昨日は、八王子の東京造形大学附属横山記念マンズー美術館で
今月30日まで「SIRAI、いま」という、建築家の白井晟一の造形
の展覧会が開催されているので、それを見にいった。
山の中の緑に囲まれた学校で、当たり前だけど、まゆ若き学生たちが
青春を謳歌していた。横山記念マンズー美術館も、白井さんが構想した建物。
緑の森の溶け込むような存在感が、「SIRAI」そのものだ。
中に展示してあるものは、書、装丁、設計図などで、これまでも見たことが
あるものが多かったが、原爆ドームの構想の時に、つくった図面に、今の東京造形大学
の人たちが模型をつくったのが、たいへん感動した。戦争も知らない親から生まれ、
白井さんの生きた時代を知らない人たちが、つくったものだ。
少し遠い場所だったけど、いってみてよかった。
さきほどお店のドアをあけたら、白井晟一さんが旅たつときまで愛用
していた時計が、まだ動いている。その時間軸の流れ、みたいなものも
いい。
今日は「お仕覆の会」だ。
昔から大事にされてきた茶器とか花器などを「つつみこむ」ものを
つくる。とっても「和」らしく、こころ和む文化である。
あさって日曜日からは、いよいよ「竹細工」の教室が始まる。
新しい1ページになりそうな予感がする。
竹細工は、始めると、だいたい長く続く人が多いらしい。
節目節目を大切にしてきた日本人と、どこか共通するものがあるのかも。
なにが、大切か・・・って、「続ける」くらい大切なことはない。
「こんなに長くやっている」という自負が、ときどき、めげそうに
なったり、迷ったりしている自分を助けてくれるし、他から見て
一番の評価になる。すごく単純なことだけど、その「単純」な繰り返しを
いろいろなものが、邪魔するのだ。
柱時計のように、コツコツ、といきたいものだ。
今月30日まで「SIRAI、いま」という、建築家の白井晟一の造形
の展覧会が開催されているので、それを見にいった。
山の中の緑に囲まれた学校で、当たり前だけど、まゆ若き学生たちが
青春を謳歌していた。横山記念マンズー美術館も、白井さんが構想した建物。
緑の森の溶け込むような存在感が、「SIRAI」そのものだ。
中に展示してあるものは、書、装丁、設計図などで、これまでも見たことが
あるものが多かったが、原爆ドームの構想の時に、つくった図面に、今の東京造形大学
の人たちが模型をつくったのが、たいへん感動した。戦争も知らない親から生まれ、
白井さんの生きた時代を知らない人たちが、つくったものだ。
少し遠い場所だったけど、いってみてよかった。
さきほどお店のドアをあけたら、白井晟一さんが旅たつときまで愛用
していた時計が、まだ動いている。その時間軸の流れ、みたいなものも
いい。
今日は「お仕覆の会」だ。
昔から大事にされてきた茶器とか花器などを「つつみこむ」ものを
つくる。とっても「和」らしく、こころ和む文化である。
あさって日曜日からは、いよいよ「竹細工」の教室が始まる。
新しい1ページになりそうな予感がする。
竹細工は、始めると、だいたい長く続く人が多いらしい。
節目節目を大切にしてきた日本人と、どこか共通するものがあるのかも。
なにが、大切か・・・って、「続ける」くらい大切なことはない。
「こんなに長くやっている」という自負が、ときどき、めげそうに
なったり、迷ったりしている自分を助けてくれるし、他から見て
一番の評価になる。すごく単純なことだけど、その「単純」な繰り返しを
いろいろなものが、邪魔するのだ。
柱時計のように、コツコツ、といきたいものだ。