羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

投稿者

2010年11月15日 | Weblog
言いたいことがあったら、それは発信しよう。
小さな声に自信がなかったら、書いて表せばいいのだ。
わたしは若い母親だった頃、子どもをもったからこそ外に向けて
アンテナを張り巡らせようと考えていた。
新聞に投稿したことは何度もある。
家庭欄や、読者の広場で。忘れていた小さな切抜きを母親から
最近見せてもらった。
わたしは28歳の母親で「裸足の保育」について発言していた。

昨夜、帰宅してから朝刊を広げていたら、
ふと長女の投稿記事が目に入った。
彼女の投稿を読むのも何回目だろう。
社会的な発言のみならず、退院後に家族へ感謝の気持ちを表して
くれたこともある。

ところで先日のことだけれど、やはり本棚の奥から
「明日天気になあれ」という古い本が見つかった。
新聞社が家庭欄の記事をまとめたもので、
何人もの働く女性たちが登場する。
「その節はありがとうございました」という記者からの手紙も
はさんであった。
わたしは年子の子どもを二人も連れて働く「子連れのミニコミ紙記者」
としてそこに載っていた。
たしか新聞に投稿したことがきかっけで「逆取材」を受けたのだった。
小さなミニコミ紙では、記事も書くし写真も撮る、割り付けもすれば
校正もした。
職場の上司や友達の力を借りながら夢中で仕事をしていたし、
楽しかった。

転居のためにその仕事をやめたときは本当に残念だった。
あの頃、まだとても小さかった長女はいつからかわたしの手を離れ、
言うべき事を毅然と発言する女性に成長していた。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿