【タックの放浪記】  思えば遠くへきたもんだ・・・     by Tack SHIMIZU

心に刻まれたその一瞬、心に響いたその一言、心が震えたその想いを徒然と書き記したい。この記憶から消え去る前に…

誇れるべき日本人として~ あれから2年

2013年02月28日 | 徒然日記
私のように、かなり楽天家で、いい加減な人間でさえ2011年という年は、人生においてさまざまな衝撃を受けた。

1番は、あのマグニチュード9の震源地の近くで、あの揺れを体験したことだ。目の前で家屋が半壊し、その後に襲ってきた大津波を訳もわからずラジオのみで惨劇の情報を聞き、理解しようとしていた。

日本の大半の人は地震の後の津波の映像をテレビで見た。しごくわかりやすく、地震がきて、津波がきて、街が消滅し、大勢の人が波と建物の中で死んだ、と理解しているだろうが、被災した人たちのほぼ全員が、あの津波の映像を一ヶ月近く見られなかった。

生き残った人たちが多くを語らないのは、目の前に波があらわれ、建物が迫って、何もかもがのみこまれ、その直後から連続して襲った大きな余震と、暖房を奪われた寒さと、昨日までそばにいた家族の姿がないという現実でしかなかったからだ。

テレビに地質学者が出て、千年前にも今回と同じ規模の津波があった痕跡があると土質を見せて話していた。

バカを言うな。

なぜそれを声を大にして言わないんだ。どのツラ下げてテレビの前でしたり顔で話す。政府の危機管理の甘さを責め、犠牲者を減らすことができたのではないかと平然と言う。

バカも休み休み言え。

津波は襲った。復興に皆懸命である。

果たしてそうだろうか。

被災地には今、親のどちらかを、または自分の面倒を見てくれていた大人を失った子供が2000人近くいる。両親をともに失くした子供は250人、その子供たちが復興にむかってガンバッテいるって?

そんなわけないだろう。

そんな子供たちをどう育て、きちんとした大人にさせるために何をすべきか方向性を示すのが大人の、さらに言えばメディアの復興の為の1番の仕事ではないのか。

平然と批判ばかりしてるな。

被災地の瓦礫を拒否した市町村がある。なぜ平然と拒否できるのか。自分たちの子供や年寄りに放射線が…。

自分たちとは何なのだ?

日本人ではないか。それともすでに日本人を捨てているのか。

日本中の各家が一斗缶に煉瓦を刻んで入れて、密封し、『震災はここにも』とでも書いて孫の代まで触れてはならぬものと置いておけば済むのではないのか。

恥を知れ。人間としての恥を知れ。

年金問題で、今の若者に、年寄りたちの暮らしを助けるためにも年金を払ってくれ、と言う。

バカを言え。

今、年金を支給されている連中で、年金は他の年寄りを助けるために毎月払っていたと口にできる年寄りがどこにいる。いたら連れて来い。

それを今になって若者にそうしろと言って、いう事を聞く若者がいるはずがない。

~ 大人の流儀3(伊集院静・著)より中略抜粋

『阪急そば』には浪漫があるのだ~

2013年02月28日 | 徒然日記
『阪急そば』を愛しつづけてかれこれ35年になる。

阪急そばとは、阪急電車の沿線にある立食いそばの事である。

小学生の頃、当時阪急ブレーブス子供会に属していた僕は、1シーズンに何回かは西宮球場へナイターを友達と観に行っていたのだが、その際は行きか帰りに、必ず十三駅の構内にある『阪急そば』に立ち寄っていた。

当時は、券売機などというものなどなく、アタマに白い三角巾をつけたオジちゃんだかオバちゃんだかにお金を渡して、「天ぷらそば!」と頼むと、「天そー!」と少し嗄れた声でオーダーを通し、そばの種類により色の異なったプラスチックで楕円の番号札みたいな物を手渡してくれたのであった。

そしてそれと引き換えにそばを貰うしくみになっていた。

当時は、阪急電車には唯一、京都線にだけ6000系と呼ばれる白いラインが車両上部に入ったカッコいい特急車両が使われており、向かいのホームに止まるその車両を見ながら阪急そばを食べたものであった。



当時の阪急電車では、この6000系だけが何故か横に座るシートであった。

あれから35年という月日が流れた今尚、あの時からずっと変わらず僕は「天ぷらそばとかやくご飯セット」をオーダーしつづけている。

今日も石橋駅前の阪急そばでそれを食べてきた。

そしてこれからもずっとずっと浮気することなく「天ぷらそばとかやくご飯セット」を頼みつづけることを心に決めているのだ。

所謂これは浪漫なのである。


放浪通過点より徒然と~ 東京

2013年02月27日 | 徒然日記
2月上旬から始まった長い出張も、今日の東京で一区切りである。

まあ一区切りといっても今宵帰洛の後にはまた次の放浪旅が始まるのだが…

東京→京都→福井→京都→広島→岩国→東京→京都→大阪→京都→ALIKA COLLECTION 2013 ART展→BKK→ROME→MILAN→PALERMO→FLORENCE→ROME→BKK→京都→4月中旬

ざっとこんな感じである。

毎年の事乍、驚く程大きな売上予算がやってくる2月。今月もその大きな目標達成にもうひとふんばりの位置にある。

なんとかしたいのだが…

話は変わるが、昨夜は久しぶりに都合のついたFB愉快な仲間達12人と恵比寿のスペイン料理店に集い、気持ち良く酔っ払った。

久しぶりの面々、初めての面々、よく知る面々と~



其々が全く違うフィールドを歩んでいるからこそ得られる事があると思う。みんな其々、真っ直ぐ歩んでいる。

楽しい釣り話にも花が咲いた。

来月は時間を見つけ、魚探を搭載した船で海に出たいと思っている。

初めての海外旅~ スリランカとモルディブとシンガポール

2013年02月25日 | 旅三昧!釣り三昧!
初めての海外旅行~ あれから22年

それは社会人となった22歳、KODAKの同期だったKONOとの旅であった。

その旅は、成田よりシンガポールで乗継ぎスリランカへ。スリランカに数日滞在した後、モルディブへ。そしてモルディブで数日滞在し、シンガポールへ立ち寄ってから帰国するというものであった。

飛行機がスリランカのコロンボへ到着し、飛行機のドアが開いた途端にカレーの香辛料の匂いがどっと機内に流れ込んできたのを今尚忘れる事が出来ない。

夜到着のフライトにて、飛行機のタラップを降りる時、空港の金網の外から無数の人々が中を覗いており、その目が闇夜の中でギラギラと不気味に動いていた。これらの人々は空港に入れない人々らしかった。

荷物をピックアップしコロンボ市街へ向かうタクシーが、放たれている牛を横にかわしながら走るのには度肝を抜かれた。牛の痩せた背中には恐らく持ち主であろう刻印が焼き記されていた。

コロンボ市街観光の記憶より、コロンボから古都キャンディまでの列車の中の方が記憶に残っている。

鍵の壊れた車内トイレは丸く穴が空いているだけで、流れ行く線路が丸見えであった。そこに糞を落とすと牛なり動物の餌となるのであろうか…

途中停車する駅でKONOが煙草を乞う1人のオトコに窓から煙草を一本あげた途端、オレにもくれと無数の手が窓から中に入ってきて焦った。

キャンディへの列車の中で話しかけられた年配のオジサンに連れられて安いゲストハウスに泊まる事になった。そこから仏歯寺などを観光したのであった。

大きな公園があり、そこでKONOと僕はお土産のスパイスセットを幾つも求めた。

キャンディからコロンボに戻った僕らは、より安くこぎれいなホテルを港の近くに見つけ、そこにチェックインした。そこのフロントのスリランカ人の女の子がKONOに一目惚れしたのを覚えている。

モルディブは本当に美しかった。沖縄の海の色とも違うエメラルドグリーンであった。

空港が一つの島であり、そこから其々の島へ船で移る。其々の島には其々一軒ずつホテルがあった。

空港に着き、スリランカより持ち込んだジンを国内にアルコールが持ち込めないとの理由でモルディブ空港に預け、僕らは島への船に乗り込んだ。

遠くの海でカツオ鳥が群れていた。たぶん魚がいるのであろう。

モルディブの海は美しすぎた。目の前をスティングレィがゆっくりと泳いでいく。

だが、オトコ2人で滞在するのは2日間が限界だった。飽きてしまったのだ。

そこで僕らは予定を一日繰上げ、首都であるマレー島へ移る事にした。そこに行けば何か楽しい事があるかもしれない。

マレー島にて泊まるべきホテルを見つけた2人は、其々別々に島内を歩いた。

途中、話しかけられたモルディブの若者にお土産屋さんの手伝いをしてくれないかと頼まれた。聞くと地中海クラブより日本人の団体客が彼の店にやってくるらしいのだが、通訳が居らず、僕らに販売のお手伝いをして欲しいと云うのだ。

ではその交換条件として手伝った後に釣りに連れて行ってくれるならと話して、了解を得たので手伝う事にした。

団体客は真っ黒に日焼けした僕ら販売員に少し驚いたようであったが、みんな色んな買い物をしてくれたのであった。

そしてその夜、ポンポン船で僕らは釣りに出た。

仕掛けはサラダ油のポリバケツにLINEを巻いたもの。餌は大きな針に半分に切ったイワシを付けて海底に落とした。

恐らく20mほどの深さなのだが、あまりに海が澄んでいて海底まで見えた。

しばらくすると僕のLINEに魚が掛かった。強い引きだった。

上がってきたのは大きなバラクーダだった。獰猛な魚である。

同行したモルディブの人達にみんなで食べてくれと魚を進呈すると嬉しそうであった。

シンガポールに移った僕らは宿を決めるべく空港の案内カウンターで検討していた時に話しかけてきたのがリンというオトコであった。

僕らはこのオトコに色んな場所に連れられぼったくられたりしたのであった…。

夜、久しぶりの都会という事で街に繰り出した。

ディスコに行ったのだが、KONOが短パンで入れないと断られ、トボトボとオーチャード通りを歩いていると、前からやってきた日本人の女の子2人を連れたシンガポール人男子にそのディスコに行かないかと突然誘われた。

さっき断られたばかりだと話すと、大丈夫大丈夫と云う。

そこで彼についていくことに。

やはりレセプションでKONOの短パンにチェックが入ったが、彼はレセプションに掛け合い、青いチャイナドレスを持ってきてKONOに其れを着ろと云うではないか…

KONOも喜んでそのチャイナドレスを着込み入場~

そのディスコでKONOがヒーローとなったのは云うまでもない。

みんなが集まってきて、沢山のシンガポールの若者達とそこで仲良くなったのであった。

最高の旅であった。これが僕の初めての海外旅行である。その後、色んな街を放浪しているが、その原点はこの旅にあるのだ。

末筆乍、因みにそのシンガポールの夜に知り合った日本人の女の子とは、今尚、賀状のやりとりをしている。彼女は熊本に住んでいる。お子さんは野球部らしい。

出会いとはこういうものなのである。

盛岡にて驚くべきラーメン発見!

2013年02月22日 | 旨いもん!旨いもん!!
盛岡最終日の今日、驚くべきラーメンを発見した。

やなぎやという店の『キムチ納ちゅ~』というラーメンなのだ。





コレは、正当な店主こだわりの中華そばに、キムチチャーシューと砕いた納豆をトッピングしたラーメンなのだが、そのトッピングが鶏ガラ&アゴだし&野菜系スープと驚くほどマッチして唸ってしまった。



今後、盛岡滞在中には必ず訪れるラーメン屋さんとなりそうである。

厳寒だが心温かい東北遠征と読本からの盛岡冷麺~

2013年02月21日 | 徒然日記
昨夜、八戸より盛岡へ戻り、今回の僕等の東北遠征もあと数日で終盤を迎える朝~ 現在気温-7C

今回もお世話になった沢山の方々の笑顔、楽しい語らいの時間に心から感謝している。そして、その沢山の方々にどうすれば今後ともずっと喜んでお付き合い頂けれるかを考え、小生事、誠心誠意に尽力する所存。

東北は恐ろしく寒いが、この地に住む人々は驚くほど温かい。

滞在中に読破した『影法師 / 百田尚樹 著 』は、『 永遠の0 』や『 海賊と呼ばれた男 』に劣らない秀作であった。相変わらずの百田WORLDはオススメ~



そして昨夕、八戸駅で求めた 『 別れる力 / 伊集院静 著 』は、まだ序盤だか、なかなか奥深い~



さてと今日もカツんと岩手県南へいっとこう!



爆激辛~ ハヒハヒ盛岡冷麺食った!

岩洞湖放浪2013冬 『 氷上ワカサギ釣り大作戦 』

2013年02月17日 | 旅三昧!釣り三昧!
盛岡での休日~

こちらで親しくして頂いているHIRAさんとHIROさんに、以前から約束していた岩洞湖へ、氷上ワカサギ釣りに連れて行ってもらった。

岩洞湖は、本州で最も寒い場所としても有名で、今朝の気温はなんと氷点下19.5Cであった!

タイツ2枚、靴下3枚、スキーウェアの下にUNIQLOで買ったダウンジャケットという真ん丸になりそうなくらいの重装備で午前5時過ぎ、ホテル前にて拾ってもらい現地へ向かった。

氷上でのワカサギ釣りは生まれて初めての経験である。

凍った湖の上を歩くのは慣れないからか少しおっかない。丁度、氷上に着く頃、空が明けてきた。



氷の上にテントを立てて、その中にそれぞれの穴を開ける。氷の厚みは約40~50㎝くらいあった。



その穴から、恐ろしく小さな竿に、紅さしと呼ばれる恐ろしく小さなイモムシを、これまた恐ろしく小さな針に掛けて落とし込む。

何から何まで恐ろしく小さいづくしなのである。





アタリは恐ろしくはないけど、驚くほど小さい。

更にはこの驚くほど小さなアタリに合わせなければならないという難易度の高い釣りなのであった。

HIRAさん指導の下、エサを付け、仕掛けを投下。着底で底を取るのは、海釣りと同じである。

しかしここからが違うのだ。

オモリで底を取りながら、トントンと竿で氷の上を叩いて待機し、ワカサギを誘うのである。



そうすると穂先にほんの僅かの反応が出るのだ。

これがワカサギがエサを咥えた瞬間で、それに併せてハリをフックさせなければエサを吐き出してしまうのである。

うまくフックさせることを「魚が乗った! ( FISH ON! )」と云うのである。



うまく釣れれば、この穴からワカサギ君がノコノコっと上がってくるのだ。

とても楽しい。



この釣りは、どうやら何処でテントを立てるか、つまり何処に穴を掘り、仕掛けを落とすかで釣果が大きく分かれるようで、HIRAさん曰く、今日は最悪なポイントだったとの事。

また今日は魚の活性も悪い様子で、爆釣にははるかにほど遠い釣りではあったが、釣ったワカサギはレストハウスにて天ぷらにしてもらい、美味しく頂いたのであった。



本当に楽しい経験をさせてもらえて感謝である。

やはり持つべきは友だと密かに感じた一日であった。

HIRAさん、HIROさん、ありがとう!



そうそう、最後の最後で僕の竿に暴れん坊のヒメマスの稚魚が掛かり仕掛けを無茶苦茶にしてくれたのであった~


盛岡豆腐は日本一!

2013年02月16日 | 旨いもん!旨いもん!!
今日の盛岡は気温が-2C/-7Cと鬼のような寒さであった… シバれる



という事で、今宵は昭和風の居酒屋「ござそうろ」で日本一美味いと思う盛岡豆腐で湯豆腐いってきた~

京都は豆腐が美味いと云うが、この豆腐を食べると豆腐本来の大豆の味が強く、これこそ豆腐だと思えるのだ。

しかし強いて云うなら、併せて食する調味料とかにもう少し工夫があればと思う。

あくまで私感乍~

2011.3.11~ あの夜の僕の寝場所

2013年02月14日 | 徒然日記
盛岡の川徳百貨店の向かいにあるホテルロイヤル盛岡。そのホテル入口を入ってすぐ、フロントの前に一つだけ波打つベンチがある。



岩手県南の奥州市で被災し、東京へ戻れなくなった僕が、震災の夜を過ごした場所が此処なのである。





波打つベンチにボストンバッグを枕代わりに、コートのまま横たわり、フロントに置かれたAMラジオをボンヤリ聴いていたこの場所。

フロントには3本のロウソクが辺りを照らしていた。

此処に来るたびに、あの精神的に辛かった時間を思い出すのだ…

あれからもうすぐ2年だ~


オレが体験した東日本大震災 (14/3/2011記): http://blog.goo.ne.jp/tackshimizu/e/08c28cfaa791527a490a57091f7954e2

東北でトリハイをおかわり~

2013年02月13日 | 徒然日記
東北での一日。

今日は盛岡から秋田まで足を伸ばした。





積もる雪がすごい。東北の方々は本当に大変だと思う。

突然、空が抜けた。美しい!空気が凛と澄んでいる。







仕事終了後、ホテルの向かいにあるトリスバーにやってきた。

隣のテーブルに座る女性のタバコが臭くてならない。今日で禁煙223日目だ。

以前は僕がこんな感じだったんだろうなぁ… ちと反省



今宵はトリスのハイボールを飲みながら気持ちよく酔っていく。

来月のイスタンブールとイタリア出張だが、なかなかスケジュール的に調整が困難である。

残念だが四月にずらそうと考え中~