2011年1月のオレのタイ放浪は、結局チェンマイでのスケジュールの短縮による一日、パタヤでの一日以外は全て、BKK滞在となった。今思いつくまま、ここに書き記すことにする。
ちっとも寒くない冬のBKK。日々の渋滞は相変わらずである。
うちは本来、イタリアを中心にヨーロッパよりジュエリーを輸入している会社なのだが、この地BKKのジュエリーメーカーのほんの氷山の一角に、ヨーロッパにも通用できるレベルの高いメーカーが存在しており、我らがイタリアの仕入元にて彼らの商品を仕入れ日本に輸入するより、はるかに安く、更にはタイ・日本間にはFTA(特恵関税)が適応になるため、大きなメリットがあるのだ。
今回も総計70点ほど、バランスのよいジュエリーを求めた。
特筆すべきは、マーキスカットのIFのダイヤモンド、マーキス及びペアシェープのVVSのダイヤモンド3点を用い花のモチーフにデザインしたリングであろう。これは日本市場で430万円(税別)にて紹介することにした。なかなかこの手の高額なラインは現状のマーケットでは動かないのが実情だが、うちの会社の顔になるジュエリーとなろう。
仕事はそれくらい。
今回のタイ滞在中は本当にタイ料理に固執した生活を送った。トムヤムクンも何度となく頼んだが、トムヤムクンにはココナツミルクが入ったものと、入ってないものと二種類あることを初めて知った。個人的には、ココナツミルクは苦手なのだが、唯一、トムヤムクンにはOKって感じ。
スクンビット通よりトンロー通を上がり、しばらく行った通り沿い左手(Soi16辺り)にあるタイレストランは、オレのお気に入りで毎回SAMMYに連れて行ってもらうのだが、そこの料理はやっぱり美味かった。俺の中の3本指に入るタイレストランである。オススメ!
バーミも何度となく食べた。BKKにある日本のラーメン屋のラーメンが1杯150バーツ程(450円)。屋台のバーミーは1杯30バーツ(90円)である。この値段の違いが物価の違いを現していよう。
今回の輝けるバーミ第1位は・・・BTSトンロー駅の駅前にあった屋台だ。ここのスープはたまに見かける甘いスープではなくポークテイストの美味いものであった。
マッサージも2件行ってきた。
ここは、アンバサダーホテルの脇にあるマッサージ屋さん。足つぼマッサージが1時間250バーツ(750円)だった。とても丁寧な感じのよいお姉さんだった。後からBKKへやってきたうちのスタッフにもここを紹介したのであった。
そしてもう1件は、ショッピングモール・エンポリウムの近所にある店。そこは珍しくオトコの子がマッサージしてくれたのだが、力が強くてかなり痛めだった。そこでは肩と背中を念入りにしてくれと注文した。上記の店とおんなじ値段。
夜な夜な飲んだ。
前回来たときに連れて行ってもらった高級メンバーズクラブ『The Pent』にて親しくなった友達と、クラブ『Q BAR』へ飲みにいき、赤ワインを2本も強飲した。この店はかつては恐ろしく流行っていたクラブである。その夜はしっとりとJAZZYな感じの夜。とても楽しいひとときであった。たくさん話した。
パタヤから帰った夜、眠るには酒が足らず、ホテルの地下のクラブにて大音量の中、1人で飲んでいたら逆ナンされたりした。最初のうち、フッカーだと思い適当に相手していたのだが、話すととても面白く、訊けば普通の健全なる女性だったので、結局赤ワインを3杯ほどご馳走してひきあげたのであった。
そうそう、書かなければならないこと。ナナプラザ。それは所謂、GOGOバーと呼ばれる売春窟(ストリップ店多数)なのだが、1人でそこに潜入した。恐らく同じような店が20件近くあるのだが、オレは1件につきビールを1本飲んで次の店へ移動しようとう計画を立てて突入したのであった。
本来は当然撮影禁止のところを隠し撮りした。こんな感じである。
3軒目か4軒目で、たまたま隣に居合わせた日本人駐在員のHさんと話が弾み、それから先は二人で軒数を重ねた。元々、これらの店は、気に入った踊り子がいればお金を払い、連れ出すというシステムになっているのだが、我々ふたりは全くその気がないため、ただただ鑑賞会であった。しかしさすがに9軒近く廻ると酔いがまわり、オレは一足先に切り上げたのであった。
SAMMYとはタニヤにも行った。タニヤとはBKKに訪れた人なら誰しもが知る日本人飲み屋街なのだが、以前に比べると衰退の色濃く、飲み歩く日本人たちも少なくなったような気がした。
かつては年6回ほど訪問していたBKK。昨今は年3回ほどヨーロッパ出張に併せて訪れているのだが、初めて訪れた17年前の頃と今との違いは、BTSと地下鉄が出来たこと、空港が変わったこと、トゥクトゥクをあまり見かけなくなったことくらいで、この街の根本は変わっていない。これからも変わらないと思う。
やっぱりオレはタイが好きだ。そう感じた旅であった。
いつかリタイアしたらタイの田舎の海沿いの町で釣りをしながら余生を送りたいという夢。さらにその願望が膨らんだ旅であった。
ちっとも寒くない冬のBKK。日々の渋滞は相変わらずである。
うちは本来、イタリアを中心にヨーロッパよりジュエリーを輸入している会社なのだが、この地BKKのジュエリーメーカーのほんの氷山の一角に、ヨーロッパにも通用できるレベルの高いメーカーが存在しており、我らがイタリアの仕入元にて彼らの商品を仕入れ日本に輸入するより、はるかに安く、更にはタイ・日本間にはFTA(特恵関税)が適応になるため、大きなメリットがあるのだ。
今回も総計70点ほど、バランスのよいジュエリーを求めた。
特筆すべきは、マーキスカットのIFのダイヤモンド、マーキス及びペアシェープのVVSのダイヤモンド3点を用い花のモチーフにデザインしたリングであろう。これは日本市場で430万円(税別)にて紹介することにした。なかなかこの手の高額なラインは現状のマーケットでは動かないのが実情だが、うちの会社の顔になるジュエリーとなろう。
仕事はそれくらい。
今回のタイ滞在中は本当にタイ料理に固執した生活を送った。トムヤムクンも何度となく頼んだが、トムヤムクンにはココナツミルクが入ったものと、入ってないものと二種類あることを初めて知った。個人的には、ココナツミルクは苦手なのだが、唯一、トムヤムクンにはOKって感じ。
スクンビット通よりトンロー通を上がり、しばらく行った通り沿い左手(Soi16辺り)にあるタイレストランは、オレのお気に入りで毎回SAMMYに連れて行ってもらうのだが、そこの料理はやっぱり美味かった。俺の中の3本指に入るタイレストランである。オススメ!
バーミも何度となく食べた。BKKにある日本のラーメン屋のラーメンが1杯150バーツ程(450円)。屋台のバーミーは1杯30バーツ(90円)である。この値段の違いが物価の違いを現していよう。
今回の輝けるバーミ第1位は・・・BTSトンロー駅の駅前にあった屋台だ。ここのスープはたまに見かける甘いスープではなくポークテイストの美味いものであった。
マッサージも2件行ってきた。
ここは、アンバサダーホテルの脇にあるマッサージ屋さん。足つぼマッサージが1時間250バーツ(750円)だった。とても丁寧な感じのよいお姉さんだった。後からBKKへやってきたうちのスタッフにもここを紹介したのであった。
そしてもう1件は、ショッピングモール・エンポリウムの近所にある店。そこは珍しくオトコの子がマッサージしてくれたのだが、力が強くてかなり痛めだった。そこでは肩と背中を念入りにしてくれと注文した。上記の店とおんなじ値段。
夜な夜な飲んだ。
前回来たときに連れて行ってもらった高級メンバーズクラブ『The Pent』にて親しくなった友達と、クラブ『Q BAR』へ飲みにいき、赤ワインを2本も強飲した。この店はかつては恐ろしく流行っていたクラブである。その夜はしっとりとJAZZYな感じの夜。とても楽しいひとときであった。たくさん話した。
パタヤから帰った夜、眠るには酒が足らず、ホテルの地下のクラブにて大音量の中、1人で飲んでいたら逆ナンされたりした。最初のうち、フッカーだと思い適当に相手していたのだが、話すととても面白く、訊けば普通の健全なる女性だったので、結局赤ワインを3杯ほどご馳走してひきあげたのであった。
そうそう、書かなければならないこと。ナナプラザ。それは所謂、GOGOバーと呼ばれる売春窟(ストリップ店多数)なのだが、1人でそこに潜入した。恐らく同じような店が20件近くあるのだが、オレは1件につきビールを1本飲んで次の店へ移動しようとう計画を立てて突入したのであった。
本来は当然撮影禁止のところを隠し撮りした。こんな感じである。
3軒目か4軒目で、たまたま隣に居合わせた日本人駐在員のHさんと話が弾み、それから先は二人で軒数を重ねた。元々、これらの店は、気に入った踊り子がいればお金を払い、連れ出すというシステムになっているのだが、我々ふたりは全くその気がないため、ただただ鑑賞会であった。しかしさすがに9軒近く廻ると酔いがまわり、オレは一足先に切り上げたのであった。
SAMMYとはタニヤにも行った。タニヤとはBKKに訪れた人なら誰しもが知る日本人飲み屋街なのだが、以前に比べると衰退の色濃く、飲み歩く日本人たちも少なくなったような気がした。
かつては年6回ほど訪問していたBKK。昨今は年3回ほどヨーロッパ出張に併せて訪れているのだが、初めて訪れた17年前の頃と今との違いは、BTSと地下鉄が出来たこと、空港が変わったこと、トゥクトゥクをあまり見かけなくなったことくらいで、この街の根本は変わっていない。これからも変わらないと思う。
やっぱりオレはタイが好きだ。そう感じた旅であった。
いつかリタイアしたらタイの田舎の海沿いの町で釣りをしながら余生を送りたいという夢。さらにその願望が膨らんだ旅であった。