【タックの放浪記】  思えば遠くへきたもんだ・・・     by Tack SHIMIZU

心に刻まれたその一瞬、心に響いたその一言、心が震えたその想いを徒然と書き記したい。この記憶から消え去る前に…

オレの卓上の灰皿

2010年03月31日 | 徒然日記
これはオレの事務所の机の上で、日常使っている灰皿である。

よくみてほしい。そこには・・・

1st ANIVERSARY
1988
CROSS
PUBLIC HOUSE

と書かれている。

実は、この灰皿はオレが大学3回生の時に入手した物なのである。

今から22年前、夜な夜な南を徘徊していた頃、大阪は南の周防町、ちょうどマハラジャウエストとライムライト、そして英国屋があった交差点を北に20メートルほど上がった左手ビルの地下にあったラウンジ『CROSS』の一周年記念の時にGIVEAWAYでもらった灰皿なのである。

今もあるか分からないが、そのビルには確か『KENTOS』というライブハウスがあったように記憶している。当時、オレはそのライブハウスには全然興味がなかったが、そこの地下にあった『CROSS』は誰に教えてもらったのか記憶にないのだが通っていたのだ。

ちょっと大学生が行くには無理がある高級なラウンジであった。

ダウンライトの中、グランドピアノでは黒人がスローバラードを弾き語り、大きな水槽には熱帯魚が泳いでいる店であった。

その店に20歳の頃のオレは、バーボンかなにかのボトルをキープして、格好つけるべき状況の時のみ利用していたのであった。

無理して気取っていたバブリーで、そして若かりし頃のほろ苦く懐かしい記憶の一コマである。

きっと誰もこの店の事なんて覚えていないだろうなぁ・・・。

しかしオレにとっては、会社のサロンに使っているリモージュなどの灰皿なんかよりも、ずっとずっと価値のある灰皿なのである。


俺の乾燥肌にはこれがいい

2010年03月30日 | 徒然日記
昔から乾燥肌で悩んでいるのだが、年々ひどくなる一方である。

冬のそんな悩みも、春になり少しずつ回復しつつある。

これまでさまざまな高級クリームを試してきたのだが、やっぱりオレにはこれであるということがわかった。



どこの小さな薬局にでも並んでいそうなこれである。

おばあちゃんが愛用していそうなこれである。

オレにはこれがぴったりのようである。

今治の良い店 『しの田』

2010年03月29日 | 旨いもん!旨いもん!!
今治で一番親しくして頂いているMさんと晩飯を食いに行ってきた。

その店は 『しの田』 。

ここの店が出す料理はむむむって感じであった。

着飾っていない店だが、味はとても良い。

オレ好みである。

それともう一つ、使われている器が良い。

これは密かにとても大切なポイントなのである。

なかなかこのような店は探しても見つけれないものなのである。

銀座で食べると○万円って感じのレベルであった。(オレが言うから間違いない)

またいこうっと。

売上をRECOVERさせるためには・・・

2010年03月28日 | 仕事!仕事!!
休日のつもりにしていたが、結局昨夜までの東京出張の事務処理と明日からの愛媛・今治への出張準備のために会社に出てきている。

まぁこんなもんである。

往きしの道、琵琶湖疏水では桜が5分咲きといった所であった。まだまだ最高に美しくなるにはあと数日はかかりそうである。

それでもたくさんの観光客で道はめちゃくちゃ渋滞であった。迂回路をぬけて事務所にたどり着いた。

この3月、去年はフィレンツェのリフォーム企画キャンペーンでの大成功、そして今年は10日間に渡りヨーロッパへ出向いたため販売営業活動の日数が割愛されたこともあり、オレ自身の売上が大きくビハインドしてしまっている。

どうRECOVERさせるかをよく考えなければならない。

42歳になった

2010年03月28日 | 徒然日記
東京より戻り、会社の金庫に商品を戻し家に帰宅すると日付は変わり午前1時であった。

今日、俺は42歳になった。

こんな深夜に関わらず、マイサクは起きていた。

バースデーカードとプレゼントのハンドクリーム。それとサクは緑と白の紐を編んだアームレットをくれた。これを早速利き足の左足に結ぶ。

紐を結ぶときに願いをこめれば、この紐が切れるとき願い事が叶うとサクは云う。

突然で願い事が思いつかず、ただ『健康』とだけ念じ左足に結んだ。

42歳である。人の寿命を考えると、どうやら俺は一生の半分以上をすでに生きてきたようである。

振り返れば、ただただパタパタと生活し、止まることなく流れ行く時間を費やしてきたような気がする。

決して後悔の無いこれまでの人生だけど、決して大満足の毎日でもない。

ただ人を羨むよりはずっと、今の自分に納得できる日々を送ってこれたという自負はある。

これからも毎日を感謝し、自分を信じ、前を向いて生きていきたいと願う。

満足の一日

2010年03月27日 | 徒然日記
昨日の午前中、外商との同行出発までの空き時間に、現在丸の内にて働き、来月からペルーに赴任する友人・MATSUOKAと東京駅八重洲地下の喫茶で1時間ほど会って話した。

これからやってくる新しい土俵に向けて意気込むこの男は、いつもどおり熱くそして早口で自分の心情を語った。とても目が活きていた。

そしてお互い頑張ろうと励ましあい握手をして別れた。

お陰でオレも昨日は午後よりホームラン4本と満足いく一日であった。

満足の仕事の後、とてつもなく美味いキムチ野菜炒めを食べた。

とても満足の一日であった。

牡蠣は美味い! 『かき小屋』

2010年03月26日 | 旨いもん!旨いもん!!
上京した日の事。

ちょうど三連休の最終日ということもあり、新幹線はグリーン車しか空きがなかった。上野にある百貨店にて打ち合わせ。

以前から気になっていたホテルの近所の路地を少し入ったところにある『かき小屋』という牡蠣の店に行ってきた。

生牡蠣は長崎産、北海道産、ニュージーランド産のものをそれぞれ出してくれた。それぞれ違った味わいであった。個人的には北海道産がオレの好みである。

蒸し牡蠣がどどんと出る。それが付きだしなのである。

そして、やはり網で焼く焼き牡蠣は最高に美味かった。海のミルクと呼ばれるに相応しいクリーミーな味である。

次にハマグリを焼いた。ぱかっと口が開いたら、お醤油をちょろりとかけて少し待つ。すぐに食べてはいけない。醤油が沸くまで待たなければならないのだ~。美味!!

口直しにと白ネギを太めに斜めに切ったものを網で軽く炙って、塩を振って食べたのだが、炭で焼いた白ネギはこんなに美味いものだったのかと小さく驚いたのであった。

牡蠣本来の味を堪能できた。

また行こうと思う。場所は…人気が出過ぎたらいやなので内緒である。ちなみにこの夜も満席状態であった。

会社のPHSを新機種に変更

2010年03月20日 | 徒然日記
いつもと同じように会社に出社。巷は3連休の様子だが、オレには全く関係ないのである。

今日は北摂方面へ行こうかと思っていたのだが、出勤の往路の掲示板に『京都南~宝塚渋滞35㌔』と書かれているではないか。そうかお彼岸か。

あっさりと北摂に行くのを止めにして、展示会案内状に添える手紙を作成し、京都市内を走った。

明日は休日、明後日の月曜日から一週間ほど上京となる。

今日は長らく使ってきた会社のPHSを新機種に変えた。

懐かしき『合宿免許』

2010年03月19日 | 徒然日記
昨夜ようやく帰国し会社に戻る。そして今朝は一番にミーティングを実施し昼から京都市内を外商にでた。昼間は時差ボケで眠すぎ!

今日、『日本を外から揺さぶりをかける!』と豪語し、シンガポールに自分の拠点を移した高校時代の友人であり成功者・KATOのFACEBOOKより、メッセージが届いた。

そこには高校を卒業し、一緒に取りに行った『合宿免許』の事が書かれており、とても懐かしくなり、オレも今日はその頃の記憶をあやふやながらここに書く事にした。

当時、わが母校である箕面高校は、一浪して『関関同立』を目指すというのが一般的、平均的な進学の形であった。

オレがいた理系クラスでは、これらの大学がそれぞれ理系の学部は1つしか持ってないこともあり、とても倍率が高く、実際の所、現役で一般入試して入学できた同級生は、たまにここに顔を出してくれる金ヤンとオレだけであった。

高校3年生の2月の終わりには、KATOとオレはそれぞれ大学進学先を決めており、車の合宿免許に行こうということになった。

確かオレの記憶では関西学院大学の生協で申し込むのが一番安いというKATOの調査により、関学の生協まで二人で申し込みに行ったような気がする。KATOも書いていたが、それは間違いなく25万円であった。それはそれは、当時のオレ達には大金であった。

二人して北陸本線の特急『雷鳥』に乗り、福井の『鯖江自動車学校』へ向かったのであった。

合宿場は免許学校の建物の上にあり、各部屋に6つほどの二段ベッドが備わっていた。KATOが上段でオレが下段に床を取った。

合宿場での食事はいつも弁当。いつも赤いプラスチックのお重のようなものに、おかずが一段、梅干が真ん中にのったご飯が一段、蓋をあけてそれらを横に並べて食べたのを鮮明に覚えている。

確か、KATOは併せて原付免許も所得するということで、部屋の窓より原付講習を受け、教習コースを走っていくKATOを見ていた記憶がある。

なぜか、とにかく運転しながらよく喋らされた講習であった。

『シートベルトよし!(触る)、ミラーよし!(触る)』

『よし!(バックミラー指す)、よし!(サイドミラー指す)、カッチン(ウィンカー左)、巻き込みよし!(首大きく左に振る)』

大学の授業がはじまるギリギリまでの免許合宿スケジュールになっていたのだが、KATOと二人で、『まぁ入学式や履修届けなんて出なくても、後で行って手続きすればええやろ。』などと話していた。

まぁ念のためにと、オレは関西大学工学部事務局に合宿場から電話をしてみたのであった。

『すいません。どうしても履修届けの日に行けないんですけど・・・。』 オレ

『わかりました。では、今年は休学ということでよろしいですか?』 サラッと事務員

『えっ・・・!? いや、必ず伺います。』 あせるオレ

ということで、オレ達二人は一旦大阪に飛んで帰り、履修届けを済ませ、翌日また福井に戻ったのであった。

なんとか免許が取れて、KATOが求めた車は、日産『ガゼール』とかいう、当時人気のシルビアの姉妹車のようなやつであったが、オレはKATOが乗っている以外は、当時この車が走っているのを見たことがない。考えたら滅茶苦茶レアな車であった。

当時ナビなどこの世に存在しないその頃に、この車は今のナビと同じくらい驚くほどよくしゃべった。

『シートベルトをお付け下さい』
『バックします』
『右へ曲がります』
『ガソリンがありません』

KATOはそのたびに『はい。はい。』と相槌していた。(そんなことなかったか・・・)

オレはというと、初めて手にした車は中古の緑色の『おんぼろゴルフ』であった。

しかしこいつが驚くほど故障して参った。ダイナモがいかれており、走るたびにバッテリーが貯まらずなくなっていってしまうのである。少しずつヘッドライトが暗くなり、しまいにプスンとエンジンが止まり、二度とかからなくなってしまうのだ。

だからいつも運転はヒヤヒヤもんだった。

一度、京都に1人で行ったときは堀川通の二条城のまん前で止まってしまい、一人で必死に重い、重すぎるこの『おんぼろゴルフ』を押したのだが、それで大渋滞を起こしてしまい泣いた。

KATOの関学の友人達と白浜行った時も止まった!
サークルの仲間と若狭へ行った時も止まりやがった!!

『おんぼろゴルフ』はパワステなど装備されてなく、仲間には『重ステ』と呼ばれていた。普通の速度であったらそれほどでもないが、ゆるい速度で道を曲がろうとすると、そのたびにオレの腕にはチカラコブが出た。

なにかとチカラのかかる車であった。

あぁ懐かしやぁー、懐かしやーー。


ヨーロッパ放浪2010 『圧巻のトプカピ宮殿と恐ろしい売春窟』

2010年03月17日 | 旅三昧!釣り三昧!
2010年3月17日:

しかしよく寝た。目覚めばっちり時差ボケ解消!って感じ。

しかしオレは今夜帰るのである。帰ればまた時差ぼけが始まる。まあだいたいこんなもんである。

朝9時40分のシャトルバスで旧市街中心へ。今日はトプカピ宮殿を観とかなければイスタンブールにいる意味がないのだ。

トプカピ宮殿の財宝は15年前に拝見した時より若干展示が少ない気もしたが、やはり驚くべきものであった。82キャラットのダイヤモンドは圧巻である。

まさしく宝物とは権力の象徴なのである。

でも、こんなにたくさんの宝物を所有した王様は、きっと自分が何を所有しているか覚えきれなかっただろうなと内心思ったりした。

新しい宝物を求めた後で、『ありゃ!?そういやよく似たものオレ持ってたわー。』とかなかったのかなぁ・・・。ありえんか・・・。あったらなんだか非常に現実的でうれしいんだけどなぁ・・・。

その後、またてくてく歩き、あるバザールを抜けるとガラタ橋のたもとまで来た。

橋のたもとの船上で売っている、かの有名な『サバサンド』を買って食べた。焼いたサバと生オニオン、レタスのコンビネーションが絶妙である。4リラ也(240円)。とても美味い。



小雨が降りだした。 また橋を渡り、ガラタ塔の方へ坂を登っていくと、にやけたトルコの若い兄ちゃんたちが続々と脇道にある鉄城門の中に入っていくのを見かけた。入口には警察の詰所がある。

なんだかとても気になったので、オレも入ろうとすると、警官がここはトルコパスポートがないと入れないと言う。

余計好奇心を持ったオレは自分を止められない。

日本のパスポートをみせて、昨日の警官がパスポートを見せたら入って良いと言ったとか適当に作り話し、なかば強引にそこに入りこんだ。

驚くなかれ!なんと、その一画は売春窟なのであった!!

中ではあまりにも醜い女性たちが、客引きをしていたのであった。日本人のオレが珍しいのか、日本人、日本人とトルコ語で話しているようで、やたらと声をかけてくるのだ。

しかしオレにはどうみても女性としての見ることのできないようなお腹の張り出た中年の女性たちばかりである。

この時点でオレの中で危険信号が点滅しはじめた。くるっと回ってそそくさと出た。

イスラム圏にこのような場所が存在したことがただただ驚きであった。 まあ人間だからどこでも同じか。

その後、寒いので熱い紅茶を摂り、カラキョイ駅からトラムに乗ってみた。人々の足、トラムは安い。どこまで行っても1.5リラ(90円)である。

アクサライ駅で降りる。

雨が本降りになってきたので傘を買って駅のまわりを適当に歩いたが、取り立てて目に留まるものはなく、寒くてたまらないので、タクシーを停めてホテルへ戻った。

そして今、ホテルにいる。

常々思っているが、異文化と触れあえること、それは旅の醍醐味である。

そこに住む人々がそこで普通の様に食したり、当たり前のように見聞き流している事が、遠い異国からやってきた人間にとって驚くべき事である場合が頻繁にある。

だから放浪は楽しいと思う。好奇心を失ってはダメである。

今回は日本で買ってきたのだが、詳細が書かれたガイドブックは不要だと思った。街の地図さへ持って歩けばなんとかなるのである。

夜までゆっくりここでくつろぎ空港へ向かうことにする。

なんだか今、とてつもなく納豆と辛子明太子で炊きたての白いご飯が食べたい。やっぱオレはつくづく日本人なんだなぁと思った。