羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

武蔵野から

2016年08月19日 | Weblog
母の部屋を時々片付ける。
たくさんのものがある。
母は捨てるのが得意だった。
あれもこれもゴミ袋にいれていた。
鳴らない電話機(ふだんはひっそりとしている子機)
クッション(ちょっとシミがついていた)
記憶に無いみやげ物や古い家計簿。。

それらを仕分けしたり必要なものを救い出したりするのは
わたしの役目だった。
あんなにたくさん捨てられたのにまだまだいろいろなものがある。

青年教師だった頃の父の写真もある。
教会をバックにした両親の結婚写真もある。
よそ行きの着物を着て髪飾りがかわいい母はたしか24歳だった。

ぱらりと落ちた紙片はむかしのわたしの詩のコピーだった。
わたしも母のように24歳だった。
「億土」という同人誌で詩を書いていた。
結婚するとき「億土」に旅立つ詩と親への挨拶を小文にして載せた。

結婚したので三鷹の家に届いたのはわたしの身代わりになった「億土」だった。
詩は「武蔵野から」という。
コピーをとったのは父で日付が記されている。
父がコピーをとっておいてくれた。
母が何十年も保存しておいた。
ゴミ袋には入らなかったのだ。
折りたたまれた「武蔵野から」と「挨拶状」をひどく懐かしい思いで見つめている。