【タックの放浪記】  思えば遠くへきたもんだ・・・     by Tack SHIMIZU

心に刻まれたその一瞬、心に響いたその一言、心が震えたその想いを徒然と書き記したい。この記憶から消え去る前に…

単独雑魚釣りからトラックに激突されるまで…

2016年11月29日 | 徒然日記
今回の白浜雑魚釣りは諸事情により久しぶりに単身釣行という形となった。

海況は決して悪くない海であった。

110メートル辺り、そして新しく狙った人口漁礁のポイントにて2度、強いアタリがあったが取り込めずラインブレイクとなった。

1度目はソルティガのドラグが止まらず根に入られてリーダーが海底でぶち切られた。

2度目はアブガルシアに付けていた小さめのジグ、こちらは30秒ほどは綱引きしていたのだが、スプリットリングのところでぶち切られてしまった。

1度目はひょっとしたらタックル的に無理かもしれないが、2度目は取れたのかもしれない。

何れにせよ今回つくづく、PE2号以上であればリールのドラグはキツすぎるくらい締めておいたほうが良いと反省した。

また海況が良いので17キロ沖合にある波浪ブイまで出向いたのだが、表層を泳ぐオキサワラを確認し、ロングジグを落とすも2度リーダーを噛み切られ釣り上げるのを断念した。

しばらく闘ったが、相変わらずの強い引きであった。

結局、初日の釣果はアオリイカ、アカヤガラ、オジサンとイトヒキアジであった。





ジグでアオリイカを釣ったのは初めてである。

どれも美味かったが、特に巨大アカヤガラは脂がのって美味であった。



今が旬のようだ。

翌日は雨の釣行、小さなサバとトルクあるサメを釣ったほどで早々と納竿としたのだが…

帰りの第二京阪高速にてかなりの勢いでトラックに後ろからオカマされ、その勢いでクルマが跳ねて前のクルマにも激突してしまうという事態が発生した。

ドーン!という衝突でトラックのラジエーターのところはかなり凹んでいたが、ボルボは堅かった。

ボルボに乗っていて本当によかったと初めて思った。コレが軽自動車だと大変な事態になっていたかもしれない。

しかしその夜より、腰と背中がムチウチの症状が出て痛くなり少しは通院が必要となりそうである。

予期せぬ事故にて注意出来そうにない事ではあるが、不幸中の幸いと前向きに考えようと思った。


ウミガメ加藤というオトコについて

2016年11月25日 | 徒然日記
やり直しも修正も出来ない過去の事が人の信用を左右するのなら、いま現在に全力投球してこれから黄金の過去をつくるほかない。

それがあなたの過去を黄金の過去に彩る唯一の方法なのだ。

後藤清一 言

これは僕が長らくお世話になっているお方の実父上が遺した名言である。



過日、旧友であるシンガポールの加藤順彦より連絡があり、「若者よ、アジアのウミガメになれ 講演録」を新著するにあたりその前に是非読んで自身のブログに書評してほしいとの依頼があった。

早速乍、その送られてきた原稿を旅先のホテルにて読了させてもらった。

まずこの加藤順彦というオトコについてココに記したい。

ウミガメ加藤と僕は、現在、様々なフィールドで活躍する輩が多い大阪府立箕面高校21期生の同期であり、当時の箕面高校としては現役にて関関同立へ進むことのできたほんの一握りの幸運なふたりであった。

大学入学前の春休みに関西学院大学生協にてウミガメ加藤がみつけてきた自動車免許合宿のために二人して福井は鯖江自動車学校で2.3週間を過ごした旧友なのである。

それぞれが違う大学に進んだのだが、学生時代、僕は会員200名強のイベントサークルの会長をしており、またウミガメ加藤は書かれている通り学生企業リョーマにて活躍しており、それぞれ学生企業側と学生サークル側という相対する立場として何かと接点があり、僕自身も何度となく西中島辺りにあったリョーマの事務所へ顔を出した記憶がある。

僕が外資系企業日本法人にて3年間サラリーマン修業をし、その後1年間のカナダトロントでの留学から帰国した25歳の頃、ちょうどその頃、ウミガメ加藤は東京でダイヤルキューネットワークの仕事が暗礁に乗り上げ、何か新しい事を探すべく右往左往していた頃ではなかったかと記憶している。

当時、京都にて小さなスリランカ料理店を運営していた弊社とウミガメ加藤の知人でありスリランカ料理店を東京目黒界隈に展開していた人物らとの接点を作ったり、そこからなんらか新たなる面白い展開が生まれるかを考えたり、そういうアレンジをウミガメ加藤はとても得意としていた気がする。

その前後、ウミガメ加藤が立ち上げた日広 (現 GMO NIKKO) という広告代理店は、この書に記されているとおり大きく羽ばたいていくのである。

この後の僕のウミガメ加藤の記憶、それは2007年だったかの年末、今でも仲がよい高校2年のクラス同窓会忘年会の時の事である。

いつも飲み会では弾けているウミガメ加藤の顔色が驚くほど悪く、疲弊しきった顔で「売上が足らない、売上が足らない…」とこぼしていた。その時聞いても多くを語らなかったが、「来年自分の人生における大きな決断をしなければならないかも…」と小さくボヤいていた。

そんな苦悩のウミガメ加藤をこの時初めて目にしたのだが、それが日広を身売りする前の年末であったという事を後になって僕は気づいた。

しかしそんな苦悩のウミガメ加藤は腐る事なく、更にそこからステップアップし国外から日本を揺さぶるという大きな使命を自身に課しシンガポールに移り住むのであった。

先に書いた通り、様々なフィールドで活躍する箕面高校同級生の中でも、ウミガメ加藤は抜きん出てその異彩を放っているオトコなのである。

さて新書を読ませて頂き、僕が考えるこの書の鍵となるポイントを書き出したい。

ビジネスに於いてあくまでも短期でのサクセスストーリーを描くには、正しくウミガメ加藤が唱える通り、既に出来上がっているマーケットに飛び込んでも進展は難しいであろう。未だルールのない業界に飛び込む事、時代の波を見つける事が最も大切なのであろう。

そういう意味でのアジアなのであろうが、そのアジアでももう熟し遅すぎる国々もある。僕がよく知るタイなどがそうだ。我々が住みにくい環境こそ潮が動き波が立っていると思う。

環境が人間を作るという事、既に物事の流れが誰もに読めるビジネスにおいては短期的爆発的な進展は難しく、物事の流れが読めない環境に身を投じる事こそがベンチャーにおける最も大切な事であり、長年で培った熟達した技術や歴史は二の次という考えこそが最も重要な事なのであろう。

そしてもう一つ、僕は今年の自身48歳の誕生日、この放浪記にこのような事を書いた。


我が人生において~

最も敬うべきは両親
最も愛すべきは家族
最も大切にすべきは友人
最も誇るべきは仕事
最も忘れてはならぬものは好奇心

Life is not about waiting for the storm to pass but about learning how to dance in the rain.

人生とは旅なり~


そこに書いた一文、我が人生において最も忘れてはならぬもの、ウミガメ加藤はきっとその好奇心というものが誰よりも大きいオトコなのだとつくづく思う次第である。

実は今夏、久しぶりにウミガメ加藤とイタリアミラノにて再会し、飯を食い、酒を交わす機会を得たのだが、そこでの会話でも常に新たなビジネスモデルへの探究心は尽きる事なくこのオトコは今も昔も何ら変わらないと僕は内心感じたりしていた。



「若者よ、アジアのウミガメになれ 講演録」著・加藤順彦 ( Amazon POD )

これからの日本を牽引する若者らに読んでもらいたい一冊である。

人生熱く生きなければ価値がないのだ。

TACK

寛いだ休日のキノコ鍋

2016年11月23日 | 徒然日記
久しぶりの家での休日〜

昨日一昨日のアリカコレクション2016秋冬展が無事終了した。



さすがに脚が棒であった。



スペインを前に押し出した企画によるフラメンコミニコンサートはとても良かったと思う。



反省しなければならない事はよく反省し、前に前に進んでいきたい。

アリカコレクション初日、手伝いに来てくれたMAIの二十歳となる来年を前に本人が好むペンダントとピアスをプレゼントした。

僕がバルセロナで選んだモノである。大切に身に着けてもらえれば父親として本望である。



そして一昨日、次女SAKUがすべり止めに受けた同志社女子大に無事合格したとの報。

とりあえずは浪人の道を閉ざせたようだ。これからが勝負、更に頑張ってほしいものだ。

昨夜、脚と肩に香港で買ってきたタイガーバームを塗って寝ると、今朝は快調であった。タイガーバームはエライのだ!

鈍ったカラダに喝を入れるべく往復10キロウォーク&サウナへ。



汗をかいた後の鳥唐揚げで生ビールが美味いのだ。

あっという間に汗をかいた分取り返した。

これでいいのだ〜🍀

家に帰り、今週末の為の釣り道具を準備しつつ、キノコ鍋の準備をした。

味噌味ベースでささがきゴボウにナメコ、大根人参、フライパンで焼き目をつけた鶏肉、そして椎茸とシメジとエノキをどかっと鍋に放り込み、少し煮込むとスープにとろみが出てくるのだ。

今回はそこに牡蠣を投下、白菜と春菊と油揚げも忘れてはならないのだ。

美味美味!

写真を撮り忘れたが、深秋に食べる最高の鍋なのであった。

何もないがとても寛いだ休日であった。


「北山らーめん・てっちゃん」ありがとう!

2016年11月19日 | 徒然日記
京都北山にある『北山らーめん・てっちゃん』は大好きなラーメン屋のひとつとして長らく通っていたのだが、今日墓参りの帰りに立ち寄ると、大将が来月早々に閉店すると言うではないか!

なぜかと聞くと、もう年齢的にとの話であった。

なんだかとても寂しい限りだが、これまでの感謝の意を込めてココに記しておこう。

美味しいらーめんをありがとう!


ピロリ菌退治なのだ!

2016年11月18日 | 徒然日記
本朝、2ヶ月ほど前に実施した1週間継続の抗生剤投与によるピロリ菌撃退の治療結果を確認しに第二日赤病院へ。

検便による検査の結果、ピロリ菌の退治が上手く出来たとの結果を得た。

中年以降の胃ガン発生に大きく影響するピロリ菌を一先ず退治出来た事は何よりである。

今後も1年に一度、定例の胃カメラ検診を継続していく事にしよう。


白浜放浪2016深秋 『 釣った魚でしゃぶしゃぶからーの讃岐うどん大作戦! 』

2016年11月13日 | 旅三昧!釣り三昧!


この土日を利用し久しぶりに雑魚釣り隊正隊員4名が雑魚釣り基地に揃った。

土曜日半日と日曜日終日の釣りだった。

両日とも潮が緩くとてもジギングには向かない海であったがそれなりに楽しんできた。

土曜日はマツモト兄がウッカリカサゴとアオハタとエソ、シンジ兄が究極の高級魚であるシロアマダイ、そして僕はカンパチの子供であるシオとオニカサゴ、エソとイトヨリを釣り上げ、その夜はシオとアオハタとオニカサゴを用いたしゃぶしゃぶを美味い美味いと4人で食べた。









翌朝は鍋の残りに讃岐うどんを放り込みみんなの朝メシとした。

その日曜日は海こそ凪いで良かったのだが、全く魚の反応がなくとても厳しい一日となった。

この日はマスジがホウボウとペンペンシイラそしてサメ、マツモト兄はチカメキントキ、シンジ兄もペンペン、そして僕はまたシオとオキサワラを釣り上げた。



オキサワラは昨年釣り上げたモノと比べると半分にも満たない大きさであったが、それでもかなりの引きを楽しむ事が出来た。

今帰りの鬼の渋滞にヤラレつつ追従型クルーズコントロールを用いてコレを書いているのだがこの機能は便利だな。

でも早く渋滞抜けれないかなぁ…