【タックの放浪記】  思えば遠くへきたもんだ・・・     by Tack SHIMIZU

心に刻まれたその一瞬、心に響いたその一言、心が震えたその想いを徒然と書き記したい。この記憶から消え去る前に…

納会で撃沈す~

2011年12月30日 | 徒然日記
昨日は終業の日ということもあり、午前中は社内大掃除。昼過ぎより、サロンにて納会の宴となった。

しかし凄いペースで飲んだんだと思う。午後6時頃にはもう飲めない酔い酔い状態となり、戦線離脱し、みんなより一足先に帰路についたのであった。

そして今日、会社に置き去りにしていたクルマを取りに会社へやってきた。

さて新しい年がやってくる。

例年であれば、元旦の朝は我が両親の所へ集合し、新年の挨拶をして、おせち料理を食べた後、伏見稲荷へ初詣。そして夕方より堺の嫁さんの実家へ伺うのが恒例なのだが、昨夜聞いたところ、今年はMAIの冬期講習が2日から始まるという事で、堺へは行かないことになっているという。4日がMAIの塾も休みなので、それに併せて1泊2日で帰るとの話。

オレはというと、その4日の朝から沖縄へ旅立つ。用意するものは、船用の竿と、一昨日購入した陸からの短竿、それと着替えのみの予定。

かつて20歳の夏に1人でバイトに赴いた久米島の地である。あの時は、時間はたっぷりあったが金は無く、大阪南港辺りからひとり、フェリーに乗って沖縄に向かったのであった。

今回は那覇までは空路となるが、そこから飛行機を乗り継ぐのではなく、あの頃のように久米島にはフェリーで渡ろうと考えている。

今回世話になる沖縄の親友NAKAとは、行くから泊めてくれという事だけは伝えているものの、その後の連絡が取れていない。しかしまぁ、どうにかなるであろう。

さてと、家に帰って、大掃除をしなければ。先ずは風呂掃除だろうなぁ・・・きっと~


2011年を振り返り思うこと~

2011年12月28日 | 徒然日記
今年も一年を振り返る時期がやって来た。2011年は我が人生にとって大きな一年であった。ここに思いつくまま記してみようと思う・・・


今年の始まりは、タイ・チェンマイへの一人旅であった。去年末に突然思い立ち、マイレージを使えるところを探して行ったのであった。

当初はまだ訪れた事のないベトナムへ行きたかったのだが、空席がなくて、行けるところは中国各地かBKKという選択であった。とても寒い街へは行きたくなく、よく知るBKKを中継地にして、そこから未知のチェンマイまで行こうと決めたのであった。

チェンマイでは怖い体験をしたんだった。(詳細はココ!

その後、パタヤとBKKを放浪した後、現地仕事に入り、インフルエンザを引き連れて帰国。始業最初の週を自宅のベッドで棒に振ったのであった。

振り返れば、今年の海外放浪は5回、ミラノ、ローマ、パレルモ、アグリジェント、バーゼル、バルセロナ、チェンマイ、バンコク、パタヤを訪れた。

内、心に残った地はシチリアの世界遺産であるアグリジェントとローマであった。普段、仕事ではほとんど訪れない街・ローマにて、ベルニーニの彫刻に心を激しく惹かれた旅であった。

それらの一部始終は、ここの『旅のエッセイ』にすでに徒然と記してきた。

3月11日、岩手の県南で営業している時に出くわした地震。震源より100キロほどしか離れてい街で被災したオレは、盛岡からしばらく脱出できなかった。(詳細はココ!

あの時の気持ちは忘れられない。きっとずっと忘れられないであろうと思う。

白浜釣り基地への船釣り旅は、何回行っただろうか。5回くらいは行けたんだろうか。又、春先には船を上げて、船底を洗ってもらわなければならないなぁ。

仕事は、4月より役職が代わり、ついに代表権を持つ立場となった。地震の影響により企画していた7箇所でのキャンペーンが中止となった事を考えれば、前年以上の営業結果を残せたという事は、満足すべきことなのかもしれない。来年は必ずもっとやってやるつもりだ。

マイサクもどんどん成長し、マイは高校受験生。サクは中学生となった。マイは目標の高校を目指して日夜頑張っている。誰に云われるもなく、自分から進んで勉強する。これは、全くオレの子供の頃とは異なる性格である。一方、サクは何度云われても机に向かわない。これは間違いなくオレの遺伝子だ。

優しく、おもいやりのある大人になってほしいと願うばかりである。

そうそう、秋になんと「椎間板ヘルニア」になった事も大きな出来事であった。とても気が滅入る出来事だったが、気持ちを切り替え、毎朝、ストレッチを行なう日々が始まった。(詳細はココ!

今年はFACEBOOKを通し、数多くの人々と親しくなれた。(詳細はココ!

これはオレにとって大きな大きな収穫である。普段の生活であれば決して出会うことの出来なかったであろう仲間が出来た。知り合うべくして知り合ったと信じている。この出会いを大切にしたいと切に願っている。

今年は何本赤ワイン飲んだであろうか・・・。180本くらいかなぁ。

少し真面目に・・・

今年の自分に思ったこと~ 謙虚でありつづけること。

常にいくつになっても探究心あふれ、初心を忘れぬ自分でありたい。

最後に、我がまわりの全ての物事に心から感謝感謝。

ボーっとしていたら流されてしまう時の流れ。きちんといつ何時も舵を持って、進路を違わず真直ぐ進んで行きたい。

来年はさらに素晴しい一年にしよう!

父親の宿命~自分に負けない努力!

2011年12月26日 | 徒然日記
広島から帰洛し、事務所にて商品を入庫した頃には、既に日曜日の午前2時になっていた。

そこから家に帰り、翌日は休みだったのでビールと赤ワインを飲んで寝たのであった。

翌日の昨日、昼に眼をさめるとチビらがいない。聞くとSAKUはバトミントン部の練習だとのこと。

そして・・・なんとMAIは、初デートというではないか!なんと知らない間に初めてボーイフレンドが出来たようである。

これが息子であれば、肩を叩いて喜ぶところだが、娘となると甚だむかつく気分になった。父親の宿命である。子供も成長するのである。

仕方がないので寝癖アタマのまま、スーパー銭湯へ行ってサウナと露天風呂を楽しんだのであった。

夕方、久しぶりに粕汁を作った。

そしてそこから気の向くままガブガブ飲んで、早めの夜には眠ってしまったのであった。

そして今朝、ミーティングにて現状の売上報告とスタッフを鼓舞激励。

来年頭のイタリア出張を委ねたTOSHIと打ち合わせ。イタリア最高峰の国際宝飾展である「VICENZA ORO」にこの1月出品される商品仕入が目的である。

その後、パタパタと社内実務をこなした後、大阪上本町へ向かったのであった。

今月末で、会社は今期4半期(3ヶ月)を迎えるのだが、今日(26日現在)の時点で対累計前年比129.9%という営業数字だ。

まだまだやれる!どんどんやれる!

他人に勝つ事は難しくない。自分に負けない事こそがオレの目標だ~!

明日も頑張ろう!

2011年12月23日 | 徒然日記
広島最後の夜、

今日は広島でのキャンペーンから一人離れて、四国は今治のお客様へ年末の挨拶に廻ってきた。

明日、この地で働いたら今年の出張は終わりである。

広島滞在中、3日間も近所の焼鳥屋さんへ行ってしまった。新しい店へ飛び込むのが面倒くさいということもある。一番ホテルから近いという利点もある。

ひとり飲みながら、来年を想う。

来年こそは、もっともっと上に上に。

思えば今年の始まりは、チェンマイでなんだか霊的な出来事があり、タイより帰国中のフライトにてインフルエンザに罹ったのであった。

しかし月日の流れはとてつもなく速い。

あっという間に浦島太郎である。

明日も頑張ろうと思う。

広島放浪2011冬 『 お好み村潜入記~ 』

2011年12月20日 | 旅三昧!釣り三昧!
今年最後の出張地である広島2日目。

昨日は、こちらの取引先よりの情報で、お好み村にある「大丸堂」がナンバーワン!との自信ある一言を頼りに、昼飯を抜いてそこに向かったのであった。

お好み村とは、広島にものすごく存在するお好み焼き屋さんが、1つのビルの3フロアーにひしめきあっている場所なのである。

1フロアーに5,6件はあるだろうか…。その中から一番の店を見つけることは容易ではないのだが、地元の人の意見を聞いての行動なのであった。

どうしても「焼き牡蠣」と「本場のお好み焼き」が食べたかったオレは、てくてくとホテルから5分ほどにあるそのビルに向かった。

実はこのお好み村に訪れるのは、これでかれこれ3回目なのである。古くは今から20年近く前、KODAKでのサラリーマン時代にこちらの営業の方に連れて行ってもらった覚えがあるのだが、もちろん店まで覚えていないのであった。

エレベーターで4Fへ。

「大丸堂」の鉄板の前にはたくさんの地元らしきお客様が座っておられ、これは間違いないと確信し、オレも空いた席に着席したのであった。



焼き牡蠣をバター醤油で食べる。牡蠣特有の苦さが強くなく、塩コショウがほどよく効いて最高に美味かった。

生ビールがすすむ。すすむ。



そして、もちろんお好み焼きだ!関西で云う「モダン焼き」である。

こちらの人は、お好み焼きを月に6回くらい食べるという。

関西風のお好み焼きと違い、小麦粉が少なく、野菜が多く、とてもサクサクと美味かった。

関西人として、お好み焼きは広島に軍配が上がると一人結論をつけて、帰路についたのであった。






東京から広島へ

2011年12月19日 | 徒然日記
約1週間強の東京滞在を終え、昨夜、最終の新幹線で広島までやってきた。広島のホテルにチェックインした時には、すでに深夜の12時半となっていた。

東京でのビジネスは反省考察すべき個所もあったが、売上数字的にはどうにかこうにか及第点という結果となった。

先にも書いたが、今回の滞在ではたくさんのFBで知り合えた友人と会う機会をもった。

「愉快の仲間達」との忘年会では、へべれけになるまで飲んだ。

又、日本のFACEBOOKにて最も有名な一人でもあるKUMAさんに誘われ、初めて会って、夕食を共にした。前向きな人の目は違う。ひとつひとつ試行錯誤しながら、頑張ろうとしているのがとてもよくわかり共感を覚える事ができた。

そして、MATSUMOTOさんと台湾から帰国したNAGAKOちゃんとも会って、来年のONとOFF、INとOUTの話をしながら飲んだ。今期のオレの中にある一つの目標と、それを進めるべき具体的なる会話であった。

もちろんまだまだ検討事項は多々あるのだが、まず具体的に着手すべき事柄を把握した。

全てとても有意義な出会いであった。

さて広島、今年最後の出張である。

今日早朝よりこちらに京都から入るMATTEOとNAKATA君と夜に合流し、打ち合わせ、鼓舞激励する構えだ。カツンといきたい。


なせばなる なさねばならぬ何事も ならぬは人の なさぬなりけり

8時間耐久飲み会~ FB愉快な仲間達

2011年12月14日 | 徒然日記
昨夜は、FBの『愉快な仲間達の忘年会』に行ってきたのだが、恐ろしく熱い飲み会であった!

これで愉快な仲間達の飲み会は、恐らく4回目となるのだが、今回もFBで交流があるも未だ会った事のなかった仲間が数名加わり、全員で20名近くの宴となった。

それぞれがそれぞれの生活。

全く普段、顔を合わせる事のないような方々がSNSを通じ知り合い、そこで人として興味を抱いた仲間が集い、色んな話を伺える機会である。

以前にも書いたが、人との出会いとは運命であり宿命と考えてきたオレだが、そうだからこそその出会いを大切にしたいと、今は考えている。

一次会は新橋の「琉球料理&ホルモン鍋」の店。そこで意気投合し、そこから銀座で「カラオケ」、さらにはもう一軒という感じで、ホテルの部屋に戻ったのは午前3時頃だったように思う。



帰りのタクシーでは、完全に寝ていた。

タクシーに乗車した時、運転手さんに「ホテルまではどのルートで行きますか?」と聞かれ、「そんなん知らん!」と答えた事だけは覚えている。

さすがに今日は一日グロッキー状態での仕事であったが、思いのほか良い結果で終了したのであった。感謝

今夜ははやくねろっと~


FBの愉快な仲間達との忘年会~

2011年12月13日 | 徒然日記
今日の東京での外販予定が、急遽、狂ってしまい穴があいてしまった。

出張先でのこれはとてもツライ。

突然だとすることが組み立てられないからである。所謂、他力本願での仕事ではこういう事が起こってしまう。

仕方がないのでホテルにて事務仕事と、顔なじみのお客様宅へ表敬。しかしこれもアポなし故にご不在であった。残念~

今夜は新橋にて、FBの愉快の仲間達が20名ほど集う忘年会が計画されている。

また新たな交流を深めていければと考えている。

年忘れの会であるが、この2011年は、オレにとって忘れるべき年ではないと痛感している。

来週の広島滞在の中日の一日、広島から今治へ出向くことにする。

たまには過去もふりかえり~

2011年12月11日 | 徒然日記
東京での休日、浦安へ行ってきた。

そして、今から20年ほど前、ちょうど22歳になった春から3年間のサラリーマン修行時代に住んでいたKODAKの独身寮(ワンルームマンション)を見に行ってきた。

オレが入社した春に出来たばかりのワンルームマンション・エメラルドコーポは東西線の南行徳駅より徒歩10分ほどの所にあった。

その界隈は、当時、中古車屋さんが軒を連ねていたのだが、その数もだいぶん減ったようである。

よく買い物に行ったマルエツは健在であった。

確かこの辺りにステーキハウスがあったなぁと思い、探してみるとまだあった!しかし記憶の店とはかなり違っていた。

20年の月日は長い。

エメラルドコーポの下に立ち、オレが住んでいた302号室を見上げる。もうそのマンションはKODAKの寮ではなくなっていたのだが、部屋のポストには薄く「清水」と書かれ、そこをペンで横棒に消された跡がまだ残っていた。

あの狭かった部屋で、オレは熱帯魚を飼い、そして電子ピアノを無理やり部屋に入れて、暇な時に弾いていたんだった。

20年の月日が流れ、その間にオレにも家庭が出来て、チビらも成長した。そして曲がりなりにも会社を経営するようになった。

常にたくさんの新たなる物事が目の前に現れる現在。きっとこれから先もそうであろう。

だからこそ、ほんのたまには過去の自分の歩んできた道を忘れぬように振り返ってみたい。

そう思えた一日であった。


福島いわき放浪2011冬 『 美しき夕陽、そして切ない思い~ 』

2011年12月11日 | 旅三昧!釣り三昧!
東京にやってきて数日、

こちらに来た途端、驚くほど寒い毎日である。京都を出る時にコートを忘れてきた為、宅急便で送ってもらった。感謝~

一昨日、東京から250キロほど北上し、福島いわき市へ行ってきた。福島原発より40キロほどの所である。



いわき市のとある海岸で夕陽にでくわした。

とても美しい夕陽であった。

しかし、実は撮影したこのオレの背中側は、すべての建物がなくなり更地化していた。更地には家の基礎となる間取りの枠だけがまるで遺跡のように残っていた。

この美しい夕陽を毎日のように見ながら生活をしてきたであろう人々。あの津波さへなければ、ここには今、その温かい家族たちの夕餉の時間があったはず…。

更地には人っ子ひとりおらず、ただ寒々しい海風だけが吹いていた。

聞けばここでも津波で百数十名の方々がお亡くなりになられたとのこと。

この凪いだ海を見ながら、とても切ない気持ちになった。