先日親類からお借りした資料の中に昭和40年代中盤頃のTMSが何冊かあるのを見つけました。
これが出ていた頃は私自身未就学だったので当然リアルタイムで見る事はなかった本です。当時もこれを見た記憶がなかった事からして親類も当時の私に見せるのを躊躇ったのかもしれません。
実際目を通してみると実に濃い内容で冊子の薄さがまるで気にならなかったのには驚きました。
そんな中で今回一番印象的だったのは1968年の1月号です。
これには当時の主筆とゲストを交えての鉄道模型の対談が掲載されていたのですがこの号のゲストは関沢新一氏。
前にも書いた事がありますが美空ひばりの「柔」の作詞者であり「モスラ」や「海底軍艦」の脚本も書かれていた多才な方ですが、「ほろびゆく蒸気機関車」でかつてのSLブームの火付け役となり、わたし的には「自宅の中を周遊するレイアウトを作った人」として印象深い方です。
その方の対談だけに期待して読み進めました。
が、そこで語られている「鉄道ファンの気質」についての一言一言が胸にささりました。
「自分の思っていることだけが真の鉄道ファンだという排他性と思い込みの強さ」
「プロフェッショナル的なところだけがマニアやファンの最高峰だという、変なエリート意識」
「模型や鉄道の世界に入り込みすぎてファンとしての才能はあっても社会と断絶した奇形的(特異児童)存在」への危惧。
これが書かれてから42年経つ(しかもその間にSLブームとブルトレブームを経ている)というのにマニアの実態がまるで変わっていない現状に驚かされると同時に、自分に引き合わせてみて身につまされる所も多かったです。
その一方で
「何をしている時でも常に心の中のカマの火を絶やさぬ(常に観察眼と思考を働かせ、センスを磨き続ける)」こと
「自分の立ち位置が枝葉の先であったとしても(そこから)木全体をみていなければならない」
など趣味人として学ぶべき所、かみしめるべき言葉も多く、詠み終わって一種の元気になれた爽快感のようなものも感じました。
これは鉄道に限りませんが最近の趣味の専門誌では趣味人としての行き方、ポリシーについて個々の人生観と照らし合わせて語る性質の随筆や対談の記事が非常に少ないと感じます。テクニックや新製品情報の話も結構なのですがある意味骨太なホビーライフが語られる事があっても良いのではないでしょうか。
その意味でも今回のTMSは私にとって意外の収穫であった感じでした。
(なお、内容については一部私の解釈を交えたものです)
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