【タックの放浪記】  思えば遠くへきたもんだ・・・     by Tack SHIMIZU

心に刻まれたその一瞬、心に響いたその一言、心が震えたその想いを徒然と書き記したい。この記憶から消え去る前に…

BKKに関わる我が親友たち

2010年01月18日 | 徒然日記
今日は久しぶりにBKKに住む親友・SAMMYと電話で話した。

相変わらずすこぶる元気そうで何よりであった。SAMMYとのつきあいは、もうかれこれ17年となる。国内外を問わないオレの大切な親友の1人である。

初めて出会った時の事を今でもよく覚えている。17年前、我が社がアレンジしたタイジュエリーキャンペーンにて、その当時取引をしていた会社の社長と伴に来日したのが、その息子であるSAMMYであった。

その後、SAMMYは結局家を継がず、『鉄鋼関係のTRADER』として、現在BKKにてものすごく活躍している。

昨今のオレはBKKへは年3回くらいの訪問となっているが、一時期は年6回ほどBKKへ出向いていたのであった。そして今尚、行けば必ずといっていいくらい二人して『ドカ飲みへべれけ状態』に陥っているのだ。

『宿酔いにはトムヤムスープが効く!』というのが親友の持論である。

ここでもう1人、オレの幼馴染で大阪・池田にて不動産会社を営むFUJIIという友人がいる。

この男が、これまた『ディープなタイ大好き男』で、しかもカオサンといったバックパッカー系放浪に詳しく、その手の路線ではオレは到底、足元にも及ばないのである。

今から7,8年前、そんなFUJIIにオレはSAMMYを紹介したのであった。

そのFUJIIだが、今月27日よりタイへ旅立つという。

今回の旅の目的を聞いてびっくりした。

『自転車でBKKよりラオスまで走る!』という、オレには到底真似の出来ないスケールの大きな冒険の旅なのである。走行予定距離は600キロらしい。

『泊まるとこは適当に走ればホテルがあるやろ・・・』といった具合なのである。

『危ないからやめとけ!』とSAMMYがFUJIIに伝えろという。

しかしFUJIIの性格から考えて、それを素直に聴くような輩ではない。くれぐれも注意したほうがいいとFUJIIに言付けた。

そしてもう1人、オレには高校時代の友人で、日本よりのODAとして5年ほど前、三井住友建設よりタイとラオスの国境に橋を架ける仕事に従事したSAWADAという男がいた。

SAWADAは、この橋を架ける大仕事の中の事故で命を落としてしまったのだが、FUJIIがラオスへ渡るにあたり、SAWADAが架けた『国境の橋』を渡ってくれたらいいなぁと、オレは密かに思っている。

人の出会いとはひょんなところから始まると思う。そしてそれが不思議な形で融合したりするのである。これからも出会った人たちを大切にしたいと思っている。



さて明日からしばらく東京である。東京での仕事の後、厳寒の盛岡、厳厳寒の八戸まで北上し、京都に戻ってくるのは今月末となる。その頃、FUJIIは酷暑のタイ国にてチャリンコの上であろう。

お互い頑張ろう!

『阪神淡路大震災』 

2010年01月17日 | 徒然日記
あれから15年の歳月が流れたのか。

オレ自身が体感した生まれて一番の災害である『阪神淡路大震災』より今日で丸15年である。

カナダ留学より戻り、アリカにてジュエリー業界の営業をするようになってちょうど一年が過ぎた頃であった。

当時はまだ大阪・池田にあった実家に住んでおり、地震の前日はあのひっくり返った阪神高速をクルマで走っていたのであった。

地震がやってきたとき、もちろんオレは自分の部屋で寝ていたのだが、あまりの揺れに目が覚めて、その揺れの大きさで本能的にベッドにうつむせの体勢をとったのであった。

どれだけの時間、揺れていたのかという記憶はないのだが、家が潰れると思い、その時、1階に寝ていた兄貴はやばいかも・・・と思ったのを覚えている。

その揺れで、ベッドの横に立てかけていた額が倒れ、ガラスが飛び散った。そして台に置かれていたテレビが左右に動き、今にも下に落ちそうであった。結局、うちの家は大丈夫であったが、隣の家は倒壊した。

家の裏には『ねずみ公園』という公園があったのだが、地震が落ち着いた後、近所の人たちがみんな公園に避難してきた。

まず震源がどこなのかもちろんわからず、あの凄まじい揺れは震度がどれくらいあるのかも、もちろん経験したこともなくわからなかった。

当時、池田から京都の会社へ親父と一緒に通っていたのだが、当然の如く、名神高速は全面通行止め。仕方がないので下道を亀岡経由の山越えルートで行こうということになり、親父と二人でクルマを走らせたのだが、道には自動販売機が軒並み倒れており、それを避けながら走らなければならず、また渋滞がひどく、京都の事務所にたどり着く頃には昼になっていたのを覚えている。

クルマのラジオでは、どのチャンネルも神戸の悲惨な状況を伝えており、レポートされる死者の数が信じられないくらいに膨れ上がっていくのを耳にしながら気分が悪くなったのであった。

今は老犬となったクマが、その後もしばらくとても怯えていたのをよく覚えている。

オレに直接関係する知人たちは幸い無事であったが、その知人の知人の範囲ではたくさんの方々が亡くなられた。

天災は予期せぬ時にやってくるものであろうが、もしものときのための備えは出来る限りしなければならないと思っている。

震災でお亡くなりになられた6343人の尊き命に、今日はこころよりお祈りしたい。

第39回京都新聞主催 『お話を絵にするコンクール』

2010年01月16日 | 徒然日記
本日より京都新聞主催『お話を絵にするコンクール』の入賞・入選・佳作作品が京都新聞社に展示されるということで、会社の近くということもあり1人歩いて見に行ってきた。

以前ここに書いたが、次女・サクの絵が『優良賞』に選ばれ、昨日の新聞紙面にもその絵が取り上げられたのである。

絵の題材になった本を読んだわけでもないし、凡才のオレには、なぜこの絵が12万点強の応募作品の中からの50点に選ばれたのか、正直の所、わからないのだが、まぁ選ばれた事は良い事である。

子供の成長において最も大切なこと。それは『自信』だと思う。

この入賞が、サクの心の中での大きな自信になってもらえればと願っている。

来週末は表彰式もあるようだ。

しかしオレの携帯で撮った写真はえらいボケボケやなぁ。凡才・・・。

なさけないと思う

2010年01月15日 | 徒然日記
小沢一郎の献金問題について、

今夜、当時の小沢の秘書であった石川何某衆議院議員とその後の秘書らが逮捕された。

小沢の僕として、一生懸命、小沢のために働いてきた人らが逮捕された。

なのに、未だにそ知らぬ顔をして語らない小沢一郎という男、オレには納得できない。

その小沢の事に関してノーコメントをする民主党の議員、オレには納得できない。

鳩山首相もオレは本当に情けないと思う。

なぜここで小沢一郎を更迭できないのか。

それが今後の民主党のために最も大切なポイントだと思うのだが。

唯一、自身の意見を申す前原大臣だけが納得できる男と思うのはオレだけであろうか・・・。

サウナでの出来事

2010年01月14日 | 徒然日記
今日も仕事帰り、『大和の湯』へサウナに向かった。

オレはここのところ、サウナに行くのが日課のようになっているので、クルマにタオルを一枚積んでいるのである。

この一枚のタオルで身体を洗い、よく洗って絞ってから身体を拭いて出ることにしているのだ。

『大和の湯』に着き、券売機で入湯券を求める時に、今朝、髭を剃っていなかったことを思い出し、サウナをしてから髭を剃ろうと『髭剃り』を一緒に求めた。

浴場には、やってきた客がそれぞれ持ちこんだシャンプーやら歯ブラシやらを置いておく棚がある。

オレは、そこに小さい髭剃りの箱だけを置いていたら盗られてしまうだろうと、髭剃りを持ってきたタオルに包み棚に置いてサウナに入った。サウナはフルチンでも平気なのだ。

サウナで頑張ること13分。

もう無理だというところでサウナから出て、棚にタオルと髭剃りを取りに行ったら・・・!

なんと!置いていたタオルがないではないか!!

足元を見ると箱に入った髭剃りだけが落ちているではないか!

誰かオレのタオルを盗ったなと思い、身体を洗っている人たちを見て回ったが見当たらない。

タオルがなければ、身体を洗うどころか、出て身体を拭くこともできないではないか!

オレは途方にくれた。

仕方がないので床を磨いていたスタッフのおばちゃんにフルチンのまま近づき声をかけた。

『すいません。タオルを盗られてどうしようもないので、入り口でタオルを買ってきてもらえませんか?』

同情したおばちゃんは、ちょっと待っててと言って出て行き、タオルを持ってきてくれた。

『これあげます。』ってタオルをくれた。

助かった・・・。

オレは身体を洗う人らに睨みをきかせながら、もらったタオルで身体を洗い、落ちていた髭剃りで髭を剃ったのであった。

きれいに洗い、もう一度湯船につかろうと、風呂に向かいながらちらっと棚をみると、なんとオレのタオルがオレが置いた同じ場所にほ、オレが置いたようにほんわりと置かれてあったのであった。

オレはびっくりしたが、誰かが使ったタオルはイヤなので、そのタオルを見捨てたのであった。

オレの今日一番の出来事であった。

ミラノ、フィレンツェ、パレルモ、そしてイスタンブール

2010年01月14日 | 徒然日記
昨夜、ここに書いた次のヨーロッパ出張の予定が大まかながらFIXした。

イスタンブールとイタリアを重ねて出張しようとすればトルコ航空を利用するのが最も効率が良くなるようだ。トルコ航空は『スターアライアンス』に加盟しているので、ANAカードのマイレージが貯まるから◎である。

そしてイタリア国内の飛行機は、ネットで取ると驚くほど安価で取る事ができるので、それで予約しようと思う。

今日、これまた示しあわせたかのようにタイミング良く、『イスタンブールジュエリーショー』から案内状が届いた。

これで来週から4月半ばまでのオレの業務スケジュールの概要がほぼ決まった。

しかし今年も恐ろしい巡業計画である。

昼、親友・SUGOと久しぶりに電話で話す。元気そうでなによりである。ヤツはまた新たな野望を持っているようだ。

久しぶりの声を聞き、オレも頑張ろうと思った。

受話器の向こうのほうから、『しみ、元気~?』というYプーの声がきこえた。


ISTANBUL JEWELRY SHOW, Mar. 2010

2010年01月13日 | 仕事!仕事!!
来る3月のイタリア出張の大まかなる計画を考えている。

3月は間違いなくシチリアはパレルモへ足を運ばなければならない。なぜなら今春のアリカコレクション展では『シチリアの宝飾』をメインにしようと計画しているからなのである。

実はそれに併せて、いつもどおりBKKへ立ち寄り、ヨーロッパ市場を相手にしている優秀な既存取引先に表敬をと考えていたのだが、今日、オレのこのイタリア出張のタイミングで『ISTANBUL JEWELRY SHOW』が開催されるという情報を得たのであった。

コンスタンチノープル(現イスタンブール)訪問にて歴史あるジュエリーを探求するというのが、実は今年のオレの1つの課題なのである。

東ローマ帝国よりオスマン帝国と、その歴史はオレが望むジュエリーのものよりずっと古いのだが、この歴史ある街にはきっとその後も継承しつづけるなにかが在ると思うのである。これは過去訪れたポルトガルで立証済なのである。

もし訪れるとすればこれが2回目のイスタンブール訪問となる。

とにかく、日本の恐ろしく保守的なジュエリー業界に属するそこらの競合他社が入り込まないようなところへ行かなくては、商売のネタは生まれないとつくづく思っているのである。

明日、トルコ大使館に連絡してみようっと!

金沢の『らーめん世界』 うまし!!

2010年01月12日 | 旨いもん!旨いもん!!
今日、久しぶりに美味いラーメン屋さんを発見したのだ!

場所は金沢東インターより高速に沿って西に向かう国道8号線沿い、金沢西インターまでの途中にあった。

『らーめん世界』である!! 北陸エリアのチェーン店のようである。

オレが頼んだのは四川味噌ラーメンと半チャーハンのセットである。四川味噌ラーメンは三段階に辛さを選べるようになっており、辛党のオレは迷わず大辛を頼んだ。1000円也。

まずラーメンはもちもちした太麺が辛い味噌スープとよく絡まり◎である。そしてチャーハンもパサパサ感がかなり◎。味も◎◎だ!

とにかくオレ好みであった。

もし金沢に住んでいたら・・・月に1回は食べに来るやろなぁ。


男の『即席・そうめん味噌汁』なのだ!

2010年01月11日 | 旨いもん!旨いもん!!
昨夜、昔おふくろがよく作っていた『そうめん味噌汁』なるものを作ってみた。

即席である。簡単なのである。適当である。

まず鍋に多めの水をかけ沸騰させる。そこへ一束のそうめんを投下する。茹だってきたら一杯のコップの水を加える。待つことしばし、再度沸騰したら、そうめんをザルにあげる。

鍋の水を替えて、また火にかける。

沸騰を待つ間に、冷蔵庫をチェック。白ネギがあったので、それを斜めに2ミリ幅くらいずつ細く切る。

お湯が沸いたら、ほんだし(出汁の素)を投下。弱火にして味噌をとく。普通のみそ汁より若干濃いめにする。

味噌をといだら、さっきの白ネギを投入する。少し待つ。

ネギが少し柔らかくなった頃合いをみて、お椀にそうめんを指で一掴み入れて、そこへネギ入り味噌汁をかける。

七味をパラパラと振っていただきます!

美味~い!!

男の『即席・そうめん味噌汁』なのである。

飲んだ後、飲みながら、酔っ払いながら、寝る前にでもやってみてください。食ってみてください。

美しき立山連峰の雪景色

2010年01月11日 | 徒然日記
巷は『成人の日』である。休日である。

そんな中、オレは朝より北陸へ車を走らせた。

今春にかけての個展およびキャンペーン取りである。福井の代理店で2月末、金沢と富山の代理店でそれぞれ4月に開催することになった。

富山の手前から見えた立山連峰の雪景色は、空気が澄んでいるからであろうキリリとして素晴らしく壮大であった。



オレのとても好きな冬の景色である。

そういえばかつて常宿としていた富山第一ホテルにあるバーのカウンターごしの壁には、この風景のパネルが貼ってあったなぁ。

今もあるのだろうか・・・。