熊本で行われる秋のお祭り「藤崎宮秋の大祭」
は、そんな掛け声を叫びなが、町中を練り歩く不思議な祭りだ。
昔は「ぼした祭り」といわれていた。説明は、朝はやくからやるのは
手ごわいが・・・
昨日は「お花のお稽古」だった。「どうだんつつじ」をいけた。
そのみごとな枝ぶりと葉の様子が、「どうだ どうだ」というような
声みたいで、つい、ぼした祭りを思い出した。
どうだんつつじは、漢字にすると、「満天星」。確かに姿が、満天の星
、いい得て妙である。残りをお店の信楽の大壺に投げ入れた。
「くばり」が少しあまかったので、仕上げに少し手間取った。
やはり仕事も人生も、「土台つくり」が大事なことを教わる。
花をやっていると、お茶もそうだけど、あの世から、声なき声
みたいなものが、聞こえるときが、多々ある。だから先人たちも、
命がけで、この不思議な世界を遊んだのではなかろうか。
昨日は、大型新人のなまこちゃんがデビューした。久保さんの
つくった古瀬戸の瓶子(へいし)に、投げ入れをした。華のある子
が花をいけるのは、いい。
明日は「順受の会」・・・通称「論語の会」だ。月一の「儒学カフェ」。
前半は中江藤樹をやった。月曜日から二学期。「伝習録」をやる。
教科書は
「新書漢文大系 22 伝習録 」明治書院22 近藤康信【著】/鍋島亜朱
華【編】
『伝習録』陽明学の王陽明の言行録であり、陽明学の本質を著した基本書である。知行合一(知識と行いは一つのものであり、それによって道理に適うこと)・致良知(良知は人が生まれながらに持っている完全なもので、これを発揮すればすべての道理に適うこと)を唱えて空論を排除し徹底的実践を説いた。
「文花的な寺小屋」の中で、一番長くやっている会。
火曜日は「英語で蕎麦会」
これは、二番目に長くやっている会。
は、そんな掛け声を叫びなが、町中を練り歩く不思議な祭りだ。
昔は「ぼした祭り」といわれていた。説明は、朝はやくからやるのは
手ごわいが・・・
昨日は「お花のお稽古」だった。「どうだんつつじ」をいけた。
そのみごとな枝ぶりと葉の様子が、「どうだ どうだ」というような
声みたいで、つい、ぼした祭りを思い出した。
どうだんつつじは、漢字にすると、「満天星」。確かに姿が、満天の星
、いい得て妙である。残りをお店の信楽の大壺に投げ入れた。
「くばり」が少しあまかったので、仕上げに少し手間取った。
やはり仕事も人生も、「土台つくり」が大事なことを教わる。
花をやっていると、お茶もそうだけど、あの世から、声なき声
みたいなものが、聞こえるときが、多々ある。だから先人たちも、
命がけで、この不思議な世界を遊んだのではなかろうか。
昨日は、大型新人のなまこちゃんがデビューした。久保さんの
つくった古瀬戸の瓶子(へいし)に、投げ入れをした。華のある子
が花をいけるのは、いい。
明日は「順受の会」・・・通称「論語の会」だ。月一の「儒学カフェ」。
前半は中江藤樹をやった。月曜日から二学期。「伝習録」をやる。
教科書は
「新書漢文大系 22 伝習録 」明治書院22 近藤康信【著】/鍋島亜朱
華【編】
『伝習録』陽明学の王陽明の言行録であり、陽明学の本質を著した基本書である。知行合一(知識と行いは一つのものであり、それによって道理に適うこと)・致良知(良知は人が生まれながらに持っている完全なもので、これを発揮すればすべての道理に適うこと)を唱えて空論を排除し徹底的実践を説いた。
「文花的な寺小屋」の中で、一番長くやっている会。
火曜日は「英語で蕎麦会」
これは、二番目に長くやっている会。