ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

1995年1月 25歳

2010-01-17 16:55:19 | 時事(国内)
今日でちょうど阪神大震災から15年目である。

とは言っても、自分自身が被災したわけでもなく、ただテレビの画面を
通じて震災の被害を見ていただけで、今日まで今ひとつ実感がないのが
正直なところである。また、年齢的にもまだ若かった為、社会の出来事
に対して、それほど関心がなかったのだろうと、当時を思い出して推測
した次第である。

その頃、当時、25歳だった私は福岡県の博多に住んでいた。確か中途採用
で一つ目の旅行会社で働いていた頃である。前年の年末から年始ににかけ、
同僚の友人と韓国に遊びに出かけ、帰国予定日に釜山からのビートルという
高速船に乗り遅れ、年明けの仕事始めに間に合わず、翌日、上司からこっぴ
どく叱られて、まだ意気消沈して仕事をしていた頃が、1995年1月の半ばで
あった。

まぁ、そんなことはどうでも良いことだが、今後も、日本に住んでいる以上、
必ずどこかでこういうことが起こるだろう。大事なのは「減災」である。
被害を最小限に食い止めるような、日ごろの備えと可能な限りの自己防衛、
そして国の迅速な支援体勢が不可欠である。

政治家が私腹を肥やし、いいかげんな国づくりをした結果が、先日、震災に
見舞われたカリブ海の国、ハイチの人々を苦しめている。せめて大統領府
くらい耐震建築にすべきであったはずである。外見はホワイトハウスそっく
りだが、その作りはまるで張りぼてであった。

ひとたび震災が起きれば、政治に携わる者の責任の大きさを思わずにはいら
れないということを象徴する出来事であった。








コメント    この記事についてブログを書く
« 全アジア航路を行く | トップ | 出る杭は打たれる »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿