【タックの放浪記】  思えば遠くへきたもんだ・・・     by Tack SHIMIZU

心に刻まれたその一瞬、心に響いたその一言、心が震えたその想いを徒然と書き記したい。この記憶から消え去る前に…

ブーツの底を替えに行こう

2010年01月10日 | 徒然日記
今日は嫁の実家で法事だったのだが、昨夜、どう考えても納得がいかない事が判明し、オレは法事をボイコットした。そして今会社にやってきた。

大人げないとは思っている。しかし譲れないものは譲れない。

考えれば考えるだけ頭にくるので、もうすっぱりと忘れる事にする。

さてと今からゆっくりと明日からの北陸の出張準備をし、数年前にバルセロナで買ったブーツの底を替えに、大津のパルコにでも行こうかと思う。

喫茶店で食べる昼飯について

2010年01月09日 | 徒然日記
今日は連休中の土曜日ということもあり、営業外出せずに、刷り上ってきた来月の高知・新阪急ホテルでの展示会のためのDM封筒を綴じた。全部で1000部。

いやはや単純作業は疲れるものである。

明日は嫁実家にて法事のため、大阪・堺へ行かなければならない。

そして明後日の成人の日より、1泊2日で北陸への出張を企てた。

我が愛車・アルファロメオでは雪道は走行不可能にて、タイヤを換えているスタッフの営業車を借用することにする。

今時間があまったので、後厄の祈祷をしてもらいに上御霊神社へ行こうかとも思うのだが、今日はなんだか面倒くさい。来週は京都にいるので、そのどこかで行こうかと思っている。

フィオルフィオレにて製作したピアス第二段が、月曜日に撮影に入るとのこと。ジュエリーの場合、小ぶりゆえ、なかなか撮影が難しいのだが、どんなふうに写るか楽しみである。

お昼、会社の近くにある『喫茶・壁熊屋』に入った。昔からある喫茶店だが、これでオレは2回目である。

ハンバーグランチ&コーヒーで600円。

なかなか美味いハンバーグだった。

オレは全国津々浦々と外商営業しているが、お昼にその同行している外商の人たちと食事する際、大概、蕎麦屋であったり、ファミリーレストランであったり、ラーメン屋であったりするのだが、唯一、高知だけは、なぜかほとんどの外商員が、今日行ったような喫茶店に行くのである。

それぞれが担当エリアに馴染みの喫茶店があり、そこで昼食を食べる。そこには必ず日替わりランチなるものが在り、だいたいそれを頼む。

そのランチには、スモールコーヒーというのが付いている。高知ではどこの喫茶店でもスモールコーヒーが付いてくるのだ。

そうそう、かつて楽しく読んだ本に、『天ぷらにソースをかけますか?-日本食文化の境界線(著:野瀬泰申)』というのがあった。

関東・東北圏では、絶対にソースなど使わないと書かれていたのだが、たまたまその本を読んですぐの頃に、高知での仕事で市内の喫茶店に訪れたのであった。そして、その日の日替わりランチが『竹輪の磯辺揚』であった。

オレは、本の事を思い出し、日替わりランチを頼んでいる他のお客さんを盗み見ていたのだが、100%全員がソースをどぼどぼにかけていたのであった。

その他、灯油ストーブ用のポリタンクは、ちなみに関西では青色なのだが、静岡辺りを境目にして、そこより東ではなぜか赤色になるのである。なかなか面白い本であった。

適当に書いていたら、話が脈略ないものになってしもうた・・・。

まぁいいや。

このブログを書籍化すべく、さっきGOOブログアドバンスというのに登録した。




『平成』という年号が始まった日

2010年01月08日 | 徒然日記
ラジオでいっていた。

今日1月8日は『平成』という年号が始まった日であった。

今から22年前のことである。

振り返ると、その年号が変わる頃、俺は大学3回生で東京に行ったのであった。

当時、オレは関西大学で『BIJIN PROJECT』というイベントサークルの会長をしていた。俺が会長の時は会員が200名強、結構当時は大阪・ミナミでも有名なサークルだったと思う。当時は週に2回はミナミのどこかで遊んでいたんだった。ミナミに行けば必ず知り合いに会った。車をいつも四ツ橋筋の方に路駐してたんだった。

そんなサークルの会長だったからか、リクルートから声がかかり、『就職ジャーナル』という雑誌を学生のサイドから売れる雑誌にすべく、その雑誌編集長に企画書を作り、東京本社へ出向きプレゼンしてほしいという割のよいバイトを頼まれたのであった。

その企画書を作るチームには、当時、大阪大学の文化祭運営委員長だとか、関西大学で指折りの巨大サークルであった『コメットクラブ』のトップだとかが、どういう選定からか選ばれて集まったのであった。

そのコメットクラブのN氏と二人で、プレゼンの前日から東京に入り遊ぼうということで上京したのが22年前の今日であった。

せっかく上京しても、昭和天皇が崩御されたため、東京のすべての店が閉まっているのではないかという不安を抱え新幹線に乗ったので、今でもその日を覚えているのだ。

しかし、その夜の事で覚えていることは、六本木のディスコに行ったこと。肩がいかつい青い革ジャンを着ていたこと。黒いパンツに黒のブーツを履いていたこと。そして新宿の駅前のカプセルホテルに泊まったこと。

その前の年の夏休みに沖縄の久米島でバイトしていた事もあり、そこで知り合った東京の人たちに遊んでもらったんだったな。

あれから22年か・・・。今となっては、もうその誰とも付き合いがない。

みんなどこかで生きているんだろうな。

ワインを飲みながら今、懐かしい思い出を思い起こしている。


上海の2010冬旅 『南京西路のからっ風』

2010年01月08日 | 旅三昧!釣り三昧!
1月3日:

午前6時に嫁実家にて起床。皆、眠い目をこすりこすり関空に向かう。

マイサクにとっては生まれて初めての海外の旅である。そしてオレにとっても初めての中国本土へ足を踏み入れる旅となる。

関空に着くと長女・マイがそわそわしてる。どうも金属探知機をすり抜ける時にアラームが鳴らないかが心配の様子。なんとも心配性なのである。みつかったら困る物など何も持っていないのにあせってやがる。

無事にイミグレーションを抜けて出国する。カードラウンジにてオニオンスープとトマトジジュース。おつまみをポケットに詰める。

やはり正月ということでフライトは満席の様子であった。

今回はツアーを利用したので上海にはガイドさんが送迎に来てくれていたのだが、空港では両替するなと云う。銀行で両替するよりホテルで両替するほうが得だと訳のわからないことを云う。銀行で両替をするのに2時間は待たなければならないと云う。

中国っていったいどんな国なのか・・・?

ホテルにチェックインする。



先ず飯だ。ホテルの周りを探索し、みつけた大衆食堂に飛び込む。

日本語はおろか英語も全く通じない。しかたがないので壁に書かれた漢字メニューを推測し適当に頼む。

これがかなり美味かった!ショウロンポウがまじで美味い!!

そして安い!!!家族4人で約800円ほどで腹いっぱいだ。

その後、タクシーで人民公園へ。恐ろしいほどの人の数である。

地味な格好の中国人、中国人。手袋はなぜか軍手だったりする中国人、中国人。

南京西路を東へ歩く。冬のからっ風がぴゅーぴゅーと。結構歩く。あまりに寒いので手袋を購入。15元也(200円くらい)。

次女・サクが『眠い眠い・・・』と、うるさいのでホテルに戻り近所のレストランを探す。

『牛蛙何某』というレストランを発見!



牛肉か蛙を食べさせてくれる店じゃないかというオレの主張も、皆はウシガエルは食べたくないと強く反対。断念す。

仕方がないのでその隣のレストランに入る。しかしなぜか中国のレストランで頼むビールはどこも生ぬるい。

今となってはあまり記憶に残っていないここの中国料理を食し、ホテルへ早々に切り上げたのであった。

普段は腕すら組む事を嫌がるマイだが、中国では迷子になるのが怖いのであろう、ぴったりとくっついてきやがる。まんざらでもない。


1月4日:

今日は唯一ツアーに付随した一日観光の日であった。

午前中に『豫園』という明時代の町並みを探索した。石造りが寒かったがなかなか良い場所であった。歴史残る町並みは良い。◎



一方、『新天地』と呼ばれる、香港の金持ちが開拓した新しい町並みにも行ったが、オレにとっては全く興味なしという場所であった。しかし仕方がないので付いて廻った。×

『七宝』という上海郊外の水郷の町にも訪れた。ここも情緒があって◎である。

オレはそこの屋台の『ワンタン』を頼んだのだが、これが抜群に美味かった。2.5元(40円くらい)。

一緒にワンタンを啜ったマイが『昨日、今日と食べた中で一番美味い!」と言う。サクはワンタンのような皮がどろんとしたものが嫌いらしい。サクは天津甘栗を購入。

屋台には本で何度も読んで興味を持っていた『臭豆腐』の店があったが、あまりの臭さに頼めずじまいとなった。



夜、今回最もちびらのために期待していた『上海雑技団』を見に行ったのだが、しかしこれはマジですごかった。大人のオレがすごいと思うくらいなのだ。

雑技団も素晴らしかったが、それに食い入るように眺め、口をあんぐり開けているサク。キャーキャー喜んでいるマイ。

それを見て、オレのこの旅一番の目的達成できたと、内心満足したのであった。

これから先、そうそうこのような旅へは連れて行けないであろう。数十年後も記憶に残る1コマであってほしいと願うばかりである。


1月5日:

ものすごく寒い一日となった。今日も人民公園より散策開始。観光トンネルより河の下をゴンドラでくぐる。

アジアで一番高いテレビ塔を登った。世界第三位らしい。ちょうど下の画像の塔の上の丸くなっているところが展望台で、外に出れるのだが、足元が透明のアクリルのようなもので、空中に立っているような感覚が味わえるようになっているのだが、それを知らずにそこに立って下を見たオレは恐怖で卒倒しそうになった。オレは高いところがまるっきりダメなのである。



サクはどうやらあまり中国料理が好きでないようだ。まぁ、確かに毎食毎食、これではオレでも辛い。

昼間にサクのどうしてもとの要望でマクドナルドへ。

『上海で一番おいしい!』とポテトを頬張るサク。

『しあわせ~!』とかよくわからないことをほざいていやがる。無視。

その後、買い物に行くという三人と別れ、俺はマッサージを探したのだが、なんの知識もなく路を歩いても、そうそうマッサージなどみつかるものでもない。ついに見つけた店に入ったら、受付してくれたおばちゃんがそのままマッサージ師となる始末。大失敗だ・・・。

その失敗の後、タクシーでホテルへ向かったのだが、帰りの道が恐ろしいほどの渋滞であった。若造のタクシー運ちゃんが中国語でぶつぶつ文句を云ってやがるのだが、オレはこんな全く地理のわからない途中の場所で降ろされても敵わないと、英語でガンガン文句を言い返す。

オレと運ちゃん、二人とも意味わからずに文句を云い合うタクシーの中。言葉が通じないのは分かっていたので、マッサージでの失敗の苛立ちも重なり、オレもぼろくそ交戦なのだ。

通じていないからいいのだ。

夜、また家族と合流。最後の晩餐にと、初日に断念したレストラン『ウシガエル』へ。ウシガエルは頼まないということで了承を得る。

実は『火鍋』と壁に書かれた文字が気になっていたのだ。

さまざまな本に出てくる『火鍋』。いわゆる辛いしゃぶしゃぶというオレの認識であったが、まさにそうであった。



しかしこのレストランは、本当に地元の人しか来ないのか、メニューはB4くらいの紙に自分たちでボールペンでチェックして提出する。

全くどうオーダーしてよいかわからない。中国人男性スタッフは嫌がってオレ達のテーブルには寄り付かない。若い女性スタッフはまだマシである。身振り手振りでオーダーする。

これが最高に美味かったのであった。

言葉が通じないながらも店のスタッフたちと徐々に仲良くなった。ジェスチャーと漢字はなかなか通じるのであった。

火鍋にバラの牛肉や野菜を3回ほどおかわりし、ビールの大瓶2本と2リットルのコーラ。伝票を見ると134元。めっちゃ安いと思い払うと、その後、さっきの女性スタッフがもう一度やってきて86元の伝票をみせて中国語で何か話す。

安すぎたから足りなかったのかなと思い、さらに払おうとすると、店のまちがいで86元だったと、お金を返してきたのであった。

全部で1200円くらい。ただただびっくりである。

満足満足。


1月6日:

今日は午後1時半には出発との事で、午前中、『田子坊』と呼ばれるエリアへ向かった。町並みは欧米人をターゲットにしているようで、カフェでは英語も通じる。上海らしからぬ町並みであった。チビらはここでも土産を探求していた。

オレは結局なにも買う物がなく帰国の機上の人となった。

今回の旅でつくづく中国人との感覚の違いを認識した。

あのようなクルマの運転は、タイやインド、スリランカでも同じであった。つまり『SELFISH』なのである。

それが良いか悪いかなどオレには到底判断できないが、忘れていた日本人としての誇りを思い出すことができたのは、オレにとっての一番のこの旅の収穫かもしれない。

最後に大きな驚きや発見があったであろう我が分身・マイサクの心の隅にいつまでもこの旅のことを記憶してもらえていれば光栄である。

それがオレが意図したこの旅の全てである。