【タックの放浪記】  思えば遠くへきたもんだ・・・     by Tack SHIMIZU

心に刻まれたその一瞬、心に響いたその一言、心が震えたその想いを徒然と書き記したい。この記憶から消え去る前に…

中学生の学習と社会時事常識のレベルについて

2011年02月27日 | 徒然日記
休日の一日。

昨夜、赤ワインをがぶ飲みし、昼前に目覚めてから味噌汁を作り納豆ご飯を食べてから、散歩に出た。今日は無理をせずに琵琶湖湖畔を5.87キロほどゆっくりめに歩いた。

空が高く、風が心地よかった。

家に帰り、学校の成績が極めて優秀な中2のMAIのテスト勉強のために、時事問題を出してほしいと云われ、問題を作り訊いてみた。

Q1:
今、エジプトに続きリビアで民主化デモが行なわれているが、失脚したエジプトの大統領と今リビアで民衆に対峙している指導者の名前は?

MAI:わからん・・・
オレ:ムバラク大統領とカダフィ大佐やろ・・・

Q2:
今、1ドルいくらくらい?

MAI:30円?
オレ:・・・(アホか?)

Q3:
ニュージーランドで起こった直下型地震でたくさんの人々が亡くなり、不明になってるけど、なんて街で起こった?

MAI:知らん・・・
オレ:クライストチャーチやろ

Q4:宮崎と鹿児島あたりで鳥類に感染被害が出ている伝染病の名前は?

MAI:新型インフルエンザ?
オレ:・・・(無言)

Q5:日本の政令都市でトリプル選挙があって、市民税減税を謳った前市長が勝った街とはどこ?

MAI:大津市?
オレ:・・・


実際に学校で学ぶ勉強と社会一般知識、ともに大切だと思うのだがなぁ・・・。

”Fecarotta” ブランドの商標登録完了~

2011年02月26日 | 仕事!仕事!!
我が社が『アリカコレクション』として、30年以上に渡り主にヨーロッパより輸入してきたジュエリーの一部のモダンラインを『Fecarotta』ブランドとすべく、去年秋より特許申請していたのだが、ようやく特許庁より商標登録が下り、きちんとした形のオリジナルブランドとして歩みだす事になった。

『Fecarotta』とは、かつてシシリー王国御用達であった宝石商の名前であり、今尚、継続する弊社の取引先仕入元の一つでもある。

そこのコンセンサスを得た上での日本市場での名前の引用となったのだが、日本ではその取引先である『Fecarotta社』のラインだけではなく、モダンでカジュアルなオリジナルジュエリーラインとして展開する。

これまでのように高級逸品ラインを主軸とする考えを変える気は毛頭ない。

ただそこまで到達される直前のお客様、その方々をターゲットとしたカジュアルラインの製作にも注力していく方針なのである。

これから先のジュエリー市場は大きく二極化される。ピンかキリかである。これは間違いない。

それを常に考えながら、如何にオリジナリティを追求し邁進するかが、我が社の進むべき道と信じて疑わない。




春の気配の中で訪れた中華料理屋さん 『餃子の白水』

2011年02月25日 | 旨いもん!旨いもん!!
久しぶりに京都で働いた。

今日は給料日だったこともあり、道も結構混んでいたが、春がすぐそこまで来ている事を感じさせる穏やかな一日だった。東京では春一番が吹いたらしい。

お昼、これまた久しぶりに友人・恵がFBで教えてくれた餃子の『白水』に出向いた。

今日はサービスランチ『豚もやし卵炒め定食』に焼き餃子を一人前頼んだ。

この定食も最高に美味かった。そして安かった。

おかげで腹いっぱい。公園の路肩にクルマを停めてちびっと昼寝してしまったのであった。

さてと、帰りにサウナに行こうっと。

整骨院はエライっ!

2011年02月24日 | 徒然日記
京都へ戻る新幹線の中より、

今回の東京滞在では、生まれて初めて整骨院に行った。

そもそも、整骨院と接骨院、そして整体とはどう違うのか知らなかったのだが、整骨院と接骨院は同じで保険が適応になるもので、整体とは不適応であるという事を初めて知ったのであった。

腰に電気マッサージ、その後、先生によるマッサージ。そして機械のベッドでのマッサージであった。これで1200円である。一週間以内継続であれば600円とのこと。

安い‼

整骨院はエライっ!

3月のヨーロッパ放浪計画をFIXさせた~

2011年02月20日 | 徒然日記
福井での個展最終日。

昨日は、初日のビハインドを挽回した一日であった。

そして昨夜、ロレンツォを京都に帰るサンダーバードに送った後、オレはもう一泊し、今日の夕方まで働いた後、最終の新幹線で明日からの横浜での仕事のために移動する予定である。

来月のヨーロッパ出張行程を大まかにながらもフィックスさせた。

どうしてもスイス・バゼルフェアと同時期に当たることもあり、取引先数件はそちらへ出品すると状況、オレはミラノからバゼルへの日帰りの旅を、スケジュール化せざる得なくなった。

ミラノからは列車で4時間ほどのようである。早朝はやく出て、夜遅くミラノに戻ることになる。

ということで、オレの次の誕生日はスイス・バゼルにいるということになろう…。

フェイスブックで知り合ったテッチャンと飲んだ~

2011年02月18日 | 徒然日記
福井での夜、

FACEBOOKで知り合ったテッチャンと飲んだ。オレと同行するイタリア人・ロレンツォと、テッチャンと3人で居酒屋へ。

面白いもんである。

オレが想像していたテッチャンとは違い、実際のテッチャンは身長183センチと大きなテッチャンであった。

居酒屋にて、色々と経歴から今の現況に至るまで話した。テッチャンには夢があった。そしてそれを具体化させようとしていた。

その話を聞きながら、年上として偉そうに話しながらも、内心は、オレももっと頑張らなければと思ったりした。負けてはいられないのだ。

ネットを通した出会いというもの。かつてはなんだかややこしそうな気がしていたものだが、そんなことはないと思った。

お互いを鼓舞激励しあえる友人との出会いというのがFBを通じても存在すると思えた夜であった。テッチャンに感謝。

明日も頑張ろうと思う。





親友・OKAMURAと久しぶりに飯を食った~

2011年02月16日 | 徒然日記
昨夜は、高校時代からの親友であり、大学時代も伴によく遊んだ親友・OKAMURAから京都のうちの事務所の近くに仕事でやってくるとの連絡があり、晩飯を食いに行ってきた。

前にいつ会ったか覚えていないくらい久しぶりの再会であった。

しかし学生時代の仲間とはいいものである。

何年も会ってなくても、会えばすぐに昔に戻れる。

OKAMURAとは大学1年の冬、二人で舞鶴からフェリーに乗って北海道旅行に行ったのであった。とても記憶に残る旅だった。白浜へも旅したんだった。

二人のぼんやりした記憶を重ね合わせれば、新たに忘れていた記憶が浮きでてきたりして、久しぶりに涙が出るくらい笑ったひとときであった。

こういう時間をまた持ちたいと、心から思ったのであった。

『 京料理 萬重 』

2011年02月14日 | 旨いもん!旨いもん!!
今宵は、お客様とロレンツォ、社長、TOSHIとともに京都は今出川大宮を上がったところにある高級料亭『萬重』へ食事に行ってきた。

オレは初めて訪れたのだが、さすが一流とされるだけあり、廊下には一流の絵画が掛けられ、料理も一級であった。

このような店はそうやすやすと行けるような所ではないが、経験しておく価値が充分にある店であった。

昼から降り出した雪により、家への帰り道が渋滞しているとの報にて、タクシーで京都駅まで向かい、そこから電車で家へ帰った。

京都の奥にはこういう店がまだまだあるのである。

17時間寝て体調復活!

2011年02月13日 | 仕事!仕事!!
さすがに長期の出張で心身ともに一杯一杯の状態になっていたのであろう…。

一昨日の夕方、自宅に戻ってから休日の昨日と合計17時間も寝てしまった。そして見事に復活した!

これはこれで、上手くオレの中のひとつの区切りと出来、今日より来日したイタリア・フィレンツェよりの彫金師との打合わせを開始できた。

これから明日の京都を皮切りに、岐阜、福井、新居浜、松山、岡山、そしてまた京都と、フィレンツェ彫金師により、お手持ちの古いジュエリーをフィレンツェのルネッサンス調ハンドメイドジュエリーに黄泉がえらせるという個展企画が予定されている。これまで累計750点以上の取組み実績があり、とても好評の継続企画なのである。

そしてオレ自身は、その中の福井の個展を担当する。その他はうちのスタッフらに任せ、福井終了後に横浜へ移動し、上大岡の取引先での来月の展示会の為のプレセールに3日間入る計画である。

来月は前半より北上へ再訪、そこから東京、横浜にて働き、恐らく23日よりBKK経由にてイタリアとスペインへ行くことになろう。この仕入が来るべき4月の『アリカコレクション2011春展』の主軸となる。

この間のどこかで金沢、富山、今治へ出向き、春の個展の企画をまとめてこなければならない。また地元近畿圏での最も重要視している取組み、首都圏での営業的組立ても併せて考えていかなければならない。

立ち向かわなければならない物事は山積している。

そして常に高い視座にて周りを見渡しながら取り組まなければならないと痛感している。

とても残念だが次女・SAKUから頼まれていたダンス発表会は行けそうにない…。

東北放浪2011 『 平泉中尊寺を訪ねる~ 』

2011年02月10日 | 旅三昧!釣り三昧!
東北出張の最後の今日、一関での仕事を終えたオレは『平泉中尊寺』に足を伸ばした。

ここは源義経と弁慶が最期をむかえた場所である。源頼朝により、義経はこの場所で自害したのである。

深々と雪が積もる中、境内に隣接している資料館へ入った。そこには12世紀当時の仏像や、当時使用されていた遺品などが展示されていた。中には当時の枕も展示されており、それには長年それを使用してきた人の後頭部の凹みまでもがそのまま残っていた。今から900年ほど前のものである。

資料館を抜けて金色堂を目指した。



金色堂は日本で初めての国宝として認められた建造物である。当時、はるか南方でしか採れなかった貝が、彫刻された孔雀の彫刻の脇などに使用されており、全体が金箔で包められていた。

この東北の小さくて静かな町に、かつての藤原氏が忍び住むかのように生活しており、今日のこの寒々しい雪の下、かの義経や弁慶もここで生活していたのだろうと考えると、なんだかとても感慨深いものがあった。

数年前に読んで心に刻まれた小説、『君の名残を』(著・朝倉卓弥)。その最後の舞台がここ中尊寺である。義経に殺された木曽義仲の奥方であり女武士である巴御前が義経に復讐に向かった地がここ平泉である。

もう一度あの小説が読みたくなった。