羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

故郷に帰る

2015年06月24日 | Weblog
久しぶりに電話があった。
母の弟はもう80歳を過ぎたというが声は若々しくしゃべり方も昔と変わらない。
叔父は内気なマジメな印象があった。
若い頃は家に居候をしていて、何度もお見合いをしたが結婚できなかった。

時が経ち、母と話をするときに「弟が心配の種である」という事をよく聞くようになった。
叔父はマジメに働いてアパート暮らしをしているのだと私は思っていたが
何に使うのか経済的にいつも困っていてよく母に借金の申し込みをしていた。

今回の電話は別れの挨拶だった。

彼が方々から借金をしていてタイヘンらしいという噂は耳に入っていた。
きっとそっちにもいくよ、と言われていたので電話があったときは身構えた。

でもさすがにわたしにまで金を貸してくれとは言い出さなかった。
ギリギリのプライドを保って昔話をしたりして笑っていた。
福島に帰るという。
そしてホームにいる姉(つまりわたしの母)に会ってからいくかどうかすごく迷ってるとの事。

姉は自分のことをわかってくれるだろうか?
もしわからないなら行っても無駄だから、という。

どうも違和感を覚えた。
わかってもわからなくても大切なひとなら(そしてもう会えないなら)顔をみて、かみあわないなりに
話をして自己満足でいいから納得して去りたいとは思わないのだろうか。
相手がもうわからなくても心から謝りたいとか手をとってサヨナラが言いたいとか、
思わないのだろうか。

自分のことがわからないなら行っても仕方ないと繰り返していた。
弟をわかるかどうかは、それはわたしにだって不明である。
母の機嫌も体調もあるし。

違和感を隠しつつわたしは「美代さんはわたしが見てるので安心してください」といった。
それしかいいようがなかった。

年老いて相手を認知しなくなる。そういう病気。
対する側は戸惑いや悲しみも大きい。それでもかつて親しんだ人に変わりない。
こちらがわかっていればいいのである。
年老いたひとを受け入れるというのはそういうことではないのだろうか。