ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

もしも…

2008-08-06 19:17:44 | つぶやき
63年前の今日、広島に原爆が落ち、その3日後には
長崎にも…。

この日本では5年後も10年後も、おそらく100年後も
この日と8月9日の両日は、核兵器全廃を謳う平和式典が
広島と長崎で行われていることだろう。

しかし、核兵器は絶対になくならない。数の減少は
多少あるだろうが、全廃することは、まずないだろう。
どこかの国のように故意に開発し、廃棄することで
多くの見返りを要求する国があるように、今後も、
類似する国が出てくるとも限らない。

核兵器はもはや格兵器だと、今日の新聞に記載があった。
核を持つことで、例え独裁国家の貧しい小国でも、超大国を
話し合いのテーブルに着かすことが出来るからだと…

確かに核はある意味、対等である。互いに保持する国
どうしが争った場合、一方が使えば報復され、その結果
互いに自滅するという意味でもそうである。使用前では
抑止力が働き、使えないという意味でも対等である。

しかしだからと言って、全ての国が持てばどうなるだろう。
確実に使用される危険が、増すばかりである。

一方で現在持っている国が持たざる国に一歩的に「持つな」
と言うのも、考えてみればおかしな話でもある。
それ言う前に「まず、お前が捨てろ」とでも言いたくもなる。

要はすでに持っている国からすれば、これ以上持たせたくない
ゆえ、条約でも作って作らせないように管理するという、つまり
保持する国々のルールを持たざる国々に強要しているのが
現在の核の倫理観となっているのである。

従って、持っている国と持たざる国との話し合いなど、ある意味
永久に平行線なのである。つまり保持する国々が全廃する以外に
平和的かつ平等な解決方法はないのである。

「核は全廃し、戦争するなら通常兵器で…」

これは鉄則である。

もしも、世界中のどこの国でも、防衛費を1円たりとも
掛けずに済むなら、どの国も経済的に相当、楽になるはずである。

人間は意外とアホである。

この話は携帯電話を持つ人々が皆、ソフトバンクのホワイト
プランだったら、日中は誰に掛けてもタダなのに…
ということに似ているかもしれない…

違うか…?





















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