羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

花火

2009年08月05日 | Weblog
明日は神宮の花火大会だそうだ。
(わたしにしてみれば明日は広島に原爆が落とされた日だが)

次女は浴衣を自分で着る練習をしていた。
以前にユニクロで買ったときはまだ中学生だったので、
もっとオトナっぽいのが欲しい、ということになった。

わたしの友人に「貸して」と頼んだら、
「いいよ~、でも金魚の柄(笑顔マーク)」という返事だったので、
結局、ヤフオクで黒地に撫子模様のシックな新品をゲットした。

花火が好きなわたしはよく小さなこどもたちを連れて、
調べた花火大会へと電車で出かけた。
夫が同行することはまずなかった。

今でも、あちこちで見た花火の印象は混雑の程度とともに記憶している。
混雑と無縁だったのは病室から見た花火、
そう、神宮の花火大会だった。
長女とわたしの手術があった夏、新宿の病院からはちょうどよく
花火が見えた。
ガラス窓から見る音のない花火、華やかさとはかけ離れていた。
でも、思わぬ花火見物ができて、
見舞いにきていた家族皆が窓を見つめていた。

花火を見るとき、無言になるのは何故だろう。
一瞬、それぞれがそれぞれのせかいに入ってしまう。
そのときに重なる記憶の光りが、わたしは好きなのかもしれない。

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