【タックの放浪記】  思えば遠くへきたもんだ・・・     by Tack SHIMIZU

心に刻まれたその一瞬、心に響いたその一言、心が震えたその想いを徒然と書き記したい。この記憶から消え去る前に…

運転卒業おめでとう!

2020年01月29日 | 徒然日記

本日、あれだけ運転するのを止めるように話していたオフクロが近所の酒屋の止めているクルマに当てていた事を酒屋の主人から聞き、もう二度と運転しないように強く伝えた。

昨年より背中が曲がり杖をつくようになり、来月から一月ほど入院手術する事になっているのだが、それでもクルマの運転はやめず周りに迷惑を掛けている事の重大さすらキチンと判断出来ない人間に運転など絶対にするべきではない。

酒屋の主人曰く、自転車に乗る老人を転倒させて運転していたのも見たとの事。勿論本人は気づいていない。

しかし感謝すべきは嫁さんである。

即座に親父とオフクロを長々と話し、気が変わらないように今日のうちにオフクロに付き添い免許センターに免許を返納させに行ってきたとの事。

よって本日、親父に続きオフクロも79歳を前にクルマの免許返納となった。

堀川一条という便利な場所に住んでいるのでこれからはタクシーを目一杯利用してほしいと思う。

長生きしてほしいと切に願う次第。オフクロ、運転卒業おめでとう!

たった今、自身で決めた事だが親に免許を返納させた以上、僕ももし生きていれば同じ歳には必ず免許を返納する事を心に誓った。

TACK
29/1/2020記










テニス肘…

2020年01月28日 | 徒然日記

テニス肘…

テニス肘になったようだ。原因は分かっている。釣りだ。

昨年末、今治の大角の鼻でジグをブンブン投げた時からなんだか肘に違和感を感じていたのだが、一昨日の高知でのジギングで痛みがやってきた。

色々ネットで見ていてテニス肘という事を知ったのだが、ものすごくずっと前に同じ症状が出て肘の上の手首側の筋肉にサポーターを巻いていた事を思い出した。

アレはいつの事だったのか… ずっと忘れていた記憶である。

今朝ネット動画で見た1分間ストレッチをしばらく続けようと思う。

利き手を上から両手を捻り手のひらどおし握り身体の前で回転させて1分間上下に動かすというストレッチだ。腕だけでなく肩から肩甲骨にかけてもいい感じで動くようだ。

早く直りますように…






マイサクおめでとう!

2020年01月26日 | 徒然日記

マイサク、お誕生日おめでとう。

マイは社会人になり初めての誕生日、社会人として一人前に働くようになり仕事上での厳しさなんかも目の当たりにしてると思う。毎日大阪までの通勤もよく頑張っていると思います。

サクは大学に通いながらも就活に励んでいるね。良い就職先が見つかるといいな。東京に行くとか言っているらしいけど出来たら近くにいて欲しいのが本音です。

この間、ふと家からマイサクが出て行ってママと2人になるという事を考えました。

そんな日がやってくるであろうと考えるとちと寂しいです。

マイサク、これからも幸せに向かって一歩ずつ歩んでいってください。

それがパパの一番の望みであり願いです。

心からおめでとう。

パパより
26/1/2020






マイが2歳誕生日、サクが産まれたその日に読んだ1999年の今日の一節

書いてくれた書道家の今は亡き尾上のアバちゃんに感謝

高知沖放浪2020暖冬 『 圧巻のネイリ11連発の巻!』

2020年01月26日 | 旅三昧!釣り三昧!

高知での仕事を1日前倒しして、週末に現地入り赤岡漁港からの乗合船で沖へ出た。

単身で乗合船に便乗するのは生まれてこの方2回目となる。




僕はそもそもジギング主軸の釣り師で、今回の乗合船がヒラメ青物狙いという事で乗ったのだがメインはサビキで豆アジを釣り、海底に落とし込むものであった。

現に僕以外の乗船者は誰一人としてジギングの用意などしておらず、カゴに赤アミを詰めてサビキを落とすスタイルであった。

僕も一応はカゴとサビキ仕掛けを落としてみるのだがなかなか思うようにアジが掛からないのだ。

結局釣り上げたのは豆アジ1匹だけでどうしようもない状態のまま、船長がネイリポイントに向かうと宣言。こうなったらジギングしかないなと思って即座にジグを落とすと…

ガツン!

グングンとした力強い引きは正にカンパチのそれである!

今日のネイリは活性が良くジグに食らいつくのだ。

こうなってくると手返しの早いジギングの僕の勝ちである。釣った豆アジも隣のおじさんに進呈し僕はジガーと化した。

2つのジグを交互に使い分けてシャくるシャくる。

100gのブースFをドテラに流し、200gのヒデヨシをバーティカルにシャくる。

その後はネイリの確変モードとなり、僕はネイリ11連発とネイリ連発自己記録更新となった。




クーラーボックスに入りきらないので余りは全て船長に寄贈した。船長はすこぶる嬉しそうであった。

恐らく水温が暖冬で高いのであろう。この時期にまだガンガンと当たってくるネイリには満足な釣りができた。

船長曰く、一番旨い食べ方は内臓を付けたまま三日寝かして刺身で食べよとの事。少し信じ難いがネットで調べると魚によっては内臓から脂肪が身に移り美味くなると書いてあった。

高知は赤岡漁港から出船する「ちさと丸」はなかなかの船であった。




また乗ろうと思う。

マグロカツオ生捕り大作戦!

2020年01月24日 | 徒然日記

ついに発見した!




南紀白浜沖の浮漁礁の場所である。それは3機あるようだ。

以前にあった波浪ブイよりも更に遠い場所にあるようだ。ここには船舶一級免許でないと到底行けない海域だ。

どうやら水深1500メートルらしい。

海が暖かくなるGWの最も穏やかな日を選び、ガソリンタンクを積んで行ってみようと心に決めた。

スピニングタックルと最低PE3号のベイトタックル500メートル巻いた物を持参しようと思う。

その日は真っ直ぐ浮漁礁まで向かい、ジグを投げたりもしてみようと思っている。

ワクワクしてきた!

沖縄に行かなくてもマグロやカツオが釣れたりするかもなのだ。

ワクワクしてきた!

熊本長崎放浪2020暖冬 『 九州はうまかばい! 』

2020年01月24日 | 旅三昧!釣り三昧!

久しぶりに商用であったが熊本と長崎を訪ねてきた。

熊本はサラリーマン時代以来なので28年ほどぶり、長崎は12年ぶりである。

当初空路で熊本入りする予定であったが岩国で商談があり陸路に変更し新幹線を乗り継ぎやってきた。

久方ぶりの熊本は想像していたより街が大きく、聞けば政令指定都市になっているとの事である。

着いた夜は新市街にある餃子屋さんへ。写真を撮り忘れたがここの店はリーズナブルで美味かった。

新市街には恐ろしく幅の広いアーケードがある。京都新京極や寺町の3倍はありそうだ。




人々が話す熊本弁がいい感じだ。

翌日は折角なので熊本ラーメンを食べる。やはり九州である。ベースは豚骨スープだ。かなり評判の店のようだが個人的には残念ながら好みの枠外であった。豚骨に背脂にキクラゲのコンビネーションがイマイチなのだ。




この夜、高校時代からの親友でこの地に単身赴任するアキヒロと飲んだ。




心地よい時間ここにあり。グビグビ飲んで酔っ払った。

馬レバ刺しも食った。これはうまかた!




聞けば今週木曜日に長崎出張が入っているとの事にて、アキヒロの会社の飲み会にゲストとして乱入する事にした。

翌日は天草へ。隠れキリシタンの地である。天草諸島は橋で繋がっておりクルマで全島渡れるのだ。




海が近いので気持ちが良い。また必ず来たいお気に入りの場所となった。

昼飯は『とらや』という海に突き出たレストランで美味い海鮮丼を食べた。




こちらに来て思ったのだが醤油が異様に甘いのだ。普通に使うにはちと頂けない感じ。ただ刺身を食べるとなるとこの甘味が良いのである。

この日、熊本に戻り長崎へ移動するよりも天草から高速船で長崎へ渡る方が賢明というアドバイスの下、乗客3名の高速船に飛び乗った。片道2030円で到底採算が合わないと思うのだが船は勢いよく波飛沫をあげて走る走る。




45分ほどの船旅であった。白波は立ってないものの高速で走るので海上を跳ねていく感じだ。船酔いに弱い人ならダメかもしれないレベルだ。

しかしデカい魚がいそうな海である。次回はタックルを持ってこようと思った。

高速船は何にもない小さな小さな波止場に着いた。

野良猫が何匹か港を歩いている。所謂よくある漁村風景である。

船着場に一台ポツンと泊まっていたバスに乗り浜町を目指した。やはり長崎は坂が多い街だ。バスの運ちゃんのサイドブレーキを引いた坂道発進がなぜか妙に気になった。

12年ぶりの長崎の街を歩く。ぼんやり覚えているくらい。






中華街から思案橋横丁をぐるっと歩き、人が入っているここだと思う餃子屋に飛び込んだ。

『 宝雲亭 』

焼き餃子とニラ玉とスープ餃子を頼む。




どれも旨かったがスープ餃子は圧巻であった。これは長崎に来るときは一度は顔を出したい。

生ビール2杯とそれで2650円だか。決して安くはないのだがまあ良しとしよう。

腹一杯になって炭酸を買って早々に部屋に帰った。

今回長崎で泊まったホテルはかつての長崎大丸が在った場所に建てられた複合施設の上階にあるのだが、ここの朝食がすこぶる良かった。皿うどんやごとううどんといった長崎ならではの小皿が色々あるのだ。確かに少し高いのだが十分に満足出来る朝食なのである。

長崎滞在中の夜、アキヒロの会社の社員の若者らと飲む機会を得た。明らかに昔と違う感覚の若者らとの会話がある意味新鮮であり驚きでもあった。

かつて世界を飛び回わり活躍する事を夢見て社会人になったような面々、今はベンチャー起業を目指す事を夢見て働いたりするのであろうか。

熊本、長崎、総じて大変魅力ある街々であった。いつか仕事ではなくゆっくりと海沿いを歩いたり、軍艦島を訪ねたり、島原や天草の歴史に触れたりしてみたいものである。

また来ようと思った。



長崎ちゃんぽんはやっぱりエライ!美味美味




2020年放浪生活の始まり

2020年01月18日 | 徒然日記

2020年放浪生活がまた始まった。



一昨日は久しぶりに北陸へ。富山から金沢へ廻り金沢で宿泊。金沢では昨秋イタリアへご案内した方々と片町の料理屋さんで会食しつつ旅の思い出を話し笑い楽しいひと時であった。

土曜日の今日は休日としていつもの美容室で髪を切り、久しぶりの五色湯へサウナに。



ここは学生時代からある銭湯だ。名物カレーうどんを昼飯に。




いい湯だった。

明日から岩国に出向き働いた後、一路熊本へ。来週は熊本と長崎を訪れる。長崎は15年ぶりくらいだろうか、熊本に至ってはサラリーマン時代以来なので25年以上ぶりである。

その翌週は高知滞在となる。

高知滞在中の休日に落とし込み釣りの遊漁船の乗合い予約を入れた。コレは常のジギングはサブでサビキにアジやイワシを掛けてそれをそのまま底に沈め餌としてヒラメや青物を狙うアンダーザベイトと呼ばれる釣法である。楽しみだ。

高知から今治を抜けてまた岩国と尾道を巡り、最終また高知に戻り催事を開催するという流れとなる。

九州から一度京都に空路戻るものの、ざっと3週間の放浪となる。

もちろん仕事がメインだが、合間を縫って美味い物を食い、ええ酒を飲む時間を持ちたいと思っている。

人生トハ旅ナリ…


白浜放浪2020年新春 『 巨大アカヤガラに遭遇とマトウダイの肝醤油 』

2020年01月12日 | 旅三昧!釣り三昧!

2020年初の雑魚釣り〜

土曜日は大潮の凪という個人的にはあまり良い釣果の記憶がない海況の中、沖へ目指した。

やはりアタリが少なすぎる。

僕はどうにかホウボウ、ちかめきんとき、カガミダイ、アカヤガラ、チャリコといった1日であった。

これらの魚は一般的に潮が悪い時に釣れると言われているのだが、特筆すべきはこのアカヤガラである。



僕はこれまでこんな大きなアカヤガラを釣り上げたことがなかった。

アカヤガラ記録更新の150センチである!

正しく雑魚釣りの王道を行く釣果であった。

因みにこの魚は超高級魚として先ずは料亭に送られるので市場で見かけることはあまりない。

そしてこの魚は火を入れると魚のくせして甲殻類の味がする謎の魚なのである。

今宵は基地にて自分が食べる分を刺身にして半分を炙ってみた。美味!

翌朝は初日に作った鳥野菜鍋残りに冷凍讃岐うどんをぶち込み味噌煮込みうどんだ。昨夜の刺身の残りも放り込んどいた。美味すぎ!




翌朝は小雨の単身釣行、目津ノ瀬に向かうも前日と同じで魚からの反応悪し。

水深80メートルラインにてマハタ稚魚ゲト。そのままリリース。

その後シャクっているとジグがふわりと持ち上げられるような感じで合わせると青物の引きがやってきた。

ワラサ74センチを釣り上げた。

沖合いでお湯を沸かしカップラーメンを食べる。もちろん美味い。美味すぎる。

ラーメンを食べぷかぷかと波に揺られながら、ふと沖でひとりこんな釣りをしているなんて30代の自分は全く考えなかったなと思った。あの頃は趣味ひとつなく仕事仕事と働きすぎてたけど今こうやって趣味を持てるようになれたのはあの時の努力の結果だと思う。

ワラサ、マハタ稚魚、太刀魚2、マトウダイ、アヤメカサゴ、グーフーがこの日の釣果であった。

船の傍を悠々と泳ぐイルカの群れを見て納竿とする事にした。

雑魚釣りベースに戻り、マトウダイを薄造りにし粗で出汁をとりしゃぶしゃぶと肝醤油刺身で食べた。この時期のマトウダイはたぶんカワハギやフグにすら負けないと思う。美味すぎ!



腹一杯でレモンサワー、今宵も早く堕ちそうだ。

NO FISH NO LIFE...

釣りロマンを求めて〜










雑魚釣り海外遠征への誘い

2020年01月09日 | 徒然日記

昨日、BKK取引先オーナーのCHAIYANとのLINEでの会話の中で7月にチャンタブリで彼の友人のボートで釣りが出来るとの誘いがあった。

雑魚釣り海外遠征への誘いである。

ちょうどその辺り連休を重ねてアジアバックパック旅にどこかへ行きたいとインドに向かうか、はたまたラオスへ向かうかと考えていたところだったのでこの上ない魅力的な提案なのである。

チャンタブリは訪れた事のない街なのだが、タイの宝石集計地という事は以前から知っており、所謂インドのジャイプールやスリランカのラトゥナプーラのような街と思っていた。




この機会にそこを視察してビジネスオケージョンとなりうる何かを探すのも一考だ。

いずれANAを利用すれば2メートルのロッドケースも運ぶ事が可能との確認を取ったので期待大だ。

とりあえず2月末に訪泰の際に詳細情報を入手しようも思っている。


中年バックパッカー旅2020新春〜 アンコールワットを訪ねて

2020年01月06日 | 旅三昧!釣り三昧!
2020年正月2日、早朝に嫁実家より三国ヶ丘駅まで送ってもらい今回のバックパック旅は始まった。

今回は7年ぶり再訪となるホーチミンから生まれて初めてのシェムリアップへ入りアンコールワットを訪ねる一人旅である。

関空にて椎名誠著の薄い本を1冊求めてプライオリティパスラウンジで朝ビールとどん兵衛を腹に収めて出国だ。

初めて乗るベトジェットはベトナム民営のLCCらしい。ほぼ満席に近い乗客を乗せてホーチミンへ向かった。

機内で冷えてないサイゴンビールを氷で冷やしつつiPadにダウンロードしていたミッションインポッシブルのフォールアウトを改めて観る。機内で冬用のシャツを脱ぎ、マフラーと一緒にバックパックの奥底に詰め込んだ。

ホーチミンは34℃であった。

ホーチミン空港からホテルへのタクシーで僕は悪徳ドライバーにぼったくられた事に後になり気づいた。本来であれば750円程度の運賃を3500円近く払う羽目に。メーターを偽造されていたが為になんだか高いと思いつつも気づけなかった。

これまで数えきれないくらい異国を旅しているのだがメータータクシーがそのメーターを偽造する詐欺にあったのはコレが初めてである。ホーチミンではタクシー会社を選ばなければならないという事だ。

7年ぶりのホーチミンの変貌。

それは先ずあれだけ多かった原付バイクの数がそう感じられなくなっていた事だ。

しかしよくよく考えればバイクの数が減ったのではなく車の数が増えた事によりそう感じるのかもしれない。

ホテルにチェックインし小腹が空いたので目の前に在るベンタイン市場へ。ここは7年前も通った市場だ。そこでミーとサイゴンビールを注文。美味!






サイゴン大聖堂へ向かうも改装中であった。




街を歩くと7年前にもこの辺りをぶらぶら歩いたというボンヤリとした記憶がちらりほらり。

夕方、7年ぶりにこちらの日系設備工事現地法人社長として働くハジメさんと再会し、ローカルシーフードレストランに連れて行ってもらい、その後は7年前は存在していなかった日本人街一画のカウンターバーに連れて行ってもらい酒を飲み色々楽しく話した。




名前のわからない巻貝を味付けし炒めた物。美味!




そしてマテ貝と空芯菜炒め。これまた美味!

歓談の中、シェムリアップではほぼ米ドルが普通に使えるという事をハジメさんから聞き、現地通貨に両替せずに米ドルに両替する事にした。

日が変わるまで2人で飲んでホテルに戻る。翌朝早いフライトなので5時半にタイマーをかけた。程よく酔っている自分に気づく。

ハジメさんと別れた後、ホテル前の屋台でバーミセリを食べて部屋に戻った。

まだ日の出前に空港へ向かう。そんな時間でもイミグレは長蛇の列であった。

どうにか出国しラウンジで朝飯に食べたフォーとお粥が胃に優しくこれまた美味かった。

一路カンボジアへ。

シェムリアップ空港は飛行機から降りたら歩いて空港建物に向かうというなんだか空港というより飛行場と呼ぶほうが相応しい感じがとても好ましい。



生まれて初めて海外に訪れた時のスリランカの空港を思い出させてくれた。

気候も良く乾季との事。




滞在宿へと空港より乗ったタクシー運ちゃんからのアンコールワット日帰りツアーの提案を思いきり値切り、タクシー1台貸切で40ドルで交渉成立となった。




その後、滞在宿の前の路肩に机と椅子を張り出した食堂で昼メシをしてトゥクトゥクを小一時間走らせてカンボジア地雷博物館へ。






そこでは実際に23年前に誤って地雷を踏み片足を失ったお兄さんがボランティアとして説明員をしていた。彼曰く、今尚カンボジア北西部には600万個の地雷が未回収であり毎日2.3人の方々が被害にあっているという事実を僕は知った。

つい1991年までこの地では血生臭い戦争が続いていたのである。

そして今、この国に平和は訪れたが政治腐食が止まらず金持ちは更に金持ちに、貧乏人は職に困り貧富の差が拡がっているとの話であった。

よくある社会主義国の傾向である。

シェムリアップ随一の歓楽街であるパプストリートでは生ビールがハッピーアワーで0.5ドルという水よりも安いような値段で売られている。コンビニで瓶ビールを買っても1ドルなので如何に安いかがわかる。

ピザを頼むと小さいほうのサイズにしたものの食べられない大きさであった。味は並

しかしシェムリアップの屋台は安い。夜に立ち寄ったパプストリートにある店にて貝炒めと懐かしいインスタントヌードルのママを用いた焼きそばで5.5ドル、ビールは目の前にあるコンビニで買って持ち込むのだ。




1時間6ドルのマッサージを受ける。クメール式マッサージはタイマッサージとは若干違う感じだ。

翌朝は5時に滞在宿出発なので早めにホテルに帰還。部屋でスーパーで買ったデュワーズ小瓶をソーダで割って寝酒とした。

翌日は4時半に起床。

いやはや日の出のアンコールワットは幻想的なのであった。



アンコールトムの遺跡も想像していたよりもはるかに大きくかつてのカンボジア首都がここに存在していた事を容易に理解できた。










アンコールトム遺跡らの造られた時代は日本の鎌倉時代辺りである。石の建造文化に於ける世界的傑作である事は間違いない。どれだけの労力をしてこれだけの物を建造したかは想像すら出来ない。高さ65mのその建物以上の建物は作ってはならないというのが今のシェムリアップの条例らしい。

兎にも角にも僕はこれを観るためにやってきたのだ!

念願のアンコールワット到達なのだ!

残念乍、カンボジアの歴史に疎く其々の時代の王朝の名前等が判らないが故に運ちゃんの英語での説明にイマイチ把握出来ない箇所もあったがその偉大さや素晴らしさを知るには充分であった。

その後、トンレサップ湖でボートをチャーターし湖上にある村を訪れた。



水上に沢山浮かぶ家々には子供350人が暮らす孤児院も浮かんでいた。こんな小さなその孤児院に350人もの子供が果たして住めるのかと思った。

泥水のこの湖に住む漁師達は大変貧しいらしい。川沿いの掘立小屋のような所で暮らしている。小屋にトイレはないらしく用を足すの時は河原のブッシュがトイレだとか…

こんな濁った湖に生息する小さな淡水魚を投網で獲ることを生業としているのだ。

なんだか色々考えさせられた。

一度滞在宿に戻り少し昼寝。一人旅は他人を気にせず思うように動けるから良いのだ。

その後、昨日のトゥクトゥクおじさんを滞在宿の前で見つけアンコール国立博物館へ連れてってもらった。博物館には数えきれないくらい程の仏像があった。

この日もマッサージに行き1時間身体をほぐしてもらい滞在宿に戻る。20ドル



滞在宿の傍らにある路肩に張り出したレストランでの晩飯でリラックス。干し肉のように硬い牛肉だがバジルと唐辛子とジンジャーご効いてなかなか美味かった!




最後の夜なのでと1人でパブストリートに出てみたがやっぱりあんまり面白くないので生ビールでガーリックトーストをつまみ2ドル払って部屋に戻った。

翌朝、一路ホーチミンへ。

シェムリアップからホーチミンまでのフライト… 実はここでこの旅最大の問題が発生!

全く知らなかったのだがベトナムは一度入出国すると、トランジットであれその後90日間は再入国が出来ないとの事をシェムリアップ空港で知ったのであった。そして入国する為にはVISAが必要でそれなしでは航空券を発行してくれないと言うではないか…大汗💦

飛行機に乗れないと困るのでどうすれば良いかアンコールエアのマネージャーに聞き、チェックインカウンターの横でWEBでVISA申請をiPhoneでチクチクと行う羽目に。

まさに焦りの30分ほどであった。

どうにかこうにかホーチミン空港でビザを入手し再入国。LCC利用ではなく普通に飛行機に乗れればホーチミン空港内でビザ申請し25ドルで受け取る事が出来たようだが致し方なし。

旅に慣れ慣れになってガイドブックすら持たないのが原因である。まぁなんとかなったので良しとしよう。

ホテルに着き、ホーチミン初日にハジメさんと訪ねたカウンターバーとベトナム料理店を数軒営むHAOと待ち合わせ食事。この日は夕食も共に色んな話をした。




斯くして僕の2020年第一弾となるバックパック旅は終わりを迎えた。

そう、今は出国後のホーチミン空港ラウンジで搭乗前の朝ビールを飲みながらコレを書いている。ここからあとは台湾高雄にてトランジットしそこから関空へと飛行機を乗り換える事となる。

昨年より趣味として始めたバックパック旅だが、アジアではこれが最適であり4日間程の荷物であれば旅先で洗濯をする必要もない。今年は仕事でのアジア旅も重いキャリアをゴロゴロするよりも背中に荷物担いでいこうと思っている。

最後に、ホーチミン・ベンタイン市場のレタントン通り側のサークルK前に夜中出没する屋台で食べるブンは史上最強に美味いという事を忘れぬようにここに書いておく。

シェムリアップとホーチミン万歳!