羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

もの静かな猫

2016年01月22日 | Weblog
それで、ちょっとだけ昨日の続きなんだけど、
顔だけ知ってるひとのなかに「ゴローさん」という人がいた。
いつもゴロゴロしてるからゴローさん。
ゴローさんは口数の少ない茫洋とした雰囲気のひとで
部屋にはやはりもの静かな猫がいた。

彼が故郷へ帰ることになり遠上さんと三人で駅に切符を買いに行った事がある。
指定席を購入するための紙切れを前に「あれ、名前書くとこある、俺、名前なんだっけ?」
と案外マジメな顔で聞く彼、「ゴローって書けばいいんだよ、決まってるだろ」と遠上さん。
「あ、そうか」という二人の会話を笑って聞いていた覚えがある。

そのゴローさんが帰郷するとき、
わたしにジーパンをくれた。
手先が器用な彼が細工したツギハギのジーンズで「昔作ったやつ、これ小さいからきみに
ちょうどいいかも」とプレゼントしてくれた。
カッコよくてすぐに気に入った。

気に入ったからって履いて行ってよい場所とマズイ場所がある。

その後、梶井基次郎の「檸檬忌」が伊豆であることを知ったわたしは何も考えずに一人で
伊豆に向かっていた。

太宰治の「桜桃忌」とどんなふうに違うんだろ?くらいのかるい気持ちだった。

軽い気持ちでツギハギジーンズで出かけてみたら
梶井を愛する人々が集うささやかな和やかな会はみんなほとんどスーツ姿だった。

後日、そのときの写真を貰ったときにはこんなふうに言われた。
「ここに写ってるの、キミでしょ?ジーパンですぐにわかったよ」。

でも若いということは恐ろしくも無邪気なもので、
べつにそんなにも恥ずかしくはないのだった。

そういえばその写真を貰った頃、ゴローさんだけではなく遠上さんも、
数冊の詩集や童話を残して故郷へ帰っていて、
吉祥寺の風景はまた違うものになっていた。