先月号のTMSの編集後記で小林信夫氏の訃報が掲載された時には一読者として驚きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/41/bd6644071ee03bc590aa18017d7c97dc.jpg)
その号ですら、小林氏の連載がいつも通りに掲載され「次はどんな記事で楽しませてくれるのか」と楽しみにしていただけにあまりに急な事に一瞬思考が止まったほどです。
氏の連載記事は、作品紹介や実車のデータ記事が主体のTMS誌上にあってわたしにとっては肩が凝らない、それでいてイマジネーションと制作意欲をも掻き立ててくれる触媒としてとても有効に機能していましたから。
氏の名前を意識するようになったのはTMSでの連載からですが、1980年代のグリーンマックスのカタログでは氏の手になるイラストが掲載され、ある時期GMのカタログのカラーになっていたものです。
当時の鈴木雅夫氏がコラム風に書いておられたレイアウトのコンセプトやヒントはそれだけでレイアウトビルダーの視野を広げ、読むだけで一種の解放感を与えてくれたものです(『レイアウトに明治村はいらない』などはいまだに私の座右の銘のひとつです)
そのコラムの意図を直截的に伝えたのが小林氏の挿絵にあったのは間違いありません。カタログ上の限られた頁でありながらある時にはパノラミックに、ある時には精緻なパイクを思わせるイラストで記事の意図をストレートに伝えてくれるものでした。
その意味で鈴木氏の記事と小林氏のイラストはまさに車軸の両輪として理想的に機能していたと思います。
(但し、当時は小林氏の名前は出ていませんでしたから、筆者の鈴木氏が描いていたと思い込んでいましたが)
SNShouo71IMG_1458.jpg
今月のTMS本誌に追悼記事が掲載されていますが、新卒時代の氏がナインスケールのKSKタイプCタンクを手掛けておられたというのは初めて知りました。わたしがこのロコを中古で入手したのはだいぶ後になってからですが、改めて見直してみるとプロポーションや造形に後の氏のイラストに通じるものが感じられます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/bd/eaa476425d14547f96b32800fea14ff8.jpg)
そういえば、このモデルがリリースされた(昭和51年)時「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ・・・」というキャプションで1頁大のKSKCタンクの発売予告が掲載されていましたが、当時としても非常に雰囲気のある鄙びた機関庫周辺のミニシーンの写真が載っていました。
これものちのノス鉄のパッケージイラストと共通する雰囲気が感じられるので、或いはこれも小林氏の作だったのかもしれません。
(日本型ストラクチャーがまだ出ていなかった当時ですから、使われているパーツもナインスケール=バックマンのものに手を加えたものだった筈ですが、それであそこまで日本風の景色になっていた事に当時のわたしは衝撃を受けました)
こうしてみると名前を意識したのこそ最近ですが、小林氏が(少なくともわたしの)鉄道模型史の中で果たした役割は非常に大きいものがあったことを実感させられます。いや、わたし自身今月号も含めて今でも氏の記事に触発され、楽しませて頂く形で今もなお影響され続けている気がします。
それゆえに、氏の逝去はまだ早すぎたという思いが抜けません。
来月号のTMSが出た時、いつもの様に小林氏の記事を探してしまう気がします。
今回も乱筆乱文になりましたが、改めて小林氏のご冥福をお祈りいたします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/41/bd6644071ee03bc590aa18017d7c97dc.jpg)
その号ですら、小林氏の連載がいつも通りに掲載され「次はどんな記事で楽しませてくれるのか」と楽しみにしていただけにあまりに急な事に一瞬思考が止まったほどです。
氏の連載記事は、作品紹介や実車のデータ記事が主体のTMS誌上にあってわたしにとっては肩が凝らない、それでいてイマジネーションと制作意欲をも掻き立ててくれる触媒としてとても有効に機能していましたから。
氏の名前を意識するようになったのはTMSでの連載からですが、1980年代のグリーンマックスのカタログでは氏の手になるイラストが掲載され、ある時期GMのカタログのカラーになっていたものです。
当時の鈴木雅夫氏がコラム風に書いておられたレイアウトのコンセプトやヒントはそれだけでレイアウトビルダーの視野を広げ、読むだけで一種の解放感を与えてくれたものです(『レイアウトに明治村はいらない』などはいまだに私の座右の銘のひとつです)
そのコラムの意図を直截的に伝えたのが小林氏の挿絵にあったのは間違いありません。カタログ上の限られた頁でありながらある時にはパノラミックに、ある時には精緻なパイクを思わせるイラストで記事の意図をストレートに伝えてくれるものでした。
その意味で鈴木氏の記事と小林氏のイラストはまさに車軸の両輪として理想的に機能していたと思います。
(但し、当時は小林氏の名前は出ていませんでしたから、筆者の鈴木氏が描いていたと思い込んでいましたが)
SNShouo71IMG_1458.jpg
今月のTMS本誌に追悼記事が掲載されていますが、新卒時代の氏がナインスケールのKSKタイプCタンクを手掛けておられたというのは初めて知りました。わたしがこのロコを中古で入手したのはだいぶ後になってからですが、改めて見直してみるとプロポーションや造形に後の氏のイラストに通じるものが感じられます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/bd/eaa476425d14547f96b32800fea14ff8.jpg)
そういえば、このモデルがリリースされた(昭和51年)時「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ・・・」というキャプションで1頁大のKSKCタンクの発売予告が掲載されていましたが、当時としても非常に雰囲気のある鄙びた機関庫周辺のミニシーンの写真が載っていました。
これものちのノス鉄のパッケージイラストと共通する雰囲気が感じられるので、或いはこれも小林氏の作だったのかもしれません。
(日本型ストラクチャーがまだ出ていなかった当時ですから、使われているパーツもナインスケール=バックマンのものに手を加えたものだった筈ですが、それであそこまで日本風の景色になっていた事に当時のわたしは衝撃を受けました)
こうしてみると名前を意識したのこそ最近ですが、小林氏が(少なくともわたしの)鉄道模型史の中で果たした役割は非常に大きいものがあったことを実感させられます。いや、わたし自身今月号も含めて今でも氏の記事に触発され、楽しませて頂く形で今もなお影響され続けている気がします。
それゆえに、氏の逝去はまだ早すぎたという思いが抜けません。
来月号のTMSが出た時、いつもの様に小林氏の記事を探してしまう気がします。
今回も乱筆乱文になりましたが、改めて小林氏のご冥福をお祈りいたします。