが集まった。

 花園公園に入るとたくさんの人だかり。

 そこに混じって人でないものがいた。

 前年よりパワーアップした節分お化けたちに、子供が笑ったり、泣いたりしている。






 オープニングは、地元でも働く二丁目のオカマが笑わせ、

 お三味線の姐さんが、踊りも披露してくれる。

 浅草は演芸の町でもあるのだ。

 日頃、演芸ホールで磨かれた芸で沸かせてくれた。

 






【闇を裂き魑魅魍魎が豆を撒く】哲露

 
 鈴娘の凝った装飾に目をみはり、八咫烏の粋に拍手が起きた。

 心中しちまったお侍は幸薄く、百目の目は一つずる大きさがちがう。

 それもそのはず、紙粘土で目ん玉を一つずつ作ったらしい。

 百均のグッズを工夫したもの、

 何日もかけて衣装を縫いあげてきたなど涙なくしては語れない苦労での登壇だ。

 この節分のお化け祭り。

 元々は子供が島田髷に結ったり、男性が女装したりするお化髪からきた語源という。

 京都の祇園や先斗町など花街やら、北新地で盛んに行われている行事なのだ。

 江戸の廓の妖怪たちも凝りに凝ったコスプレで頑張っている。








  歌あり踊りあり、書道パフォーマンスあり、玄人はだしの芸達者が動き回る。

 仮装だけの沈黙のお化けもいたけど。

 屋台や抽選大会もあった。

 プレーヤー、観客、審査員とそれぞれに楽しむ。

 寒風の中、皆さんよく頑張った。

 思えば、江戸から闇は去り、長らく昼と夜の区別すらつかなくなった。

 畏れを抱くことで、人は自然界に畏怖を持てたのではないか。

 神仏を崇める気持ちもまことコンビニエンスになっちまった。

 24時間スーパーで買いたいものが買える。

 この利便と引き換えに、大切な何かを失ってしまったのではないだろうか。

 妖怪たちすら寄り付かない現代において、

 人間こそが魑魅魍魎ではないのか。





 吉原七丁にあった廓の守護神稲荷社は五つ存在した。

 五十間通りに「玄徳稲荷社(吉徳稲荷社)」、

 廓内の四隅には「榎本稲荷社」「明石稲荷社」「開運稲荷社」「九郎助稲荷社」がお祀りされていた。

 九郎助稲荷は時代小説でもお馴染み、花魁が様々な祈りを捧げた社である。

 この五つの社と吉原弁財天(火事で亡くなった花魁を祀る)を合祀したのが今の吉原神社。

 この日はお狐さんがお出迎え。

 妖怪たちが活躍できた時代の謙虚さが今こそ望まれているような気がしてならない。
 
 雨水過ぎ、梅も香る。

 春は近い