【タックの放浪記】  思えば遠くへきたもんだ・・・     by Tack SHIMIZU

心に刻まれたその一瞬、心に響いたその一言、心が震えたその想いを徒然と書き記したい。この記憶から消え去る前に…

44歳の心構え~

2012年03月28日 | 徒然日記
今日でオレも44歳になった。

44歳の心構え~

『 Try not to become a man of success, but rather become a man of value...! 』

昨年のこの誕生日のブログを読み返してみた。

『昨年の誕生日日記』

振り返るとあっという間の一年であった。

これからの1年は、できるだけ身体を動かして体力をつけていきたいと思う。

家に帰り、冷蔵庫にある『王将の餃子』を焼いて、ひとりビールを飲んだ。

マイサクは明日、最後のダンスの発表会である。

サクはこれでダンス卒業となる。

集大成のダンスを観にいこうと思っている。




東京→広島→今治→そして雑魚釣り作戦を練ろう!

2012年03月26日 | 徒然日記
ヨーロッパより帰国した翌日より、東京、広島、そして今治へと1週間かけて駆け抜けてきた。

途中、時差ぼけに悩まされながらも、どうにか時差的には戻ってきた感じである。

しかし展示会で2日間ほど立っていたりしたためか、腰が結構痛い。

振り返れば、今月のまともな休日は上旬に1日あっただけである。それも祖母の法事が入ったため、まともとは云い難い休日であった。

昨夜ふと、今はこのペースでもなんとかかんとか走り続けれるが、あと何年かしたら身体がもたなくなるだろうなぁと思ったりしていた。

釣りがしたい~

大海原で竿を出したい。瀬戸内の穏やかな海を横目にクルマを走らせながらつくづくそう思った。そしてそう思いすぎて、仕事の合間に釣具屋へ立ち寄ってしまった。

話は変わるが、今週の金曜日は京都にてFB友の「愉快な仲間たち」宴会を企画している。結局15名ほど集まりそうで、すごく楽しみである。

そして、更にはその翌日より2日間、友人・KEI、そしてKEIのチビを連れて、白浜雑魚釣り遠征を行なう計画だ。これは、更に楽しみである。

残念ながら、天候はあまり芳しくないとの予想、また潮も「長潮」と云われる干潮と満潮の差がもっとも少ない日となる。

しかし、とりあえずは友人親子に何かが釣れたらいいなぁと思い、今、オレなりに作戦を練っているのだ。

【オレの白浜雑魚釣り遠征作戦】

今年初釣りとなる遠征である。

土曜日は、前夜に酒を結構飲むであろう為、午前中ゆっくりめに白浜に向かう。現地までは3時間半ほどはかかろう。出来れば昼頃には、現地入りしたい。

軽く昼飯を食った午後より出航し、オキアミとアミエビの胴突仕掛けで五目釣りを行なう。船のアンカーは打たず、流し釣りをし、底を探る。

ちなみに、ここで晩飯となる魚をGETする。GET出来なければ晩飯のおかず抜きという事になりかねない。KEIのチビの為に白飯は用意してやろう。ふりかけは確かあったはずである。

夕方早目に帰港し、防波堤からサビキで豆アジを釣る。これはスカリに入れて海で生かしておく。

基地で温泉に入り、釣った魚を食べ、酒を飲む。酔う。寝る。

そして翌朝、その豆アジを餌として、大物根魚を同じ仕掛けで狙う。これはKEI親子のお土産としたい。

もし夕方、豆アジが釣れない場合は、初日同様にオキアミもしくは魚切り身で沖に出ようと思っている。

実は…

しばらく雑魚釣り基地には訪れてないのだが、前回、捨て忘れ残してきた冷蔵庫のネギと豆腐がどうなっているかがとても気がかりなのであった。

出来れば冷蔵庫を開けたくないのだが…

そうもいくまい。(南無阿弥)

KEIに開けさせよう!そうしよう!!

ミラノ放浪2012春 『灯台もと暗し~必見!アンブロジアナ美術館』

2012年03月18日 | 旅三昧!釣り三昧!
ヨーロッパでの予定していた全ての仕事をこなし、フィレンツェよりミラノへ戻った。

今日は日曜日、ミラノでの休日である。

取り立てて予定もないので、常宿の目の前にある『アンブロジアナ美術館』へ出向いた。

これまで1回くらいは訪れたような記憶がぼんやりとあるのだが、正面玄関に大きくレオナルドダビンチの絵画ポスターが掲げられていたので、せっかくなので行ってきた。

ここに展示されている絵画で最も心を打たれたのが冒頭の絵画である。

これは、バチカン宮殿に展示されているラファエロの最高傑作『アテネの学堂』という作品なのだが、アンブロジアナ美術館には、これの巨大な下絵が残されてあった。

この絵画に描かれている人々は、全て古代ギリシャの哲学者であり、その幾人かはラファエロと同時代に生きた著名人をモデルにしているというのだ!

例えば、真ん中に立つ2人の左手はプラトンに扮したレオナルドダビンチ、右手はアリストテレス。手前左下にて机にもたれかかるようにして何かを書いているのはヘラクレスに扮したミケランジェロなのである。

その左にて同じく本になにかを記載している人物はピタゴラスらしい。ソクラテスもいるらしい。そして右の端っこの小さい顔がラファエロ自身だというのである。

その他、レオナルドダビンチのノートや、ナポレオンの手袋なども展示されており、なかなか見ごたえのある美術館であった。

『灯台もと暗し』とはこのことである。


FIRENZE放浪2012春 『フィオレンティーヌステーキ生肉100キロ』

2012年03月18日 | 旅三昧!釣り三昧!
ミラノから1泊2日のいつものコースでフィレンツェへ出た。

ミラノでの常宿にスーツケースを預け、ビジネスバッグ一つでユーロスターに飛び乗った。

かつてはユーロスターで3時間弱かかったミラノ・フィレンツェ間も、ここ数年前より1時間40分ほどで行けるようになっているのであっという間である。

サンタマリアノヴェラ駅に着いたその足で、オーダーをかけていたGVの工房までてくてくと歩いた。



街は相変わらずののんびりムードである。GVの工房は駅から歩くとアルノ河の向かいにある。



ポンテベッキオのひとつ手前の橋を渡る。

午後よりはロレンツォと待ち合わせ、MNの工房へ。

その仕事も終えた後、ロレンツォに工房から程近いアウトレット『MALL』へ連れていってもらい、今回の旅の戦利品としてPRADAの財布をゲットした。

夜、チェザレさんご夫婦とロレンツォに、フィレンツェ郊外の高級住宅地にあるトスカーナ料理店にてご馳走して頂いた。



フィオレンティーヌステーキの生肉が積み上げられていた。聞けばこれで100キロほどとの事。もちろんメインはこれをがっつりと頂いた。

岩塩だけで味付けするレア肉である。外は硬く、中はジューシーで本当に美味かった。



ソラマメである。日本では茹でて食べるが、こちらでは採れたての新鮮なソラマメを生で食べるのである。少量の塩とオリーブオイルにつけて食べると、歯ごたえがあって最高に美味い!美味い!!

今回、ロレンツォがオレの為に押さえてくれたホテルは、いつものホテルが満室であったため、駅前のなんと一泊40ユーロという格安ホテルであった。

まぁ寝れればどうってことはないのだ。

翌朝、ホテル近郊にある市場をくるっと歩いてみた後、ミラノへ戻るべく駅へ向かったのであった。







驚くべきイタリア政府による個人情報管理について~

2012年03月16日 | 徒然日記
ミラノにて、アントニオとイタリアの経済事情について話していた。

今回、ヨーロッパにやってきて、慣れ親しんだミラノを歩き、ひしひしと不景気な雰囲気を肌で感じていたのだが、想像した通り相当悪化しているようである。

昨年、イタリア首相が交代してからの政策として、イタリア国民は現金にて1000ユーロ(日本円=11万円)以上の買い物が禁じられた。因みにギリシャでは現在500ユーロらしい。

これにより、高額商材をイタリア国内にて販売する店舗は大打撃を受ける事となった。昨年のクリスマスの繁忙期から、今年1月そして2月とジュエリー業界は瀕死の状態らしい。

何故このような事をするのかというと、政府自体がイタリア国民の保有する金銭の流れを把握するためなのだ。

アントニオ曰く、イタリアは長い歴史の中でアンダーグラウンドマネーが政府でも計り知れないくらい存在しており、それが今となりEU加盟国として大問題となっているためとの事だ。

原点に返すと、これまでイタリア国家は、国民が脱税し放題の暮らしを運営してきたということになる。

マッシモの話では、例えば自宅の冷蔵庫が壊れたので修理に来てもらったとすると、その修理後に、修理屋さんが当たり前のようにこのように云うのだ。

『正式に請求するのであれば100ユーロ、公表せずに済ますなら80ユーロで出来るけど、お客さんどうするか?』

一般人は当然安い方が良いので80ユーロの現金を手渡す。このようなお金がテーブルの下で動いているのである。

これを解決すべく出された法律が、上記の通り、1000ユーロ以上の支払いは現金を禁止するというものなのだ。

では、支払いはと云えばチェックかクレジットカードとなる。そうすれば記録が残るのである。

更には驚いた事に、イタリア政府はオンラインで国民個人個人の貯金と、その出し入れを簡単に把握出来、個人の財産、収入を管理し、その金銭の流れの詳細まで管理するというのだ。

例えば、Aさんが高級時計屋でロレックスを購入したとする。それはアンダーグラウンドの現金の授受ではなく、記録に残る金銭のやりとりとなる。

そうすると政府は、そのAさんの個人アカウントをチェックし正しく彼の口座からお金が出し入れされているのか、収入に見合った買い物かどうかまで管理しチェックするというものなのだ。

法律により、個人の動産まで管理してしまうのである。

こうしなければ現状打破出来ないという事なのである。

ここ数年、対会社対会社の送金のチェック等は、非常に厳しくなっている事は感じていたが、国民全員の貯金や収入、また国民個人個人の趣向による物の売買等での金銭の流れまでもチェックし、マネーロンダリングといった不正がないか見張るというこの法律には、いささか驚いてしまう。

私感乍~

西欧の車窓より 『BASELからMILANへ』

2012年03月15日 | 旅三昧!釣り三昧!
スイス・バーゼルからアルプスを越えミラノへ抜ける列車の車窓から見える景色、それは本当に美しい。



この時期の朝だからであろう、霧がぼんやりたちこめてとても幻想的に目に映る。



湖の遠く向こうにぼんやりとした山並み、うっすらとした建物の影が湖面に映る。



少しずつ未だ雪被るアルプスの山々が見え始める。



山間の谷間を抜けて列車は走る。山影と遠く輝く雪山、空の青さ、そのコントラストに目を奪われる。



山を越え国境をすぎると、やがてコモ湖が見えてくる。

MAIからのメール~ 『受かったよ♪』

2012年03月15日 | 徒然日記
ミュルーズでの深夜3時頃、寝ていたオレにメールが届いた。

見ると長女・MAIからであった。

たった一言… 『受かったよ♪』と書かれていた。

よかった。本当によかった。

MAIが念願にしていた膳所高校に合格したとの報告であった。

よくも合格まで頑張ったものだと思う。

中3になってからは、毎日、毎日、塾の自習室で勉強していたMAI。

実は今年の1月半ばになるまで、MAIの進路についてオレは全く知らなかった。本人の思うとおりにすればよいと思っていた。

しかし振り返ると、オレは父親として何もしてやってなかったなぁとつくづく反省したりする。

年中仕事ばかりしてきた。というか、そうせねば食っていけない状況にあった。(まぁ、今もそうなのだが…)

結果、幼少の頃の一緒に遊べる時間が少なかった。

小学生の6年間は、たった1度だけ運動会の時に学校に行っただけ。

中学生の3年間は、たった1度だけバレーボール部の試合を見に行っただけ。

だから、友人には声を大にして云いたい。

今しかできない事を出来うる限り優先したほうがいい!出来うる限り!



これは今から10数年前の家の前での写真である。この水遊びするチビが、もう春から高校生である。

そして冒頭の写真は、白浜の海を眺める低学年の頃のマイサク。何を考え海を見ていたのかは知る由もない。

月日の流れは河水の如し~

一生懸命の努力が結果として形となった事は、恐らくMAIのこれまでの人生での大きな自信になると思う。やればできるという事がわかったはずである。

本日、ミラノへユーロシティにて移動し、仕事の合間を縫っていつものようにドゥオモへ出向き、とりあえず神様に『ありがとうございました!』とだけ伝えてきた。

でもよかった。本当によかった。

よく頑張った!本当に頑張った!!

BASEL放浪2012春 『BASELWORLDへ出向いて~』

2012年03月14日 | 旅三昧!釣り三昧!
昨日と今日の2日間、フランス国境の街であるミュルーズに滞在しながら、列車でBASELWORLDに行ってきた。

さすがは世界最高峰に君臨する国際宝飾展だけのことはある。世界でこれこそ一流とされているメーカーばかりが、軒を連ねていた。

それぞれが思い思いの新作を発表していた。

日本のジュエリーメーカーは、ミキモトと海外のブースを間借りした土佐のサンゴ屋だけであった。

弊社の取引先らも大きなブースを構え、たくさんのVISITORに囲まれていた。

やはりここの出展しているような一流メーカーと取引をしなければダメだとつくづく感じたのであった。

新規取引先との折衝に於いても、既存取引先との繋がりの影響が強く、イタリアメーカーでは話がとんとんと進んだ。思うように折衝、仕入が出来たと満足している。

結構、東洋人も見かけたが、恐らく時計関係の人達のようで、ジュエリーのブースではほとんど見かけなかった。

BASELは、地方都市としての活気があり、スイスらしいのんびりとしたところもある街であった。



英語が通じない人もおり、トラムに乗る際も云われた通りに乗ったら、駅とは全く違う方向に向かったりすることもあったが、人々はみんな温かく心地よい街であった。

今日は、少しはやめにBASELを出て、ミュルーズへ戻り、ミュルーズの街をぶらぶらと歩いてきた。



小さな街故、少し歩くとすぐに街の中心らしき場所に出た。

そこには、大きな教会(ドゥオモ)があり、住人達の憩いの場所のようであった。

オープンカフェでお茶をしながら話す人々。その傍らでアコーデオンを弾き帽子に小銭を入れてもらう人。

ヨーロッパらしさのある街は、フランスでもイタリアでも同じようであった。

フランス語が全くわからず、看板を標識をみても全く意味がわからない事には困ったりしたが、空気の澄んだきれいな街であった。

旅がらす~KODAKの頃より

2012年03月13日 | 旅三昧!釣り三昧!
バーゼル国際宝飾展『BASELWORLD』にて思い切った仕入れを実施した後、ミュルーズへ戻る列車からの車窓をぼんやり眺めながら、オレはつくづく『旅がらす』なんだなぁと思っていた。

しかしこの旅三昧は今に始まった事ではなく、大学を卒業しKODAKへ入社した時より、そういう日々であった。

社会人となったKODAKの頃は、心臓カテーテル検査の為のフィルムの日本市場での販売促進がオレのメインタスクであり、実際、配属になった当初、その当時の60%という国内シェアを上げるのも下げるのも君次第だと、直属の上司に云われ、発奮したのを覚えている。

当時は全国に心カテ(心臓カテーテル検査)を実施する基幹病院が800件近くあり、その病院のフィルムをKODAKに切り替えるべく飛び回っていた。

当時は、ひと月に18回飛行機に乗ったこともある。その月々変わる、JALとANAの機内のイヤホンで耳にする音楽のプログラムは自然と覚えてしまったりしていた。

羽田空港にあるカレーショップの味気ないカレーライスに、カレーリッチという名前だったか辛味を加えるラー油のようなスパイスがあり、いつもそれをたらふくかけて食っていた記憶がある。

たった3年という期間であったが、オレは自分なりに医学書などを密かに買ったりして、冠状動脈の番号を覚えたり、どうすればフィルム画像が良くなるかを学んだりした。

古くなった心カテ装置では、単にコントラストを上げるのではなく、逆にコントラストを下げたり、フィルムに届くX線量を抑えたりして画像を良くする方法を経験的に覚えた。

少なくともその3年間は、KODAKの心カテ用フィルムに関して、日本一精通していたと自負している。

若手の放射線技師のため、心カテ画像を良くするための講演にもよく呼ばれた。

結果的には、時代も時代であったのであろうが、オレはいつも落とさず全国シェアを上げる事が出来た。

自分なりには、それが今のオレの自信となり、今のオレのビジネスベースとなっていると疑わない。

話がずれた~

旅をし、いろんな街に出向き、いろいろ見聞すること。これは好奇心が強くないと精神的にも肉体的にも苦痛となる。

しかし、一生何事にも好奇心旺盛で生きていければ、どんなことでも楽しみになる。

好奇心を持って前に進んでいけば、ほんの小さな小さなことでも発見があり、未知な物事を知る事が出来る。

これから先もずっと好奇心を失わずに進んでいきたいと思っている。

時差ぼけで目がしょぼしょぼである。

このロゼを空けたら寝る事にしよう。

ミュルーズ放浪2012春 『遠きフランスより黙祷』

2012年03月12日 | 旅三昧!釣り三昧!
日本を離れ、フランクフルトを経由しバーゼルまで入った。

バーゼルはスイスとフランスの国境の街である。

空港の出口も二手に分かれる。

オレはフランス側を出て、今回の滞在地であるミュルーズへ向かった。

ミュルーズは、日曜日という事もあってか、静かな小さな街である。

駅前のホテルに投宿し、駅の売店でロゼワインと水を購入し、ホテルに戻りレストランで晩飯を食った。

さすがはフレンチである。ラム肉のフィレが美味い。

今宵はもう目がしょぼしょぼである。

海外に出るとザワザワと出てくる孤独病も、それを楽しもうと切り返した。

今日は東日本大震災からちょうど一年である。ちょうど一年前の今日、オレは岩手県南にいたんだ。

行方不明者を合わせると2万人近いほどの人が犠牲となった忘れえぬ今日。この遠きフランスより黙祷を捧げた。