母の部屋を時々片付ける。
たくさんのものがある。
母は捨てるのが得意だった。
あれもこれもゴミ袋にいれていた。
鳴らない電話機(ふだんはひっそりとしている子機)
クッション(ちょっとシミがついていた)
記憶に無いみやげ物や古い家計簿。。
それらを仕分けしたり必要なものを救い出したりするのは
わたしの役目だった。
あんなにたくさん捨てられたのにまだまだいろいろなものがある。
青年教師だった頃の父の写真もある。
教会をバックにした両親の結婚写真もある。
よそ行きの着物を着て髪飾りがかわいい母はたしか24歳だった。
ぱらりと落ちた紙片はむかしのわたしの詩のコピーだった。
わたしも母のように24歳だった。
「億土」という同人誌で詩を書いていた。
結婚するとき「億土」に旅立つ詩と親への挨拶を小文にして載せた。
結婚したので三鷹の家に届いたのはわたしの身代わりになった「億土」だった。
詩は「武蔵野から」という。
コピーをとったのは父で日付が記されている。
父がコピーをとっておいてくれた。
母が何十年も保存しておいた。
ゴミ袋には入らなかったのだ。
折りたたまれた「武蔵野から」と「挨拶状」をひどく懐かしい思いで見つめている。
たくさんのものがある。
母は捨てるのが得意だった。
あれもこれもゴミ袋にいれていた。
鳴らない電話機(ふだんはひっそりとしている子機)
クッション(ちょっとシミがついていた)
記憶に無いみやげ物や古い家計簿。。
それらを仕分けしたり必要なものを救い出したりするのは
わたしの役目だった。
あんなにたくさん捨てられたのにまだまだいろいろなものがある。
青年教師だった頃の父の写真もある。
教会をバックにした両親の結婚写真もある。
よそ行きの着物を着て髪飾りがかわいい母はたしか24歳だった。
ぱらりと落ちた紙片はむかしのわたしの詩のコピーだった。
わたしも母のように24歳だった。
「億土」という同人誌で詩を書いていた。
結婚するとき「億土」に旅立つ詩と親への挨拶を小文にして載せた。
結婚したので三鷹の家に届いたのはわたしの身代わりになった「億土」だった。
詩は「武蔵野から」という。
コピーをとったのは父で日付が記されている。
父がコピーをとっておいてくれた。
母が何十年も保存しておいた。
ゴミ袋には入らなかったのだ。
折りたたまれた「武蔵野から」と「挨拶状」をひどく懐かしい思いで見つめている。
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