光山鉄道管理局・アーカイブス

鉄道模型・レイアウトについて工作・増備・思うことなどをば。
こちらはメインブログのアーカイブとなります。

日本型Nゲージの50年と思い出から・チラ1・コム1編

2015-06-30 05:12:19 | 車両・客車・貨車
 昭和39年版の「模型と工作・鉄道模型ガイドブック」から50年前の16番モデル工作とそれ以降のNモデルの思い出を語るある意味支離滅裂な企画(汗)です。

 本書には数種類の貨車の製作法も掲載されていますが当時読んでいて一番印象が強かったのが2軸のコンテナ貨車「チラ1」でした。
 一見するとフリーの貨車の様にも見えますが同書の製作記事に実車の写真がありますし、後にエンドウからスケールモデルが出ていますから実在する貨車なのは間違いありません。

 とはいえ製作記事の冒頭では「たくさん作ってEH10をフリー化したEB10などに牽かせ小型『たから号』を作っても良いでしょう」と書かれており模型らしい縮小編成に供する事を前提にした車種選択であった事が明示されています。
 そういえばこの記事に出ている「EB10」と言うフリー機関車、今でも時折奥や中古屋の店頭で見かける事があります。これを見るたびに50年前に出ていた本書のチラ1製作記事を連想してしまう私もいつしか歳を重ねてしまいました。

 さてこの製作記事ですが他の車両の記事と異なる特徴として「既存のプラ模型を改造・転用する」点があります。
 当時は少ないながらも16番サイズのプラ製鉄道車両模型がいくつか出ていましたが、今でも残っている物は殆どありません。
 私が本書を絵本代わりにしていたのは専ら昭和40年代中盤からですので記事中にチラ1製作のベースとなるある「三共のキット」も既に売られておらず、一体どんなモデルだったのか長い事私の中では謎でした。
 ところがごく最近になってようやくそれが解けたのですから分かりません。
 最近にオールカラー版が出た「鉄道模型考古学N」の巻末に50年前の16番プラキットのコーナーが追加されておりその中に件の三共のキットもカラー写真付きで掲載されていたのです。

 これでようやく胸のつかえが下りました(笑)

 本書で「このキットを3箱買えば(チラ1が)5両できる計算になります。その場合は台枠が足りなくなりますから~」と言う下りから推定できる通りコンテナ5個積みのコキ5500辺りをプロトタイプとしていた様です。

 5両のチラ1がEB10に牽引されて当時のお座敷運転や小レイアウトで活躍していた様を想像すると何故か楽しい気分になります。

 さてNゲージではチラ1そのもののモデル化はありませんがコンテナ二個積みのコム1というのがトミーナインスケールでかなり早い段階で製品化されていました。
 この貨車も一応実在の機種なのですが何分実車は北海道限定で走っていた上に総数も40両ちょっととどう見ても専用編成を組む前提ではない数なのでこれだけで「ミニたから号」を組むのは当然夢の編成と言う事になります。

 初期のモデルはコンテナが二個一体で成形されていて積みかえに対応していないのですが後にリニューアルされた際に1個づつ取り外し・交換ができるように改良されています。
 今でもコンテナの仕様を変えたりしながら売られていますのでNゲージのモデルとしてもロングセラーと言っていいと思います。

 とはいえ、3個積みコンテナゆえにオーバーハングの長いコラ1にも独特の魅力は感じます。
 これなら今でも市販のコキやばら売りコンテナなんかを使って自作して見ても面白いかもしれません。

「ガメラ対ギャオス」に鉄道模型とレイアウトの魅力を観る(笑)

2015-06-28 09:18:40 | 映画・テレビ

 レイアウトの観点から特撮映画を考えるコーナー(笑)かなりやぶにらみの所もありますがご勘弁を。
 今回は「大怪獣空中戦・ガメラ対ギャオス」から。


 昭和の大映の怪獣映画のミニチュアで特徴的に感じるのはセット自体のパノラマ性です。
 シネスコの横長画面をフルに生かすためにセットを横に広く作りその中で怪獣同士が横への動きで対決する構図が多いと感じます。反面ギャオスを除いて奥行き感はあまり感じられず、あたかも舞台劇を見ているような印象も受けます。

 一例ですが前作「ガメラ対バルゴン」の大阪城の対決ではガメラの飛び人形のサイズ違いを巧みに使い分けて空間の奥行き感を表現する技法が取り入れられています。これ等は映画と言うより舞台劇に近い感覚ではないでしょうか。

 このパノラマ性に加えてセット自体の中に地形の起伏を大きく取り入れるととても雄大な感じのする構図が堪能できる(これはTVの特撮物が苦手とする部分でもあります)事を証明しているのが本作のセットと思います。

 具体的には前半とラストのクライマックスを中心とした山梨県の山中の高速道路工事現場を中心とした山のセットです。
 画面の右端にガメラ、左端にギャオスを配しその間に谷間を設定、更に二体の怪獣をそれぞれ二つの山の中腹に配する(これだけでかなりの大きさのセットである事がわかります)構図です。

 画面の中では二体はごく小さく写っているのですがセット自体のスケール感と併せるとこれでも十分に巨大に感じさせる(実際身長40メートルの怪獣でも1キロ離れてみれば小さく見える筈で、周囲の地形との比率から大きさを想像している筈です。その意味でもミニチュアの作り込みが肝となるのは分かります)のが凄いと思える点でした。


 劇の中盤では名古屋市内を中心にギャオスが暴れまくり、その過程で0系新幹線が襲われたりしますが新幹線周囲のセットは作り込みの努力は感じられる(高架線のセットで標準軌と狭軌が作り分けられているのを視認できます)ものの山梨ほどのスケール感は感じませんでした。どうもあの当時の大映の怪獣ものはビル街のシーンは苦手の様です。
(その一方で怪獣の出てこない「風速75米」「透明人間と蠅男」などではかなり良い雰囲気の銀座通りのミニチュアを見せたりします)

 で、「サンダ対ガイラ」なんかもそうなのですが、本作を見ていて思うのも結局は「これ位のスケールの大きい山をレイアウトでやりたい」なんて感想だったりします。

 これだけ書いていて肝心のあらすじや怪獣自体の話が出てこないというのもどうかと(汗)

MOREのキ620牽引力強化作戦(笑)その3

2015-06-27 09:15:27 | 車両・客車・貨車

 この間から書いてきたMOREのキ620のその後です。
 大分間が空きましたが少し目鼻がついてきたので報告させて頂きます。


 前回、ウェイト追加でもキ620の走行性の改善が少なかった事を書きました。
 その折にはレサレサさんからも「モータを抜いてトレーラー化してもKATOのD51の抵抗は意外に大きい」事などの指摘も頂き、さてどうしたものかと少し思案投げ首の体でした。
 ですがその後、Manicさんから別のアプローチによる走行性改善法を教えて頂き、それを試す機会を得ました。

 その方法とは「ゴムタイヤ装着による粘着力の向上」と「動力台車の車輪交換による走行の改善」のふたつです。
 後者では既存の旧式動力の車輪とギアを交換するものですが、適合するドナー車がないので前者の方法を試しました。

 こちらに関しては以前中村精密の蒸機をレストアした時に買っていたKATOのEF70用のゴムタイヤです。
 動輪径はキ620のそれとごく近いですし装着は容易です。
 実を言いますと今日まで開いてしまった理由というのが「家中ひっくり返してゴムタイヤを探していたから」だったりします(汗)

 キ620のモデルは3軸の前台車と2軸の後台車がついていますが前台車は集電専用、後台車は駆動専門と使い分けられています。
 つまり他社の機関車モデルの様に動力と集電が兼用されていないので、ゴムタイヤは後台車のみに装着すればいい訳です。

 前回ZAQお豆さんの記事の通りにして再度分解。
 ゴムタイヤをまず4輪に装着してみます。
 実際はそこまでやらなくても一対程度でもよさそうだったのですがとりあえずやって見ました。

 その結果
 走行性はかなり改善しましたが、粘着が強すぎるのか動力台車がつんのめる様な挙動を示しました。
 直線上ではモーターとウェイトを抜いたKATOのD51を十分牽引できますが低速でまともに走れません。
 まさかキ620でゼロヨングランプリをやる訳にはいきませんから再度調整です。

 今度はゴムタイヤを二つに減らし後ろ側の一軸のみに装着。
 こででどうにか挙動も落ち着き若干スピードコントロールも効く様になりました。

 但しあまり速度を上げると動力台車のブレが激しくなり最悪ギアの破損につながりかねないのでそこそこの使用にとどめるのが無難そうです。

 とにかくも「自走する除雪車」キ620の走行性改善はここに来てぎりぎり使えるレベルには来た気がします。


ここまでの顛末をまとめた動画です。

 今回の騒動(笑)の折には皆様からコメントを通してずいぶんと情報や助言を頂けました。
 この場をお借りしてお礼申し上げます。

鉄コレのジェットカー

2015-06-26 09:13:40 | 車両・私鉄/民鉄
 今回も鉄コレの中古ネタです。
 年度末の前後は大概の中古ショップに出物が並びやすくなるようですが、たまに田舎では見掛けない様なアイテムが出て重宝します。

 今回の鉄コレも事業者限定品。
 秋葉辺りの中古ショップでも見かける仕様ですが動力化、パンタ交換がしてあってこれより安いなら掘り出し物の部類です。
 阪神電鉄5201形、いわゆる「青胴車」の4連です。

 阪神の鉄コレは第5弾で3301が出た他は殆ど事業者特注品しか出ておらず、都会の中古ショップに並んでいる位しかお目に掛かれません。
 私も以前ソニックシティのイベントで3501形(窓周りが似ているので上述の3301と3連を組んでも違和感がないという理由でw)を入手した覚えがあります。

 この頃の阪神の電車は赤胴、青胴ともにカラーリングのトーンが控えめで個人的に好感を持っています。

 前記の通り前ユーザーの手で動力化、パンタ換装されているので殆ど完成品同然のコンディションで帰宅後さっそく試走させることができました。
 3~4連くらいの編成でも全車にパンタが付いているので結構賑やかに見えるというのは今回試運転して初めて分かった楽しみです。

 それにしてもこの頃の関西私鉄の電車はニックネームが物凄い物が多いです。
 南海の「ズームカー」近鉄の「ラビットカー」京阪の「スーパーカー」、どれもこれも新型になって加速性能が向上した車両になったところからのネーミングの様ですが。
 その点いちばん強烈な印象をもつのは阪神の「ジェットカー」でした。
 まるで空でも飛びそうなネーミングですがあの当時は実際そんな思いもこもっていた事と思えます。

 いま、これに近いネーミングは夜行バスの愛称がそれに相当しそうです。
 時刻表を見るたびくらくらするくらいのネーミングのオンパレードで(笑)

ユーノスロードスターのミニカーに思うこと

2015-06-25 09:11:44 | アクセサリー
 20年以上前の事になりますがあの狂的なバブル時代、三菱GTOとかHONDAのNSXとかセルシオやインフィニティと言ったバブリーそのまんまの車が街中にあふれた時期でもありました。
 (そんな時期にあえてシャレードなんかに乗っている私などは金が無かったとは言っても相当にへそ曲がりな人種でしたw)

 そんな時期に1.6リッター車でありながらこれ又あの時代をよく象徴していた車が今回紹介するユーノスロードスターでした。
 FRの1.6リッターとはいえフルオープンの純粋なスポーツカーとして登場した事自体あの頃でなければ出来なかった事だと思います。

 今は「マツダロードスター」と言う名前ですがこのクルマの「ユーノス」というのは殆どこのクルマの為に作られた様な新しい販売チャンネルで当初は併売車がシトロエンだったりします。
 あの当時3ナンバーワイドボディで過給機や四駆搭載の車が当たり前だった中、コンパクト軽量なボディに適度な馬力のエンジンを組み合わせ運転する楽しさを前面に押し出したこのクルマの存在はまさに一服の涼風でした。

 時代の気分もあったのでしょうがあの頃ディアマンテやマークⅡに負けない位にユーノスロードスターが街や山を軽快に闊歩する様がみられた物です。
 車の性格上数をこなす事はそれほど考えられていなかったと思うのですが、それでもこのロードスターは大ヒットしました。
 その勢いにのまれてか車格の近いHONDACR-Xがバリオルーフ風のオープンカーになったり、軽カーだけでオープンカーが三つも四つもラインナップされたのもユーノスの大ヒットに刺激されたのでしょう。
 
 恐らく日本の車史上これほどオープンカーが売れた時期はなかったのではないでしょうか。 

 件のユーノスチャンネルですがバブル時期こそ3ローターのREエンジンを搭載して高級車化したコスモだの1.8リッター車でありながらV6エンジンを装備したプレッソといった変わり種の高性能車を乱発して気を吐いた物のバブルの崩壊とともに売り上げが急降下、96年頃にマツダと統合してしまいロードスターも「マツダ」と言う呼称となり現在に至ります。
 ロードスター自体も先ごろ4代目になって継続していますが、2代目、3代目についてはこの種のクルマ自体がマニアックな存在に逆戻りしたせいか街中で見かける事もめっきり減ってしまいました。
 今度の4代目はどうなりますか。

 ある意味、これも「時代と寝たクルマ」の典型でありこれもまたできればNスケールのアクセサリで出して欲しいクルマのひとつだったりします(笑)

今月の入線車・GMの名鉄5700系

2015-06-24 09:07:13 | 車両・私鉄/民鉄

 これまた中古ショップ入線です。

 こちらはGMのキットメイク品の名鉄の5700系2連。片側動力車でカプラーはKATOカプラーに交換されています。
 但し実際の5700系は純粋な2両編成がありませんでしたからここは姉妹機の5300系のつもりで使った方が精神衛生上良いかもしれません。

 動力がGMなので走行性は鉄コレのそれよりもがさつですが実用上問題はありません。

 当鉄道の一部路線では鉄コレの普及に伴って2連の通勤・近郊電車の比率がここ数年高まっています(笑)が、この2連はそうした電車に混じって運用される優等列車としての存在価値はかなり高いと思います。
 簡易式とはいえ前面には展望席も装備されていますし、名鉄お得意の一続きのサッシを纏った側面も雰囲気十分。
 何よりレッドアローやHi-SE、RSEほど大袈裟に見えない控えめさは地方私鉄などの地味なレイアウトに向いた編成と言えます。

 これなら当レイアウトでの運用に際しても富山地方鉄道や大井川鐡道よろしく「オリジナルカラーの譲渡車」と言う想定でも十分に行けるでしょう(笑)
 キットメイク品と言う事だからか、これも結構な安価さでした。

 前に京急の項でも描きましたが個人的には真っ赤なだけの電車というのはあまり好みではないのですがこの5700系に関しては近代的な外観とカラーリングがよく合っている気がします。


懐かしの「エンドウの駅舎」から

2015-06-23 09:04:29 | ストラクチャー

 秋葉の某ショップで見つけたアイテムから
 エンドウの「駅舎」
 もちろん16番のアイテムです。

 40年前位のモデルですが、NゲージではまだTOMIXすら出ていない時期に「テツドウモケイの駅」というとこのエンドウの駅舎を指していた時期が確かにありました。
 当時の16番では最もシステマティックな金属道床線路と組み合わせる形でブリキ製のホームと組み合わせる形でこの駅舎が鎮座しているという図はあの頃の模型屋の店頭ディスプレイの定番だった記憶があります。

 その当時の思い出では確かこの駅舎は赤い屋根だった気がするのですが今回のモデルは青屋根で独特の垢ぬけ感があります。
 造形もシンプルながら駅らしい特徴は表現されていますが「プロトタイプがどうこう」ではなく、当時の子供たちが「駅」と聞いて連想しそうな建物の要素の最大公約数を集めて少しおしゃれっぽくデザインし直したという趣です。

 入口から覗きこむと出札窓口や改札口がモールドされているのがわかりますがあるのはそれだけ。
 実に味もそっけもない物ですが当時の有人駅でもこの程度の設備しかないというのは結構ざらだった気がします。

 因みに今でもNゲージに対してアドバンスになっているのは「室内灯が標準装備」である事です。
 これは同じエンドウのホームでも言えるのですが、米粒球とはいえポワンとした明かりがつくというのは結構メルヘンな雰囲気ではあります。

 ところでHOスケールの駅舎については以前にキットメイク品の物を一軒入手していますが、おかげで「単線エンドレスに駅がふたつ」というお座敷運転としては結構豪華な陣容になりました。
 16番・HOだとモデル自体のマッスが結構あるので意外に見栄えがします。


日本型Nゲージの50年と思い出から・103系編

2015-06-21 08:00:21 | 車輌・電車
 昭和39年版の「模型と工作・鉄道模型ガイドブック」から50年前の16番モデル工作とそれ以降のNモデルの思い出を語るある意味支離滅裂な企画(汗)
 今回は103系電車から。

 103系と言うと今でこそ国電を代表するかつてのスターと言うステイタスでノスタルジーの代表格のひとつですが、本書の出た当時は101系の後継としてバリバリの新型車でした。

 16番の記事では「例によってよく言えばスカッとさわやか悪く言えば大ざっぱな工作ですが」と筆者が謙遜しておられますが切妻のノーシルノーヘッダのボディは下手にゴテゴテとディテーリングするよりは特徴をスパッと捉えた造形の方が向いている気がします。

 実はこの103系も機関士の親類がトレーラーながら2両ほど自作していた事があります。
 恐らくこの製作記事に忠実に作ったものと思いますが、これ又窓は普通の板ガラス使用(!)塗装はラッカーの筆塗りという手作り風ながら全体にクリーンな感じがしていた事が印象に残っています。
 例によって実物が処分されているので写真などをお見せする事が出来ないのが残念ですが。

 ただ、その103系ですが山手線の初期の101系のそれをイメージしたのか色はカナリア色を想定していたようです。
 作り手のイメージがそうだったのか、他の色がなかったのかは今となっては分からないのですが塗装は肌色に近いトーンでした。これが不思議と103系の印象によく合っていた記憶があります。

 それからこの記事とは直接関係ありませんが似た様な時期に確かカツミか天賞堂あたりでしたか「台車を買うとおまけに103系のペーパーボディが付いてくる」なんてサービスをやっていた事がありますし昭和50年代初頭には中村精密がプラボディで103系を出した事もあります。してみると16番の世界にあっても103系は人気者だったという事でしょうか。

 その103系ですがNゲージでは関水金属が最初の電車モデルとして昭和42年頃にリリースしています。
 カプラーが初期のドローバーからアーノルドになったり、動力自体も2,3回モデルチェンジしてはいる物のボディそのものは初登場から殆ど変わらないまま50年近く作られ続け、今でも「KOKUDENセット」として容易に入手可能なロングセラーです。
 KOKUDENセットなどは動力込みで鉄コレのセットよりも安価になった位でその息の長さには驚かされます。

 それほどのロングセラーでありながら私の中では「103系=東京」のイメージが強かったために地方都市風のレイアウトを志向する私のイメージに合わず殆ど増備されていませんでした。
 数が急に増えたのは昨年の「ジャンクの玉手箱」にこの103系が大量に入っていたからとも言えます。

 しかも103系をイメージづける山手線カラーはこの期に及んでいまだ1両もなかったりします。



 昭和50年代に入るとGMのATC仕様のクハ103が「KATOと組み合わせて使う」ためだけに登場したりGMのキットが出てからエンドウが「GMのキットメイク品」を自社ブランドで出したりして103系も結構賑やかになりました。
 後にはしなのマイクロが初の金属ボディで地下鉄乗り入れ仕様の1000番台、1200番台をモデル化しています。

「テツドウモケイの店」にふと思うこと

2015-06-20 08:55:35 | 思いつくままに・考察
 今回の内容は最近よくある「酔っぱらいのたわごと」の延長です。
 内容に整合性がない事もありますがご勘弁を。

 かつて銀座の三越について書かれていた随筆の一節にこんなのがあります。

~入り口をはいると天井が高くて、頭の上がガランとしているのは気持ちがいい。
 桜の時節だとここの空に造花がいっぱいに飾ってあったりして、正面の階段の下では美しい制服を着た少年が合奏をやっている事もあった。
 いろいろな商品から出るにおいと、多数の顧客から蒸し出されるガスとで、すっかり入場者を三越的の気分にしてしまう。
(中略)
 ~食品を販売する部が階下にある。

 人によると近所の店屋で得られると同じ罐詰(かんづめ)などを、わざわざここまで買いに来るということである。
 買い物という行為を単に物質的にのみ解釈して、こういう人を一概に愚弄(ぐろう)する人があるが、自分はそれは少し無理だと思っている。~

 ~寺田寅彦「丸善と三越」より引用

 私がよくレイアウト用品や新車の鉄道模型を買いに行くショップですが、商店街どころか周囲に他の店が殆ど無い処にあります。
 端的に言えば「山の中」なのですが、その一方でロケーションは素晴らしく目の前には渓谷を思わせる川の流れがあり、買い物の後に店の前のベンチに腰をおろしてそのゆったりとした流れを眺められるという利得があります。

 殊に夏の日の夕方などは買い物ついでに夕涼みができるという、鉄道模型のショップとしては中々優雅な環境にあると思います。

 また、私がよく行く中古ショップの中の一軒は観光地の真ん中という、ある意味特異なロケーションで多くの人が観光目当てで集まる中「ひとり鉄道模型をわざわざ買いに来る」これまた珍しい環境だったりします。
 或いは故郷の某中古ショップの様に「店舗の二階に昭和30年代の座敷を丸ごと再現している」なんてのもありこれがまた店の雰囲気によく合っていたりします。

 こういうのは少なくとも秋葉原や新宿近辺のショップではまずあり得ない風景であり、田舎暮らしの数少ない利得でもある気がします。

 これに限った事ではありませんが、例えば帰省の折や出張などで未知の地域に立ち寄るショップとかで面白い掘り出し物に当たったりするとその時の印象は鮮烈です。
 そういう店で購入したアイテムと言うのは普段買う物に比べるとモデルそのものの出来とは別のところで不思議と印象に残る感じがします。

 これはやはり「モデルと入手した場所の印象がリンク」する事でただ買ったものより強い印象が残りやすいのでしょう。
 その意味では逆にネット通販などで注文した物はショップで買った物よりも少ないにも拘らず印象がやや薄い感じもします。
 この辺りの感覚は「全国の民芸品集め」に近い感覚ではないかと(笑)

 これは鉄道模型に限らず買い物全般に言える事かもしれませんが最近になって「買い物という行為自体を物質的に捉える」事と同じように「多少なりとも買う行為にエモーショナルな要素をつなげるか」はとても重要な要因の気がしてきています。

 とはいう物の、私自身これまで鉄道模型に関して言えば前者の要素が大きいと持っていましたし、欲しい物さえ手に入れば店の構えとか周りの環境には多少無頓着だったのも確かです。
 ですがその事が魅力になるのはそれこそ秋葉原や新宿みたいに「同質のショップばかりが大量に集まった一角で梯子でもしながら品定めができる特殊な環境下」で初めて意味をなす事の様な気がしてきました。

 ほぼ同じ量でありながら上記の田舎の店や地方のショップで買われた物というのは大なり小なりその時の思い出が強く、モデルの出来とは別の感慨を持って記憶に残りやすい事に気づいたのです。

 秋葉や新宿もたまに覗きに行くとかして入手したものは結構覚えている物ですが。

 鉄道模型のショップと言うのはその大半が個人経営の古本屋に近いというか、良い物さえそろえていれば店の構えや周囲の環境には無頓着なところもあります。これは一部の郊外型量販店でも同様でしょう。
 専門店の多い秋葉原辺りならそれでも十分勝負になりますし、それはそれで独特の活気自体が魅力になっている所もあります。
 
 ですがそれらは物を売る環境としては相当に特殊である事もまた事実です。

 少なくとも日本中の模型店が全て秋葉原になれる訳ではありませんし、私の故郷や現住地の様にひとつの地域に一軒か二軒しかショップがない様な環境下では尚更です。

 ではそのプラスアルファとは何か。
 それはレンタルレイアウトを併設しているとか、専門誌のバックナンバーが置かれているとかの要素もあるでしょう。
 上述の例で言えば「店の前のロケーションの良さ」とか「古民家風の店の構え」なんかも雰囲気づくりの上では印象に残る気もします。その意味で言えば「田舎の駅の売店に専門店並みの品揃えの鉄道模型のコーナーが併設されている」なんてのも雰囲気は満点ですから結構面白そうではあります。

ホンダシティのミニカーのはなし

2015-06-19 08:52:34 | アクセサリー
 今回はホンダシティのミニカーから

 写真のモデルは通称「ブルドッグ」と呼ばれたシティターボⅡのものです。
 実は私が免許を取った時最初に買うクルマでG11系シャレードと最後まで迷ったのがこのターボⅡの中古(爆)でした。
 結局はシャレードターボになったのですがもしここでターボⅡを選んでいたらその後の私のカーライフもそれなりに変わっていたかもしれません。

 まあそれはさておき、

 81年の暮れ頃それまでプレリュード、バラード、クイントと車種ばかり増えていたのにどれもこれもぱっとしなかったホンダから突然変異的に登場したのが初代シティでした。
 異様なほど背が高く、寸詰まりのボディは当時人気だった「チョロQ」を思わせましたが、それでいて不格好な感じがまるでなく、不思議と垢ぬけた印象で「シティ」というネーミングの通り都会的な雰囲気のコミューターカーとして新たな時代を予感させました。

 シビック、オデッセイ、フィットと時代の展開点に突然変異的に新しいコンセプトのクルマをヒットさせるのがホンダのホンダらしい所以ですが中でもシティは最高のインパクトでした。

 聞く所では開発陣は「これが失敗したらクルマを作るのはやめよう」とまで思い詰めていたそうで正に「火事場の馬鹿力」を見る思いがあります。

 実際私の故郷でも瞬く間に初代シティは街にあふれました。
 車の性格上あまり地味なカラーリングが無かった事もあり原色の赤やら青やら黄色やらばかりでしたから「シティが増える=街が華やかに見える」と言う意外な効能も感じさせました。
 80年代初頭の街の風景を変えた車は間違いなく初代FFファミリア(これも原色の赤と青が多かった)とこのシティだったと思います。
 
 2年後くらいにはホンダ初のターボ(コンバックス)仕様もラインナップされシティ人気は頂点に達します。

 ところが人気が落ちるのも急速でした。

 85年のモデル末期には前述のターボⅡやこれまた初のカブリオレをラインナップしましたが全体の人気は回復しないまま87年に二代目にバトンタッチ、ところがこの二代目が物凄く売れずに消滅という末路をたどるのでした。
 その後継車のロゴもぱっとせず。
 ホンダが雪辱を果たすのは15年以上経て初代フィットがリリースされるまで待たねばなりません。

 絶頂期とその後の落差の大きさ等の印象もあって初代シティほど「80年代初頭と言う時代を象徴した」クルマもなかった様な気もします。それだけにレイアウト用のアクセサリーとしてもこの種の時代と寝たクルマのモデル化をもっとやってくれないかなとか思ったりもします。
(初代シビックとかS13シルビア、スバルレガシィツーリングワゴンや初代アルトなどなどその手のネタは多いでしょうし)

 いつもと違うネタで面食らった方もおられたとは思いますが、落ちでようやく鉄道模型のブログらしくなりました(笑)

今月の入線車・「マイクロのDF90」

2015-06-18 08:50:39 | 車両・ディーゼル機関車
 今月の中古モデルから。ディーゼル機関車の中でも変わり種の1両です。

 物はマイクロのDF90秋田機関区仕様。
 モデルの登場当時「まさかこんなのまでNゲージが出たのか」と一部で話題になったマイナー機のひとつです。
 新発売当時は私などは存在自体知りませんでしたし(笑)


 昨年でしたか、同じマイクロのDF91が入線していますがこれらのDLは昭和20年代の終わりから30年代初め頃にかけて国鉄が各車両メーカーに制式のディーゼル機関車の試作品を発注していました。
 DF90もそのひとつですが、試作機の中でも群を抜いた動力性能を誇り、一時期常磐線での急行牽引に活躍していた強力機でもありました。

 DF91もそうですがこれらの大半は試作機と言う性質上1形式1両しか存在しなかった為に部品の調達が困難だった事、DF90に限れば車重が重すぎた事、何より後にDF50と言う量産機が登場した事によって活躍の場を狭められ最後はひっそりと引退してしまった言わば悲劇の機関車の一群でもありました。
 とはいえ元々本線運用を想定しただけに図体とデザインは迫力物で、DF91同様のC-Cの軸配置と相まって日本離れした独特のデザインに魅力を感じる向きも多いと思います。
 今回の入線も昨年DF91を買った同じショップに並んでいたのを見つけたのがきっかけだったのですがこういう変わり種の機関車をわざわざ買う様なユーザーも結局はそれなりに変わり者のうちかもしれません(笑)

 DF91は側面に丸窓(屋根上にまで明かりとりの丸窓が配置されていた!)を持ったかなり個性的なデザインでしたがDF90の方はそれに比べると幾分かは常識的なデザインではあります。
 とはいえ湘南電車を思わせる前面の二枚窓は後にも先にも似たデザインが存在しない(強いて言えばDD50の初期型に近い)だけにこのロコの個性を際立たせています。

 カラーリングは晩年の国鉄標準色の仕様です。
 実車の方は上述の欠点もあってか結局このままの形の制式化はなりませんでしたが何かが少し違っていたらDF50のかわりにこういうカッコのDLが日本中の非電化幹線を闊歩していたかもしれないと思うと何となくですが楽しい気分にはなります。
(同じ事はもっと個性的なデザインのDF91でも言える事ですが)

 C-Cの軸配置ゆえかモデルの方はミニカーブをクリアできませんが普通の線路を走らせる限りはスムーズに走ってくれます。

 これを20系ブルトレの先頭などに繋いで走らせるというのも見ようによっては「もしもの世界」の再現かもしれません。

今月の入線車・マイクロの153系新快速色

2015-06-17 08:48:17 | 車輌・電車
 今月の中古編成から・その2です。
 前述の鉄コレ70系と同じ店にあった奴です。

 物はマイクロエースの153系快速カラー仕様。
 実はこれとほぼ同じ編成は以前(と言っても30年前ですが)KATOからも出ておりその初期のモデルは私も2年位前に中古編成を入線させています。
 ですから本来ならば私が手を出すはずのないモデルなのですが。

 マイクロ仕様の153系は初期型低運転台仕様の快速だった(しかも安かった)からついふらふらと(大汗)
 ですが買ってから知った誤算。

 実はこの編成、低運転台なのは編成の片側だけで反対側はKATOとほぼ同じ高運転台だったのです。
 まあ、よく調べもしなかった私も悪いですし1両だけでも低運転台ですから仕方のない所です。

 153系の低運転台仕様はその独特の「デコッパチ」なフェイスが最大の魅力で165系にない愛嬌すら感じさせるところですがそこがきちんと再現されているというだけでも入線させた価値はあります。
 更に最近のモデルらしく「ヘッドライト・方向幕が点灯式」というのもKATOの旧モデルにないメリットでしょう。

 一方でKATOのモデルも40年近く前の物であるにも拘らず印象把握の良さでは古さを感じさせません。
 考えてみればこれも凄い話ではあります。

カラーブックスの『電気機関車』

2015-06-16 08:46:25 | 書籍
 今回はカラーブックスネタから


 「電気機関車」を取り上げようと思います。
 本書の初版は昭和56年。その時点で現役の電機群を俯瞰で取り上げたミニ百科事典の体裁です。

 この点、車両に対する情緒的な視点で一冊構成された蒸気機関車系のそれとは一線を画しています。
 とはいえ、今読み返すとEF63やEF71をはじめ現在では引退してしまった機種が大半ですが。
 もし今こういうタイプの本が作られるとしたら「なつかしの電気機関車」という感じになるのでしょうか。
 蒸気機関車と異なり現在でも電気機関車というジャンルはかつてほどではないにせよ新型機がそこそこ出ているだけに失われゆく者へのノスタルジーというよりもクルマで言う「旧車」に近いイメージでとらえられるのではないかという気もします。

 ただ、機関車特有の特徴である「牽引する列車(つまり貨車・客車)によって印象が変わる」事から来るバラエティ溢れる写真はやはり今見ても魅力的です。


 夜行列車もほぼ絶滅した今、機関車が牽引する列車と言えば貨物列車、それもコンテナとタンカーに集中しているのが現状ですが、あの頃は客車ひとつとってもブルトレはもとより団体列車や普通客車、その中で更に旧客と新型車が混然となって運用されていました。
 貨物列車でも今は見られない様々な貨車を混結した混合列車がまだ多かった時期だけに本書の写真は今見返すと楽しい物があります。

 個人的にですがやはり東北本線沿線で育った身としては真っ赤な交流機にそこはかとないノスタルジーを感じてしまいます。
 私も歳ですね(汗)


 又、当時はEF59やED16も現役だった時期ですのでそれらの機種の紹介もされて居ますが本書の登場がもう10年遅かったらこれらのデッキ付電機もノスタルジーの対象としてもっと取り上げられていたのではないかという気もします。


 巻末には当時現役だった電機の諸元表が付いているのですが私鉄電機にかなりのスペースが咲かれているのに肝心の機関車の写真が西武E851と秩父デキ500しかないのはページの関係もあるとはいえ今となっては食い足りない部分です。

ブログ8周年(大汗)

2015-06-14 08:18:45 | その他
 2007年の6月5日にブログを開設して8年目に突入しました。
 その間にブログサービス終了に伴う移転などがありましたが、どうにかこうにかそれも乗り切りそれ以前のペースを取り戻しつつ気が付いたら8年目と言った感じです。

 とはいえ、その間にブログの内容は徐々に変化し、開設当初のレイアウト製作中心の内容から「骨董品Nゲージモデルの増殖レポート」の様相を呈しているのが何ともです(汗)
 しかもその間にちょこちょこと思いついた事を考察と称して垂れ流す愚行も演じていますから全く何をやってるんだか。

 レイアウト製作に関してはミニSLレイアウトの棚幡線の開通後は丸2年くらい今のレイアウトそれ自体を運転に供して楽しむ状態なのですがそろそろ不満や粗も目についてきています。小手先の改修もそろそろ限界な気もするのでこれまでの実験のデータや考察をもとにした新たな展開を考え始めている段階です。
 とはいえ、今のレイアウトも「構想20年製作2年」みたいなペースでいますからそれが形になるのにどれくらいかかるのやら。

 車両の増殖も我ながら凄いペースですが、昨年来ジャンク同然の骨董品ばかりが増えているのが現状です。
 それらが集まる事で自分の中で何か形になった事があるかと聞かれればこれまた心もとない。
 旧モデルにはそれなりの魅力が感じられるのも確かですし一方で最新モデルの進化も感じてはいるのですが、だからと言って「ではどういうモデルが自分的に理想なのか」と言う所で考えが纏まり切っていない気もします。要はまだ行き当たりばったりという事でしょうか。

 同じ事はレストアと称する車両工作もどきについてもいえる事ですが。

 そうした趣味の迷走をそのまま反映しているのがここ2年くらいの当ブログの現状と言えます。

 最後にこんな内容のブログでも折に触れてコメントで助言やご意見を頂けているのは本当に有難い事です。
 この場をお借りして皆様にお礼を申し上げます。
 こんな内容がまだしばらくは続くと思いますが、今後ともよろしくお願いします。

日本型Nゲージの50年と思い出から・キハ58編

2015-06-13 07:52:41 | 車両・気動車
 模型と工作・鉄道模型ガイドブックから

 今回はキハ58を取り上げます。
 これも当時は最新型の急行用ディーゼルカーとして脚光を浴びていた車種でした。

 10年位前の事ですが私の現住地のデパートで障害者の作品を展示するイベントがあり、そこへ出かけた折に他の絵画や工芸品に混じってペーパー車体のスクラッチによるキハ58の16番モデルが展示されているのを見た事があります。
 あの当時の水準としてもかなりラフに見える造りでしたが、障害を持った人が一生懸命に作った作品だけに造形自体の善し悪しで論じるのは少し的外れな感じもしました。

 まあ、それは置いておいて、
 そのキハ58ですがどうも「模型と工作」の記事を基にして製作されていた節があります。
 21世紀に入ってからの作品だけにディテールアップのパーツも豊富に出回っている筈なのですがそれらが一切使われていない事、および「模型と工作」の作例写真によく似た印象だった事がその根拠ですが確信はありません。
 尤も、あの当時専門誌を見回しても「ペーパー車体のキハ58の作り方」なんて物はありませんでしたから(実はこういう点も最近の鉄道模型そのものの問題を感じさせる所ですが)私の推定もあながち外れていないかもしれません。

 前述のハンドブックでは16番ペーパー車体の工作法が掲載されていましたが、あの当時私の故郷で見る事の出来た数少ない実車がこのキハ58でしたから当時も結構楽しめた記憶があります。
 50年も前の事ですから、フルディテーリングなんて訳には行きませんが、それよりも全体の造形、フォルムで実車の雰囲気を再現するやり方は当時も今もモデリングの方向性としては共感を感じる部分です。

 ただ、そこでの作例写真、よく見るとベンチレータが181系の奴だったりする辺りに当時のおおらかさも感じたりしますが(笑)
 
 さてこのキハ58、私がNを始めた頃はまだ製品化自体されていませんで、リリースを心待ちにしていた機種の最右翼でした。
 何しろ昭和50年当時、Nの気動車はKATOのキハ20系に加えてやっとキハ82系がリリースされた位でそれ以外の機種はカタログの予告にすらなかった程です。最近のZゲージですらこれよりリリースのペースは速いですから当時はストレスと期待の入り混じった心理状態が2,3年続きました(笑)

 ところがいったんリリースされると後は出るわ出るわ。
 昭和55年前後には同一系統で3社競作という信じられない状況にすらなります。

 運転会でもその3社のキハ58をつなげた特別編成を組みました。
 先頭に一番早くリリースされたエーダイ、2両目に最後のリリースだったKATO、3両目の動力車はエーダイとタッチの差で二番手となったTOMIXと言う組み合わせです。

 昨年の自宅運転会の記事でこの3社の相違点については既に触れていますのでここではあえて書き加えるところはありません。

 大概の鉄道で必要な機種のひとつなだけにキハ58のはなしは意外に長くなりました。