羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

自分の写真

2010年01月28日 | Weblog
いま、このブログを読み返していて思ったことひとつ。
「かもめ」の話は意味不明になっていて、まあ、わざとそうしたんだけど、
多少気になったりして・・・。
「かもめ」の名前を浅川マキさんの歌からお借りしたのは、
写真を撮ってもらうためでした。
その写真を撮ってもらうと決めたとき僅か二、三人にしか話さなかったけれど、
すごく反対したひとがいた。
週刊誌に載るわけだから、ラーメン屋とかいろんなとこで不特定多数の人が、
見るんだよ、と、ふだん寡黙な彼が断固として反対したので、
ちょっとビックリしたり、妙に嬉しかったり、、。

そう、そんなことがありました。
週刊誌は今でも持っています。

美人でも何でもない自分の写真。
最初にそれを見て「あたしってこんな顔!?」と思ったのが、
大学生の時のやはり週刊誌のインタビュー記事だった。

「孤軍奮闘する女子大新聞部の編集長」というポジションがいつのまにか、
本人の知らないところで作り上げられ、あらあらという間に、
いろいろなところに登場する羽目になった。
それなりに楽しんではいたけれど。

その頃、ひとはそれぞれ多少なりとも先入観をもって初対面の相手と接するものだ、
ということを学習したし、
笑顔で鏡にうつる自分ではなく、話をしている自分の顔が相手には見えていて、
それを好きになるのはなかなか難しい、ということもよくわかった。

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