【タックの放浪記】  思えば遠くへきたもんだ・・・     by Tack SHIMIZU

心に刻まれたその一瞬、心に響いたその一言、心が震えたその想いを徒然と書き記したい。この記憶から消え去る前に…

思うようにいかない営業&うまくいった住宅ローン

2010年09月28日 | 徒然日記
しかし今月のオレの営業は最悪だ・・・。

全くもって思い通りにいかない。土俵にあがれない状態である。これではダメである。せっかく最新のジュエリーをイタリアから輸入しても、見せれなければ意味がない。

ようはタイミングの問題であり、こればかりは仕方がないのであるが、他力本願の商売だからこそ起こるもの。もっと組み立てて頑張らなければダメである。

今朝、住宅ローンを切り替えた。借入元の銀行を低金利な会社の取引先銀行に。そうすることにより、月々の支払いも減り、更には返済年数も1年近く短縮できた。

しかしまだまだ先の長い道程なのである・・・。


時は流れている・・・

2010年09月26日 | 徒然日記
昨日の土曜日は次女・サクの小学校最後の運動会であった。

在校中に一度くらいは顔を出してやろうと思っていたのだが、結局、オレは仕事で参加してやれなかった。

長女・マイの時は、確か6年間のうちにこの最後の運動会の1日だけ顔を出したのであった。つまり二人の小学校での行事に参加したのはたった一日ということになる。

父親としては失格やなぁ・・・。

その代わり、いつもより早めに帰り、サクのお疲れ会として焼き鳥を食べに『秋吉』へ行ってきた。オレは21本食った。マイは22本食った。

昨夜酔いながら、しみじみと食べる量も負けるようになったんだなぁって思ったりした。

そして今日も日曜日だけど会社に出ている。今朝はPRESIDENTとかなり口論になってしまった。オレが折れなければならないのだが、最終的には喧嘩別れになってしまう。売上が悪い現況にて、年老いたPRESIDENTの歯がゆい気持ちを察すれば、口答えせず黙って聞いておくべきだったと少なからず反省している。

時は流れている・・・


白浜放浪2010 『完膚なき惨敗』

2010年09月23日 | 旅三昧!釣り三昧!
昨日は京都から営業を開始し大阪へ。岸和田のお客様へ表敬した夕方5時前を区切りとし、クルマを白浜へ走らせた。

天候は雨、降水確率80%との予想。雨の合間をぬって船を出せればと目論んでの白浜入りである。

雨にて中秋の名月も拝めないかと思っていたのだが、白浜にたどり着いたらまんまるお月様がきれいに見ることができた。

釣りのエサと船のガソリン、そしてオレの晩のエサとビールとワインを購入し、マリーナハウスへ。

ビールはもちろんサントリーのプレミアムモルツだ。赤ワインは適当に1000円弱の重くなく甘くないものを選んだ。

温泉につかり部屋飲み。たまにバルコニーに出て満月を眺めた。

翌朝の予報では5時半頃に満潮を向かえる。釣り時は朝7時半から9時半の予想だったが、オレの白浜の釣りでの決め事、時計のアラームを絶対使わないという方針に基づいて寝たら、起きたら7時過ぎであった。

そこから船にガソリンを補給し、なんだかんだ準備していたら出航は9時前になった。

船出~。空は灰色、海は黒い。ただその時点では凪いでいたので、少し期待したのであったが・・・・

いつものポイントに出て、竿を下ろしてしばらくしたら突然の豪雨、強風、そして雷である。

全身びちょびちょになり、到底釣りは無理と港のほうに船を戻した。しかし港近くに戻ると、雨はましになり空も若干明るくなっていた。風の流れてくる方向の空を見上げると雲が薄く明るくなっている。

もう一度ポイントに戻ることにする。

これまで必ずヒットしていたポイント付近を船を流しながら探ったのだが、今日は全くといっていいほど当たりがなかった。唯一の当たりが『ショウサイフグ』であった。これから人気の魚だが、オレはもちろんリリースだ~。

昼過ぎ、また雨が降り始めたので、マリーナハウスに帰還し3時間昼寝して家に帰ってきた。手土産なしだ。

船を出してこの結果は初めてである。『完膚なき惨敗』といえよう。

しかしまぁいいのである。少なくとも大海原をぷかぷかと浮かびながら、仕事のことを一切考えず、タバコをふかしながら遠くを眺めることができたのだから。

明日からまた励むために、今夜も家でプレミアムモルツの缶を開けたのであった。

時差ボケ克服への道~

2010年09月20日 | 徒然日記
28時間かかってようやくパレルモから帰国した。

しかし大概疲れた・・・。

長く飛行機に乗り続けると、ケツが痛くなるのだ。だからたまに姿勢を変えなければいけず、そうするとやっぱり寝れないのだ。

家に帰り、酔っ払って寝て時差ボケから脱出を図ろうと思ったのだがワインの買い置きがなかった。仕方がないので、プレミアムモルツを2缶飲んだ後、置き去りになってある焼酎をガボガボと飲んで寝た。

今朝、目が覚めたのは午前11時。しかし体がベッドに沈みこんでいるような感覚。起き上がるの面倒だったのだが、なんとか起き上がって会社に向かった。

十分すぎる仕入は行なってきた。これからは当分国内で頑張りたい。

そして今、出張の事後整理を行った。もうしばらく事務をしたら、チビらから託された敬老感謝のプレゼントをジジババのマンションに届け、サウナにでも行こうと考えている。

明日からアクセル全開で走らなくてはならない。やってやるぞ!

PALERMO放浪2010 『スーツケース紛失とサラダドレッシングについて』

2010年09月18日 | 旅三昧!釣り三昧!
フィレンツェの朝5時起床。まだ夜が明けぬ暗闇の中、空港に向かった。

今日はローマで乗り継ぎ、今回の出張の最終地であるシチリア・パレルモまで飛んだ。シシリー島近郊の紺碧の海と岩のような山肌とのコントラストを楽しむべく普段は座らない窓側の席を取ったのだが、オレの座る右の窓からは海しか見れなかった。残念~

パレルモ空港でスーツケースが出てくるのを待っていたのだが、待てど暮らせど出てこない。そして結局出てこなかった・・・。

確認すると、ローマで積み忘れられていた。12時間以内にホテルに届けるとの事だが、オレは今日一日しかここにおらず、そしてスーツケースの中には今日の商談にどうしてもいるものが入っていたため、迎えに来てくれていたファブリチオに事情を話し、先に帰ってもらい空港で3時間、次にローマからやってくるフライトを空港で一人待った。

荷物が届き、シャトルバスで市内に入り、ファブリチオに店に訪れた時にはすでに午後3時。ファブリチオに荷物を預け、先にクラウディオの会社に向かった。

そしてその後、ファブリチオの店に戻り仕事を済ませた。

しかし本当に最後まで気が抜けない出張であった。

今夜はおとなしくホテルのレストランで最後の晩餐を取った。

今回もイタリアに来て思ったこと。日本ではサラダには様々なドレッシングがあり、どれもとても味がありうまいのだが、ここイタリアではその市販のドレッシングというものが存在しない。

どこでもサラダには、新しいオリーブオイル、塩、そしてバルサミコか白ワインビネガーを好みの量かけて食べるのである。

この食べ方は、本当に野菜の味を楽しむことができる食べ方である。日本のドレッシングはそれ自体の味が強く、野菜それぞれの本来の味を消してしまっている。

などというつまらないけど奥深いことを考えながら、今、PCを前に、今回の旅の最後のブログを書いている。

日本での売上が芳しくなく、PRESIDENTよりそれに関する文句メールがなぜかイタリアにいるオレに届く。

とにかく、オレは今回の海外でのタスクは完ぺきにこなした。今考えれることを考え、帰国次第、休むことなくまた頑張ろうと思っている。

たくさんの方の喜ぶ顔をみるために・・・。

FIRENZE放浪2010 『ポンテヴェッキオ修復中』

2010年09月17日 | 旅三昧!釣り三昧!
ミラノでの2日間を終えて、今朝ユーロスターでフィレンツェに入った。

去年の夏よりユーロスターが速くなり、ミラノからローマまでを時速280キロで3時間で走るようになった。そしてフィレンツェまでは1時間45分。とても速い!



フィレンツェの定宿『HOTEL VILLA CARLOTTA』に投宿、荷物を置いた後、MANETTIの工房へ。オーダーしていたジュエリーの検品と支払い、改めてオーダーをしてホテルに戻る。



その後、昼からロレンツォが迎えに来て、彼らの工房へ。

早めの夕方、ロレンツォと日本食レストランへ。久しぶりの日本食。味はいまいちだが、久しぶりなのでOK!

明日はシシリー島・パレルモまで飛ぶ。今回の海外出張の最後の仕事となる。

さすがにつかれてきた・・・。

ベネチア放浪2010 『NELLOとの再会、そしてムラノ島へ』

2010年09月14日 | 旅三昧!釣り三昧!
朝のユーロスターでPADOVAよりベネチアへ向かった。

PADOVA駅で電車を待つ間、流れる風が寒い。半袖のポロシャツにはかなりきつい。

PADOVAからベネチアまでは約30分。アドリア海を渡ればあっという間に辿り着く。ベネチアに着くとIPHONEが全く使えなくなった。ネット接続できないのだ。

7、8年ぶりのベネチア訪問である。駅を出ると目の前がフェリー乗り場となっている。チケットを売るブースに並ぶ。ふと後ろを見れば、オレの後ろに日本人女性が1人。話しかけると2週間の仕事休みを利用して、モロッコからグラナダ、バルセロナを廻ってきたとのこと。今朝もミラノから日帰りでやってきたと言う。

フェリーを『リアルト橋』で降りた。昔、ここでパノラマ写真を撮ったことがある。とても美しく撮れた記憶がある。もう一度、その写真を撮った橋上に上がった。何ひとつ変わらない景色がそこにあった。

今回、どうしても訪れたかったイタリアでは高名なアンティーク商『BASTIA NELLO』のショップへ記憶をたどり訪ねた。

NELLO氏との再会。歳月に寄る変化はお互い同じ事、しかし変わらぬ笑顔がそこにはあった。アンティークの指輪を求める。ダイヤモンドが埋め込まれたエボニー(黒檀)を両手で抱えている指輪。

その後、サンマルコ広場へ歩いた。ベネチアは迷路のような街。どこを歩いていても大概、目的地へ辿り着くことができる。サンマルコ広場のCAFEでは、ずっと昔から変わらずバイオリン弾きがバイオリン、ピアノ、アコーデオンが音楽を奏でていた。

これまでも、これからも変わらずずっとここはこうなのだろうと思った。

サンマルコ広場よりフェリーでムラノ島へ。ムラノ島はベネチア共和国の頃、ガラス細工師を閉じ込め製作させた島である。紀元前のガラスを美術館にて眺めた後、オレはベネチアングラスが頭についたワイン栓を購入した。

フェリーの揺られ海を運河を渡る。心和む一日であった。

PADOVA放浪2010 『流れゆく風を感じることができる街』

2010年09月13日 | 旅三昧!釣り三昧!
9月11日&12日:

飛行機は定刻通りミラノ・マルペンサ空港へ午前7時半に降り立った。

カルネの商材があったため税関へ。しかし相変わらず世界で最も気分が悪くなるマルペンサ空港の税関であった。頭が悪いとしか思えない。

いらだちを抑えてミラノ中央駅へのシャトルバスに乗った。





ミラノ中央駅にて調べると一時間後のベネチア行きのユーロスターに乗ればPADOVAへ行くことができるようだ。駅前のマクドナルドで朝飯を取り時間をつぶした。

ユーロスターでは車窓からの景色を楽しみつつも眠くて眠くて仕方がなかった。

PADOVAへ着く。駅を出るとイタリアの地方都市らしい静かなよい雰囲気である。この街はイタリアでも有名な大学のある街なのである。

タクシーをひろってホテルへ。今日から3日間の滞在となる。疲れていたが、どうしても今日のアポがあるため、シャワーを浴びてからVICENZA国際宝飾展へ向かった。

VICENZAの街はPADOVAよりユーロスターで一駅ミラノに戻ったところにある。

シチリアの取引先、クラウディオとの商談。そしてミラノのアントニオとの商談を済ませ今日の終わりとした。

VICENZAからの帰り道。駅のプラットホーム、夕焼けの中から電車がやってくる。



本当に疲れたので今日はホテルの中で夕食をと考えていたのだが、ホテルのレストランは貸し切りで入れてもらえず、近くに食事できるレストランテもないので、一番近くにある別のホテルの12階にあるレストランで食事を取った。



トマトとバジルのフェットチーネ。きしめんである。美味い!!

しかし長い一日であった。

翌朝、陽が昇る前に目が覚める。やっぱり時差ぼけである。



朝焼けをみるのはいつぶりであろうか・・・。

今日はがつんと働かなければならない。朝飯をきちんと食べる。



PADOVAの駅でGOLIAを求める。イタリアに来たらこれを舐めなきゃ。

新しい取引メーカーを見つける。



エナメルを用いた薔薇のジュエリー。秋の催事でお客様の反応をみてみたい。

夕方、ホテルに戻りPADOVAの街をあてもなく歩いた。



しばらくすると街の中心らしき広場にでた。そこにあるピッツァリアにてピザとビール。

店を出るとちょうど夕闇がやってくる。



PADOVA、そこは静かに流れる風を感じることができる街なのであった。

BKK放浪2010 『BODY PAINTING SHOW』

2010年09月12日 | 旅三昧!釣り三昧!
9月9日&10日:

実質1日半だけバンコクに滞在した。

日本を発ちバンコクのホテルに投宿したのが午後5時。

サミーとの待ち合わせまで待ちきらず、アンバサダーホテルの道路脇の屋台にてバーミー(タイ風ラーメン)を食べた。90円也。思ったより美味くてびっくり!これからはこの屋台を活用しようと思った。

 

恐らく観光客には少しきつめの屋台だが、意外と大丈夫なのである。

そして夜、GWぶりにSAMMYと落ち合い、最近の近況を話しあった。オレが苦戦した7、8月でサミーはなんと1千万円儲けたという。大した奴なのである。45歳になったら仕事を辞めて海外を旅してまわりたいと云う。アンバサダーホテル向かいのガーデンレストラン。すぐそばでバンドの生演奏だ。奏でるエリッククラプトンがほどよくこの喧騒になじんでいた。



ホテルの前のレストランのガーデンで夕食を食べた後、サミーの友人が待つBKKの金持ちタイ人が集うクラブ『THE PENT』へ。オレは3回目である。

ここではみんなウィスキーを飲んでいたのだが、オレはここでウィスキーを飲んで頭が痛くなり大変な思いをした過去があるので、ワールドカップで賭けをして勝ったオレの為に約束していた高級フランス赤ワインのボトルをサミーが入れてくれた。

オレと隣の女の子ふたりで結局2本。へべれけである。

途中から、ステージで『ボディーペインティング』のショーが始まった。ここで働く女性たちがほとんど裸の身体にペインティングをしステージをファッションショーのように音楽に合わせて歩くのである。自分に自信がないとできないようなショーである。



日本時間の4時半にサミーに送ってもらいホテルに戻り爆睡。翌朝は二日酔いまるだしで仕事に入ったのであった。

翌出発の夜はサミーとリンゴと食事。日本に来日する時に釣りにいこうということになった。うちの白浜のマリーナハウスに一緒に泊ればよいと話した。

そこで食べた生カニのソムタムは、お腹痛くならないかとビクビクしながら食べたのだが、その美味いこと!辛いこと!最高であった!!!



いつも世話になってばかりのサミー。本当に感謝。

レストランで食事していると突然の豪雨。空港までのクルマ、道が洪水状態になっていた。やはりオレはBKKでは雨男のようである。



雨の中、逃げるかのようにイタリア行のフライトでタイを脱出したのであった。

東京から戻り、明日から海外だ~ 放浪は続く・・・

2010年09月08日 | 徒然日記
昨夜遅くに東京から戻った。

東京では、秋から新規取引を開始する横浜・上大岡の取引先へ表敬打ち合わせ。そして既存百貨店との仕事であった。

しかし今年の夏は暑すぎる。こんな夏は記憶にない。

恵比寿ガーデンプレイスの東京都写真美術館で開催されているショパン生誕200年を記念し上映されている映画『別れの曲』を観てきた。これは1934年にドイツで製作された映画なのだが、オレにはとっても心に残る映画であった。

というのは、オレは小学6年生までピアノを弾いていたのだが、当時、オレにとって第二の母とさへ思っていた先生に、最後に託された曲がショパンのワルツNo.9『別れのワルツ』であったからだ。もちろん映画の途中にはその曲も流れていた。

その先生もオレがピアノをやめて5年ほど後、ちょうど大学受験前の寒い冬に若くして他界された。

あの頃、なんの意味も知らず弾いていた曲が、この映画を観る事により、どんな意味がありショパンによって作曲された曲なのかを今初めて知った。もちろん先生は知っていたんだろうなぁ。

話は変わるが、京都に戻り早々となる明日よりBKKに入り、そこで働いてからイタリアに入る。今回はミラノよりパドバ、ビチェンツァ、ベネチア、フィレンツェ、パレルモと駆け足での仕事となる。

いつもながらとてもイヤでイヤで気が乗らないのだが、絶対新しい発見をして来るつもりである。

『 なせばなる なさねばならぬ何事も ならぬは人の なさぬなりけり 』