週刊浅草「江戸っ子瓦版」 -のんびりHiGH句な日々-

文学と食とRUNの日々を、PHOTO5・7・5で綴るエッセイ♪

水無月の憂鬱

2015年06月07日 | 呑み屋探訪(上野、湯島界隈)



 ここのとこの陽射しで、冷たい麺類にばかり食指が動く

 久しぶりに、御徒町の地下、越後屋に降りる。

 迷わず、特刺身盛り定食をたのむ。

 たっぷりの海鮮に、揚げたての天ぷらがついて、1,250円也。

 海苔の香るへぎ蕎麦二枚重ねの大盛りは、知るヒトゾ知るお昼のサービス。

 この傍の出版社へ勤めたばかりの頃、敬愛する部長とよく連れ立ってきた。

 あの頃は、鮫皮に天然の山葵がついてきて、自分たちで擂ったものだ。

 ごまもかけ放題。

 うしろの小上がりには、世の先輩たちが吟醸を飲っている。

 そういえば、春にはYさんと来たっけ。

 若い時分と同じ量を食べると、夜がいけない。

 なんたって腹が減らないのだ。

 自ずとビールも不味くなる。

 健啖ぶりも老いた。

 食えることが生き物のバロメーターなら、下りに入ったということか。 

 食えないことが哀しいとは、とほほでござる。





 逆さ富士ならぬ、逆さツリーだ。

 浅草側からスカイツリーを眺めると、午前中は東向きになるので、逆光になる。

 かつて、新吉原へ向かうお大尽の舟が通った山谷掘は、諸般の事情から埋め立てられた。

 私が高校生のときに完全に埋まった。

 メタンとゴミの浮く大川は酷く臭ったから、当然だと思っていた。

 雨が降った翌日は、このように水が溜まり、掘割があった名残を彷彿とさせてくれる。 

 両岸にあった船宿が見えるようだ。

 ちなみに、写真の先が、浮世絵に描かれた今戸橋。

 花の散った桜並木の下には、熟れて落ちたサクランボの実がひしめく。

 ランニングする私のアシックスターサーの靴底は紫に染まった。


【太鼓の音天まで届く祭り子や】哲露

 今戸祭りのお囃子とともに、子供たちの元気な声が聴こえる。

 山車の太鼓のバチを奪い合った子供は、もうオトナ神輿を担げるようになった。
 
 本社が出ないので、今日は休んで執筆をちょっこし。

 夜は千貫神輿を観にいくつもり。

 小学生の頃は、雨ばかりで祝日のない六月が憂鬱だった。

 同じことを二男が言っている。

 親子って似るもんだね。





 待っていた。

 利便性と引き換えに、SNSの暴力的な拡散力で企業が潰れる時代。

 老舗の味は、懐かしい青春の味でもある。

 化学調味料ソースの浸みたキャベツの味は、まさに屋台の味でござる。

 桂文楽師匠と柔道着の学生のCMこそ、セピア色の思い出。

 まさにペアでヤング!

 「顔は四角でも味はまろやか~」

 変わらないものがあるというのも、大事なことだと思うよ。

 年齢を三で割ると、一日に換算した人生の時刻がわかるという。

 私はまもなく、16時。

 夕まずめの酒も悪くない