まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

栗拾い その2

2014-10-02 | 暮らし

父は退院してから、風呂へ入るのが難しいのでディサービスへ行くようになった。幸い軽い脳梗塞なので、日常生活はなんとか出来るようになったが、風呂は狭いのと、湯船が高くてまたがなくてはならないため危険だということで、ディサービスへ行くこととなったのだ。

父は、「まだ、しゃべるのが前の半分もうまくしゃべれない」と、訴えていたが、「今ので十分人並みやわ」と、言うと不服そうに笑っていた。今までが人の倍以上やかましかったということの自覚がない。

栗を拾いながら思い出していた。「うちは小さいが、土地は広い。」と、小さい時から父が豪語し「1万坪あるんや。」と、言って孫であるわたしの娘に「〇には、千坪やるぞ。」と、言っていた。「わたし、壺なんかいらん・・」と、小さかった娘は嫌がっていた。わたしも「坪も壺もいらんわ」と、思っていた。

栗の木が生えているところから奥には、ぶどう畑もあったことを思い出した。広いと草を刈らなくては荒れ放題の山になる。母の弟である叔父が、時々草刈り機で草を刈りに来てくれる。わたしも弟も、山に関しては役に立たないのである。せいぜい栗を拾うだけだ。

しかし、最近分かったことだが、父がケアマネージャーさんに、「広い土地ですね。」と、言われて得意げに言った。「戦時中に開拓したんや。8000坪ある!」と。おや、2000坪はどうなったのだ。わたしのふたりの娘たちに千坪ずつあげたとは思えないし。わたしに見栄を張っていたのかい。

相変わらずの父である。栗が空を向いて笑っている。



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