■「風立ちぬ」(2013年・日本)
監督=宮崎駿
声の出演=庵野秀明 瀧本美織 西島秀俊 西村雅彦
※ストーリーに触れる部分があります。
宮崎駿監督が年齢を重ねた今だから撮れる映画。「風立ちぬ」は、そんな大人のためのジブリアニメだ。零戦を設計した堀越二郎を主人公に、宮崎監督の空への憧れを結集させた美しい作品だ。堀越二郎は映画「零戦燃ゆ」(1984)で北大路欣也が演じているが、あくまで軍人を主人公にした戦争映画の脇役にすぎない。「風立ちぬ」で描かれる二郎の思いはただ一つ。"いい飛行機を作りたい"それだけだ。そのために才能や技術を発揮すること、アイディアを出すこと、努力することを惜しまない。そんな「魔女の宅急便」のトンボを大人にしたようなまっすぐな主人公。監督は二郎というキャラクターに、自分自身の空へのあこがれを惜しみなく注ぎ込んだ。
宮崎アニメには飛行シーンはこれまでの作品でも幾度も登場する。ナウシカが乗るメーヴェ、魔女っ子キキがまたがるほうきやモップ、ポルコ・ロッソが駆る真っ赤な飛行機、千尋とハクは空を浮遊し、サツキとメイはトトロにしがみついて空を飛ぶ。「風立ちぬ」は空を舞う飛行機が次々と登場する。二郎はイタリア人設計者カプローニに幼い頃から憧れ、夢の中で彼と会い、ときに啓示を与えられ、励まされ、生涯彼を師と仰ぐ。カプローニが登場する夢の場面は、「風立ちぬ」の中で従来の宮崎アニメ的なファンタジー部分を担っている。翼の上に立って会話する二人、大勢の人々を乗せた巨大な複葉機。
しかし。第二次大戦を突き進む当時の世界にとって、飛行機は戦争の道具でしかない。「風立ちぬ」では設計者にとっての厳しい戦時下の現実も描かれる。それでも開発に携わる技術者たちが仕事したり、設計について議論を交わす場面は生き生きとしている。好きなことをやっている、決して国のためとか大義のためという気負いはそこには見られない。しかし彼らが開発した飛行機たちは決して戦地から戻ってはこない。映画終盤ではカプローニとの夢の場面でそうした苦悩も描かれる。また、国際スパイの存在や秘密警察、満州事変などあの時代のきな臭い部分も描かれている。いつしか二郎もつけ回されることになっていく。上司が「会社が全力で君を守ってやる。君が使えると思えるうちはね。」という一言もクールな現実。
だがこの映画は戦争という時代の厳しさばかりを描いてはいない。若い頃列車で出会った菜穂子と避暑地で感動の再会。病身である菜穂子と二郎のエピソードは、堀辰雄の「風立ちぬ」を下敷きにしている。ここから続く二人の一途な純愛物語は戦中の話であることを忘れさせるような部分。病身の彼女とのやりとりは堀辰雄の小説でも心にしみるが、それはこの映画でも同じ。残された時間が少ない彼女が、二郎に寄り添うことしかできないながらも彼の心の支えになっている様子は悲しくも美しい。家に仕事を持ち帰った二郎の手を握って離さない、大仕事を成し遂げた二郎にそっとふとんをかけてあげる菜穂子。そして、病が悪化した彼女が選んだのは・・・。エンドクレジットで流れるユーミンの「ひこうき雲」。失われた命と空へのあこがれを歌う「ひこうき雲」の歌詞が心にしみる。適度にファンタジー、適度に現実の厳しさ、そして純愛。密度の濃い126分。いい場面がいっぱいだし、いい台詞もいっぱい。
映画が終わっていろんなことを考える。ジブリが初の外国映画配給をしたのは、戦闘機乗りが主人公のチェコ映画「ダーク・ブルー」。あの映画の邦題候補は「この空に君を想う」だったそうだが、採用されずキャッチコピーとなった。不採用だったタイトルに込められた気持ち、「風立ちぬ」を観ると理解できるような気がした。高原のサナトリウムに"なおこ"という病身のヒロインとくれば、「ノルウェイの森」。もしかしたら村上春樹もあの小説を書くのに、堀辰雄の「風立ちぬ」を頭の片隅に置いていたのかもしれないな。