まこの時間

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二宮尊徳、再び

2021-02-22 | 暮らし
なぜJAに、二宮金次郎像があるのかについての謎が解けた。



昔はどこの小学校にもあったが、何故農協に?という疑問と、小学生のころからこの界隈を知っているのに像に気づかなかった理由。
聞くところによると、旗陽小学校があったとのこと。

明治7年に福田村落の小学校を旗陽小学校として、耳聞山町に開校。
明治43年上福田町に移設。(現在のJA)
昭和10年9月2日に大聖寺町と福田村の合併により錦城小学校に統合され廃校となる。
昭和10年9月に錦城小学校新校舎が完成。
(錦城小学校史より)



廃校となったが、後に農協を建てた時二宮金次郎像を作ったそうで、昔からの物ではない。

JAは大聖寺川べりにあり、そこの橋は旗陽橋という。
深田久弥が、この橋から見る白山が一番美しいと書いている。

昭和9年9月9日に大聖寺に大火があって、錦城小学校界隈は焼けてしまったことで、昭和10年新校舎が出来た。

わたしたちが小学生のころ、毎年9月9日は体育館前に祭壇がしつらえられ、お参りをした。
生前の鶴の写真が飾られていた。
飼育していた動物が死んでしまった中、鶴の親が子供を自分のお腹の中に入れて死んでいたという話は錦城小学校の生徒は毎年聞いて手を合わせる。

二宮尊徳像で、大聖寺の歴史に触れることが出来た。






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