【タックの放浪記】  思えば遠くへきたもんだ・・・     by Tack SHIMIZU

心に刻まれたその一瞬、心に響いたその一言、心が震えたその想いを徒然と書き記したい。この記憶から消え去る前に…

BKK放浪2012冬 『 マッサージおばちゃんのゴールドフィンガーとカエルの唐揚げ 』

2012年01月30日 | 旅三昧!釣り三昧!
俺の知る普段のバンコクよりは、はるかに凌ぎやすい気温の昼間、スクンビット通りを右手にいつもの渋滞を眺めながら、オレはBTSのアソーク駅へ、てくてくと歩いていた。

このところ、親友・サミーの薦めで泊まっているウィンザーホテルはスクンビットのSOI26(26通り)にある。

そこよりスクンビット通りへ出る手前に左に入る路地があり、そこに入って道なりに右へ進むと駐車場のスペースに無理やりリゾートチェアを並べたようなバーミー屋(タイ風屋台ラーメン)がある。



そこのひとつのチェアに腰を落ち着けバーミーを頼む。1杯30バーツ(80円)である。



店の入り口には、その店のお母さんらしき女性がバーミーを作っている。彼女が料理長なのである。

バーミーを2杯食べたオレはアソーク駅へてくてく歩いていた。

歩く道々に果物を切って売っている屋台や、なまずを揚げたものを売っている屋台、パパイヤを細かく刻んで、その場でソムタムを作って売っている屋台を見かける。



さすがのオレもこれらは食べれそうにない。

スクンビット通りの渋滞のクルマはオレが歩いているよりはるかに遅い。

タイのバスはなぜか異様にお尻の部分が長い。できるだけたくさんの乗客を乗せようと苦心しているのはわからないでもないが、あまりにもたくさん乗客を乗せると前輪が浮いてしまうのではと思うくらい長いのだ。

アソーク駅より一駅、ナナ駅でBTSを降り、かつて何度か訪れたことのあるアンバサダーホテルのそばのマッサージ屋に足を運んだ。

マッサージ師としては、いささか不自然な胸が見えそうな服を着てホットパンツを履き笑顔でオレを見る女性を無視し、60歳に手が届きそうだが熟達した技術を持っているであろうおばちゃんを指差し、足つぼマッサージを依頼した。

足つぼマッサージを受けながら、ジェスチャーを交え、椎間板ヘルニアからきている右の坐骨神経痛の話しをおばちゃんにしてみた。

そうすると、足つぼの後、サービスで腰と右尻を的確に揉んでくれた。

たった少しのこのマッサージであったが、腰の痛みが消滅したことには、正直驚いた。

さすがの一言である!まさに奇跡の指を持つおばちゃんであった。

今回のバンコク滞在は、いつも夜な夜な飲みまくっているサミーが旅の途中との事で、全く夜の予定がない、睡眠充分なる旅であった。

去年、ひょんなことから知り合い、親しくしているHIDEと夕食に出た。

HIDEがいいイーサン地方(東北地方)のタイレストランがあるということでエカマイ通りへ。

オレの大好物のソムタムはイーサンの食べ物なのである。

そこでカエルを食べることにした。



かつてカエルは食べた経験があるのだが、これほどまでにグロテスクに、サーブされたカエルを食べるのは初めてであった。

その味は鶏のササミに近く、辛いたれに付けて食べるとすごくうまかった。

カエルは筋肉質なのであった。

緑色のビア・チャンのコスチュームを着て注いでくれる女性をわき見しながら、思えば長くこの街を訪れているなぁと考えていた。

初めて来た頃はまだBTSもなかった。今から18年ほど前の頃である。

気持ちは今と変わらず、ただただ突撃の青春時代であった。

あの頃知り合った人たちは、今尚、この喧騒の中で生活しているのであろうか・・・。



震度4の地震がくれば全ての高層ビルが倒壊するであろうと云われる大都市・バンコク。

これまで100回近くは訪れているであろうこの街だが、いつきても新鮮である。

それはこの地に住む人々が流れ流れて、訪れる度にオレにとっての新しい展開が生まれてくるからであろう。

次の訪泰は3月、またその時もこれまでにない新たな旅になるのであろう。

屈託のない笑顔のタイ人に乾杯!

やはりここは、微笑みの国なのであった。

高知にある居酒屋 『葉牡丹』

2012年01月24日 | 旨いもん!旨いもん!!
昨夜は外販の後、整骨院へ行ってから、高知の伝説的居酒屋『葉牡丹』へ足を運んだ。

以前より、この居酒屋の名前は知っていたのだが、今回初めての訪問となった。

店に入ると、店内は外観と等しく昭和の色が残る典型的居酒屋で、BGMではよくわからない演歌が流れていた。

オレは早速、カウンターに陣取り、ドロメとなまこ酢を頼んだ。

週末はいつも満席との話だが、幸いこの日はカウンターにすぐ着く事ができたのであった。

なかなか渋い居酒屋である。それでいてそれほど高くない。

ひとりしんみり飲むには最高の雰囲気である。

オレは生ビールを3杯飲んだ後、普段は頼まない「司牡丹」のコップ酒を頼んで、ホルモン煮込みを突いたのであった。

これからの高知出張では、きっと一度は訪れるであろう好みの店であった。

高知でのゆるりとした休日~

2012年01月23日 | 徒然日記
お陰様で、先週末の高知でのアリカコレクション展も無事終わり、昨日の日曜日はここ高知でゆっくりとした日を過ごした。

海沿いを宇佐から須崎まで抜ける黒潮ラインはとても景色が良かった。かなり高い所から、岸壁の太平洋の海を望める最高のポイントであった。

疲れていたのであろうカラダをぐっすりと休める事の出来たおちついた時間だった。

今回、滞在中に何回行ったのであろうか…『赤のれん本店』

気さくな大将がいることもあり訪れるのだが、よく考えたら、オレは高知では『赤のれん本店』と『しなとらラーメン』しか行ってないかも…。

残り3日間の滞在、足りない数字を如何に取り返すかに最大限注力したい。

今日ははやめに休むとしよう~

2012年01月19日 | 徒然日記
今日は夕方より、明日明後日の展示会ホテル搬入準備であったが、腰痛と坐骨神経痛が酷いので、高知入りしている営業スタッフ4名に任せ、高知大丸近くの『宮地整骨院』へ行ってきた。

これで今回2回目のこの整骨院での治療となる。

先一昨日は、マッサージによる治療であったが、今回は針をしてもらってきた。

どうやら右側の腰痛と坐骨神経痛を身体がかばっているようで、腰の辺りは左の方が凝っているようであった。

針を受け、新しいストレッチ方法を教わった。これを朝夜毎日2回行ってくださいとの事であった。

明日からの展示会、天候はイマイチの様子である。しかし、ご来場頂いたお客様には最大限のおもてなしを行い、喜んで頂けるように努めたい。

今から一人、軽く飯を食いながら、明日の外商説明会でのスピーチを考えようと思う。




高知での日々~

2012年01月18日 | 徒然日記
昨夜は、高知で親しくして頂いているSさん、Oさん、Kさん、そしてマッテオと飲みに行ってきた。そしてやっぱりコジャン(高知弁・たくさん)と飲んで、今日は一日しんどい感じであった。

お昼もわかめうどんで胃をなぐさめた。

しかし、仕事はというと、オレ的には毎日相変わらずカツンカツンと絶好調である。お客様に感謝だ。

ここ数日、椎間板ヘルニアからくる坐骨神経痛がひどい。

これは正月休み、少しマシになっていたがためにストレッチやウォーキングをサボっていたツケだと思われ、結構反省している。

だから今日は、夕方から近所のコインランドリーに洗濯をしに行った後、5キロほど高知の街を歩いてきた。

そして今から風呂にお湯を溜めて、「きき湯」のバスクリンを入れてゆっくりつかろうと思っている。

今夜は早めに寝て、明日からまたバリバリと仕事をこなしたい。

とてつもなく白浜の船で釣りに行きたいのだが、どんなにスケジュール帳を睨みつけても、地元での休みは3月に入らないと作れそうにない…。実際、3月に入っても休みが取れるかどうかは疑問である。






気合いを入れて~

2012年01月16日 | 徒然日記
昨夜、高知にやってきた。今年最初の出張が始まる。

高知の街、日曜日の夜は人がほとんど歩いておらず驚く。がらんとした感じであった。

マッテオと弟とで、当然のごとく『赤のれん本店』へ行ってきた。

話は変わるが、この数日、坐骨神経痛が酷い。しばらくストレッチをサボっていたのが原因のように思われ、今朝、風呂にお湯を張り、ストレッチをした後、しばらく温めた。

そして飲んでいなかった痛み止めの薬を、久しぶりに投薬した。

高知での滞在は25日までとなる。そして週末には展示会もある。

さぁエンジン全開で気合いを入れていこう!




宗教とは奥が深い~

2012年01月13日 | 徒然日記
昨夜観たTVでの宗教の話~

なぜカトリック教の総本山がバチカン市国にあるのかという面白い話。

もともとユダヤ教であったイエスキリストが、ユダヤ教の教えから外れ、全ての民は平等だと説く事により、最終的にイエスキリストは処刑されるのであるが、その3日後にイエスの死体が消えてしまう。そこから神になったと考えられたイエスキリストを尊い、現在ミラノに在る『最後の晩餐』の壁画の中に描かれている12人のイエスの弟子達が、それぞれキリスト教を世界に布教していく。

その中、イエスの一番弟子であったペトロが、最終的にローマに辿り着きそこで亡くなるのだが、そのペトロの為に建てられた寺院が、サン・ピエトロ大聖堂なのである。

ちなみに「ペトロ」はイタリア語では「ピエトロ」という発音となる。

キリストの一番弟子であったペトロの後継者が、その後、今に至るまで、ローマ法王となるのである。そして現在は、第265代ローマ法王なのである。

しかし宗教とは奥が深い。

現在のローマ法王の力は、全世界にいる11億人以上のカトリック教徒に繋がっているのである。ローマ法王の発言は、各国の政治的にも影響力があると言っていた。又、バチカン市国の情報収集力は、ある意味、CIAなど相手にならないと言っていた。

なんだかそんな気もしないでもない。


ビジネスとは組み立てである~

2012年01月11日 | 仕事!仕事!!
今日は、イタリア出張に出ている1人を除き、その他全員が会社に出社したので、午前中に一時間ほど年始のミーティングを行なった。

そして今期の経営目標を、もう一度全員に説いた。

ビジネスとは組み立てである。時間的組み立て、効率的組み立て、全てひとつひとつの小さなことに於いても、それぞれの目標の組み立て。つまりきちんと分析し、結果を具体的に予想できるまでの組み立てが大切である。

具体的目標を捉えられない取り組みは、どう努力しても間違いなく失敗する。

オレはそう思っている。

今週末の高知の前にくっつける形で考えていた今治訪問は来月に延期した。よって日曜日からの高知出発となる。

明日と明後日は午前中は銀行との打ち合わせだ。明日の午後は四日市に向かおうと思う。

23年前の久米島での写真~はたちの頃

2012年01月10日 | 徒然日記
今日から2012年の仕事がスタートした。

といっても今週はお客様に年始の挨拶廻りが主の仕事となった。

先週までの楽しかった久米島の旅。

机の引き出しに23年前、プールの監視員をしていた時の写真を一枚だけ発見したので、今回の久米島旅のついでに貼り付けておくことにする。

いずれ書籍化するときの為~

琉球放浪2012冬 『 紺碧の海にすむ魚を求めて~久米島釣り旅 』

2012年01月08日 | 旅三昧!釣り三昧!
1月4日: 【壮絶なる旅の幕開け】

早朝、ロッドケースに2本の竿を詰め、着替えを詰めたキャリアをゴロゴロと曳きながら関空へ向かった。さて、久米島一人旅へ出発だ。空港に着き、荷物を預ける。

久米島は、オレが20歳の夏、2ヵ月弱の間、リゾートホテル久米アイランドにてプールの監視員をして過ごした島である。既に23年という月日が流れ、オレの記憶のコマ切れとなっている部分を少しでも埋めることが出来ればと思い立ち、この旅を決めたのである。

尚、今回は釣竿持参である。釣ったことのない沖縄の魚にトライしてみたいという気持ちもあった。23年前は、時間はあれど金はない日々。大阪南港より1人フェリーに乗って那覇へ向かい、そこから久米島へのフェリーに乗り継いだのであった。

今回は、那覇までは空路。しかしそこからは昔と同じくフェリーにて久米島へ渡ろうと思っていた。

那覇への飛行機に乗る直前に、久米島に住む親友NAKAよりオレの携帯が鳴った。



「今日の久米島へ渡るフェリーが欠航したよ~」とのNAKAの笑い声。

久米島へのフェリーは波が4メートルに達すると欠航するとの事。現地は相当天気が悪いようである。

このように予期せぬ出来事が起こりえる事こそ旅の面白いところである。

なんだか、ワクワクしながら機内に乗り込んだ。



那覇空港着陸の少し前より飛行機がかなり左右に揺れ始める。風が強く雨も降っている。飛行機から見る碧い海には、沖ですら白波が立っているのが見えた。

那覇空港に降り立ち、荷物を拾い上げた後、もう一度出発カウンターに向かい、那覇より久米島への琉球航空のチケットを購入し、再度荷物を預けた。

想像した通り、バスのように小さなプロペラ機であった。これがまた非常に揺れるのだ。

どうにかこうにか久米島空港に降り立つと、到着ロビーには笑顔の少しはにかんだNAKAが立っていた。3年ぶりの再会である。NAKAは10キロほど肥えていた。

NAKAの自宅が、オレ達がここ数日間行動するリゾートホテル久米アイランド近郊より離れていることもあり、NAKAは自分の職場であるこのホテル久米アイランドにTWINルームを押さえていてくれた。これから3日間、NAKAとオレは共にホテルに滞在する手筈となっていた。

懐かしいこのホテルにチェックインし、荷を解いた後、NAKAは午後6時まで仕事があるという事で、1人ぶらぶらイーフビーチに出て、昔懐かしい村落を歩いた。

久米島にはバイパスと呼ばれる通りが出来、又、楽天球団のキャンプ場としてスタジアムも出来ていた。昔あったスーパーやさとうきび畑がなくなり、道路も舗装されて、オレの記憶とうまく合致しない部分も多々あったが、ぼんやりながらもその頃の面影は思い出せた。



どんより曇り空で、イーフビーチはかつての感動した程の迫力はなかったが、それでもシャリシャリとした砂を噛む靴の感触や砕けたサンゴが散らばる砂浜はあの頃と全く同じであった。懐かしいあの頃の海の匂いが鼻に突いた。

夜、仕事を終えたNAKAと飯を食いに居酒屋へ向かった。

トーフーチャンプル、海ブドウ等、沖縄ならではのオーダーをして、オリオンビールで乾杯をする。途中からNAKAは『泡盛・久米仙ブラウン』のボトルを頼んだ。オレも飲んではみたがなかなか進まず、生ビール続行とした。



そこへJUNがやってきた。JUNはNAKAの職場であり久米アイランドの後輩であり、久米島出身の物静かなオトコなのだが、釣りに詳しく、今回の陸からの釣りをオレと伴にしてくれるという。JUN曰く、この天候では波がきつく、磯からは到底、竿を出せないだろうとの事だった。

「まぁ明日の事は明日考えようよ~」と沖縄弁でJUNは言った。

最初の居酒屋でカツンと飲んで気持ちよくなった後、近所の『BAR・ゴーヤール』へ移動した。そして、そのBARのオーナーであるスーさんを紹介された。スーさんは元々、ナイチャー(内地出身者)なのだが、今は年老いた御母上と伴に久米島に移り住んでいるとの事であった。パイプが似合うスキンヘッドのオトコである。スーさんも明日、釣りに一緒に行くらしい。

スーさんのBARは貸切り状態である。3人でまたゲラゲラ笑いつつ飲んでいる時に、今後はヒロポンがやってきて仲間に加わった。ヒロポンは沖縄本島出身で久米島へ嫁いてきたとの事であった。みんなそれぞれ相当なキャラクターなのであった。島の話になると、オレには分からない事が多かったが、それでも現地の宴に混じって飲んでいる時間は心地よかった。



結局、スーさんのBARでは午前3時頃まで飲んでいた。さすがにオレは酩酊して、もうネムネム状態であったが、ヒロポンがどうしてもカラオケに行きたいと云い出し、こうなったらオレ1人で帰るわけにも行かず、連れられ『スナックYUKI』へ。



正直な所、今時こんなスナックあるのか?というような店であった。しかし酔っているので、なんだって構わないのであった。

結局、そこでスーさんがヘネシーをKEEPし、それぞれ数曲ずつ歌って飲んだ。

その後、オレ達がホテルに戻ったのは午前5時半頃だったであろうか・・・ 曖昧である。

ホテルに着いた途端、NAKAの携帯が鳴り、まだ飲み足りなかったらしいヒロポンが、クルマでこちらへ向かってくる途中に、サトウキビ畑の路肩にクルマを落としたという連絡が入り、NAKAはすぐさま助けに走っていったのであった。

結局、この日、オレ達が寝たのは午前7時半であった。

しかし壮絶なる旅の幕開けとなった。

1月5日: 【アタリのこない久米島の防波堤】

ほとんど寝不足の状態であったが今回は釣り旅である。朝は起きなきゃなるまい。

朝9時半、JUNとスーさんとオレの3人は竿を持って島の防波堤に向かった。NAKAは結局起きることができず、釣り断念となった。

小雨が続き波も高い。どう考えても辛い状況である。

3人で竿を出すも、どこにいってもアタリがこない。曇っているが、さすがは久米島の海、とても水が澄んでいる。水が澄んで、かなり深い場所でも魚がいないことが一目瞭然なのであった。



ポイントを5箇所ほど変えて竿を出すも、結局、オレが小さなオジサンを1匹どうにか釣り上げただけで、午後3時頃、納竿となった。

ぐったり疲れた3人は、レストランで遅めの昼飯を食って分かれたのであった。

夕方、部屋で昼寝しているとMEETINGを終えたNAKAが戻ってきた。二人で缶ビールを飲みながら、明日の船釣りの計画を話す。明日は波も少しはマシのようである。

しばらくして飯を食いに居酒屋へ。NAKAはさすがに昨夜飲みすぎたようで酒が進まないようであった。

ゴーヤチャンプルと島らっきょうの天ぷらを頼んだ。この島らっきょうの天ぷらがすこぶる美味い。酒が進まないNAKAは横でとんかつ定食を食べていた。

そして又、スーさんのBARへ向かった。

スーさんとNAKAが熱くなり、TPPで発生するであろう島内のさとうきびの問題、沖縄基地の実情等、少し深いが興味のある話題にそれぞれの熱い考えをぶつけていた。全く2人の会話は両極端なので、オレは合間に入り、自分の意見を述べて議論を丸めるように努めた。



店はまた、貸し切り状態で、オレはバーボンソーダを4杯ほど飲んでまた気持ちよく酔い、この夜は午前1時頃、NAKAとホテルに戻ったのであった。

1月6日: 【旅のメインイベント船釣り大決戦】

決戦の朝である。朝8時に起き、ホテルでNAKAときちんと朝食を摂った。オレは船酔いを危惧し少なめに。NAKAは朝からものすごい量の朝食を食っていた。このオトコに船酔いなど関係ないようである。

スーさんと合流し、3人で船が待つ港へ向かった。

船頭曰く、小雨は仕方がないが波はまだマシの様子。今日はグルクンなどの小物ではなく、もう少し大きな魚を狙いに行きますと云う。オレの気がはやる。



仕掛けを確認すると、オレが南紀白浜の自分の船で普段行なう『落とし込み』であった。但し、針は大きく、エサも秋刀魚とイカの切り身を用いる。またまた気がはやる。

水深40メートル辺りの所で、島影の風が弱いところを選んで竿を落とす。島での釣りは、一周くるりと釣りが出来るので、風を避けた釣りが可能なのだ。

竿を落とした途端に釣れるという『爆釣!』という状態では決してなかったが、しばらくしてオレの竿も大きくしなった。

なかなか強いひきである!



上がってきたのは30センチ強のシロダイであった。NAKAの竿にもアカジンと沖縄では呼ばれる赤いハタがあがった。スーさんの竿もしなるしなる。

その他、フエフキダイも含め、3人で20数匹の魚をゲットした。

一度、オレの竿に恐ろしく大きなアタリがきた。リールのドラグをある程度締めているのに関わらず、ラインが負けず出るばかり状態だ。竿の曲がり具合から察し、船頭さんにドラグをもっと締めたほうがよいか確認するも、魚はどうやら岩の穴場にもぐってしまい上げられずに終ってしまった。

横で見ていた船頭とスーさんの話では、恐らく1メートル級のミーバイ(高級ハタ)であろうとの話であった。FISH ONした際に、もっとドラグを締めて、豪快に巻いておけばよかったと思うも、後悔先に立たず。

しかし最高の船釣りであった。



ホテルに帰還する前に、ホテルと契約する居酒屋に行き、NAKAが食べ切れなかった魚を店に進呈するとの条件で、魚を捌いて調理し、タダで酒を飲ませてもらう話をつけてきた。

部屋に帰りシャワーを浴びた後、午後7時に居酒屋へ出向いた。

先ずはスーさんが釣った大きな天狗ハギの刺身が出てきた。鯛に似て非常に美味い。鯛と云われてもわからない味である。更には鯛以上に新鮮ゆえに身が締まっているのだ。



「見栄えが悪い魚ほど美味いさ~」と久米仙を飲みながらNAKAが話す。

「うむうむ・・・」と頷きつつオリオンビールを飲みながらそれを摘み口に運ぶオレ。

釣ったスーさんはとても満足そうであった。

次に、NAKAが仕留めたアカジンが「マース煮」と呼ばれる沖縄独特の塩煮で出てきた。

これまた美味い!塩だけで煮込んでいるため、魚本来の味が楽しめた。

そして最後に、オレが釣った一番大きなシロダイがさっと揚げられて出てきた。これにレモンを絞って食べた。



やはり自分で釣った魚が一番である。揚げ加減も最高であった。

遅れてやってきたJUNも美味い美味いと食べた。

しかしさすがに疲れたか、この夜はもう帰ろうという事になり、オレ達は夜10時には部屋に戻り、ベッドに入ったのであった。

しかしNAKAは心臓がバクバクするとなかなか寝付けないようで、オレが目を覚ました午前4時、まだソファでちびちび酒を飲んでいたので、オレもまた缶ビールを開けて少しだけ酒を付き合うことにしたのであった。NAKAは御母上を心臓病で亡くし、伊是名島に住む御父上も心臓のバイパス手術をされている。あんまり暴飲暴食するなとアドバイスした。

1月7日: 【そして・・・那覇放浪へ】

午前中、NAKAが久米島の観光スポットを案内してくれた。昔、オレがいた頃からあった場所、また新しく出来た場所を廻った。



『海ブドウ養殖場』へ出向いた。そこでは久米島の深層水を用い、今日本で一番、海ブドウが養殖されているのである。働くお兄さんに海ブドウの養殖の仕方を教わり、発泡スチロールに分けてもらったのであった。





また、23年前に存在した『サンボ』というオレの記憶にもある沖縄そば屋から枝分かれした店が、島の反対側の具志川に存在し、今久米島ではそこの沖縄そばが一番美味いというので、そこに食べにいってきた。その店の店主もオレ達と同い年のNAKAの友人であった。

『激辛味噌もやしそば』という久米島そばを少しアレンジした一品とジューシーと云われる混ぜゴハンを頼んだ。採ったばかりの島とうがらしがピリリっと良い感じであった。



午後2時、NAKAに送ってもらい固い握手をした後、オレはオリオンビールのロング缶と柿ピーをコンビニで求めてフェリー『ニュー久米』に乗り込んだ。

波の高さは3メートル。どうにかフェリーは欠航せずに無事に那覇へ向けて出港した。しかしこれまた想像以上にフェリーは揺れたのであった。雑魚寝の場所で寝転がっていても、身体が廻ってしまうくらいの揺れなのであった。

那覇に無事着き、NAKAに紹介してもらった空港に近い『ホテルグランビュー沖縄』にチェックインした後、モノレールで国際通り界隈を行くあてもなく歩いた。

しかし那覇は都会である。日本の他の地方都市と何ら変わらない街である。オレが求める沖縄の旅はここではないと痛感した。



歩き疲れた頃に目に付いた居酒屋に飛び込み、そこで生ビールをジョッキ4杯飲んで、気持ちよく酔いホテルに帰ったのが午後10時、そのまま旅の疲れと伴に朝までぐっすり寝てしまい、翌朝6時半、ホテルの朝食を摂り、那覇から中部国際空港を経由し、新幹線で家に帰宅したのであった。

あっという間の旅であった。残念ながら旅の間ずっと天候に恵まれなかったが、充分に楽しい時間を過ごすことが出来た4日間であった。NAKAとはこの23年間、数回しか会えていないのだが、それでも今尚、昔と変わらぬ温かさでオレと付き合ってくれている。お互い違う世界で生きていながら、こうしてずっと親しくしていれる関係こそ親友と云えよう。なんだか年甲斐もなく懐かしくもありうれしい旅であった。

今度は夏、久米島にマグロを釣りに行く事になっている。

その時までまたカツンと生きようと思う。


TACK