光山鉄道管理局・アーカイブス

鉄道模型・レイアウトについて工作・増備・思うことなどをば。
こちらはメインブログのアーカイブとなります。

しなのマイクロの117系のはなし

2015-07-31 06:55:33 | 車輌・電車
 魔が差した…という訳でもないのですが。
 事あるごとに「しなのマイクロのイメージダウン製品」として書かれる事の多い117系。

 何故か無暗に安いモデルの出物があったので少し考えて購入してしまいました。

 上述の悪評の原因の大半は専ら先頭部の造形と車体との接合部の処理の杜撰さから来ていると思います。
 事実モデルを手に取って見ると裾の部分で先頭部と胴体の間に段差がある、のみならず側面の膨らみもずれているので見るからに取ってつけた様な感じはあります。

 ですがユニットサッシ窓を打ち抜きプレスで表現している側面部は今の目で観ても中々にクリーンです。
 今にして思えば先頭部の処理さえきちんとしていれば結構違う評価が得られたのではないかと言う気もしてきました。先日入線させた同じメーカーの183系が事前の想像よりも良く出来ていた事もありますが、評判だけで良し悪しを判断するのは宜しくないという意味で少し反省させられます。

 動力車はフライホイール付き動力との事で、他のしなのの動力に比べて可もなく不可もなし。
 強いて言えば「新快速なのに速くない様に感じるもっさりした加速性と盛大なノイズ」が気になると言えば言えます。

 さて、このモデルが安かった理由は実はそんな所にありません。

 片方の先頭車の側面をよく見ると微妙な歪みが出ています。
 最初は造形上の欠点かと思ったのですが、窓周りの一部に塗装がはげかけたところがあったのでこれは「何らかの事故車」だった可能性が高い気がします。
 恐らく横倒しになった上からふんずけてしまったか、何か重い物を載せたまましばらく放置されていたのではないかと思います。

 何ともな瑕疵ではあるのですが、それでも今日まで生き延びてきたのは大した事の様な気もします。
 モデルとしての欠点は確かにあるのですが、それでも大事にしたい心持ちにはなっています。

サバンナRX-7の時代

2015-07-30 06:53:01 | アクセサリー
 Nゲージスケールのモデルが欲しいクルマの話。
 今回はマツダの初代サバンナRX-7を取り上げます。


 テレビの特撮ヒーロー物で一番よくつかわれた車を上げろと言われるとき、私の脳裏にいの一番に浮かぶのがサバンナRX-7です。
 登場は1978年ですが、翌年「バトルフィーバーJ」と「メガロマン」で、更に次の年に「ウルトラマン80」でレギュラー扱いで登場。モデル末期の84年には「宇宙刑事シャイダー」でも活躍しました。

 アクションドラマではやはり80年代初めの「大激闘」「プロハンター」「ザ・ハングマン」などでRX-7の雄姿を見る事が出来ます。

 登場から短期間でこれだけ急速に劇映画に露出した車は他にはちょっと思いつきません。

 これはRX-7の登場と存在そのものがそれだけ強烈なインパクトを持っていた事の証左でもあります。

 RX-7の開発秘話については柳田邦男の「日本の逆転した日」でも一章を割いて書かれており今でも文庫で読むことができます。
 詳しい事はそれを読むか、今でも数多くありそうなファンサイトを当たった方が良いでしょう。

 とにかくあらゆる意味でそれまでの日本車に無かったオーラを纏ったクルマでした。


 久々のロータリーエンジン専用車(先代のRX-3ですらグランドファミリアというレシプロの兄弟車があった)戦闘機のキャノピーを思わせるリアウィンドとハッチの造形、極め付けが国産車初のリトラクタブルライトの採用(トヨタ2000GTも収納式ライトですがこれは反転式です)
 何から何までインパクトの塊だった訳です。
 細かい点ですがそれまでのガス喰いのイメージのあったロータリーエンジンの燃費を60パーセントも改善した事も当時はそれなりに驚かれました。

 トミカのRX-7ですがこれまた実車のイメージを的確にとらえており80年頃のトミカの中ではかなりの傑作と思います。
 RX-7のイメージカラーだった緑のボディも結構この車に似合っていたと思います。

 これらのインパクトの相乗効果で登場即人気車となった初代RX-7ですが80年代になるとシルビア&ガゼールやセリカXX、スタリオンなどの遅ればせのライバルの乱立で81年頃から急速に影が薄くなりました。
 しかしそれでもライバルにないピュアスポーツカーのイメージ(実際ライバルよりもはるかに本格派でしたが)もあって二度のモデルチェンジで本格スポーツカーとしての地位を確立したところは流石はRX-7です。

 猫も杓子もピュアスポーツでもないでしょうし、考え様によっては初代のバカ売れぶりの方が異常だったのかもしれません。

 初代シティの時にも書きましたが、このRX-7も相当に「時代と寝たクルマ」だったのは間違いありません。
 特にこのクルマがヒットした時期というのはものの見事に「ブルトレブーム」と重なっているので案外24系辺りとの相性が良かったりします(笑)
 TOMIXのブルトレセットのおまけについてきても良いかもしれません。

今月の中古モデルから「長野電鉄2000系」

2015-07-29 06:48:46 | 車両・私鉄/民鉄

 このところ鉄コレ系の中古モデルが物凄い勢いで増備されていますが今回のは数年前の入線モデルです。

 物は長野電鉄2000系。
 このモデルは鉄コレの通常品では第5弾辺りで一度出ていますし、マイクロからも競合モデルがリリースされています。

 さて、今回はこの間マイクロの「長電2000系」を見つけたところから始まります。
 あの当時でも中古のマイクロの2000系モデルはそれなりに高価だった筈ですが、他のモデルの半額程度の値段で陳列されておりました。

 何故そんなに安いのかわからなかったので店員さんに出してもらい検品して見ます。

 あけてみてびっくり。

 マイクロの2000系は3両セットなのを知っていましたが、何とこのモデルは6両入っていました。
 しかも初期塗装のマルーン、車体全体にストライプが追加された冷房改造後の仕様の2編成です。

 いくらなんでもこんな事はないと思ってよくチェックして見たら
 「6両とも鉄コレの2000系」でした。
 何故箱だけマイクロのそれだったのかは正直言って謎です。
 とはいえ、一応動力化もN車両化もされているので買い得感は非常に高いですし、第5弾で出ていた2000系ともかぶらない組み合わせだったので入線させてしまいました。

 いざ実際走らせてみると、初期塗装のモデルが意外に様になります。
 阪急のそれより濃いマルーンでちょっと暗い所では真っ黒に白帯に見える華のない編成と思っていたのでこれは意外でした。
 恐らくですがこの仕様は他のとは異なりオレンジがかったベージュでインテリアが着色されており、それが見た目の質感の上で効いていたようです。

 まあ、こんな機会でもなければ2000系の色違いが3連も揃う事もありませんから有難い事ではあります。

鉄道模型の買い物のはなし2買い物とアナログ感覚(笑)

2015-07-28 06:51:57 | 思いつくままに・考察
 今回も「酔っぱらいの屁理屈」的な話ですので気に障る向きはご勘弁を。

 鉄道模型からやや離れますがずっと昔に読んだ探偵小説の古本マニアの殺人事件を扱った小説の以下のくだりがときどき私の脳裏をかすめる事があります。

「しかしだね、何も殺さなくたって…金を出せば手に入るのだろう」
「金で手に入れるなんて邪道だ、古本マニアじゃない。足で手に入れるんだよ、この足で」
と太い足を突き出したのは米沢だった。

「そりゃ一冊千円位で早川・ポケミスの黄表紙をずらりと並べて売っている古本屋もあるよ。でもね、店じまいをした貸本屋や小さな古本屋などを丹念に廻っていれば300円以下、時には100円台で見つかる事もあるんだ」
「そうだもんね、金で手に入れようなんて奴がいるからカーターブラウンなんかに一冊千数百円の値がつくのさ。俺なんかポケミスの『死の時計』をたった40円で手に入れたもんね」
 

 ~下条謙二作「信濃平発13時42分」に出てくるセリフの一節から引用 
 
 これは少なからずアナログな感覚であり世代によっては古いと捉える向きも多いでしょうが、鉄道模型についても(少なくとも新車も比較的入手がしやすく、又全国でまんべんなく中古モデルが買えるNゲージについては)「足で探す」事による入手の快感、或いはその過程で掘り出し物を見つけるサプライズを感じやすいと思います。

 同様の感覚はデジタルでも例えばネットオークションの出物に珍しい物を見つけた時にもありますが、こちらの場合は自分の他に同じ様な感覚の持ち主がかなりいる場合が多く大抵の場合金銭的な競り合いに発展しやすい弱点もあります(笑)
 実はこれが苦手でオークションになかなか手が出せなかったりするのですが。 

 足で探したアイテムの場合「自分だけの掘り出し物を見つける」感覚がたまに味わえる事がありますが、更に足で探すという過程の中で買い物とは関係ないところでその場所に付帯した色々な見聞や体験が形のない財産となって身につく面白さもある様な気がします。
 「ああ、こんな所にこんな店が」とか「○○を買ったところは妙に景色が良かった」とか「××の店の前に東北本線が通っていてコンテナ貨物が俯瞰で観れる」とか
 どうかすると「高速道路のSAでマイクロエースの鉄道模型が売られている」とか「あの町の模型屋の隣のわらび餅が美味かった」なんて思い出も(笑)

 こういう五感を駆使した思い出はなかなかネットでは味わえない所ではあります(ほとんど実用上の役には立っていませんが)

 ですが、どんな物でもそうですが「出物漁り」ばかりに拘っているとどうしても視野が狭くなりやすく、心の余裕が失われがちになる気がします。
 初売りの行列、或いは特売やブランド品に群がる人の群れなどを見ていると私などはどうかして裏をかいてやりたくなるような衝動にかられる事があります(笑)
 この点は以前書いた事のある「流行への態度」に繋がるところもあるのですが
 少なくとも趣味の製品についてはまだそういう「人のゆく裏に花道あり」的な事がやりやすい側面もあります。

 ですがこれも一歩間違えれば「買い物依存症」と大して変わらなくなる危険も孕んではいます。
 少しは自戒しなければと思う今日この頃です(汗)
 が、そろそろそういう買い物がしたくなる衝動に襲われる季節がすぐそこに(大汗)

道祖神のお祭りに思うこと2015

2015-07-26 07:47:56 | ミニSLレイアウト
 台風接近中に晴れた日の話題というのもなんですが(汗)
 先日は地元の道祖神様のお祭りでした。


 炎天下の下、近所から竹を切り出し注連縄を張り即席の祭壇を組む

 ご覧の通りの質素な祭壇ですし最近の人口動態を反映して「参拝客より準備で集まるメンバーの方が数倍多い」お祭りでもあります。


 夕暮れの中祭の開始を告げる太鼓が慣らされてもどこか物寂しい。
 そんなコンパクトなお祭りですが、かえってそのこじんまりさが好ましい感じがします。

 参加者は少なくとも、土地に密着した祭りが続けられていることそれ自体が何か大事な事の様な気がします。

 その道祖神ですがアイコムからNゲージスケールのアクセサリが出ています。
 それを使って棚幡線のレイアウト上にもこの道祖神のお祭りをミニシーンに組み込んでいます。

 「お祭り=賑わい」というのとは対極の姿ですがこういうのは好きです。



トミーナインスケールのメトロライナーに悩む3・走りが復活!

2015-07-25 07:45:22 | 車輌・電車
 先日来紹介していたメトロライナーのレストアから

 通電すればモータは回るしギアにも特に問題を認めない所からするとやはり通電の様です。
 このモデルはダイカストシャシが一体型でそれに直結する形で両エンド側に集電板が貼られており台車側から伸びだ集電シューの接触で通電しているようです。
 ですが同じ集電シューは反対側(つまり台車の内側)からも出ておりそちらには集電板がありません。
 どうやらこれがヒントの様です。

 本来ならばここにも別の集電板がありそこからダイカストから絶縁された経路を通ってモータの集電子に繋がる構造だったのではないかと見当をつけました。
 その目で見るとその部分の床下のダイカストに不自然な凹みや切り込みがあります。

 とりあえずプラバンを凹みと同じ形に切りだしました。
 次に集電板とモータの端子を接触する様な形で通電板を切り出します。

 こうかくとカッコ良いですが材料は「ジオコレの照明ユニットについていた遮光用のアルミシール」
 こんなのでも一応通電はします。これをハサミで切り取りプラバンに貼り付け。
 それを床板に両面テープで仮止めしてモータに繋いでみます。

 すると見事にモータが動き出してくれました。
 これを眼にするのにまるまる1週間掛かりました(汗)その内の9割5分までが「構想期間」でしたけど(大汗)

 あとは元通りにギアを組み込んで反応を見ます。
 結果ナインスケールの動力車らしい「じりじりとした(よく言えば)重厚感のある加速」でメトロライナーの動力は復活しました。

 ここまでの材料費は0円ですが何分「アルミのシールをプラバンに貼っただけ」なので連続運転で過熱する恐れもないとは言えません。
 何れは真鍮板か何かできちんとした集電板、又はきちんと被膜の付いたリード線を都合するべきでしょう。
 ユニットの構造とやり方は一応判明しましたし。

 それにしてもこの数日、パズル状態でレストアを模索する過程は結構頭が痛かったです。
 (ひょっとしたら夏風邪の遠因の一つかも)

日本型Nゲージの50年と思い出から・ワキ1000編

2015-07-24 07:42:38 | 車両・客車・貨車
 昭和39年版の「模型と工作・鉄道模型ガイドブック」から50年前の16番モデル工作とそれ以降のNモデルの思い出を語るある意味支離滅裂な企画(汗)です。


 今回はボギーの有蓋車、ワキ1000から。

 私の幼少時ですら東北本線ではワキ5000クラスが主体でしたからワキ1000というのには殆ど馴染みがありませんでした。
 ですからワキ1000の存在自体この本で知った事になります。

 本書での16番車両工作記事そのものは「木製台枠に切妻の箱を作って台車をはめて一丁上がり」と言った感じです。
それどころかこのワキ1000に至っては「床板までボール紙製」だったりします。
 当時は特に車両工作の主眼は機関車であり貨車や客車はかなり添え物に近い扱いが長い事続いていましたからこの記事も僅か2ページ。
 モーター内蔵とはいえ機関車だと6ページ、電車でも4ページくらい使うのに比べるとその差は歴然です。

 Nゲージでのワキ1000はトミーナインスケール初のボギー貨車のひとつとしてタキ3000、ク5000と同時にリリースされました。
 前にも書きましたがC50やC11に似合いそうなボギー貨車がそれまでトキ15000しかありませんでしたからトミーからのボギー車のリリースはそれだけで福音だった訳です。

 最初にリリースされたのは車体に黄色い帯の付いた特急便仕様。
 前述の様にワキ1000自体に馴染みがない身としてはこの黄色い帯の付いた仕様は妙にかっこよく見えました。
 入線後は直ちにC11やDD13に牽かせ、後には追加されたワサフ100と組み合わせて楽しみましたが入替ならともかく「C11の牽く急行便編成」というのは(笑)
 後に普通仕様の帯無しも出ましたが急行便にしびれた身には妙に華のない感じに見えたものです。

 実際にはこの仕様の方が多いのですが。

 趣味の再開前に従兄弟に全部の車両を譲渡してしまうという不覚を演じて以来、ワキ1000は当レイアウトでは長い事欠番状態でした。
 2,3年前に近所の中古屋で袋詰めジャンクの貨車の中に「黄色い帯の入ったワキ1000」があったのを見つけた時は凄く懐かしかったものです。

 こうして車籍を復活させたワキ1000ですが、現在は棚幡線を中心に「レールクリーニングカー」として活躍中です。
 よもやこんな用途に使うとは思いませんでしたがこれが働いているのを見るたびに懐かしさに浸れるというメリットも(笑)

メトロライナーと京急デハ800に悩む日曜日(汗)

2015-07-23 07:40:13 | 車輌・電車
 1週間疲れっぱなしだった週の日曜日の昼下がり。

 こう言う時こそやり残したり、かねてやろうとしていた工作やレストアに手を入れるチャンスの様な気もします。
 
 先ずは先日ジャンクを入手したナインスケールのメトロライナーの不動の動力車。
 動力の構造は一般的でギア自体に問題はなさそうなのですが、通電の経路が今ひとつはっきりしないので色々と試してみます。

 集電シューの端子が普通のモデルの様な左右分割ではなくエンドウのそれに近い前後に出ている構造なのにまず面くらいます。
 しかもウェイトを兼ねているダイカストブロックが一体構造なのでどこでプラスとマイナスを絶縁しているのかも良くわかりません。
 手持ちのリード線を使って色々と試してみますがモータ単体だときちんと通電して回るのにユニットに組みつけて線をつなぐとうんともすんとも言わない不思議。

 しかもたまに回る時があるのが更にストレスをためます(笑)

 結局午後のひと時ではどうにもならず。せめて台車が外せればまだ手の打ちようもあるのですがこれがまたきっちりブロックに嵌っている上に経年劣化からか台車周りの一部のプラパーツがポロポロ取れそうになるのでちょっと手が出ません。
 復活への道はまだまだの様です。

 そういえば、昨年入線のKATOの初代EF70の不動品もまだレストアできていません。

 それに比べれば少しは楽なのがこれまた一昨年にジャンクを入手していたKATOの京浜急行デハ800。
 こちらは経年劣化で床板が割れて粉々になっていた奴ですが、手持ちのGMの床板を移植して対処します。

 ついでにノーマルではダミーカプラーだった先頭部をアーノルドに変更して増結に対応。
 これで最大9連まで編成が伸びました(笑)

 最近、休日でもなかなか手を動かしていなかったので上手くいかなくともそれなりに充実感はあります。

鉄道模型と流行り物のはなし・2

2015-07-22 06:25:01 | 思いつくままに・考察
鉄道模型を巻き込んだ実車のムーブメントとしては60年代終わり頃から70年代半ばにかけてのSLブームとわずかなインターバルを開けて70年代の終わりから80年代初頭にかけてのブルートレインブームが双璧と言って良いと思います。

 私などは辛うじて当時の空気の一端を微妙に覚えている年代と言えますが、SLブームの場合は模型以上に写真・8ミリ・レコードの比重が高く「SLの走る線路沿いにカメラの放列とテレコのマイクの群れ」と言う印象が強かった記憶があります。

 一般へのインパクトも非常に強くファン以外からすれば「ひたすら蒸機機関車が走るシーンだけを1時間半観させられる」という映画「すばらしい蒸気機関車」が封切館で公開されるわ、東映まんが祭りで「D51の大冒険」なんてアニメ映画が仮面ライダーやマジンガーZそっちのけでメインプログラムだったりもしました。

 予てこのブログで紹介している機関士の親類は当時定年直前の時期だったのですが、この時期はSLよりもED75の方に思い入れがあったらしくED75の16番を2両も自作していました。
 蒸機の運転経験も多かった筈なので今にして思えば不思議な気もしますが、やはり現場の感覚からすると勾配区間の連続する線区でのSL乗務にはマニアほどには好い思い出は持てなかったのかもしれません。
 その小父さんが16番のSLを購入したのはC57 135が営業運転を終えた直後、C58とC54というこれまた不思議な組み合わせでした。
 D51でもC62でもなくC54という所に現場を経験した者ゆえの何かがあった気もしてなりません(C54は新製直後に試験運用で暫く地元の機関区にいた事があります。もっとも当時は私は生まれていないので写真でしか見た事がありませんが)

 私自身がこの趣味に入ったのも実は小父さんがこれらの蒸機を買ったのとほぼ同じ頃です。
 しかも当初からレイアウト志向でしたからSLブームとの縁はそれほどなかった感じでした。最初に入線させたのもKATOのキハユニ26でしたし。

 もう一つのムーブメントであるブルトレブームはその直後の事です。

 実際に鉄道模型、特にNゲージの普及を後押ししたのはむしろこちらの方ではないかと思います。
 尤も、社会的にはSLブームに比べるとそれほどの大波にはなりませんでしたし、Nが売れたと言っても鉄道と無関係の雑誌では「小ブーム」程度の扱いでした。

 SLと異なり編成単位で魅力を発揮するブルートレインは確かに模型向けの題材ではありましたし、直前に登場したTOMIX規格の組み立て線路の登場は16番以上に「我が家で鉄道模型」の夢を現実に近づけたのも確かだと思います。
 (SLブームの折に16番メーカーの大半がその波を生かせなかったのはSLと言う素材が「単独のキャラクターとして独り歩きした」結果、模型の方も走らせる事よりも飾るための細密化の方向に舵を切ってしまった事もその要因のひとつだったのではないかと思います)

 当時は野球漫画の「ドカベン」にまで「BT学園(もちろんBTとはブルートレインの略)」が登場するわコロコロコミックの「ゲームセンターあらし」にまでブルトレ改造のゲーム列車が出てくるわ(爆)
 確かに周囲にここまで浮かれ狂われればそれ以前からのファンのへそも曲がろうというものです。

 だからという訳ではないのですが当時鉄道模型をやっていながら私自身はこのブーム自体は冷めた目で見ていました。本当に可愛げのない餓鬼です(汗)

 当時あれほど人気だった24系25型の模型も本格的に増備したのは3年ほど前に自分が乗った「いわて平泉号」を作った時だったりしますからブームもへったくれもありません。
 ただ、醒めた目でこそ見ていましたがブームそれ自体を否定する気持ちにはならなかったのも確かです。
 24系を増備しなかったのにしても個人的に20系の方が好みだっただけの話ですし。

 そんなわけで流行というものにはメリットもデメリットもあるとは思うのですが、あまりムキになっても面白くないなと言うのが正直なスタンスです。


「それにしてもこんなお祭り騒ぎをやって、どうするつもりなんでしょうね」
「ぼくらにとっては、なんだかおかしくてしょうがないんですよ。(中略)」

「それに―この頃の政治という奴は、次から次へとシンボルや目標を打ち出して世の中を引きずって行かないと為政者が無能視されるからねー(中略)今度は君たちが旗振りの役にされているわけだ」
「ずいぶん皮肉な見方ですね」
「だけどーほんとはわれわれの方も、このブームに感謝すべきなんでしょうね。―今のうちにちゃっかり取り込むものをとりこんで、ブームが去った時に備えておかないといけませんね」

「それにやっぱり・・・ブームってのはいい事でもあるな、カラ騒ぎの面もあるが、実質的に残って行くものがあって、それで少しづつ進歩して行く。この船だって…」
(小松左京「復活の日」の冒頭よりの引用)

 ブルトレブームの真っ最中の頃、当時の私の心に一番よく刺さったのがこの一連の件りだったりします。

 ですがよく考えてみたら「復活の日」自体が角川メディア戦略丸出しの当時大ブームの映画だったのですが(大爆笑)
 もっとも、このくだりは映画には出てきません。

 が、冒頭の碓氷峠ブームの申し子モデルの事を思うとき、この一節がふと思い浮かびました。
 事実、ブームが過ぎればこれだけよく出来たモデルが中古でそこそこ安価に入手できるわけですし、その点ではそう悪くはありません。

 アイドルやファッションと違って鉄道模型の中古の多くは20年や30年経っても十分使えるという事も最近の中古モデルで実証済みですし。
 30年前の旧モデルでも何かしら見どころがあれば流行と別なところで活用する事もできる。
 鉄道模型自体がそう言う側面を持っている事は大変なメリットですしもっと認識されても良い所ではないでしょうか。
 (但し一部の工芸品モデルを除けば「利殖に向かない骨董趣味」でもあります)

「ファンの意識は非常にいろいろで、俗にハードなマニアとかファンは、ミーハー族をバカにする。ところがそのミーハー精神というのは、一番ファンに大切なところで、コレクターも、その他のプロも全部ミーハーのなれの果てで、その辺の精神を忘れてしまって自分はコレクターだとか、ファンだとか何様の様な感じをひけらかせている雰囲気が昔のファンの間にある。新しいファンというのを非常に受け入れにくい気分にしているという感じがします。まあ、われわれのところはブームに関係なく、例えばスターウォーズが大ヒットしても、うちはボリスカーロフの特集をしているという訳ですからね」
「そしたら石田君のところは、少し前のオカルトブームも同じことが言えるわけですね」
「そうですね。大体オカルトという名前が我々にとって非常に気分の悪い物なんです。ただ、そのブームが去った後、消し炭のようなものでもあれば僕らでそれを拾っていこうと思います」


 これは特撮専門誌の「宇宙船」の創刊号のファンジン(当時は同人誌をカッコよくそう呼んでいた)編集者の座談会からの引用です。

 こちらもブームに対するファンの意識としての示唆に富む内容と思います。
 意識、無意識にかかわりなくこの言葉も最近の私の購買行動に影響を与えているような気がします。

 その伝で言うと私などは消し炭ばっかり拾っている屑屋も同然ですが(汗)それでも何かしら拾ってよかったと思うモデルが最近は多いですね。

西沢工業のパワーパックのはなし

2015-07-21 06:21:25 | 鉄道模型 
 今回は、以前使っていたパワーパックのはなしです。一部再録を含みます。

 これは昭和50年頃にNゲージを始めた時期に購入した、西沢工業製NP-3というものです。鉄道模型のメーカーでは寡聞にして知らないメーカーですが外装の雰囲気などから学校等の実験器具や測定機器などを生産しているメーカーではないかと想像されます(後で調べてみた所では16番用のパワーパックは数機種リリースしていたようです)

 調べてみると当時の関水金属(KATO)やトミーNスケールのパワーパックが2000円台だったのにこれは4200円だったとの事。確か前期のメーカー品が店に無くて唯一残っていた物を買った記憶があります(当時、鉄道模型といえば8割方16番をさしておりNのパーツは極端に少なかった)



 リアの端子はシンプルながら裸線をつなげば今のフィーダー線にも対応できそうです。
・・・とまあ、前置きはさておいてこのパワーパックからこれまた32年前のTOMIXの線路(現行のファイントラックに接続不能とされた初期製品です)にフィーダーを接続し早速試走してみました。


 走らせるロコはいずれも中古のKATOのC55と河合商会のB6(2120)。線路にとっては趣味の中断前から数えて24年目の試走という事になります。
 レオスタットを回すとあるポイントでどちらの機関車もラピッドスタートしましたが、走行自体はスムーズに出来ました。スロー性能ですが、後で自宅のTOMIXのコントローラで試した所では十分スローが効いたのでこれはパワーパックの性能上の問題と思われました。
 電源容量の差も大きそうです。

 とはいえ、20年以上寝かせていた機械ながら今でも十分使えることは再確認できました。



 このパワーパックの出力は0・5A。以前ミニSLレイアウトで触れた週刊SL鉄道模型のパワーパックとほぼ同数値のスペックです。SL~のパワーパックはACアダプターを含めても西沢のこれよりかなり軽く、この辺りに時代の進歩を感じます。
 トランジスタなどの装備もあるのか(西沢のパックの当時はトランジスタコントロールは最先端の高級品にしかありませんでした)或いは電源周りの進歩もあるのか、ラビットスタートの類も少なかったですし。

 さて、この西沢のパワーパックですがこのブログを上げて2年ほどして再び行方不明になりました。実家の家族がどこかへ動かした可能性が濃厚ですが(一見してどう見ても正体不明の怪しげな電気製品にしか見えないのでガラクタ扱いされたかも)以来、帰省のたびに捜索をしております。

トミーのメトロライナーに悩む・1

2015-07-19 09:33:40 | 車輌・電車
 先日袋詰めのジャンク品で見つけた超レトロなNゲージから。
 トミーナインスケール時代のメトロライナー2連です。

 TOMIX以前のナインスケールではBACHMANN製の国鉄貨車やED75,DD13等が出ていましたが、アメリカ形の車両も同じくらいのボリュームで売られていました。
 75年版のカタログでは大型蒸機やディーゼル機、貨車や客車など日本型では手付かずだったジャンルの車両も結構ラインナップされておりカタログの半分位が外国型で占められていました。
 (因みにストラクチャーやアクセサリはオールアメリカ形w。ミニカーもグレイハウンドのバスとかキャディラックなどのアメ車ばかりで辛うじてVWタイプⅡのミニカーが欧州型だったと言う位です)

 その中でひときわ目立っていたのがアムトラック仕様のメトロライナーでした。
 それはそうでしょう。このカタログで「電車のモデルはこれだけ」でしたから。
 今のTOMIXカタログの半分位が電車で占められているのとは隔世の感があります。

 ですがカタログで存在を知っていたとはいえ模型の実物を見て触れるのはこれが初めてです。
 袋詰めな位ですからそれだけでも安価になる条件は揃っていますが、それ以上に問題だったのは
 「走りません」の一言(笑)

 動力車が入っているのは分かっているのですがこれでは買ったものかどうか悩みます。
 過去の例で言えばこの種の「不動」と書かれていたモデルで「手を掛ければ走行が復活したケース」は大体8割くらいです。
 残り2割はギアかモータに問題があったケースが殆どでしたが見たところこのモデルについて言えばギアは問題なさそうでした。

 最悪でもモータとギアを抜いてトレーラーとして使う積りで購入しました。

 さて、勢いで買ったはいいですがこれからどうしたものか。

スズキアルトが「47万円」だった頃(笑)

2015-07-18 09:30:56 | アクセサリー
 Nゲージスケールのモデルが欲しいクルマの話。
 このネタもシリーズ化しそうな勢いになりました。
 前回はマークⅡでしたが今回は当時そのマークⅡを買う金があれば「3~4台は買えた(笑)」バーゲン品みたいなクルマの話です。

 大昔、山形に実習に行っていた学生時代、実習地までの足として級友のアルトに便乗させてもらっていた時期があります。

 山形~上山の間のバイパスを毎朝通っている間中カーステから流れる薬師丸ひろ子のアルバムを聞きながら開きっぱなしの窓外を流れる緑の山をボーっと観ていた学生時代の私。

 そんな事が思い出される一台です。

 そのアルトは当時「アルト47万円」とCFでさんざん聞かされたモデルの文字通り47万のグレードで(ステレオは後付けでしたが)エアコンもなければ窓は手動開閉、ドアのキーホールまでが運転席側のみという徹底的に何も無い(おまけに商用車仕様なのでリアシートが死ぬほど狭い)クルマでしたが、その何もなさが却って潔い感じで学生の足にふさわしい(笑)感じの一台でした。

 これが出た80年頃はいわゆる「ハイソカー(先日のマークⅡや初代ソアラ等)」も売れていた一方で「クルマに何もついていなくてもとりあえず使えればいい」というニーズが発生し始めた時期です。アルトはまさにそうした空気を先取りして登場した車でした。
 何しろ安さを実現するために上述のように装備は徹底的に削られ、それどころか「軽自動車ではフル乗車が少ない」というリサーチからリアシートが無いに等しい「4ナンバー商用車」のみのラインナップと何から何まで割り切って作られた車でもあった訳です。

 よく見たら今回のミニカーもキーホールのない助手席ドアがきちんと再現されていて驚きましたが。

 こちらの黄色いのはマイナーチェンジ後の後期形。丸ライトから角目に変更されたのが目立ちます。
 前期形のどちらかというとあっさりした雰囲気から一転、少し豪華な感じになっています。
 当時はこちらの方が良いと感じていたのですが、この後の歴代アルトの大半がそうだった様に前期形のシンプル且つプレーンな雰囲気の方が後になってみると好ましく感じられるのは不思議です。

 因みにアルトというクルマ自体は同じボディの「フロンテ」の商用仕様という位置づけでして乗用車としてのフロンテも併売されてはいたのですが売り上げはアルトの方が大きくリード。
 ネーミング自体もいつのまにかアルトがフロンテに取って代わってしまいました。今では「5ナンバーのアルト」が当たり前になっています。
 
 それにしてもトミカの世界ではこんな車までミニカーになったのですから全くたいしたものです。
 車としてのデザインには華が全くないのですがこういう「かつてはどこにでも居た」こういうクルマ、Nゲージサイズで欲しいジャンルの最右翼です。

 これはアルトに限らず当時のミラとかレックスでもいえる事ですが。

KATOのC12から・3・他のC12と比較してみる

2015-07-17 09:28:03 | 車両・蒸気機関車
 KATOのC12の出来の良さには改めて驚かされっぱなしですが、C12は以前にも別メーカーの車両を入線させていますのでそれとの比較を書いてみたいと思います。

 まずは昨年の「ジャンクの玉手箱」に入っていた中村精密製
 (上の写真、左側のモデルです)
 玉手箱にこれが入っていたのを知った時には思わず狂喜しそうになった(爆)思い出が。

 何分30年以上前の製品でそのまま比較はできないはずですがサイズとプロポーションはかなりKATOに肉薄しています。
 それどころか3メートル離れて見たらどっちがどっちかわからないかもしれません。

 中村のC12はブラス製のキャブモーター機、手すり類は別パーツで表現されていている上に質感も良くKATOほど細密ではないにせよ今見ても十分モデルとして観賞できるものと思います。
 ロッド周りの表現も当時としてはかなり頑張っていますし。
 ただ、まるでスローの効かない走りっぷりはKATOに比べて明らかに残念なポイントではあります。

 そしてもうひとつが数年前に中古で入線させたマイクロエースのC12
 (こちらは写真右側のランボードに白線の入った方です)
 トラストトレインセットの牽引機です。これを買った当時は葉純線の工事が追い込みの時期でローカル線にふさわしい小型機という事で入線させたものです。

 真横から見たプロポーションについては書き出したらきりがない位物凄い事になっています。
 背が高い、ボイラーが太い、腰が高い、キャブ窓の上の側面が長すぎてキャブが1・5階建て位に見える、それでいて長さがKATOとほぼ同じなので異様にずんぐりに見える等々。
 ですがこの当時は普通に手の入るC12がこれしかなかったのも事実ですし、プロポーションの問題も既成のモーターを使わざるを得ない事情があった点は考慮する必要はあります。

 単に細密度で言うなら中村のそれを上回りますし、事実走行性は中村よりはるかに良いのですから。
 スローもKATOほどでないにしても十分な走りを魅せます。

 それに「プロトタイプのあるC12」である事を一旦忘れて「トラストトレインを牽く小型蒸機」としてみてみると案外雰囲気が悪くない事にも気づきます。
 レイアウト上では別形式と割り切って使うならはるかに実用性の高い小型タンク機と思います。

 上記2機と比較して今回のKATOのC12を見てみると中村から数えて35年以上を経てようやく登場した決定版モデルという感じが強いです。
 これより細密で高級なモデルも存在しますが、コストや走行性、入手のしやすさと言ったトータルで見た場合このC12を凌ぐものはNでは空前といえます。

 となると、個人的に気になるのが次の一手は?という事です。
 個人的にはこのユニットをさらに改良した形で8620を期待したいのですが、実際にはC12よりも動力機構を余裕を持って作れるであろうC11のリニューアルというのが実現性が高い気がします。

KATOのC12が入線する・その2

2015-07-16 09:25:54 | 車両・蒸気機関車
 先日入線したKATOのC12の話の続きです。

 先に書いた通り本気の入線理由はミニSLレイアウトでの次世代主力機を期待しての事でした。
 ミニSLレイアウト棚幡線はファイントラックのミニカーブを標準としており標準径140Rです。また、ローカルレイアウトの葉純線は最急カーブが177Rに設定されているので棚幡線がクリアできれば葉純線での運用は問題なく行える勘定になります。

 因みにKATOの告知によるとこのC12はユニトラックの150Rをクリアできる事になっていますので140Rは誤差、又は安全係数の範囲内でどうにか走り切れるかもという期待は持てます。

 先日カプラー・スノープラウ装着を済ませた状態で早速試走してみました。
 140Rのエンドレスはどうにかクリア。ミニカーブ用ポイントも直進させる分には通過できます。

 ところがポイントを切り替えて側線側(当路線での反位)に切り替えると先輪か従輪がそのまま直進してしまい脱線するトラブルが頻発。棚幡線では都合4か所のポイントがあるのですがそのうち前進状態では4か所中3か所、後退状態では2か所でこれが生じました。ポイントの構造によるものか車両側のそれかははっきりしませんが少し残念ではあります。
(追記)書き忘れましたが上述の傾向は直線から側線に入る時の挙動です。
 逆に側線側から本線に進入する際は問題なく走れました。

 ユニトラックのポイントではおそらくは大丈夫だろうと思いますがこれまでKATOのC11がクリアできなかった急カーブが行ける機種なだけにこの点は惜しい気がします。

 ただ、当初危惧していた後付けスノープラウの引っ掛かりは皆無でした。

 残念は残念ですがそれでもメインラインを走らせる事はできますので当面は運用範囲を限定する形での運用になります。

 さて、このC12に牽引させるは鉄コレ第1弾・第2弾の小型二軸貨車。
 国鉄制式の2軸貨車も良いのですがこの種のショーティがかった貨車も殊C12にはよく似合います。

 バック運転で後方ライトが点灯するのはこういう時とても嬉しいポイントではあります。

KATOのC12が入線する・1

2015-07-15 09:20:29 | 車両・蒸気機関車
 夏風邪の方は「昨日よりややましになった」程度の状態です。
 気候は相変わらずの低温多湿状態なので気分の悪い事夥しい。こればっかりはどうにもなりません。

 そんな折行きつけのショップに予約していたKATOのC12を引き取って来る事ができました。
 聞く所では最初の入荷分は殆どが予約で捌けてしまったそうで、その予約も何割かは次の生産待ちの状態だったのだそうです。
 早めに予約はしておくものですね(笑) 
 
 最近のKATO蒸機の例にもれず「意外に小さい」上に「意外に軽い」印象です。
 それでいて線路上ではそこそこの粘着力を発揮するのですから侮れません。

 プロトタイプがそうだからと言われればそれまでですが、ボイラの細さは感動物です。
 C56の時にも感心しましたが今回はそれより更に小さいですから余計感動の度合いも強くなるのかもしれません。

 フロントのダミーカプラー周りの細密さは一昔前の16番高級ブラスモデル並みに感じます。
 ボディそのものの質感もてかりすぎず地味すぎない絶妙な所を突いているのでウェザリングなしで線路に載せても意外と違和感は感じません。

・・・とはいえ、私がこのC12を入線させたのはミニSLレイアウト「棚幡線」の新世代主力機(笑)を期待しての事です。
 レイアウトで使う以上バック運転も必須ですし、折角解放ランプまで装備したレイアウトを作ったのでアーノルドカプラーも必須。
 外見がかなりしんどくなるのを覚悟で前のカプラーは重連用(とKATOは言っていますが、C12の場合、バック運転用の方がピンときますw)と交換してしまいました。

 その場合でもそのカプラー専用のスノープラウまでおまけに付けてきた所はとても有難い気配りでした。
 因みに後方用のスノープラウも付いてきているので両方付けるとかなり足回りが重厚になります。
(もちろん標準装備のダミーカプラー用のより細密なスノープラウもあります)

 早速棚幡線を試走させましたが、直線部では一応実にスムーズな走りを見せてくれています。
 ただ、その走行時に少し気になる所もあったのでそれについては後述します。

 そろそろ夏風邪の疲れも出てきましたし(汗)

 最後に
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 最近はやや迷走気味ですがこれからもよろしくお願いします。