【タックの放浪記】  思えば遠くへきたもんだ・・・     by Tack SHIMIZU

心に刻まれたその一瞬、心に響いたその一言、心が震えたその想いを徒然と書き記したい。この記憶から消え去る前に…

ルネ・ラリック展

2009年06月29日 | 徒然日記
東京での休日の昨日、六本木にある国立新美術館へ『ルネ・ラリック展』を観に行ってきた。



ジュエリーはこれまで数回訪れたことのあるポルトガル・リスボンにあるグルベンキアン美術館所蔵の物が中心であったが、オルセー美術館や国内の美術館からも集まっており、なかなか素晴らしい展覧会であった。それぞれのラリック自身が描いたデザイン画も飾られておりその鬼才ぶりが認識できた。

またガラスもたくさんあった。昔、たまに世話になった京都のギャルリエ・オルフェもこの展覧会にたくさん出品協力していた。がんばっとんなぁ・・・。

『ルネ・ラリック』

ダイヤモンドをギラギラとさせているのが宝飾品であった時代(アールヌーヴォー期)に彼が発表したエナメル彩を用いたジュエリーは芸術世界の革命であったのであろう。その名を一世風靡した20世紀初頭のパリ万博。

そんなラリックは香水王・コティに香水瓶の製作を依頼されてから、そのジュエリーデザインの名声を投げうって、ガラスの世界に進出していくのである。近代のガラス世界の大量生産を世界で初めて金型で実施したのが彼なのである。

まさに鬼才中の鬼才である。

観る価値あり!!

秀吉の枷

2009年06月28日 | 趣味
今、この本がおもしろい。

『秀吉の枷(上・中・下)』(著・加藤廣)

以前に何気なく読んでとても面白かった『信長の棺』に続く小説なのだが、今回は秀吉を中心の物語となっているのである。

この物語では、信長を最終的に殺したのは明智光秀ではなく、かの『本能寺の変』に便乗した秀吉の陰謀ということになっているのだが、果たしてどうなのだろうか・・・。

本能寺が光秀の謀反により焼かれた後から、信長とその手先数名の死骸のみが出てこなかったと云われている。

そして信長は隠密に、秀吉に命じ、本能寺の古井戸より南蛮寺までの地下道を掘らせていたという事実なのである。

謀反が起こった際にその地下道より逃げようとした信長を秀吉が封鎖しており、地下道で悶死するのである。

まだ中巻の途中なのだが、なかなか面白い時代小説なのである。

お勧めである。

がつんがつんと!

2009年06月24日 | 徒然日記
東京は嫌な雨の朝であった。

このような日に、ゴロゴロと重い荷物を転がしながら満員電車に乗るのは死ぬほど苦痛である。慣れていないからか・・・。

東京での初日はガツンガツンであった。

明日からも頑張りたいと思った。


祐天寺の駅前の焼き鳥屋。安くていい店を見つけた。

皮ポン酢、焼き鶏の塩、つくねのたれ、串カツ、生中2杯で1600円也。


なかなか良いではないか!と思いながらコンビニで赤ワインとチーズ鱈を買って帰った。

キムチ納豆ラーメン

2009年06月23日 | 旨いもん!旨いもん!!
盛岡での説明会の後、東京へ移動する前に、以前から噂を聞いていた『キムチ納豆ラーメン』を食べに行ってきた。

このラーメンは東北じゃらんでも輝く1位になったラーメンとの事である。

お店に入り自動券売機で『キムチ納豆ラーメン』を購入。920円也。

店でラーメンを待っていると、結構お客さんがやってくる。そしてみんな納豆ラーメンをオーダーしているようなのである。


して、そのお味はというと・・・。


正直のところ、これが輝く1位なのであろうかって感じであった。しかしみんな頼んでいるのである。

とても量が多く、半分残してしまった。

きっとオレの味覚がずれているのかもしれないと思ったのであった。


パタパタの日々

2009年06月22日 | 徒然日記
ヨーロッパより帰国した翌日の昨日は、日帰りで福井まで車を走らせた。そして今は盛岡のホテルである。

パタパタという感じ。

でもそのおかげか、今回は時差ボケをうまく克服できそうな気がするのだ。

明日はここ盛岡で説明会の後、東京へ移動する。

オレの今月はこれからなのである。


昨日は父の日であった。

元来、男兄弟3人ということもあってか、父の日や母の日という行事が幼少から大人になるまで、うちの家ではなかった。

昨日、ちびらにTシャツをプレゼントしてもらった。ありがとう。

帰国!!

2009年06月20日 | 仕事!仕事!!
ようやく帰国した。

バルセロナからローマまで飛び、そこから関空に戻ってきた。

しかしやっぱりヨーロッパは遠い。遠い。

今回、イタリアとスペインに入り、彼らが直面している景気の悪さには驚いた。日本の比ではない。スペインに至っては、失業率が15%になったとの事である。

スペインのメーカーは売上が半減、イタリアのメーカーも35%ダウンしているとの話であった。ヨーロッパの国内需要及び、対アメリカへの輸出がユーロ高ドル安の流れを受けて壊滅的の様子。

気のせいかバルセロナの治安が悪くなったような気がした。

我々の販路も決して順風満帆ではない。しかしこの時こそ、差別化できる商材にて飛躍できるのではないと考えたい。

とりあえずは明日からまた国内にての営業に邁進努力したい。


バルセロナ2日目

2009年06月19日 | 仕事!仕事!!
今日もバルセロナは天気が良かった。

午前中、ザビエルの会社で仕事。

その後、ザビエルに教えてもらい、グラシアス通りにあるアンティーク店が軒を連ねるビルに向う。

ひととおり、店を回ったのだが、1点だけとても心にひびくものを発見!!

それはエミールガレーの第一期の花器であった。恐らく1890年から1895年頃の作品であろう。花器の形もひしゃげていて面白く、ガレー自身がENGRAVEしたサインもある。でも最初の店の人のオファー価格が10000ユーロ(150万円くらい)。これでは商売にはならないとあきらめて店を出た。

昨日閉まっていたランブラス通りの市場へ。以前に訪れたことのある市場の中の新鮮な魚介類を食べさせてくれるレストランのカウンターに腰掛け、マテ貝(竹のように長い貝)と手長エビを頼む。ともに鉄板で焼いて、塩コショウし、オリーブオイルとバジルを混ぜたような緑のソースをかけて出てくる。生ビールは2杯。

最高に美味い!

一度ホテルに戻り、遅めの午後、最後の仕事のため、サグラダファミリア教会の傍を抜けてビトリスの会社へ。

これで今回の仕事も終了である。

最後の夜はパエリアと思っていたのだが、ホテルの近所にパエリアを食べさせてくれるレストランは見つからず、面倒くさいのでピッツェリアに入りピザを頼んだ。

しかし出てきたピザは塩辛すぎて、半分以上残してしまった。

やっぱりピザはイタリアで食べるに限るのである。


さて明日帰ろうっと。

こちらの時間にようやくなじんできた体であるが、明日帰ってまた時差ボケがはじまる。

まぁ・・・いつものことである。

バルセロナ初日

2009年06月18日 | 仕事!仕事!!
昨夜はミラノにての最後の晩餐を、イタリアンにしようか、中華にしようか考えながらハイネケンを飲んで、ホテルの部屋で少しコロコロしているうちに寝てしまい、ふと目が覚めると、なんと深夜12時前になっていた。びっくりした!

あまりに遅く、仕方がないのでビールと赤ワインを飲んでまた寝たのであった。

そして今朝6時に起床。ミラノ・リナーテ空港よりスペイン・バルセロナへ移動。

バルセロナはミラノより更に日差しが強い。地中海の夏の日差しである。ホテルへのタクシーの途中、ふと思いだしてスペインの南の港町・アリカンテに住む友人・シーザーへ数年ぶりに電話する。久しぶりの電話にかなり興奮して話すシーザー、あまりに声がでかすぎて、受話器がハウリングを起こし、よく聞き取れないくらいであった。話の中で、2年前に嫁さんと別れた事を口にする。人生いろいろである。次にスペインに来る時は、アリカンテまで行こうと思った。竿持っていこうっと。

ホテルに荷物を置いてすぐ、カルロスが迎えにやってきて仕事に入った。2年ぶりである。しかしカルロスは頑張っている様子。先々週、ラスベガスフェアを終え、その後、ロシア、昨日はパリにいたとの事。本当に全世界を飛び回っている様子。彼らはシャネルのカメリアシリーズやピアジェにもデザイン供給しているスペインの老舗宝石メーカーなのである。

仕事の後、カルロスとルイスにスペイン料理をごちそうになった。イワシの酢漬け、イベリコ豚のハム、コカと呼ばれるトマトののったパン、イカフライ、ポテトとキノコのオムレツ、ホタルイカのフライ・・・。そしてビール。美味かったけど食べすぎた。

早目の夕方、ホテルに戻り、休憩。今日こなそうと思っていた仕事を明日の朝にまわし、部屋で休憩する。

このままだと昨日の二の舞になりそうだったので、外出した。バルセロナ市のへそであるカタルニャ広場を目指す。

カタルニャ広場にある百貨店の地下に行き、以前購入して人生で一番美味いと思ったオレンジジュースと赤ワインを購入。そしてランブラス通りを港に向かい歩いた。以前、訪れたことのあるジョセッペ市場を覗く。アンティークの店を探したが見つからない。

歩き疲れたので、バル(BAL)に入り、タパスでビールを飲み、タクシーでホテルに戻った。

今、21:30である。日本は04:30だ。

赤ワインをゆっくり飲んで早めに寝ようと思っている。

ミラノ2日目

2009年06月17日 | 仕事!仕事!!
朝、ホテルの朝食のビュッフェのテーブルに桃があったので、剥いてかじる。すっぱかった。でも体によさそうであった。


午前中、取引先2件をこなす。

とにかく暑い。一度ホテルに戻り、ハイネケンを開ける。昼からビールである。

その後、近くのレストランテにて、スパゲティボロネーゼを食べた。いわゆるミートソースである。なかなか美味かった。

それから早い午後、ANTONIOのところで最終の仕事をこなした。

なかなか面白い仕入れができたと思う。


部屋に戻り、着替えてから外出。トリノ通りでネクタイとシャツをゲット。スーパーで赤ワインの小瓶を求める。

それからドゥオモに向かい、ドゥオモの中に入り、オレの中では恒例となっている体からのアク抜きを行った。アク抜きといっても、ドゥオモの中の礼拝堂の席に腰掛け、無心になり、5分ほど身体の力をぬくだけなのだが・・・(なんだか悪い物が体から抜ける気がするのだ)。

ギャレリアの本屋にてジュエリー雑誌を購入し、ぶらぶらダンテ通りを歩いた後、ホテルに戻り、今に至る。


さてと、明日からスペイン・バルセロナに渡る。明日はバル(BAL)のカウンターで哀愁ただよわせながら飲みたいと思っている。

今夜もイタリア料理をと思っていたのだが、なにげにコメが食べたくなってきちゃってる現実、ひょっとこしたら中華に足が向くかもしれない。麻婆豆腐食べたくなったりしちゃってるぞー!


とりあえず、明日に備え、今夜は部屋でゆっくりしようと思っている。

ミラノ初日

2009年06月16日 | 仕事!仕事!!
昨夜、辟易したロングフライトにてなんとかローマに辿り着き、そこからミラノに飛んで常宿の『HOTEL GRAN DUCA DI YORK』に着く。時差7時間。

今朝から仕事に入った。

EMANUELと午前中仕事。EMANUELの会社は売上げの7割がアメリカ市場に依存しており、例年に比べると35%のマイナスだとのことである。みんな大変である。35点ほど商品を選ぶ。

時間がないので、ドゥオモ前のマクドナルドでビックマックセットを買い、ホテルの部屋で食べる。

午後よりANTONIOと仕事。

午後3時より新規のメーカーと打ち合わせ。メンズジュエリーを日本に導入してほしいとの事だが、なかなか簡単ではない。

夜、ANTONIOと『PEPPER MOON』で夕食。今帰ってきたのだが、時差ボケで眠すぎ。

日本時間午前4時半。もうネムネムなのだ。

とにかくシャワーしよっと。