光山鉄道管理局・アーカイブス

鉄道模型・レイアウトについて工作・増備・思うことなどをば。
こちらはメインブログのアーカイブとなります。

カラーブックスの「イベント列車」

2015-03-31 15:44:47 | 書籍
 カラーブックス鉄道本ネタから。

 今回は「イベント列車」を書こうと思います。

 この本もリリース当時に新刊を買った物ですが、あの頃はサロンエクスプレス東京が話題になり客車改装によるイベント車がブームになり始めたタイミングでした。
 今は亡き「みやび」もバリバリの現役車として掲載されています。

 これらのイベント車のルーツと言うと旧客改修のお座敷列車がそれにあたりますが、外見上は旧客そのまんまで車内で麻雀大会を演じている写真なんかが付いてきたりして後のジョイフルトレインとはかなり雰囲気が違います。
 SLブームやブルトレブームなんかを経て「乗るために乗る」というそれまでになかったニーズがそろそろ現れかけた時期の試行錯誤感が今読み返してみると強く感じられる所です。

 で、今読み返して思いだすのですが、ここに掲載された編成の中に私自身が実際に乗った物がひとつもありません。
 田舎者にはこの手の列車は依然敷居が高かったという事でしょう。

 さて、この本が出て以降の変化としては485系や165系の余剰対策(?)として電車や機動車のイベント車が登場した事とか、内装ばかりか外装にまで大きく手を加えて種車がわからないレベルまでいじられるようになったという点でしょうか。
 それに付随して地方私鉄の一部にまでこの勢いが波及して優等列車を中心にサービス面での底上げが図られたのではないかと言う点も挙げられます。
 して見るとこれらのイベント列車の隆盛はある意味「鉄道のチューニングカー・デコトラ化」とも言えない事もありません(笑)

 実車も自由形並みに自由にアレンジがされる時代の到来は明らかに鉄道趣味自体の進化・或いは変質をも招いたと言えます。
 ですが、その割にこれらに刺激された自由形のモデルが専門誌を飾る率が意外に少ない現状を見ると鉄道模型の趣味の方が現実に置いていかれているような錯覚さえ受けます。 

カーブの質感向上へのアプローチを考える4・「長編成と緩曲線」

2015-03-29 09:26:41 | 思いつくままに・考察
 緩和曲線実験シリーズその3です。

 前回触れたように緩和曲線は見た目に「カーブを雄大に見せる効果が大きく、そのメリットは長大編成で生きるのでは」という仮説を立てました。
 「長大」というには少し短いですがKATOの旧型153系新快速色の6連で同様に試してみます。


 結果は以下の写真の通りです。






 カーブが緩やかになるほど連結面のずれは減少し、編成物らしいリアルさと動感が感じられます。
 意外だったのは急な方の354Rの側から見ても結構編成がかっこよく見える事でした。昔の鉄道写真によくあった「カーブの立ち上がりで正面を向いた特急列車」のそれに似ています。

 反対に900R径の方を手前に持ってくるときつい曲線が奥に押しやられる形になるので遠近感が強調されたような見え方になります。シーナリィの設定次第ではかなり雄大な風景に見えそうです。

 走行性は鉄コレとほとんど変わりませんが流石に243Rの部分では車体同士のずれが物凄い事になります。
 レイアウトで実践するならここはどうにかして隠すべきでしょう。但し走行性はこれほどの急カーブでも道床付の組線路らしく非常に安定しています。
 特に緩和曲線を経て急カーブに進入しているので減速もごく自然なのが編成物では特に印象的です。

 お座敷運転で編成物が高速でいきなり急カーブに入ると減速ショックが最後尾の車両にまで派手に伝わって興醒めになる場面は多くのユーザーが経験していると思います。

 さて900Rの緩曲線でリバースカーブを作ろうとするとレイアウトの奥行は最低でも1800ミリは必要という事になります。
 それを頭に入れて今回のカーブを計測してみた所では緩和曲線と組線路の組み合わせ、一部に900R以上、おそらくは1000R前後のアプローチの区間もあるのですが、測ってみた奥行きはアプローチの組線路を243Rから317Rに換算し直した場合で大体830ミリとなりました。
 これなら固定レイアウトとしてはぎりぎり許容範囲でしょうし、元々の243Rだと更に74ミリ奥行きは小さくなります。

 緩和曲線を上手く使えばリバースカーブのあるレイアウトでもそれなりの奥行の節約効果は期待できることがわかります。 

帰省と「キット・ずっと2号」のはなし

2015-03-28 09:23:54 | 車両・気動車
 今回は昨年の帰省の折に入線させた車両から。

 TOMIXの三陸鉄道36形「キットずっとの2号機」です。
 一見すると1号機と違わない印象なのですが並べて見るとピンクと白の組み合わせが1号の逆パターンに近いものでこちらの方がカラフルです。

 一昨年の帰省の折にも1号機を入線させていますが最近「帰省=キットずっと」のパターンが定着している様な気が(笑)
 そういえばたしか3号機も製品化の予告が出ていた様な気がします。

 モデルの方ですが1号機を動力化させているのでこちらはトレーラーとして2連または3連での運用を考えています。
 実車でそういう編成が可能とは思いませんがそこはモデルらしい楽しみ方として割り切るべきでしょう。
 個人的には最近流行りの萌え系ラッピング車よりはしっくりきますし。

 三陸鉄道の車両はこの趣味を再開させた頃に中古が1両入線したっきりですが震災と連ドラ人気以来急速に増備が進んでいます。
 実際、運転会に持ち込んでも注目度は高く、棚幡線に無くてはならないスターとなったのは皮肉な現象ではあります。
 
 実物の方はそれまで注目度の点では今ひとつぱっとしない所のあった鉄道だけに少し複雑な気持ちですが、最近は久慈~盛の直通に向けた復旧工事が本格化するなど名実ともに三陸の鉄道へ向けた一歩を踏み出しかけているだけに頑張ってほしいものです。

カーブの質感向上へのアプローチを考える3・「第3次実験線」にて

2015-03-27 09:20:57 | 思いつくままに・考察
 レイアウトの緩和曲線の実験その3です。
 さて、先日紹介した緩和曲線の実験線。
DSCN6958.jpg
 上から見るとこのように見るからにヘンテコな線形です。
 243Rの区間は実際のレイアウトではトンネルか何かに隠される事になると思いますがアナログなフレキのカーブとデジタルな組線路の組み合わせはそれなりに違和感はあります。
 おまけになんだか0系新幹線の先頭車を横から見たシルエットにも似ています。
 「0系カーブ」とでも名付けましょうか(笑)

 実験車両は昨年入線の鉄コレ東武6000系。
 2連の20M級で急カーブでの違和感が出やすい事、鉄コレの動力が安定した性能な事からセレクトしました。
 逆に言えばこれで走りが良ければこれより短い車体はほぼ問題なく走れる事になります。

 最初は直線部からそのまま243Rの組線路に走らせますが動力がミニカーブ対応とはいえ、カーブの抵抗はかなり受ける印象です。
 実際、微妙ながら直線に比べてスピードは落ちますし、進入時に「がくんと減速する」感じもします。
 さて243Rから緩和曲線へと侵入。243から354Rに入るだけでもかなりの違いですが徐々に径が緩やかになるにつれて走りがスムーズになっていったのには感動しました。
 まるで「縮こまっていた尺取虫が一気に伸びをした」様な感じで最後の方は文字通りのびやかな走りです。



 これは実験前から私の狙っていたところでもあるのでその通りになってほっとしています。

 逆に900Rから徐々に径をきつくして行き243Rのリバースカーブに進入するところは直線からいきなり243Rに入った場合に比べて減速感が非常にスムーズだったのが印象的です。
 ある程度以上の速さで直線からいきなり急曲線に入ると減速ショックも結構感じますし走行系にもいい影響はない気もしますからこのスムーズさは大事でしょう。


 では列車そのものの見え方は?

 徐々に径が急になってゆくフレキシブルの特性のおかげで意外なほど違和感がないのが印象的です。

 特に670R以上だとほとんど実物並みのリアルさを感じさせるのがうれしい所です。
 おそらくこのメリットは長編成になるほど生きるはずですがそれについては次回に。

ブログ移転1周年にあたって(汗)

2015-03-26 09:18:51 | その他
 すっかり忘れていたのですが明日で現在のブログに移転してから1年になります。

 7年前に前のブログを始めた時はブログサービス自体が閉鎖されるというのをまるっきり考えていませんでしたが、1昨年暮れの閉鎖通告には随分と焦ったのを思い出します(汗)

 タイムリミットぎりぎりに近いタイミングで新しいサービスを見つける事は出来ましたが、そこに過去記事のインポート(それも写真の類は未だにできていないままです)する頃にはずいぶん悩まされました。

 それでもどうにかこうにかこちらでブログをスタートさせた時にはほっとした反面でかつてブログを新設した時と同じくらい緊張した覚えがあります。
 考えてみれば、それこそ「たかがブログを始める、移転する」という程度の事なのですが(恥)

 前のブログをやっていた頃はレイアウトやモジュールの製作が佳境だった時期と重なっていたので(上手い下手は置いておいても)製作記事の比率が高かったのですが、それらがひと段落して車両工作もそうしょっちゅうやっていないので最近は思う事の垂れ流しみたいな記事が増えています。
 手を動かさずに口ばかり動かす本末転倒状態のところへ工作の下手さは相変わらずなので、自分で観返してみても見どころの無いブログになっているのには反省しきりです。

 ただ、それでも自分のブログがあるというのはそこを拠点として他のモデラーや同行の士の方々との意見交換や交流ができるという意味で、地方ではとかく孤立しがちな鉄道模型の趣味を続けるうえで非常にありがたく思う所です。
 顔を合わせる方々こそ少ないですが、コメントのやり取りをしている方々もそれこそ全国に何人もいて、同じ趣味のもとで会話ができるというのはネットの無かった頃には考えられない事でした。

 事によると30年前にいったんこの趣味が中断したのも田舎ゆえの同行の士のなさという要素があったかもしれません。
 逆に言うならこの趣味の再開後、年を経ずしてブログを立ち上げたりSNSに入ったりした事がここまで続けてこられた一つの要因という気もします。

 ともあれ明日からはこのブログも移転後2年目に入ります。

 相変わらず独り善がりの入ったブログですが、今後ともよろしくお願いします。
(写真は本題とはあまり関係ありません)

カーブの質感向上へのアプローチを考える2・「第3次実験線」をつくる

2015-03-25 09:05:46 | 思いつくままに・考察
 先日紹介したPECOのフレキシブルレールの使い道のはなしから。

 4年ほど前になりますか、レイアウトづくりへのアプローチを検討した折にフレキシブルレールを用いた900R以上の大径カーブを実験した事があります。
 その時点では「可能な限り実物に準拠したカーブ径ではNゲージのモデルはどう見えるか」というのがテーマでした。
 実際実験した限りではNのモデルでもかなりリアリティのある走り、曲りが再現できる事は確かめられました。

 ですがこれを実際のレイアウトへ応用するとなるとスペースの問題始め越えなければならないハードルがいくつもあり即応用とはなかなかいかないのが正直なところです。


 その時の実験でも結局はお座敷運転で上下線が離解する様なS字カーブを直線区間に取り入れたのにとどまりましたし、その時の実験線もスキー板並みに長いサイズが災いして今年の初めに解体されてしまいました。

 ですが、昨年の当ブログでも紹介した60年代の16番組み立て式レイアウトのはなしの中にこういう一節がある事に気づきました。
 その時の記事を再度引用すると

 ~大径の曲線であっても緩和曲線を極力付ける。
 これがあると運転上の効果も去る事ながら、線路が雄大に見え、線路だけで生きた鉄道の感じを与えてくれる。
 連結面の食い違いを軽減する効果も大きい。
 最急曲線を大きくとる事に苦労するよりも曲線半径をある程度にとどめて緩和曲線を入れる方が効果的~

 とあります。

 なるほど最近ではファイントラックのエンドレスセットでもアプローチ部分にカーブ頂点よりも一回り大きな径の曲線を組み込むことが多くなっています。
 現に私が帰省時の年越し運転で使っているカント付エンドレスも280Rのアプローチに317Rを使う事で意外なほど楽しめる走りを魅せてくれています。

 ですがそれでも直線から曲線に掛かる部分が「いきなりカーブに入る」点は基本的には変わっていません。

 そこで最急曲線を市販の組線路とほぼ同じレベルに設定し(これは通過可能な車種を限定させない意味でも重要)そこまでのアプローチにできれば無段階に径を変えた緩曲線を組み込むとどうなるか。

 前述した「最初から最後まで同じ径の大径カーブ」が非現実的なのは前にも触れましたし、レイアウトが実物の縮小だけでない一種のエンターテイメントと解釈できるなら「見せる所は見せ、楽屋裏を悟らせない」意味でもカーブのディフォルメの技法を試してみたいと思えます。
 実用面でも「最小のスペースで走行場面に見せ場のあるレイアウトができる」メリットも期待できます。

 かねて欲しかったPECOのフレキシブルレールがようやく入手できた事で実験の意欲が高まりました。

 ここからがようやく本題となります(汗)
 フレキシブルレールはたびたび触れているように線形を自由に設定できるという大きなメリットがある一方で路盤の影響を受けやすい弱点もあります。

 私の想像ですがこれはカーブが急になるほど顕著になってゆくと思われますし、特にトンネル内などのメンテナンスしにくい所で脱線が頻発するリスクもあり得なくはありません。
 今回の実験線は通常のエンドレスを想定しカーブの半分をフレキシブル、残りの半分にファイントラックを併用してみる事で双方の走りの質感の違いと同時に走行の安定性も調べてみます。

 ただし、今回は実験ですのでサインカーブの径を数値化しやすくするために市販の組線路の数値を当てはめてみる事にしました。

 前回同様スタイロフォームの板の上にグルーガンで線路を固定します。
 最初の15°は354R。ファイントラックでは複々線に使われる径ですが、これはフレキに接続するレールにファイントラックの315Rを想定していたためです。
 新幹線を除く市販のNゲージモデルは殆どが300Rをクリアできるはずですのでそれなりに妥当性を持たせたつもりです。

 そこから要所要所に市販線路のカーブを当ててフレキのカーブを付けてゆきました。
 以下
 541R(ファイントラックのポイント用標準線路)
 670R(ユニトラックHOの標準径w)
 718R(ユニトラック6番ポイントの標準線路)

 これらのセレクトは「たまたま手持ちの線路がそれしかなかったから」といういい加減な理由によります。
 ただし、これらが一定間隔でつながると物凄い事になりますので配置場所と角度の設定はその都度手探りで行いました。

 718Rから先はほぼフリーハンドですが最終的には900Rを超えていると思われます。

 351Rの終端部は本来なら317Rをつなぐはずだったのがこれまた手持ちの関係で最初は354R+391Rをつなぎました。

 ところがいざ実験を始めてみるとフレキとファインの接続部で脱線事故が頻発。
 最初は何がどうなっているのかわかりませんでしたがよく見るとファインの方が「カント付」だったためと判明。
 前述した「路盤にシビア」というフレキの弱点が少し実感できる場面でした(まあどんな線路でもアプローチなしにカント付と繋がると脱線すると思いますが) 


 急遽「243R」というTOMIX標準仕様では最急のレールをつなぐことになりました。
 カーブの径の点では当初の想定よりかなりシビアになりますがそれはそれで実験ぽくていいかなと(爆)

エンドウの73系入線に思うこと

2015-03-24 07:50:10 | 車輌・電車
 エンドウづいている最近の中古モデルの入線状況ですがまたひとつ加わりました。

 GMのキット組み品の72系です。
 今から30年位前にエンドウがGMのキットを素組み&塗装仕上げして発売したもので「エンドウ=金属ボディ」というイメージをある程度払拭したモデルでした。

 以前103系を入線させた時にも書いたのですが、本来のラインナップであるブラスモデルと並べても違和感がないように独特の艶の付いた塗装になっているのがエンドウのモデルの特徴と思います。
 これは一歩間違えれば玩具っぽい質感になってしまう所なのですが、このモデルの場合はぎりぎりでそれを回避する事に成功している印象です。


 加えて細部のレタリングの細かさとかっちりした感じは完成品モデルに引けを取らないレベルと思います。
 美点はもうひとつ。
 GMのボディにGMの動力(実際はこれもエンドウ製なのですが)なのは中古ショップでよく見るGMキットの素組み品と変わらない構成なのですが、走りがとにかくスムーズなのです。
 とても同じメーカーとは思えない程ですがエンドウブランドで下す関係で動力の調整に余程手を掛けていたのではないかと思えます。

 この72系御殿場線仕様はかねてから欲しかった形式だったのですがエンドウ製が手に入らなかったためにTOMIXから正調モデルが出た折に予約して購入しています。
 それなのにそれから2年ほどでエンドウ製の中古を見つけるとは(汗)

 当然試運転はTOMIXの正調モデルとのコラボ走行となります。

 その運転をしていてふと思った事から。

 片や昨年に実物準拠で中間車を新製しトイレ流し管まで表現しているハイグレードモデル。
 片や40年前に既に市販されていたキットを組み立てて塗装を施した、ある意味手抜きモデル。しかも実車に存在しない中間車まで混ざっており当然実物との相違点も多い中古モデル。

 本来ならこのふたつが並んで走行する事自体、純粋主義者のいわゆる「真のマニア」さんには許し難い事と思います。
 あるいはこのふたつが単に飾られるだけのモデルだったなら実車との相違点はかなり目につくはずです。

 ですがこの2編成をレイアウト上で行き交わせると旧モデルの方はもちろんですがHG仕様のモデルまでもが実に生き生きと目に映ったのです。
 おそらくこの2編成のどちらかだけの走行だったらこういう感じ方にはならなかったのではないかと思います。

 (建前上)同じプロトタイプでありながらこの2者には考証とは別のところで造形上の相違点が結構多いですし、それを捉えて優劣を語るのは簡単です。
 ですが、そうした優劣を離れて相違点を「それぞれの個性」と読み替えて捉えなおしてみるとその二つが並び立つ時に互いが互いを引き立てあって線路上の活気を高めている感じがするのです。

 今回は単に二つのメーカーの違いを見るためのコラボ走行だったはずなのですが、実際やってみると思いもかけずにそんな下種な目論見を跳ね返す位の楽しみを味わうことができました。
 
 何よりこんな楽しみができるのはどちらも「線路幅9ミリの直流電源で走る150分の1モデル」という基本的な規格が揃っているからです。
 そしてその規格が50年近くにわたって存続しているが故の楽しみであります。
 16番ならこれに更に20年歴史が付け加えられるはずですが、不思議と「最新モデルと60年前の旧モデルが同じ線路上を走るイベント」という話をあまり聞きません。

 16番の方がNよりも歴史がある筈なのにこれは不思議な話ですね。

カーブの質感向上へのアプローチを考える(汗)

2015-03-22 07:47:52 | 思いつくままに・考察
 この間PECOのフレキシブルレールをサンプル購入してやりたかった事。

 組線路では不可能な「走りの質感の向上」がどこまでできるかを確かめる事でした。
 これについては以前KATOのフレキシブルを使って組線路で出来ない900R以上の大径曲線や緩曲線の組み合わせを実験してきました。
 その際のことについては以下のリンクをご参照ください
光山鉄道管理局・理想の大レイアウトに思うこと

 今回の実験線はその時の考察やそれに基づいたデータを基により現実的なプランニングを目指したものです。

 その課題のひとつは大径カーブを用いた緩和曲線の組み合わせです。
 リバースカーブは手放しで運転できるエンドレス運転の実現には必須の線路配置ですが、当たり前の事ながら「径が大きくなると必然的に奥行きが大きくなってしまう」という欠点も持ちます。
 一方で極端な急曲線を使って奥行きを節約したり同じスペースでより複雑な線路配置(かつて「ジェットコースター的」と専門誌で揶揄された)にするという方向性もありますがこれだと運用できる車両の制限が大きくなる、何より曲がる様が玩具丸出しに見えてしまう欠点があります。
 後者は私の場合、一昨年開通の棚幡線で痛感している所です。

 又、これまでの運転で共通して感じるのが「直線からいきなり曲線に繋がってしまう」と言う組線路特有の問題です。

 最近ではカントを取り入れたり路盤の一部も表現した複線線路が出るなど組線路でも走りの質感向上にかなり努力が払われているのは私も感じます。

 しかしそれでも直線とカーブの繋がりをごく自然に可能にするには実物にかなり近い径の曲線が必要だと思えます。
 具体的には最低でも900~1200Rくらいの曲線がアプローチで使えないと質感の向上につながらないと思えます。

 これについては以前TOMIXやユニトラックのポイントや側線用曲線の600~700Rで以前実験したのですが特にS字カーブで馬脚を出してしまいます。

 これらの問題をクリアするために最も現実的なのは「最急曲線は実用上ぎりぎりのレベルまで急に設定した上でそこに繋がる緩和曲線を徐々に大きくして行く。そして直線に繋がるアプローチは可能な限り直線に近い大径にする」と言う物です。
 もちろん全てのリバースカーブをその文法で構成する事はできませんからレイアウト上見せ場となるポイントをひとつふたつ設定しそこは大径カーブに物を言わせたゆったりした走りっぷりを楽しむ。
 一方でどうしても急曲線にせざるを得ない所はトンネル内に隠すなどし、フレキシブルに比べて路盤の安定しているファイントラックなどの組線路を使う。
 以上の様な折衷案が結構有力な感じがします(この項続く)

Nゲージの地方私鉄フィーバー(笑)に思うこと

2015-03-21 07:43:29 | 思いつくままに・考察
 今回はこのブログを読んでいる方々にはある意味わかり切ったところから始まりますがご勘弁を。

 それ以前は殆ど見向きもされなかったのに鉄コレの登場で一気に注目度を上げたジャンルに地方私鉄というのがあります。

 鉄コレの登場以前に地方私鉄について取り上げた鉄道模型の専門誌は殆どありませんでしたし、たまに製作記事が上がっても散発的に掲載される程度。
 その頻度は決して高かったとは言えません。Nばかりか16番の時代ですらそうで、40年前のTMSやとれいん等を見ても地方私鉄の記事などは自由形以下の扱いだったと思います。

 それが鉄コレの登場を境にあれよあれよとばかりにメジャーゾーンの一角をなしたのですから凄い話です。

 最近の地方私鉄の特色としてかつてのメジャーな人気車の譲渡・運用に伴う優等列車の増加、列車運用そのもののイベント化による注目度の増大によって限りなく「鉄道模型のレイアウト臭さ」が増している事があるかもしれません。
 元々地方鉄道の場合、長編成の列車をゴーッと走らせるような運用はしていませんから勢い長くても3連までの運用になりますが、これなどはレイアウトに取り入れるには好適な条件のひとつと言えます。

 短い列車中心に運用できる上に増収と沿線活性化の名目のもとに意外な列車が運行される所なども個人のレイアウトで楽しみやすい要素と言えます。
 更に一部ではJRとの相互乗り入れまでやっている所もありますから運用の自由度は非常に高い。

 その意味ではレイアウト作りの心理的なハードルを下げる上で地方私鉄のブームと言うかムーブメントは有効に作用している気がします。

 実際、最近他のレイアウトビルダーさんのブログや専門誌の記事などを見ても2連程度の短編成を想定したミニレイアウトを楽しむ例が多いですし、京王5000系の様にオリジナル時代の塗装を復活させるケースも多いですから当時のカラーリングの編成が紛れ込んでも不自然ではなくなりつつあります。
 ましてや大井川鐡道や秩父鉄道の様に保存鉄道と称してかつてのスター列車を運用したりSLを運行するのも珍しくなくなりました。
 (そういえば富士急行などはブルートレインまで購入していますし)

 かつてはそういう運用を夢想してお座敷運転などで3連のパノラマエクスプレスとか、近鉄車の隣にSLが停まっている、或いは京王5000の隣に183系が並ぶなんて並びをやっても「真のマニア」と称する人種に幼稚の一言で切り捨てられがちでした。
 ですが今は実車の方がそうしたマニアの常識の上を行ってしまった感すらあります。あり得ないと思われていた事が意外にあっさり実現できたというこの現実。

 そんな現状を見るにつけ、下手なレイアウトよりもレイアウト臭いこれらの地方鉄道はある意味鉄道模型の活性化の陰の功労者と言えなくもない気もします。


PECOのフレキシブルレールのはなし

2015-03-20 07:42:05 | 鉄道模型 
 この間の秋葉行きで「もし買えれば」と思っていたアイテムがありました。
 結果として入手ができたのでその意味では成功だったと言えます。

 それは何かと言うとPECOのフレキシブルレールです。
 PECOの製品はポイントなどは地元のショップでも見掛けるのですがフレキシブルレールだけは何故かどこも置いていませんでした。

 買おうと思えば取り寄せや機芸出版社の通販でも買えるのですが出来るなら一度現物を手にとって確かめたいというのも正直な所でした。
 幸い、今回出掛けた秋葉のショップのひとつに扱いがありサンプル的に4種類を手に入れる事ができました。

 ご存じの向きには常識以前の事と思うのですが、PECOのレールはコード70(TOMIX辺りの線路に近いサイズ)とコード55(実感を求めて実物に近い細さを求めたタイプ)に大別されます。
 この他にももっと細い物などもラインナップされている様ですがとりあえずショップに合ったのがこのふたつと言う事で、それぞれ枕木が木の物とコンクリートのタイプを1本づつ購入しています。

 PECOのフレキシブルレールに期待していたのは以下の2点です。
 ひとつは曲げた際にすぐ元の真っ直ぐに戻ってしまうような事のない高い可塑性です。
 もうひとつはきれいなカーブを表現できるしなやかさでした。

 どちらも現在考えているプロジェクトの実現には必須の条件です。

 購入後に軽く触ってみるとKATOのそれに比べてかなりしなやかで可塑性が高そうな手触りが印象的です。
 これならフリーハンドで線形を設定しやすいでしょうし、私の目論見にはもっとも合致しそうです。

変わり種の485系モデルから

2015-03-19 07:36:05 | 車輌・電車
 たまにはこういう変な物も手に入るというお話です。

 先日のジャンク箱の一件以来、近所のフリーマーケットも折を見て覗くようになりました(笑)
 よもやあれ以上の掘り出し物が出るなどとは正直期待していないのですが(ましてこちらの方が田舎ですし)
DSCN6027.jpg
 そんなフリマめぐりで見つけた一品がこういう奴です。
 おもちゃの処分品の箱の中にあった奴ですが、最初見つけた時にどうもどこかで見覚えがある気がして気になりました。
 玩具にしては集電機構があるようですし、さりとて鉄道模型と考えると造形がややラフに過ぎます。

 なんだかわからないままにいったん帰宅。
 手持ちの資料をひっくり返して40年近く前のイタリア製LIMAの485系である事を思い出しました。

 そういえば80年頃の工作ガイドブックでこれのセットが掲載されていた筈です。
 LIMAのモデルというとNだけでなくHOも多数リリースされている上にそっちでは新幹線や国鉄コンテナ貨車なんかも出ていますが専門誌上でも殆ど玩具扱いできちんと取り上げられた事はひとつふたつを除いてありません。
 そもそも模型店よりも大きなデパートの玩具コーナーで扱われる事が多くそれもかなり都市部に偏っていた様ですので私の故郷では実物を見た事自体ありませんでした。
 (何でも70年代の半ばにテレビCMをやっていた事もあるそうですが、当然これも未見ですw)

 早速取って返して購入。
 最初は車両だけだったのですが売り手のはなしからセットの一部のパーツがあるとの事だったのでそちらはサービスしてもらう事ができました。
 3両で3桁価格。正直骨董的価値というよりも単純に好奇心からの買い物です(笑)

 大体にしてこれの入っていた箱には超合金の残骸やら壊れかけのダイヤペットやらも入っていましたから(ハードオフのジャンク箱を想像してください)まともなコンディションはまず期待できません。
 それでも物は試しとレイアウトに載せて通電するとかなりがたつくものの大昔のナインスケール並みの走りは見せてくれました。

 ただ、先頭車の台車の転がり抵抗が大きいので以前運転会で「ジャンクのあぜ道」を飾ったエンドウのAEよりもスムーズさに欠けます。

 造形ははっきり言って「ラフ」の一語。ライトはボディカラーそのまんまで上下の大きさが同じなので下手に色刺ししたら尾灯が無闇に大きく見える事は必至です。
 スカートはあっても連結器のモールドが一切ありません。
 台車も欧州型の流用の様子で車体に比して無闇にでかい。でかいと言えばボディも日本製の485よりも大きめです。

 その一方で運転席周りの窓の抜きは学研辺りより良い印象です。
 強いてこのモデルに鉄道模型らしさを感じさせるところがあるとすればパンタとダイカスト造形らしい床下機器の辺りでしょうか。
 ボディ造形のラフさに比べて意外にしっかりした印象です。

 長所らしい長所もないので正直言って今どきの鉄道模型ファンは絶対に見向きもしないモデルであるとは思いますが、走りっぷりも含めてこれを眺めていると何というか妙にのどかな気分になれます。
 それにこんなモデルでも一応Nの規格には準拠しているので(フランジがでかいですが)ユニトラックやファイントラック上を走行する事も可能です。

 さて、売り手の方がサービスしてくれたパーツというのが線路とパワーパック。
 パワーパックとは言っても乾電池駆動でスピード調節もできないという昔のゼネコン並みの代物です。
 ここだけ見ると玩具丸出しですが線路の方はそこそこ鉄道模型らしい形態はしています。
 
 今回の485に関しては「走っただけでも上出来」の部類でしょう。

旧式の室内灯を取り付けて(笑)

2015-03-18 07:33:33 | 車輌・電車
 先日時刻表と夜行列車のはなしを書きましたが、夜行列車に限らず夜の風景の中を室内灯を連ねて通過する夜汽車の風景と言うのは中々情緒があっていいものです。

 ブルートレインなんかは勿論ですが宵のうちに煌々とした明かりを連ねて走る列車というのも独特の活気があって好きな眺めです。

 私の現住地の家の周囲には線路と言う物はないのですが、陽が落ちた暗闇の中で室内灯を点けて走る路線バスや観光バスなんかにも一種の頼もしさを感じてしまう辺り私も田舎者ですが(笑)
 この感覚は都会に生まれ育った向きにはあまり理解してもらえない気もします。

 それはさておき

 それほど夜汽車に思い入れがあるのにもかかわらず私に手持ちの列車で室内灯を装備している物はかなりの少数派です。
 室内灯のユニットに回す予算が中々捻出できない(汗)要素が大きいのですが、たまに中古モデルで室内灯を装備したモデルなんかがあると嬉しくなります。

 そしてごくたまにジャンクで改造の種に使う積りで購入したものに室内灯があったりするとユニットだけ外して他の車両に移植する事もしばしばです。

 先日もたまたまそうやって入手したモデルに2両分の室内灯ユニットがあったので他の車両に移設しました。
 ドナー先はKATOのE127系の2連。
 ユニットは旧モデルなのでLEDでない電球仕様の物です。

 装着方法は旧モデルでもそれほど違わないので取り付け自体は問題なく行なえました。

 早速試走させましたがE127系と言うとJR以降のごく最近の電車なだけに蛍光灯の白が似合うのですが、電球色ですぐちかちかする旧式ユニットなだけにその走りっぷりは「灯りがあるのに何か物寂しい」(笑)
 電球を使っていた昔の旧客でもこれほど寂しい感じはなかった様な気がします。
 写真で見ると点いているんだかいないんだかわからない位です。

 ですが昔はこんなレベルの灯りでも室内灯が付いたというだけで大騒ぎでしたからNゲージといえども進化の速いのには驚かされます。

今月のジャンク車からしなのマイクロのED21

2015-03-17 07:30:25 | 車両・電気機関車
 今月の入線車から

 しなのマイクロのED21です。
 この機関車はかつて富士身延鉄道の自社発注の210形電気機関車として誕生したものですがその後の国有化でED21の名称に変わり、その後は飯田線・大糸線などに居を移して活躍していた機関車です。
 しなのの旧型電機では既に出ていたED15が設計上のベースだった事と同時期に作られた長野電鉄5000やED27(元は南武鉄道の自社発注機、これらはいずれも旧しなのマイクロで出ています)とほぼ構成が同じだった事から製品化されたようです。

 とはいえ水色の車体は他機に比べると非常に目立つカラーリングでこれがこの機関車の個性となっています。
 最近は鉄コレでも身延線の旧国がリリースされていますし見つけたのはタイムリーだったかもしれません。
 
 これは出先の中古屋で見つけた物ですが安いだけあって全体にくたびれ感が強く、車輪の汚れも散見されます。おまけに外箱なしの裸売り。
 パーツの欠落が少ない位が取り柄の様でした。もちろん店頭チェックでも「不動」でした。
 しなのの電気機関車と言うと以前手こずらされたED15の記憶があり、それに比べても中古とは言えこれまで見た中では尤も外見上のコンディションが悪かったので走行性についてはそれなりに覚悟はしていましたが(笑)

 それでもED15の時の調整ノウハウ(と言うほどの物でもないのですが)から走りの復活は不可能ではないと踏みました。

 帰宅後、接点の清掃、車輪のクリーニング、オール金属製らしいギア周りには通常のセラグリスではなく金属用のモリブデングリスを注しました。
 早速通電した所ではやはり動きませんでしたが、モータが熱を持ってきた所から通電だけはされているようです。
 それでも何度かいじくっていると徐々にギアにグリスが回ってきたのか動きが出始め、更にしばらく手で動かすと通常のしなの機関車並みに動き始めました。

 ここまでで大体15分弱(ボディの取り外し、取り付けを含む)
 この種の不動品の復活の中では比較的時間が掛かった部類です。
 恐らく注油しなくても時間を掛ければそこそこ動いたかもしれませんが、まさか動くまで店頭で15分も掛ける人間もそうはいないのではと思います。

 一旦動き出しさえすれば後はかなりスムーズな走行性で、その意味では結構な拾い物だった気がします。
 外見のくたびれ具合に反して動力ユニットはピカピカでしたし。

 ただ、これはしなのの機関車全般に言えますが小型機でも140Rのミニカーブは苦しい様でポイント通過時の割り込みやそれに伴うショートが頻発するので極端に径の小さいカーブは苦手の様です。
 逆に安定した250R以上の線路ではまるで別の機関車に見える位スムーズに走るのですから世の中わかりません。

鉄コレとGMの京阪600を比べてみる(汗)

2015-03-15 09:55:58 | 車両・私鉄/民鉄
 鉄コレでのリリース以来ちらほら話題に上がる様になった京阪600の「けいおん!電車」

 2年ほど前にプラッツのキットにTOMIXのベルニナの動力を組み合わせた奴を作っていただけに今回のリリースには少し心穏やかならざるものがあります(笑)
 ですがわざわざ鉄コレ仕様を買い直すほどのけいおん!ファンでもありませんので今回のはとりあえず見送りです。

 とはいえNゲージモデルの京阪600が2社競作となるなど鉄コレ登場以前には想像もできなかった事ではあります。
 通常タイプも私の手持ちにGMのキットメイク品がありますのでこの機会にふたつを比べて見ようと思います。

 GMと鉄コレを並べて見てまずわかるのはGM車のでかさ。
 車体長はほぼ同じなのですが高さと幅はGMの方がかなり高くなっています。
 何しろ登山電車であるベルニナの足回りを移植していますから足回りが物々しくなっているのは仕方ないのですがこのおかげで腰も高く感じられるのは残念なポイントです。

 ですのでGMと鉄コレを同じ扱いでレイアウト上で混用するのは辛い物があります。

 車体そのものの造形ははめ込み窓を使っている鉄コレの方にアドバンスがありますがGMの方もサッシやHゴムにまめに色差ししているので極端な差はありません。 
 走行性はGMはベルニナそのものですし鉄コレも例によってスムーズな走りです。設計時期に20年近い差があるので単純に優劣を語るのは野暮という物でしょう。

 GMの方は確か一次車をプロトタイプにしていると聞いているので微妙に鉄コレと異なる外観なのが取り柄と言えば言えます(とはいえ鉄コレの事業者限定品の特急塗装にこの顔が出ていますが)
 とはいえ上述の理由から鉄コレと混用しずらいのは辛いです。
 むしろ三次車っぽいフェイスのプラッツのモデルとの組み合わせの方が似合いかもしれません。
 プラッツのは他に「ちはやふる」の仕様があり予定品に「中二病~」もある様ですので動力の都合さえ付くならそれなりに魅力かもしれません。

夜行列車に勇気づけられていた頃(笑)のはなし

2015-03-14 09:52:52 | 趣味の原点をふり返る
 このあいだ真夜中に時刻表を読み返していて思い出した事から。

 以前にも書きましたが私の父方の実家は東北本線を見渡せる山の山腹にありお盆や年末年始などにはよく泊まりがけで手伝いに行ったものです。

 この「盆暮れ正月」というのが曲者でして実家の周りは比較的街に近いとはいえ夜8時ともなると人通りは全く絶え、10時以降ともなると完全に草木も眠るという丑三つ時状態(まあ東北の真冬に勢いよく生えた草なんかありませんが)
 特に冬の夜などは外出どころか家から3歩離れるだけでも結構な恐怖感が味わえるロケーションでした。

 ところが目の前を通る当時の東北本線は丑三つ時どころか殆ど終夜運転のセブンイレブン状態。
 当時はブルトレは勿論、座席寝台の急行の全盛期だった上に貨物列車や荷物列車まで行き来していましたから余程の深夜でも列車が通過するのが当たり前と言う賑やかさだったのです。
 増して上述の様に盆暮れ正月ともなると通常の他にかなりの臨時列車が走るのですからその賑やかさもピークとなります。

 当時子供だった私にとっても無人島状態の寂寥感の中、この列車たちにはどれだけ力づけられた事かわかりません。

 さて、私の手元にある昭和53年1月号の時刻表で一体どれだけの密度で夜行列車が走っていたのか調べて見ると驚くなかれ旅客列車だけで深夜0時から早朝6時までの間だけでも上りが6本、下りが12本の計18本が通過していたと言うのにまず驚かされます。
(上りが少ないのは午前0時以前に通過する列車が多い為です)
 ちなみに当時は普通列車の最終は午後9時台で現行のIGRよりも2時間も早かったのには別の意味で驚きでしたが。

 しかもこれは旅客列車だけのはなしでこれとは別に荷物列車が上下線1本づつ、貨物列車は時刻表には掲載されませんが運行密度の低い深夜の運行もそれなりにある筈ですから恐らくは上下線で25本~30本は走っていたのではないかと思います。

 つまり深夜0時から朝6時までの間平均して1時間に3本から4本の列車が走っていた事になります。
 実家は盛岡と青森のちょうど中間に位置しているので0時台~1時台は主に上野行きの上りが、3時以降は青森行きの下りが多い感じになる様です。
 正に深夜の不夜城状態です。

 さて、上野発の長距離列車というのは岩手では「田舎の中に直接都会の空気を乗せて突っ走る」イメージがあります。
 交通機関の発達・進化は色々な形で生活や人生に変革をもたらしたと思うのですが、その最たるものが「出発地の空間を直接目的地へ運ぶ様になった」と言う点ではないでしょうか。
 それは例えば奥中山の踏切に立って轟音とともに通過してゆくはつかりの車窓の中に「東京や仙台の空気・雰囲気」を感じてしまう感覚でもあります。
 そうした都会の空気を終夜にわたって感じられた環境と言うのは中々の贅沢だった気がします。

 因みに今、この実家の裏にはほんの数メートルを隔てて東北新幹線が通っているのですが胸壁が高すぎて列車が見えない上に新幹線は規定で深夜0時以降の運行ができないのでこれほど詩的な気分にはなれません(笑)

 何より、夜行列車が壊滅した今では真夜中の実家は文字通りの秘境状態。
 夜怖いったらありません。

 それは置いておいて、
 寝る前のひと時布団の中で昔の時刻表を観返しながらあの頃の深夜に思いを巡らせてみると結構眠れる気がします。