【タックの放浪記】  思えば遠くへきたもんだ・・・     by Tack SHIMIZU

心に刻まれたその一瞬、心に響いたその一言、心が震えたその想いを徒然と書き記したい。この記憶から消え去る前に…

自分を信じてまっすぐに!

2011年01月15日 | 徒然日記
水曜日にBKKより帰国途中、インフルエンザA型の発症により、そのまま自宅安静。今に至っている。

考えてみたらBKKで働いたものの、オレの日本での仕事はまだ始まっていない。気持ちばかりが焦る。こんな年明けは初めてだ。

今週末までに復活したいのだが・・・

このように体調を壊し仕事を休んだのは何時ぶりだろうかと考えてみた。

それはちょうど7年前に家族全員がインフルエンザでダウンして以来であった。その時の事をあんまり覚えていないのだが、その時もしんどかったんであろう。

しかし家でじっとしているのというのはとても退屈である。さすがにずっと寝れるわけではない。

テレビを付けるも、くだらない番組ばかりでおもしろくない。

『内閣改造』が成されたが、それでいったい何が変わるというのか・・・? これまで相対していた与謝野何某を大臣に起用する真の理由は何なのか?

全くもって疑問である。そしてオレの目には灰色くしかみえない。

政治に関心を持たない国民に一番問題があると思う。

ちょっとしたことで右に左に気持ちが流れてしまう国民の投票。その票を稼ぐため、必要以上に甘い言葉を発する政党。その結果のねじれ国会。

情けないかな、これが我々日本の現況である。

まぁ、それはさておき、自分の事を書こう。

当初、この日曜日から、広島から高知に渡る予定にしていたのだが、不本意なるこの病気にて、違うスタッフをアサインし、オレは来週木曜日のフライトにて高知入りすることにした。高知で27日まで働いた後、東京へ飛び、月末は東京に滞在。そして2月1日より盛岡の取引先百貨店でのキャンペーンに入る予定だ。

いつかもらった最愛の言葉・・・『自分を信じてまっすぐに!』

それでいこうと思う。




BKK放浪2011 『 どっぷりタイ~ 』

2011年01月14日 | 旅三昧!釣り三昧!
2011年1月のオレのタイ放浪は、結局チェンマイでのスケジュールの短縮による一日、パタヤでの一日以外は全て、BKK滞在となった。今思いつくまま、ここに書き記すことにする。



ちっとも寒くない冬のBKK。日々の渋滞は相変わらずである。

うちは本来、イタリアを中心にヨーロッパよりジュエリーを輸入している会社なのだが、この地BKKのジュエリーメーカーのほんの氷山の一角に、ヨーロッパにも通用できるレベルの高いメーカーが存在しており、我らがイタリアの仕入元にて彼らの商品を仕入れ日本に輸入するより、はるかに安く、更にはタイ・日本間にはFTA(特恵関税)が適応になるため、大きなメリットがあるのだ。

今回も総計70点ほど、バランスのよいジュエリーを求めた。

特筆すべきは、マーキスカットのIFのダイヤモンド、マーキス及びペアシェープのVVSのダイヤモンド3点を用い花のモチーフにデザインしたリングであろう。これは日本市場で430万円(税別)にて紹介することにした。なかなかこの手の高額なラインは現状のマーケットでは動かないのが実情だが、うちの会社の顔になるジュエリーとなろう。

仕事はそれくらい。

今回のタイ滞在中は本当にタイ料理に固執した生活を送った。トムヤムクンも何度となく頼んだが、トムヤムクンにはココナツミルクが入ったものと、入ってないものと二種類あることを初めて知った。個人的には、ココナツミルクは苦手なのだが、唯一、トムヤムクンにはOKって感じ。

スクンビット通よりトンロー通を上がり、しばらく行った通り沿い左手(Soi16辺り)にあるタイレストランは、オレのお気に入りで毎回SAMMYに連れて行ってもらうのだが、そこの料理はやっぱり美味かった。俺の中の3本指に入るタイレストランである。オススメ!



バーミも何度となく食べた。BKKにある日本のラーメン屋のラーメンが1杯150バーツ程(450円)。屋台のバーミーは1杯30バーツ(90円)である。この値段の違いが物価の違いを現していよう。

今回の輝けるバーミ第1位は・・・BTSトンロー駅の駅前にあった屋台だ。ここのスープはたまに見かける甘いスープではなくポークテイストの美味いものであった。

マッサージも2件行ってきた。



ここは、アンバサダーホテルの脇にあるマッサージ屋さん。足つぼマッサージが1時間250バーツ(750円)だった。とても丁寧な感じのよいお姉さんだった。後からBKKへやってきたうちのスタッフにもここを紹介したのであった。

そしてもう1件は、ショッピングモール・エンポリウムの近所にある店。そこは珍しくオトコの子がマッサージしてくれたのだが、力が強くてかなり痛めだった。そこでは肩と背中を念入りにしてくれと注文した。上記の店とおんなじ値段。

夜な夜な飲んだ。



前回来たときに連れて行ってもらった高級メンバーズクラブ『The Pent』にて親しくなった友達と、クラブ『Q BAR』へ飲みにいき、赤ワインを2本も強飲した。この店はかつては恐ろしく流行っていたクラブである。その夜はしっとりとJAZZYな感じの夜。とても楽しいひとときであった。たくさん話した。

パタヤから帰った夜、眠るには酒が足らず、ホテルの地下のクラブにて大音量の中、1人で飲んでいたら逆ナンされたりした。最初のうち、フッカーだと思い適当に相手していたのだが、話すととても面白く、訊けば普通の健全なる女性だったので、結局赤ワインを3杯ほどご馳走してひきあげたのであった。

そうそう、書かなければならないこと。ナナプラザ。それは所謂、GOGOバーと呼ばれる売春窟(ストリップ店多数)なのだが、1人でそこに潜入した。恐らく同じような店が20件近くあるのだが、オレは1件につきビールを1本飲んで次の店へ移動しようとう計画を立てて突入したのであった。



本来は当然撮影禁止のところを隠し撮りした。こんな感じである。

3軒目か4軒目で、たまたま隣に居合わせた日本人駐在員のHさんと話が弾み、それから先は二人で軒数を重ねた。元々、これらの店は、気に入った踊り子がいればお金を払い、連れ出すというシステムになっているのだが、我々ふたりは全くその気がないため、ただただ鑑賞会であった。しかしさすがに9軒近く廻ると酔いがまわり、オレは一足先に切り上げたのであった。

SAMMYとはタニヤにも行った。タニヤとはBKKに訪れた人なら誰しもが知る日本人飲み屋街なのだが、以前に比べると衰退の色濃く、飲み歩く日本人たちも少なくなったような気がした。

かつては年6回ほど訪問していたBKK。昨今は年3回ほどヨーロッパ出張に併せて訪れているのだが、初めて訪れた17年前の頃と今との違いは、BTSと地下鉄が出来たこと、空港が変わったこと、トゥクトゥクをあまり見かけなくなったことくらいで、この街の根本は変わっていない。これからも変わらないと思う。

やっぱりオレはタイが好きだ。そう感じた旅であった。

いつかリタイアしたらタイの田舎の海沿いの町で釣りをしながら余生を送りたいという夢。さらにその願望が膨らんだ旅であった。

パタヤ放浪2011 『 水平線に落ちゆく美しすぎる夕陽 』

2011年01月13日 | 旅三昧!釣り三昧!
チェンマイから無念にも、BKKへ早々帰還したオレを哀れんでくれたのか、サミーが週末に一泊でパタヤに行こうと言ってきた。オレは、これまで少なくとも50回は訪泰しているものの、一度もパタヤには言った事がなかった。もちろん、喜んでサミーの提案に乗る事にした。

その土曜日、朝8:30にサミー夫妻はオレのホテルにやってきた。サミーはタイ人とは思われないくらい時間厳守な男なのである。知り合い付き合って17年になるが、一度も約束の時間を遅れたことがない。

リンゴ(サミー奥さん)がホテルの向かいのコンビニで買ってきた肉まんを食べて出発した。パタヤはBKKより150キロのリゾート地である。BKK郊外へ抜けると、高速を走るクルマも減り、サミーは飛ばしはじめる。180キロ… ちと怖い。郊外には日本企業の工場ばかりである。サミー曰く、タイでは日本企業の誘致進出が最も多いとの事。

パタヤ手前のチョンブリ(?)という街に立ち寄る。そこは漁港になっており、魚市場になっていた。



なんだか日本の魚とチビっと違う感じがしないでもない様々な魚が売られていた。

そこには宝くじのおばさんも居り、サミーは、おもむろにオレのチェンマイでのホテルの部屋番号を確認し、その番号の宝くじを購入した。



昼メシは、そこでワタリガニを食う事になった。目の前で生きてるカニを茹でる。こいつが、信じられないくらい甘く旨かった。1人2杯ずつ。もう当分、カニはいらないと思った。



シーバスの香草煮。これも最高であった… 辛いスープにシーバスがいい出汁を出していた。

腹一杯になったオレ達は、次に大きな中国の寺院を訪ねた。サミーもリンゴも信仰厚く、かなり長い時間手を合わせていた。だからオレも真似てそうした。



パタヤでは、今最も新しいホテル、ホリデーインに宿泊した。外人だと1泊6000バーツ(18000円)である。そこをリンゴがうまく取り計らい、タイ人価格にてチェックイン。3700バーツ也。一日くらい贅沢してもよいのだ。



ホリデーインのプールは海とつながっている感じ。なかなか素晴らしい。



部屋からはパタヤビーチが望める。たくさんの船が出ている。次来るときは釣りがしたい。そう思った。

街をぶらぶら歩いた後、早めの夕方、サミーが飯を食いに行こうと言った。とてもキレイなレストランがあると言う。どんなところだと聞くも、行けば分かるとしか言わない。

クルマがレストランに着くタイミングで、空が少しずつ紅くなり夕陽が落はじめる。

岸壁とビーチの重なったところに、その素晴らしいレストランはあった。しかし、オレが立っているところからは太陽が見えない。オレはビーチに降りて、落ち行く夕陽が見えるところまで走った。



水平線に落ちゆく夕陽。オレンジに揺れる夕陽。これほど美しいサンセットを、オレはこれまで見たことないような気がする。オレは感動した。感動して鼻先がジンジンとした。



そして、波の音をBGMに夕食をとった。あまり観光客が来そうにない高級レストランであった。それゆえか、そこで食べるタイ料理はとても辛く、最高に美味かった。

満足な食事、最高の空間、楽しい親友との会話。現実から遠ざかりすぎていたかもしれない。

翌朝、帰り道にパタヤにあるフローティングマーケットに寄った。



そして、オレはそこの小さい小船で売られている食べ物で、興味あるものを買って食べた。



これはいわゆる、あの有名なサツマアゲである。どこでもタイの食べることが出来る。甘くて辛いソースをかけて食べる。

突然サミーがオレを呼び止めた。これを食えという。そこは、さまざまな昆虫が売られていた。サナギ虫、タガメ、コオロギ、バッタ・・・。美味いから食えという。



仕方がないので、イモムシを食べた。なんだか塩味で、意外といけた。スナック菓子のようでだった。竹の中に住むイモムシらしい。

なんでも経験である。

いつまでも好奇心を失うことなく生きていきたいなどと、イモムシを食べ、ひとり頷きながら、BKKへの帰ったのであった。




チェンマイ放浪2011 『 よくわからない恐ろしい経験・・・ 』

2011年01月13日 | 旅三昧!釣り三昧!
BKKに到着した夜、親友・SAMMYと遅くまでクラブ「The Bed Superclub」にて飲んでホテルの部屋に戻ったのは午前2時くらいであった。

そのクラブは、ソファがベッドになっており、今最も熱いBKKのクラブのひとつとして、盛り上がっていた。BKKの女優らも遊びに来ており、表にはランボルギニーやベンツのクーペといった高級車が並び、かなりハイソな若者たちの場所のようであった。




翌朝7時にはチェンマイへ飛行機に乗るべく起きなければならなかったのだが、アラームをかけていた携帯が日本時間であったことを忘れており、目が覚めたときは飛行機に乗り遅れたと勘違いしあせったのであった。

チェンマイに着き、まずは宿を探さなければいけなかった。

空港のタクシーの運ちゃんに、ターぺ門付近で安くてキレイなホテルへ連れて行ってもらった。そこがとてもきれいだったので、オレはすぐにそこに予定の3泊滞在することに決めたのであった。1泊600バーツ(1800円)であった。満足であった。しかしこの夜、ホテルで怖い出来事に遭うことになろうとは、この時全く思いもしなかった。



荷物を解いた後、その日は、ひとまずチェンマイをほっつき歩こうと街をブラブラと気の向くまま歩いた。途中、腹が減ったのでバーミを食べたのだが、このおっちゃんが作るバーミはかなり美味かった。

タイのバーミは、テーブルに置かれた唐辛子、酢、砂糖、ナンプラー、ナッツなどを調合して、それぞれが好みの味を作るのだが、オレの場合は、唐辛子と少しの酢、そしてナンプラーを使う。間違っても砂糖は使わない。





街を歩くと、さすが古都チェンマイである。たくさんの寺院が見受けられる。タイの寺院は派手である。





チェンマイはタイ第二の街といわれるが、BKKと比べると比較にならないくらい小さい街である。移動手段は未だにトゥクトゥク(三輪バイク)が主流であった。このトゥクトゥクは、いちいち値段交渉をせねばならず、120%ふっかけてくるので面倒くさい。たった50円ほどのことを時間をかけて交渉するのである。



一度ホテルに戻り、一服してからナイトバザールへ向かった。そこでは、山岳民族の人たちがいろいろなものを売っていた。しかし興味を抱くものは何も見つからなかった。ナイトバザールにはフードコートもあり、安くて美味いものが食べれた。オレは豚肉とバジルを炒めたものを頼んだ。40バーツ(120円)也。これだけで充分に腹が張った。



ナイトバザールは道に屋台が1キロ以上連なっていた。

腹ごなしにまた歩き、翌日はトレッキングに行こうかなどとツアーデスクを覗いたりしながら、コンビニでシンハビールを3缶買って部屋に戻ったのであった。

前の日、4時間ほどしか寝ていなかったので、今夜はゆっくり寝ようと思い、ビールを飲んで床に入ったのだが・・・。

夜中、ものすごく恐ろしい夢を見て午前3時半に目が覚めた。

オレは誰かこの地の昔の戦士とオーバーラップ(重なって)しており、その戦いで殺されるそうになっているのである。それから必死で逃げているというあまりにはっきりした夢なのである。

目が覚めると頭痛がして吐き気がし、トイレに駆け込んだ。

うまく書けないが、何者かが俺の体の中に入り込んできたような感覚なのである。もしくはオレがその者の中に入り込んだ感じ。オレは決して霊感が強いほうではないが、はっきりと何かに憑かれたような感覚がしたのだ。

本当に怖かった。

最初はもうこの部屋には居たくないという気持ちが強かったが、夜中の3時半だかなのでどうしようもない。そのうちに、そのホテルがどうかというよりも、オレ自身がチェンマイにいたらとんでもない悪いことが起こるかもしれないと思い出したのであった。

結局、翌朝8時にホテルをチェックアウトし、その足で空港へ向かい、BKKへ戻ったのであった。

まったく気のせいかもしれない。しかし、そんな体験は生まれて初めてである。

BKKに戻り、SAMMMYに話すと、チェンマイではそういうことが起こるという話をよく耳にするとのことであった。

恐らくオレは、今後もう2度とチェンマイには行かないだろうと思ったのであった。










インフルエンザ・A型にかかってしもうた・・・

2011年01月13日 | 徒然日記
タイ放浪より帰国。

帰国前夜より咳が出始め、間接のふしぶしも痛く、帰りのフライトではあまりに寒くて熱があるんだろうなと思っていたのだが、案の定、関西空港の入国管理局の所で止められた。

熱を測ると39℃だ。

インフルエンザっぽいので、そのまま家の近くの救急病院へ。血液検査、その他を実施したが、悪いところは見つからず、インフルエンザの場合は、発症から12時間では検査が出ないとのことにて、本日もう一度外来検査のために病院へ。

結果は、インフルエンザA型とのことであった。

全く、年始の初めよりなんとなさけないことか・・・。深く反省。

しかし、こうやって会社を休むの、何年ぶりやろなぁ。今週はまず治療に専念したい。

休んでいる間にタイ放浪記をUPしようと思う。

謹賀新年 2011

2011年01月02日 | 徒然日記
元旦の昨日は、午前中に家族で伏見稲荷へ初詣に参った。

おみくじは、嫁が「大吉」、マイが「末大吉」、サクが「末吉」、そしてオレはマイと同じ「末大吉」であった。

厳しい世相が続くであろう今年だが、年末には満足いく結果を得られるべく最大限努力を怠らないでいこうと思う。常に組立てを怠らず、全体を高い視座より見ていかなければならないと思う。

その後、午後より我が両親のマンションへ挨拶しおせちを食べた。

一度家に帰り、堺の嫁の実家へ。そちらでは親戚一同が恒例の大集合となっており、我が両親の所に集まった兄弟らの味気の無いそぶりとのあまりの違いに、我が両親に少なからず哀れみを感じた。

そして嫁の実家で泊まり、今朝親戚のちびらをボーリングに連れて行った後、明後日からのタイ放浪の旅の準備のために、単身京都に戻り、会社に出てきた。

本来は行った事のないアジアのどこかを放浪したいとチェンマイを選び、8日までの旅と予定していたのだが、急遽、その後にBKKにて仕事が加わる事になり12日までのタイ滞在となった。これだけ長い間タイに滞在するのは初めてとなる。

宿さへ決めてない今回のチェンマイ放浪だが、どうせ行けばどうにかなるだろう的な精神でキョロキョロしてこようと思っている。