忘却への扉

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思い出をたくさん残して

2016-05-19 | 共に

 【 たかが犬、されど犬 】 鬼北町近永 女性( 72歳 )

[ 昨年夏ごろ、体調が悪そうだったので病院へ連れて行った。「心臓が腫れている」といわれた。「年だから走らせないように。好きなものを食べさせて」とのこと。その2年前に健診を受けた時は、どの数値も正常だったので安心していた。でも、犬は1年に四つ年を取るそうなので、健診から8年たったということだろうか。
 そして今年2月、今度は「肝臓の腫れ」といわれ愕然とした。自分自身はがんの宣告、心臓病、将来透析になるかもしれないと言われた時も、案外平気で受け止められたのに。
 16年前、野犬刈りで捕獲され殺処分寸前と聞き、哀願するような目に負けて連れ帰った。子宝に恵まれなかった私たちの子どものような存在で、わが家がついのすみかとなり、ともに暮らしてきた歳月。最近は痛いのか寂しいのか、夜中に何度も起こされ、そばにいてお腹をさすってやることしかできなかった。
 4月半ば、いちるの望みをつなぎ、嫌がる車に乗せて病院へ。診察台の上での不安そうな目が忘れられない。その後、手当のかいなく、思い出をたくさん残して永遠の眠りについた。かけがえのない命を失った今、枯れることのない私の涙のつぼである。]
                          《 こだま 読者の広場 『 へんろ道 』 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) わが家で飼い続けていた犬たちのほとんどは、捨て犬か保健所に連れていかれる前の犬。老犬や罠にかかった犬もいた。どの犬もわが家で一生を終えた。悲しいけれど当然の出来事と受け止め、家のすぐ裏山の一カ所に墓穴を掘った。
 愛犬が亡くして月日が過ぎていくばかり。できれば私の生きている間に、雑種の捨て犬でも飼いたいと思い続けている。私にとって終わりは未定ではあるが、残された時間の減っていくのは確かなこと。
 人間と犬または猫、どちらにしても生まれながらの寿命の差に違いがある。悲しむばかりでなく出会いや一緒に過ごした時間の思い出の数々を振り返りながら生きることが大切と思う。
 そして新たな犬との出会いの中で家族としての一緒を温もりを再び感じて行きたい。人もそうだが犬たちも忘れることなく思い出の中に共にいる。
 連帯を性分とする犬を飼いたいのはこれまでの犬とのつながりともなり、一匹でもその命を救うことができればとの気持ちとやはりわが家で一緒の暮らしを感じたいから。


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