羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

母の笑顔

2016年10月31日 | Weblog
何度も書いたような気がするけれど
わたしと母は仲が良いわけではなかった。
母は外に出ない人。友達もいないし習い事もしないし散歩にも行かない。
家の中へとばかり視線と思考が向いて些細なことをいつも気にしていた。
家族の動向をチェックしてメモを書き気に入らない事柄をいつも、
たいていは私に向かってあれこれ申し立てた。

でも旅行好きだった亡父に連れられて国内も北欧にも行った。
誰かの運転する車に乗せてもらうのが好きだった。
だからわたしはいつも母を気分転換に外に連れ出そうと試みた。

母の口からこぼれる不平不満はずっとずっと続いた。
聞き流すことができなくて口答えもできなくて辛かった。

だけど母はもういない。

憎いと思ったことはただの一度もなかったけれど、
悲しかったこと、大変だったこと、うっとうしかったことは、
数限りなくある。
それらとげとげしたものぜんぶやがて抽出されて
ほんのりあたたかい紅茶みたいに澄んでくるだろうか。


昨日に続いて写真をもう一枚。
笑ってる母も懐かしいけれど、
戸惑い気味の赤ん坊が微笑をさそうひとこま。