【タックの放浪記】  思えば遠くへきたもんだ・・・     by Tack SHIMIZU

心に刻まれたその一瞬、心に響いたその一言、心が震えたその想いを徒然と書き記したい。この記憶から消え去る前に…

パタヤ放浪2011 『 水平線に落ちゆく美しすぎる夕陽 』

2011年01月13日 | 旅三昧!釣り三昧!
チェンマイから無念にも、BKKへ早々帰還したオレを哀れんでくれたのか、サミーが週末に一泊でパタヤに行こうと言ってきた。オレは、これまで少なくとも50回は訪泰しているものの、一度もパタヤには言った事がなかった。もちろん、喜んでサミーの提案に乗る事にした。

その土曜日、朝8:30にサミー夫妻はオレのホテルにやってきた。サミーはタイ人とは思われないくらい時間厳守な男なのである。知り合い付き合って17年になるが、一度も約束の時間を遅れたことがない。

リンゴ(サミー奥さん)がホテルの向かいのコンビニで買ってきた肉まんを食べて出発した。パタヤはBKKより150キロのリゾート地である。BKK郊外へ抜けると、高速を走るクルマも減り、サミーは飛ばしはじめる。180キロ… ちと怖い。郊外には日本企業の工場ばかりである。サミー曰く、タイでは日本企業の誘致進出が最も多いとの事。

パタヤ手前のチョンブリ(?)という街に立ち寄る。そこは漁港になっており、魚市場になっていた。



なんだか日本の魚とチビっと違う感じがしないでもない様々な魚が売られていた。

そこには宝くじのおばさんも居り、サミーは、おもむろにオレのチェンマイでのホテルの部屋番号を確認し、その番号の宝くじを購入した。



昼メシは、そこでワタリガニを食う事になった。目の前で生きてるカニを茹でる。こいつが、信じられないくらい甘く旨かった。1人2杯ずつ。もう当分、カニはいらないと思った。



シーバスの香草煮。これも最高であった… 辛いスープにシーバスがいい出汁を出していた。

腹一杯になったオレ達は、次に大きな中国の寺院を訪ねた。サミーもリンゴも信仰厚く、かなり長い時間手を合わせていた。だからオレも真似てそうした。



パタヤでは、今最も新しいホテル、ホリデーインに宿泊した。外人だと1泊6000バーツ(18000円)である。そこをリンゴがうまく取り計らい、タイ人価格にてチェックイン。3700バーツ也。一日くらい贅沢してもよいのだ。



ホリデーインのプールは海とつながっている感じ。なかなか素晴らしい。



部屋からはパタヤビーチが望める。たくさんの船が出ている。次来るときは釣りがしたい。そう思った。

街をぶらぶら歩いた後、早めの夕方、サミーが飯を食いに行こうと言った。とてもキレイなレストランがあると言う。どんなところだと聞くも、行けば分かるとしか言わない。

クルマがレストランに着くタイミングで、空が少しずつ紅くなり夕陽が落はじめる。

岸壁とビーチの重なったところに、その素晴らしいレストランはあった。しかし、オレが立っているところからは太陽が見えない。オレはビーチに降りて、落ち行く夕陽が見えるところまで走った。



水平線に落ちゆく夕陽。オレンジに揺れる夕陽。これほど美しいサンセットを、オレはこれまで見たことないような気がする。オレは感動した。感動して鼻先がジンジンとした。



そして、波の音をBGMに夕食をとった。あまり観光客が来そうにない高級レストランであった。それゆえか、そこで食べるタイ料理はとても辛く、最高に美味かった。

満足な食事、最高の空間、楽しい親友との会話。現実から遠ざかりすぎていたかもしれない。

翌朝、帰り道にパタヤにあるフローティングマーケットに寄った。



そして、オレはそこの小さい小船で売られている食べ物で、興味あるものを買って食べた。



これはいわゆる、あの有名なサツマアゲである。どこでもタイの食べることが出来る。甘くて辛いソースをかけて食べる。

突然サミーがオレを呼び止めた。これを食えという。そこは、さまざまな昆虫が売られていた。サナギ虫、タガメ、コオロギ、バッタ・・・。美味いから食えという。



仕方がないので、イモムシを食べた。なんだか塩味で、意外といけた。スナック菓子のようでだった。竹の中に住むイモムシらしい。

なんでも経験である。

いつまでも好奇心を失うことなく生きていきたいなどと、イモムシを食べ、ひとり頷きながら、BKKへの帰ったのであった。




チェンマイ放浪2011 『 よくわからない恐ろしい経験・・・ 』

2011年01月13日 | 旅三昧!釣り三昧!
BKKに到着した夜、親友・SAMMYと遅くまでクラブ「The Bed Superclub」にて飲んでホテルの部屋に戻ったのは午前2時くらいであった。

そのクラブは、ソファがベッドになっており、今最も熱いBKKのクラブのひとつとして、盛り上がっていた。BKKの女優らも遊びに来ており、表にはランボルギニーやベンツのクーペといった高級車が並び、かなりハイソな若者たちの場所のようであった。




翌朝7時にはチェンマイへ飛行機に乗るべく起きなければならなかったのだが、アラームをかけていた携帯が日本時間であったことを忘れており、目が覚めたときは飛行機に乗り遅れたと勘違いしあせったのであった。

チェンマイに着き、まずは宿を探さなければいけなかった。

空港のタクシーの運ちゃんに、ターぺ門付近で安くてキレイなホテルへ連れて行ってもらった。そこがとてもきれいだったので、オレはすぐにそこに予定の3泊滞在することに決めたのであった。1泊600バーツ(1800円)であった。満足であった。しかしこの夜、ホテルで怖い出来事に遭うことになろうとは、この時全く思いもしなかった。



荷物を解いた後、その日は、ひとまずチェンマイをほっつき歩こうと街をブラブラと気の向くまま歩いた。途中、腹が減ったのでバーミを食べたのだが、このおっちゃんが作るバーミはかなり美味かった。

タイのバーミは、テーブルに置かれた唐辛子、酢、砂糖、ナンプラー、ナッツなどを調合して、それぞれが好みの味を作るのだが、オレの場合は、唐辛子と少しの酢、そしてナンプラーを使う。間違っても砂糖は使わない。





街を歩くと、さすが古都チェンマイである。たくさんの寺院が見受けられる。タイの寺院は派手である。





チェンマイはタイ第二の街といわれるが、BKKと比べると比較にならないくらい小さい街である。移動手段は未だにトゥクトゥク(三輪バイク)が主流であった。このトゥクトゥクは、いちいち値段交渉をせねばならず、120%ふっかけてくるので面倒くさい。たった50円ほどのことを時間をかけて交渉するのである。



一度ホテルに戻り、一服してからナイトバザールへ向かった。そこでは、山岳民族の人たちがいろいろなものを売っていた。しかし興味を抱くものは何も見つからなかった。ナイトバザールにはフードコートもあり、安くて美味いものが食べれた。オレは豚肉とバジルを炒めたものを頼んだ。40バーツ(120円)也。これだけで充分に腹が張った。



ナイトバザールは道に屋台が1キロ以上連なっていた。

腹ごなしにまた歩き、翌日はトレッキングに行こうかなどとツアーデスクを覗いたりしながら、コンビニでシンハビールを3缶買って部屋に戻ったのであった。

前の日、4時間ほどしか寝ていなかったので、今夜はゆっくり寝ようと思い、ビールを飲んで床に入ったのだが・・・。

夜中、ものすごく恐ろしい夢を見て午前3時半に目が覚めた。

オレは誰かこの地の昔の戦士とオーバーラップ(重なって)しており、その戦いで殺されるそうになっているのである。それから必死で逃げているというあまりにはっきりした夢なのである。

目が覚めると頭痛がして吐き気がし、トイレに駆け込んだ。

うまく書けないが、何者かが俺の体の中に入り込んできたような感覚なのである。もしくはオレがその者の中に入り込んだ感じ。オレは決して霊感が強いほうではないが、はっきりと何かに憑かれたような感覚がしたのだ。

本当に怖かった。

最初はもうこの部屋には居たくないという気持ちが強かったが、夜中の3時半だかなのでどうしようもない。そのうちに、そのホテルがどうかというよりも、オレ自身がチェンマイにいたらとんでもない悪いことが起こるかもしれないと思い出したのであった。

結局、翌朝8時にホテルをチェックアウトし、その足で空港へ向かい、BKKへ戻ったのであった。

まったく気のせいかもしれない。しかし、そんな体験は生まれて初めてである。

BKKに戻り、SAMMMYに話すと、チェンマイではそういうことが起こるという話をよく耳にするとのことであった。

恐らくオレは、今後もう2度とチェンマイには行かないだろうと思ったのであった。










インフルエンザ・A型にかかってしもうた・・・

2011年01月13日 | 徒然日記
タイ放浪より帰国。

帰国前夜より咳が出始め、間接のふしぶしも痛く、帰りのフライトではあまりに寒くて熱があるんだろうなと思っていたのだが、案の定、関西空港の入国管理局の所で止められた。

熱を測ると39℃だ。

インフルエンザっぽいので、そのまま家の近くの救急病院へ。血液検査、その他を実施したが、悪いところは見つからず、インフルエンザの場合は、発症から12時間では検査が出ないとのことにて、本日もう一度外来検査のために病院へ。

結果は、インフルエンザA型とのことであった。

全く、年始の初めよりなんとなさけないことか・・・。深く反省。

しかし、こうやって会社を休むの、何年ぶりやろなぁ。今週はまず治療に専念したい。

休んでいる間にタイ放浪記をUPしようと思う。