羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

Yの箱

2014年06月10日 | Weblog
世田谷文学館に「茨木のり子展」を観に行ってきた。
「倚りかからず」という詩が朝日紙の天声人語で紹介されて
話題になったことは記憶に新しいが、
わたしが茨木さんの詩と初めて出会ったのは中学生くらいの頃だったと思う。

「わたしが一番きれいだったとき」という詩だった。その一部分。

わたしが一番きれいだったとき
街はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした                                                                    
  ・
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆発っていった


こういうふうに静かに反戦をうたうことは、より強く訴える力を持つものだと知った。。
「現代詩の長女」という賛辞はぴったりだと思っていた。

「自分の感受性くらい自分で守れ ばかものよ」という詩句にドッキリしたこともあったけれど、
今回の展示で出会ったのは「Yの箱」。
それは先に亡くなった夫Y氏への切ない気持ちを書き溜めた詩やメモの入った箱だった。
没後、書斎で発見される。
「Y]と箱の表面に書かれている。

夫妻には子供はいなかった。
彼女と彼女の詩にとって、長年寄り添った彼の存在がとても大きく、支えだったのだということが
とてもよくわかる。
茨木のり子という詩人は写真や作品からキリッとした女性というイメージだったが、
またべつの一面を見たようで親近感をもった。
これらの作品について「一種のラブレターのようなものなので、生きているうちに世に出すのは
ちょっと照れくさい」と生前語っていたそうだ。



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