My Father, Rua Alguem 5555 2003年 イタリア・ブラジル・ハンガリー映画
監督 エジディオ・エローニコ
出演 トーマス・クレッチマン チャールストン・ヘストン F・マーレイ・エイブラハム
勝手なあらすじ(自分の解釈の上でのストーリー)
1985年6月6日。ブラジル、アマゾン州、マナウス市。
墓地から1体の遺骨が掘り出された。それは、ヒトラー政権下のアイシュヴィッツ収容所で『死の天使』と呼ばれた医師、ヨゼフ・メンゲレのものであるらしい。だが、ユダヤ人被害者達に雇われた弁護士のミンスキーは、彼の息子ヘルマンに会い、この遺骨は別人で彼は今も生きているのではないかと、質問をなげかける。
すると、ヘルマンは、8年前に会った父親の事を語り出すのだった。
勝手な感想(自分の思い込み多々)
今週は、ドイツ人俳優であるトーマス・クレッチマンの出演作品を紹介する事に。久しぶりにという事で。(^◇^;)
ヒトラー政権の話はもう何作品も見ているが、
被害者の視点しかなく、ちょっと加害者の心理を知りたいなと思って見た作品。
観賞したのがだいぶ前なので、記憶がちょっと曖昧なのだが。
見終わってずしりと重くなった作品だった。
救いようのない重たいものが心に残った。
クレッチマンは、医師の息子ヘルマン。
なんだか可愛そうな感じに思えたのだ。
彼の苦悩する表情がじ~んと心に響いてくる感じで。
彼は父親の事を「純粋な人」と言っていた。
人を殺しといて純粋も何もないだろう!と初めは思ったが・・・。
メンゲレ医師は、「人を殺した」という罪の意識はない。
逆に、化学の為に貢献したのだと言う。だから人なんて殺してないと言い張るのだ。
なんて奴なんだ!と思ったが、
「子孫を残すためだ」と言われると何となく分かる気がするのだ。
誰だって、子孫は残したい。
ましてや、一番優秀だと思っている自分達を後世まで残したいと思うのは何処の国の人間でも思うことだろう。
ちっぽけな自分達だって、自分の2世が欲しいと思った事はないだろうか?
よく、独身でも子供は欲しいと言う人がいるが、それと同じだと思うのだ。
見終わった後に、「純粋な人」とヘルマンの言ったことが納得だった、ich。
生き残るのに平等という事はないと父親が言った時そう思った。
平等という言葉は、本心を隠しているのだと。
うわ~痛いところを突かれたと思ったのだ。
誰もが平等と思っているようで平等だと思っていない事。
(自分は特別だ!と誰もが思っているという事)
だから、この人は「純粋な人」=「人間の本心に正直な人」という感じに思えたのだ。
隠しておきたい自分のダークな面を、見て見ぬふりをしている自分のダークな思いを呼び起こされ思い知らされた気がした。
だから、言われて納得だったのだ。
若い時に見たらショックで寝込んだかも知れない。
だが、今では素直に認められる。それほど大人になったってことかな?
精神年齢はガキなんだけどさ。