宮神輿の宮出し
浅草弾左衛門の著書で有名な塩見鮮一郎の記述にも出てくる熱田宮
熱田神社の遷座三百七十年と氏子吉野町会の創立百周年を記念して、宮神輿が20年ぶりにお目見えした。
朝早くから、お祭りに沢山の人々が集まる。
2014年6月1日朝の9時、宮司さんが祭礼に際し型通りの儀式を行う。
これぞよくいう神輿に神様をのせる恐れ多い時間である。
町会青年部を中心に宮神輿を担ごうと、意気盛んの男衆たちが熱い。
幅の限られた鳥居を通る。外棒を担ぐ担ぎ手は、中に肩を入れ直して宮出しするのだ。
熱田さんならではの規則はそれごと面白い。
この日は30℃を超す真夏日。
立っているだけで汗が吹き出るというのに、男も女ももみ合いへし合い、渡御を開始した。
小さな町会だというのに、三社祭を終えた近隣住民も押し合いへし合いの歓声を上げる。
三社様の宮神輿もサラシを巻いた喧嘩神輿だが、熱田さんのサラシはまた別の装い。
太平洋戦争の戦火も逃れた御神輿は強運で、頑丈で、ご立派だ。
氏子に御神輿の職人がいるから細部の意匠がすごい。
堂々とした鳳凰も御殿も神様の重みとともに、担ぎ手の肩にずっしりと。
棒が短いから順番を争う男衆がもみ合うシーンもあったが、その重さからか、人の足りない時間も現れた。
吉野町会の半纏を背負った私は、思う存分担ぐことができる。
渡御は清川のほうまで出張って休息した。
ありふれた駐車場の片隅に祠がある。
もしやと思い、長老に声をかけた。
やはり。
ここは鳥越町から移転してきた際の、かつての熱田宮があった場所だ。
塩見の描く車善七にも熱田宮のそばに暮らすがいた。
【新町の橋を流るる紫陽花や】哲露
そうか、ここがあの場所だったか。
小説を書いていると、執念が引き寄せる偶然のような必然がある。
熱田神社には、この陰陽丸という伝家の宝刀が鎮座する。
全長3.7mの大太刀は、幕末安政5年(1858年)コレラが流行った折、厄を祓うよう浅草新鳥越町を廻った。
弘化4年(1847年)、川井(藤原)久幸の作と言われる。
元鳥越の祭礼は今週行われているが、この雨だ。人の出はどうだろう。
20年前は叶わなかった熱田宮の宮神輿が担げた。
楽しいお祭りもひと段落。
この熱を、創作へ打ち込めることができれば本望だ。
浅草山谷堀の紙洗橋
隅田川大橋
晩年の荷風が暮らした傍で、隅田川などたくさんの品種の紫陽花が艶やかに花を咲かせている
最新の画像[もっと見る]
- 2020年幕開け! 4年前
- 2020年幕開け! 4年前
- 大晦日 4年前
- 大晦日 4年前
- 書評「友だちをやめた二人」 5年前
- ワンカリフォルニアデイ2019 5年前
- ワンカリフォルニアデイ2019 5年前
- ワンカリフォルニアデイ2019 5年前
- 長い休みのあと 5年前
- 長い休みのあと 5年前
ご無沙汰してます。のまさまにもありましたか。
執念とか、気迫とかありますよね。編集者も書店も読者さえもおののく、気迫それこそが作家として第一線で生きる本懐だと思います。先輩に続けるよう、努力してます。どうか待っててくださいね。