ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

パラオ紀行(1)

2014-06-28 21:02:03 | 旅行(海外)
帰国いたしました。

パラオ、海が本当にきれいだった。魚やサンゴなどの生物が
うようよいた。宿の裏の小さな遠浅のビーチで、パンを撒く
といろいろな色をした魚がたくさん寄ってきた。
何といっても海の透明度が凄い。
元々、私は海やプールが大嫌いだったが、水中メガネで海の
中を見ていることにすっかりハマった。海の中って人が住む
世界とはまったく別世界で、どんどん深いところに行ってみ
たくさせる何かがあるんだなと思った。

ダイバーが様々な海潜りに行く気持ちが少しだけわかったよ
うな気がした。

で、パラオだが、ただの田舎の島だった。もっと観光地化され
ているのかと思っていたのだがちょっと違った。
そして、何よりも完全に台湾におんぶに抱っこの国だった。
パラオは台湾と国交している見返りに、多額の経済援助を受け
ている。援助額ではアメリカ、日本の方が多いらしいが、アピ
ール度は台湾の方が優っているのかもしれない。
一般的に援助対象物に対して、国旗などを印として残すことが
多いが、パラオは台湾の国旗だらけだった。学校や多くの建物、
パトカーに農園、スーパーには台湾企業の商品が溢れていた。
反面、メイドインチャイナが大変少なく、それがちょっと新
鮮だった。ただし、物価は日本並。

コロールの街にパラオで一番大きい3階建てのスーパーがある。
その3階の家具売り場の隣の一角が台湾の大使館だった。
普通、スーパーの中に大使館なんて作るだろうか?ただ、考えよ
うによれば、ここが一番人目に付くところでもある。

なんとなくだが、台湾はパラオで国としての体裁を必死に保とう
と頑張っているように見えた。

労働力はフィリピン人頼みだ。欧米人もいるにはいるが、思った
より、随分少なかったな。観光客も圧倒的に台湾人が多い。それ
に韓国人と日本人が続く。

コロールばかりにいても、と思い車を借りて別の街にも行って見た。
この国には公共の交通機関が一切ない。タクシーも流しはなく、電
話で呼ぶしかない。そのため、車がないと移動ができないのである。

首都にアメリカのホワイトハウスを模した建物があるというので行
ってみると、ジャングルの中にポツンと建っている。
周囲には何もなく、なぜ、こんなところに首都を移転したのか意味
不明だった。ただ、そこにも台湾の国旗が…。

フィリピンとグアムの中間ほどにあるパラオには、日本人の多くは
グアム経由で来ているようだった。私たちは台湾経由で行ったので、
行きも帰りもほぼ台湾人のオンパレード。おまけに宿も台湾人経営
だったので台湾人だらけ。
ここまでくるともう、パラオは台湾の植民地ではないかと思うくら
いだった。

ちょうど日本がバブルの頃、グアムやサイパンを日本の経済植民地
などと言っていたのと同じような感覚だろうか…。

ただ、食事は高くて不味くて最悪だった。おまけに果物も不味いと
きた。

そう言えば、中島敦の「南洋通信」にも、戦前のパラオは日本が統
治していたミクロネシアの中でも食料事情は最悪だったと記されてい
たな…。

いつか、パラオとグアムの中間にある「ヤップ島」にも行ってみたい。
ここはさらに素朴らしい…。

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