長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

元気の約束手形

2010-07-10 07:09:24 | Weblog
昨日は「珈琲の樹」の店長から、「元気の約束手形がほしい」
と所望されたので、さっそく1シートもっていった。
ぼくのHPに、詳しく?説明しているけど、このシールには
TQ処理という、不思議な技術をほどこしてあり、いろいろと
「いい悪さ」をし始めたようだ。冷蔵庫など、ニオイが気になるところに
張っていると、不思議とニオイが気にならなくなる。
珈琲の樹のトイレには、一枚張ってある。アーティストなどは敏感
なんだが、さわっているだけで、あったたくなったり、気を感じる
みたいだ。うちでは、昔から、珈琲を保存するビンの底に、はって
ある。そうすると、劣化や酸化するスピードが、かなりちがってくる。

最近、「珈琲豆」を所望する人が多くなった。
実験的に、200gごとに、「元気の約束手形」を1枚プレゼント
するようにした。「そのおかげで、珈琲が美味くなった」といわれては
心外だけど、「へたに入れてエグくなった味を、緩和する力」
はありそうだ。いれたコーヒーカップの下に、シールをおくと、
一瞬にして変る。

毎日飲むコーヒーがおいしくなったら、気持ちの持ちようもかわり、
人生もいい方向に好転するのではなかろうか?
習慣をかえていくと、必ず人生は変わっていく。

今日と明日は「もなか屋」がやってくる日。
アイス最中100円也。ワンコインでこんなに
幸せになることは、あまりない、くらい美味い。

明日はいよいよ「竹細工の教室」が始まる。
月曜日は、定員がはるかにオーバーしてしまった。
日曜日は、午後の部が、あとわずかだけ・・でもほぼ満員。
なんかすごいことになってきた。

来週の水の「伝授の日」(蕎麦打ちなどを伝授している)の夜の
「薩摩琵琶」も、あと2席。

21日の「クラシック」も、すでに満席状態。
31日の「墨田花火大会ライブ」も、キャンセル待状態。

8月29日の「nobieのジャズライブ」も、すでに満席。

9月22日には、「赤松林太郎くんたち」が月見のクラシックコンサート
をやってくれる。先日休みの時にパンフを彼がもってきてくれたので
お店の前に張っている。
これも、またすぐに満席になりそうなので、興味がある方は
おはやめに・・・





竹細工が始まる

2010-07-09 07:15:48 | Weblog
昨日は、八王子の東京造形大学附属横山記念マンズー美術館で
今月30日まで「SIRAI、いま」という、建築家の白井晟一の造形
の展覧会が開催されているので、それを見にいった。
山の中の緑に囲まれた学校で、当たり前だけど、まゆ若き学生たちが
青春を謳歌していた。横山記念マンズー美術館も、白井さんが構想した建物。
緑の森の溶け込むような存在感が、「SIRAI」そのものだ。
中に展示してあるものは、書、装丁、設計図などで、これまでも見たことが
あるものが多かったが、原爆ドームの構想の時に、つくった図面に、今の東京造形大学
の人たちが模型をつくったのが、たいへん感動した。戦争も知らない親から生まれ、
白井さんの生きた時代を知らない人たちが、つくったものだ。

少し遠い場所だったけど、いってみてよかった。
さきほどお店のドアをあけたら、白井晟一さんが旅たつときまで愛用
していた時計が、まだ動いている。その時間軸の流れ、みたいなものも
いい。

今日は「お仕覆の会」だ。
昔から大事にされてきた茶器とか花器などを「つつみこむ」ものを
つくる。とっても「和」らしく、こころ和む文化である。

あさって日曜日からは、いよいよ「竹細工」の教室が始まる。
新しい1ページになりそうな予感がする。
竹細工は、始めると、だいたい長く続く人が多いらしい。
節目節目を大切にしてきた日本人と、どこか共通するものがあるのかも。

なにが、大切か・・・って、「続ける」くらい大切なことはない。
「こんなに長くやっている」という自負が、ときどき、めげそうに
なったり、迷ったりしている自分を助けてくれるし、他から見て
一番の評価になる。すごく単純なことだけど、その「単純」な繰り返しを
いろいろなものが、邪魔するのだ。
柱時計のように、コツコツ、といきたいものだ。


白井晟一の造形

2010-07-08 08:25:30 | Weblog
今日は休み。
八王子にある東京造形大学附属横山記念マンズー美術館で
今月30日まで「SIRAI、いま」という、建築家の白井晟一の造形
の展覧会が開催されている。先週の奥多摩にいく経由と同じ道で
これからでかける。
天真庵の時計は、白井晟一さんの愛用品だ。「生」という力強い
書も、そうだ。ときどき「道」という書も飾ったりする。
一字でバランスよく収まるのは、たいへんむずかしいけど、見事
なものだ。

明日は、お仕覆のお稽古。「つつみこむ」というやさしい文化は
日本独自のもだ。大切にしている道具や、花器、茶器などを
気に入った古布をつかって、作る。
やさしいこころを学ぶ場でもある。

10日日曜日から、いよいよ「竹細工」が始まる。
予想以上に人気がでて、月曜日の会は、天真庵には
入りきれないほどになったので、別の開場でやることに
なった。
「元気にものつくり」をする人が増えてくると、この国も
また元気で豊かな国になる。
元気なやさしさを広げていける人が活躍する時代がきた。

かっぽれ

2010-07-07 07:22:59 | Weblog
今日は、かっぽれの日。
演目もみっつになり、あいかたとふたりで
デビュー戦をいつ、どこでやるか、を検討
し始めている。あいかたは、とらさんみたいに、
ふらりと全国行脚しながら、体かこころが元気に
なることを伝えるようなことをやっているので、
その旅にあわせて、「旅をしながら、かっぽれ」も
いいかも知らない。

とにかく、政治や経済がいきずまり、これまでと同じ
生き方では、なりゆかなる人が急増しているし、夏の陣から
後半戦も、それらが加速してきそうな気配だ。
こんな時代は、ただだまって、じっとしていても、元気
にならない。とくに男子が元気がないけど、男子はちじこまって
いては、いけない。もてないし、役にたたない。やっぱり、
たたなくてはいけない。

昨日は、Bunkanの連中や、その仲間や、彼らを応援している
人たちが、ぞくぞくと、カウンターにとまった。
天真庵を改装した人たちが、古い物件を改装して、カフェにしたり、
アトリエをつくったり、ぼうしやをつくったりするのも、また最近加速
してきて、おもしろいアーティストたちが、ぞくぞくと住みはじめたり、
活動を始めたりしている。とにかく、「動く」ことだと思う。
スカイツリーの関係で、観光客をめあてに、金儲けだけを考えてる
ような店も増えてきたけど、「観光」とはもともと、そこに住む人
たちの生き方とか、文化を観る、つまりは「ひと」とふれあうことが
一番の目的であり、楽しみなのではなかろうか。

♪さて、かっぽれ かっぽれ

暑い夏も、体を動かし、新しいことを始める「時」だと思う。
かっぽれは、ばかばかしいくらい、おもろい世界。

今朝の朝刊に、艶っぽい相撲甚句が紹介されていた。
♪相撲はまけても けがさへなけりゃ 夜は私が負けてやる

平和な時代は、艶冶なものがたりが、熟成する時代でもある。
ちじこまっていては、いけない。




ゆずすこ3

2010-07-06 07:19:35 | Weblog
昨日はSpice Cafeは定休日だったけど、伊藤シェフが
蕎麦を食べにきてくれた。さっそく、「ゆずすこ」を試食してもらう。
さすがに、トレンディーなcafeのオーナーなので、感度が抜群だ。
「近くの空き地を借りて、農業やりませんか?」という提案もあった。
「文花一丁目・農園Spice Cafe」「押上農家食堂・天真庵」
と、改名する日がくるかも知れない。
彼と話をしていて、いつも感じるのは、これからのcafeの役割というものが
が、「ただおいしいものを食べたり、飲んだりする場」
ではなく、「その場や、そこで出会うもの・ひとを、「通して」何を
創造していくか」ということ、それが一番大事な役割だということ。
それが、できないなら、彼もぼくのお店も、即刻廃業すると思う。

夜は「ダメから始める中国語」だった。先月に続いて、神戸から
参加された女子がいた。女子はやはり元気だ。
いつも元気な女子といっしょに、蕎麦会になるのだが、
この会の人たちは、不思議な酔い方をする。昨日は
寒山拾得の話で盛り上がり、南條先生の画集に書いて
ある漢詩を、先生がろうろうと中国語で詠んだりした。

昼間も、神戸に住んでいるお坊さんが蕎麦を食べにきた。
時々上京するときに、神戸のお洒落なお菓子なんかをもって
やってくる。お店ではあまりしないけど、選挙や宗教の話しを
お互いに「機関銃トーク」を関西弁で、まくりたてる。
おもろい坊さん。こんな奇僧なんかを友だちにもっていると、
人生は2倍か3倍楽しい。

今日は会計士がやってくる。ITの会社をやっていた時からの
つきあいだ。彼もやはり奇人みたいな人だ。
いろいろな人間がいて、それぞれ、知り合ったり、けんかわかれに
なったり、憎んだり、怨んだり、ときどきまた波動があって、
何かをいっしょに協力してやったり・・・いろいろ。

明日はかっぽれ。
こんどの日曜日から、いよいよ「竹細工」が始まる。
もともと池袋でやっていた会なので、ひきつづき
こちらでやる人の数が、定員オーバーしてしまって、
月曜日の会は、違う場所でやることになった。
なんだかまだ始まっていないけど、新しい出会いや、
おどろきがいっぱいおきそうだ。

来週は14日は「薩摩琵琶のライブ」(蕎麦・珈琲つき2000円)をやる。
榎本百香さんは、天真庵ライブは2回目。
一回目は、一昨年やった「煎茶会」の時、玉露を飲んで
こころが静まっているところで、演奏してもらった。
まだ彼女が東京音大の現役女子大生だったころ。
「幽玄」という言葉を、初めて、体で感じた瞬間だった。
こんな素敵な会ができるのも、この地に、縁があり庵を
結んだからにほかならない。 天恩感謝。




ゆずすこ2

2010-07-05 07:21:46 | Weblog
郷里の同級生に「ゆずすこ」をコメントされた。
さすがに、空海が中国に留学した後、玄界灘の神さまを
祀るために、鎮国寺という古刹を建立した土地の人たち。
食をはじめ、いろいろな文化の咀嚼度がすごい。
近くにある鐘崎港は、ふぐをはじめ、漁獲量が九州で一番。
近くにできた「道の駅」は、まるで「海の駅」のように、
新鮮でイキイキした魚が並んでいる。だから近くのお店は
、どこも魚のレベルが高く、値段は安い。
ぼくの友だちも界隈で、お店&二階が陶器のギャラリーをやっている。

今日は「ダメから始める中国語」だ。
空海が中国へ仏教の勉強にいった時、こんな難しい言葉を
どうやって、理解したのだろう、と思うくらい、中国語は
難しい。でも小川先生は、めげそうになる生徒さんたちを
いつも明るく包容力でもって、盛り上げてくれる。
独身女性で美人が多い教室だけど、勉強がおわった後の
飲み会も、毎回大いに盛り上がる。

明後日は「かっぽれ」
昨日、ブンコくんの新居に閉店後にお邪魔した。
1階にはスタインウェイが鎮座してあり、なかなか
低音の響がはらわたまでいみるような感じのいい音だ。
二階は座敷になっていて、かっぽれを10人くらいでも
できそうな空間。ちゃんと床の間があるので、近々
そこでお茶を入れてみたいと思う。
「和の文化サロン」が、近々お目見えする。ウキウキしてきた。


ゆずすこ

2010-07-04 07:22:11 | Weblog
昨日友だちがふらりとやってきた。
ときどき、ふらりと対馬からやってくる。
同じ町内会に住んでいるような顔して、いつも
やってくる不思議な男。
大陸から対馬を経由して、仏教・お茶・思想・・・いろいろな
文化が渡ってきた道。海のシルクロードの中に浮かぶのが対馬。
蕎麦も、この道を通ってやってきた。だから今でも対馬には、蕎麦の原種
が残っていて、年に一度彼がおくってくれる。それを食べると、
蕎麦の神さまと対話する、そんな気持ちになる。

昨日はお土産に、「ゆずすこ」をもってきてくれた。
ユズコショウをもっと世界中に広げようと、液体にし、
タバスコならぬ「ゆずすこ」ができた、らしい。
なるほど、これならパスタにもあいそうだ。今日は店の前
のプランターに群生している自家製のしそをつかって、
パスタをつくり、それにゆずすこをかけて食べてみようと思う。
中に入っている説明書によると、「初級」が、パスタ・ステーキ、
「中級」が焼き鳥・餃子・・「上級」が納豆・焼き魚、そして
「チャレンジ編」が、焼酎・博多もつ鍋、と書いてある。
なんだか、ウキウキしそうな調味料だ。

昨日はムシムシした1日だった。かかわらず、多くの人が
蕎麦を食べにきてくれた。「もなか屋」も、喫茶去と書いた
版木が、ポンポンと鳴りっ放しだった。
あの音を聞くと、ほんまに、お寺みたいな雰囲気になる。

こころひとつの置き所 で人生はだないにでもなる。
堪忍

祝メダカ誕生

2010-07-03 07:13:22 | Weblog
メダカの稚魚が元気に池の中で泳いでいる。
♪めだかの学校は・・・
ではないけど、先生と生徒の区別はつかないが、
親と子は、はっきりとわかる。一人前にひれを
動かしながら、水面をすいすいと泳いでいる。

姫睡蓮も二年目になり、可憐な花をさかせ、その葉っぱも
増えて、めだかの産卵場所にもなっているようだ。小さな池
の中にも、宇宙というか、それぞれ役割をもった存在があり、
協力しながら命をはぐくんでいるのが、すばらしい。
先月庭に植えた矢羽根すすきも元気になってきた。
細い口の黄瀬戸の花器になげこみ、少し小さめの紫陽花
なんかとあわせると、季節感がでる。
界隈の植え込みなどでは、いろいろな色の朝顔も元気に
咲き始めた。朝顔が咲く公園の朝にラジオ体操の音楽
などが聞こえると、夏休を思い出す。ぼくの生まれた
北九州では、小倉の祇園太鼓や、戸畑の提灯山笠が始まる。
とくに、提灯山笠のほうは、非日常の世界に誘われていく
非連続の調べは、子どものころから、大好きだった。
例の屏風を送るのがたいへんなので、提灯山笠に合わせて
帰省しようと思ったが、ねんどや花のお稽古と重なるので
断念。

今日は「エリカ庵」。
昨日の違う今日があるのがたのし。
昨日と同じ今日があり、それが明日も続く・・
という平凡な人生は面白くない。とくにこれからは、
戦国時代みたいなものなので、いつ死んでもいい、
くらいの覚悟が必要だ。アメリカのポールクルーグマン
という有名な経済学者も、「1837年、1929年に次いで
3回目の大恐慌に突入した」と発表した。
ま、とにかく、一に健康、二に健康、三四がなくて、五に仕事。
自分の体のケアは、しっかりとしなくては、乗り切れない時代がきた。

二週間ぶりに「もなか屋」も営業する週末。
いろいろと楽しい毎日だ。

5日(月)は、「ダメから始める中国語」
明るい先生の波動に釣られるように、明るい
女子たちがやってくる日。
これから規制緩和して、たくさんの中国人が観光に
くるらしい。少し中国語ができると、おもしろそう。




日本人に帰る

2010-07-02 07:18:14 | Weblog
よく奥多摩の山に昔は登った。
毎年のように立山に登っていたので、その前に
トレーニングを兼ねて、よく元気もいっしょに登った。
今回の連休はひさしぶりに奥多摩にいった。
玉堂美術館にいくと、6月30日が、命日だったので、
特別にお土産をいただいたり、その日しか見れない
観音さまの絵を見ることができた。友達や身近な人が
なくなった時に、よく観音さまを描いたらしい。

界隈の緑や鳥のさえずりや、やまめをねらう釣り人たちを
眺めていると、川の流れと同じで、玉堂が生きた時代まで
波動をあわせる、みたいな気分になった。なんとも優雅な
ものだ。
宿はもっともっと山奥の古色蒼然とした温泉宿で、やはり川の
せせらぎをや、ヤマガラやコガラのさえずりをききながら、露天風呂
につかり、ワサビのクキ、フキのトウ、ショウデッポ、ヘベショウブ
などの山菜料理を酒肴に、地酒の「喜正」を堪能した。
生まれてはじめて「アカシア」の花を食べた。

♪アカシアの雨にうたれて このまま死んでしまいたい

西田佐知子がこの歌を歌ったころは、安保がどうだのこうだの、
という混沌とした時代だった。その時代の混沌と、彼女の
けだるそうな刹那的な歌い方が、マッチした。
安保とはちがって、今もまた日米関係が、新しい局面を迎えている。

というよりも、大きな時代の分水嶺を迎えている。
これまでの社会のレールにのって、生きている人たちが、
「このままでいいのか」と不安になるくらい、「このまま」
では成り行かない時代だ。自然や大地と向き合ったり、「自分で
できること」をしっかり見つけたりしないと、不安で不安で
眠れなくなるような時代だと思う。足を大地にしっかりとつけ、
自然の中で深呼吸して、明るい1歩を踏み出す人、みたいなのが
活躍する時代ではなかろうか。「日本人に帰る」時代かも。