今回は久しぶりに思い出ばかしから。
先月来、折に触れてモデル同士の競作の話をしてきましたが、私がこの趣味に入った頃はNゲージの新製品は年に指を折って数えられる程度というのが通り相場でした。
それでも昭和40年台後半は年に一つか二つがいいところでしたから、それに比べれば大した進歩ではあったのですが。
昭和50年の時点では蒸気。電機が3機種づつ、客車が2系統(それも20系とオハ31系という時代の離れた組み合わせ)電車は103系、気動車はキハ20系だけでしたから機種の不足からくる枯渇感は相当のものでした。
第一、故郷の岩手で見るような編成は実質キハとナハネの20系コンビしかありませんでしたから尚更です。
唯一、ナインスケールの参入で充実著しかった二軸貨車だけがどうにか様になっていた程度でした。
この趣味に入った昭和50年はGMが客車キットのリリースを開始し始めた頃でしたがまだまだ田舎の店頭では見かけず、実質KATOのキハ82系とトミーのDD13、そして新規参入で「学研の新幹線」が目を引いた程度でした。
となると「新製品の予定」に期待をかけるしかなかったのですがこれがまた当時は貧弱そのもの。
(関水金属昭和50年版カタログより引用)
当時のKATOのカタログを見ても予定品は蒸気がC50、D52、D62電機はEH10とEF57、DLがDD13。実はこれでも「当時実際に出ていた機関車と同数」だったのです。
(関水金属昭和50年版カタログより引用)
予告されていた電車は181系と153系。
何しろこの時点でNの電車ときたら103系5形式しかなかっただけに期待値の高いモデルでした。
TOMIX以前のナインスケールの製品予定車はED61と581系、いくばくかのボギー貨車という程度でした(KSKタイプCタンクも予定品でしたが直後に製品化されていたので予定品という感覚は薄かった)
これでも欲しいラインナップにはまだまだ程遠いもので、あれが欲しいこれが欲しいという「予定にすらなかった新製品」の期待ばかりが膨らむという情けない状況だった訳です。
そんな現状でしたからTMSなんかに掲載される新製品情報や広告は年に数回の頻度だったにも関わらず随分と私の妄想を膨らませてくれたものです。
翌51年はじめの時点ですら新製品は上記のCタンクとボギー貨車、KATOのタキ3000、暮れになって学研の583系くらいしか新製品はなし。客車はGMの頑張りでかなりの数になっていましたがいずれもキットというのが痛かった。
(鉄道模型趣味 76年2月号50Pより引用)
その年の1月のKATO広告でイラストながら181系とDD13が予告された時の嬉しさといったらありませんでした。
(鉄道模型趣味 76年2月号89Pより引用)
同じ月にグリーンマックスの完成品113系が登場「動力車なし」の変則的な形でのリリースだったのに嬉しかった事といったら(笑)
そんな現状ですから51年11月のTOMIXの登場予告で「オハ35系と12系が出るらしい」というアナウンスは結構なサプライズでもあった訳です。
(TOMIX77年版カタログより引用)
その年のTOMIXの最初のカタログではEF81と113系、24系客車の予告が一大サプライズで「買ったばかりのカタログを家まで我慢できずに近場の公園でむさぼり読んだ」なんて思い出とともに鮮烈な印象を残します。
この辺りを境目にして昭和55年頃までの数年間はメーカーの新規参入と車種の充実が最も顕著に感じられた時期で毎月がサプライズ状態という「製品紹介を眺めているだけで結構幸せな気分になれたw」時代でもありました。
それから40年以上が経ちTMSひとつ取っても「新製品を羅列するだけで優に数ページが埋まる」なんていうあの頃を思うと夢のような時代になりました。鉄道コレクションに至っては月によっては見出しが「各種」の一言で済まされるくらいです(驚)
ですが現状はサプライズも徐々に小物化し、未製品化の穴場探しか、リニューアルの充実感がメインになっている印象すらあります。
(そうは言ってもKATOは40年前から予告しているD52を未だに出してくれませんが)
あの頃が今より恵まれていた、いい時代だったいう気は毛頭ないですが、あの頃のトキメキを取り戻す何かがそろそろ欲しい気もするのは只のノスタルジーでしょうか。